Lv.85
見え隠れする敵の正体とは
その日の全ての予定が終了し、二人が葬儀会場を引き上げてディアナの部屋にやってきたのが午前二時。明日は朝六時には起きなければスケジュールが終わらない過密日程だ。
夜着に着替えた二人は、ベッドに入ると泥のように眠った。夢を見る余裕もないくらい疲れ切っていた。それはディアナにとっては悪いことではないだろう。
賢者ともなれば、睡眠時間の調整くらいはできなければならない。寝過ごすなど精神がたるんでいる証拠だと考える。朝の五時半に起床したルナは、隣で眠っているディアナの顔を見る。
疲れた表情だ。とはいえ、うなされているわけではない夢も見ないで眠っている。
このまま少しでも長い時間、眠っていてほしい。
ルナは彼女の手を握った。小さな体で、大きなものを背負わなければならない。ソウといい、ディアナといい、どうして自分の周りにいる人たちは、こうして自分より大きなものを背負おうとするのだろう。
そんなことを言ったらきっと二人とも「ルナの方が重いだろ」と言うに決まっている。結局自分たち三人は似たもの同士だったからいつも一緒にいたのかもしれない。
「ん……」
睡眠が浅くなってきたようだ。悪夢を見る前に起こした方がいいだろうか。
「気がつきましたか、ディアナ」
声をかけると、ディアナがうっすらと目を開ける。
「……何時?」
「五時、五十分というところですね。あと十分くらいなら寝ても大丈夫ですけど、夢見が悪いといけないので起こしました」
「そう。それなら感謝しておいた方がいいわね。正直、夢を見たらあの場面を見そうで怖いですわ」
ディアナがゆっくりと体を起こす。
「少しは疲れが取れまして?」
「私は問題ありません。ディアナこそ、私よりずっと疲れているでしょう」
「私は二日もすれば眠るくらいの時間は取れますわ。ただ、公爵の仕事は簡単に進めることはできないでしょうけど」
「ディアナなら大丈夫です。ダーマの政治学、経済学では私より成績が良かったではないですか」
「当たり前でしょう。あなたは一年間に五十六単位。私はたったの二十単位しか取ってないですもの」
もっとも、年間二十単位というのはダーマの大学にしては平均よりはるかに多い。ソウなど十単位も取れていないありさまだったのだから。
「賢者になってからはあなた、教官も務めてらしたわよね」
「はい。いくつかの講義をラーガ師に代わって行っていました」
「それで私よりも単位を取っているんでしょう? 私の得意分野でくらいあなたに勝てなくてはつりあいが取れませんわ」
ラーガは『無視することがディアナを成長させる』と評したが、実際にはディアナのやる気を喚起していたのはルナの存在が大きい。ルナが尋常ではないスピードで吸収していくのに負けない気持ちで努力を重ねたのだ。ルナもディアナも確かに学問の才能はあった。だが、それ以上に努力を惜しまなかった。ソウもディアナも、ルナがどれほど努力しているかを知っている。
「昨日はありがとう、ルナ。昨日は王宮に行かなければいけないこともあったから大変だったけど、今日はずっとこちらにいられるから、何とかなりそうですわ」
「はい。昨日よりは楽ができそうですね」
「ええ。ですから、あなたはもう王宮へ行って、アレスさんと合流なさい」
起き抜けにそんなことを言われては動揺するばかりだ。
「ディアナ」
「私なら大丈夫です。昨日は突然のことであなたにも甘えてしまいましたが、今は自分のするべきことが見えています。決して背伸びなどしておりません。大丈夫ですわ」
「でも、本葬が終わるまでくらい」
「その間に何が起こるか分かりませんわ。あなたの為すべきことは、私の手伝いじゃないでしょう? まずはオーブの宝箱を開けること。そして海賊ブランカがらみの問題を解決することですわ」
「ですが、今のフィット家は他に」
「人がいないと自分で何でもやってしまっては人は育ちませんわ。いつかはあなたがいなくなる。そのときに何もできない人が残っても仕方ないですもの」
「それに、ディアナの安全だって」
「私は自分の身は自分で守れますわ。最悪のときはキメラの翼だってあります」
「ディアナ……」
ディアナが自分の身を案じてくれているのはよく分かっている。だが、この憔悴した友人を見捨てていくことが果たしていいことなのだろうか。
「では、一つだけ約束してください」
「何かしら」
「本当に、どうしようもなくなったときは、必ず私を呼んでください」
「もちろんですわ。だってあなたは、私の友人でしょう? あなたが困っているなら私は助ける。私が困っていたらあなたは私を助ける。今は、私も精神的にはまいっています。でも、この家のことは私がしっかりとしなければいけないのです。あなたがいたら甘えてしまう。自分を追い込まないと、今は何もできなくなりそうです」
「分かりました」
ルナは頷く。ディアナもよくよく考えてのことだろう。これ以上我を通しても仕方がない。
「時間の空いたときに様子を見に来ますから」
「ええ。あなたならいつでも歓迎ですわ」
そして二人は同時に準備を始めた。髪を整えて、化粧をして、いつものように賢者としての自分、公女としてのディアナが出来上がる。
「しっかりとやってくるのよ」
「はい。ディアナもお気をつけて」
そしてルナは王宮へ向かう。
やることはいくらでもあった。ブランカの件もそうだが、そもそもあの逃げた男がいったい誰だったのか。このエディンバラの中にいるのは間違いない。
疲労はたまっているが、目の前にやることが見えている現状ではそのようなことは言っていられない。ディアナはたった一人でもっと大変なものに挑むのだ。自分がのんびりなどしていられない。
一日たっても王宮はまだ混乱していた。朝からあわただしく動く兵士、官僚たち。この混乱ぶりは国王が亡くなったときに匹敵するだろう。
(国王陛下にも、一度お会いしたいものですが)
それとも王子を袖にした自分は歓迎してはくれないだろうか。先日は誘拐されたとはいえ、約束を守れなかったこともあるし、なかなか縁のない相手だ。
「ルナさん」
その彼女に声をかけてきたのは、プラチナブロンドのトレイシーだった。今日は騎士の鎧を来ている。
「トレイシー様」
「あなたがこちらに来るとはな。フィット家の方はもういいのか?」
「はい。いろいろとやらなければいけないことがありますので」
「そうか。私で力になれることがあれば、何でも言ってくれ。さしあたっては、アレスさんのところへ案内すればいいかな?」
「すみません。お願いいたします」
本当によく気のきく人だった。これがエジンベア騎士というものか。
「ディアナ嬢の様子はどうかな」
「はい。疲れてはいますが、やることがあるうちは泣く暇も休む暇もないというところですね」
「そうだな。友人がしっかりと支えてやることが必要だろう」
「承知しています」
「ああ。分かっているのなら大丈夫。あなたがたはお互いがお互いを高めるタイプの友人だからな。悪いことは何一つないだろう」
よく見ているということなのだろうか。褒められたルナは「ありがとうございます」と感謝を述べる。
「こちらの部屋に滞在していただいている。三人一部屋だ。さすがにここのところ混乱していてね」
「好都合です。ありがとうございました」
「なに。それでは、失礼する。私がいては話せないこともあるだろう?」
ふふ、とトレイシーは笑って立ち去る。まったく、どこまでも気がきく人だ。
「失礼します、アレス様」
ノックをして、中の返事を待ってから入る。既にアレスとヴァイスは一訓練終えたのか、朝から元気そうだ。一方でフレイは寝起きなのか、まだ目がうつらうつらとしている。
「ご迷惑をおかけしました」
入るなり頭を下げる。もちろんアレスがそのようなことで叱ることはないのは分かっているが。
「ルナ。向こうはもういいのかい?」
「はい。本当は私もまだ手伝いたいのですが、ディアナが自分でやらなければいけないことだから、と」
「強がってんだろ」
「ええ、そうだと思います。ですが、ディアナが成長するためには私がいつまでも傍にいていいわけではありませんから」
ヴァイスからの追及もルナは軽くかわす。友人だからこそ手伝えないこともあるのだと。
「まあ、後で様子を見に行くくらいはいいだろう」
「ですが、今日も明日も、ディアナには余裕はありません」
通夜に本葬と続けば、誰かと会う時間にたったの十分取られただけだとしても、スケジュールがその分だけ立て込んでしまう。
「全部終わってから行くのがいいですが、その前にパンクしないかどうかも確認しないといけない。難しいところです」
「……信じることも、必要」
フレイが言う。その通りだ。いつまでも心配されるほどディアナも子供ではない。
「はい。そこで、昨日、ヘレン王女からお伝えされている件ですが」
「聞いた。海賊ブランカの協力者が、この王宮にまだ残っているっていうことだな」
「もしかすると、海賊ブランカ本人かもしれません」
さらりと言った言葉に、アレスとヴァイスが驚き、フレイの眠そうな目も開いた。
「いえ、それはただの勘繰りというものですね。あくまでももしかしたらという推測です」
「でも、そう思う理由があるということなんだろう?」
「そもそも、海賊ブランカというのは何者なのでしょう? 私がダーマに初めてやってきたときには、そのような名前を聞いたことすらありませんでした。騒がれるようになったのはここ二、三年。海賊としては新興勢力です。どのあたりで中心に活動しているのか、本拠地はどこか、そして本人は何者で、どこの国の人間なのか」
「それについては、ルナに言われて昨日調べておいた」
アレスが答える。
「海賊ブランカの対策チームがエジンベアに出来たのは四年前。ただ、ブランカの記述が海軍記録に初めて出てきたのは六年前のことだ。それまではそんな海賊のことはどこにもなかった。他に大小の海賊がいて、捕らえたり逃げられたりの繰り返しだった」
「やはり、ずっと昔からいる海賊というわけではないのですね」
「やはり?」
「ここ数年で拡大した勢力、それも首謀者の名前が出ている。それは、海賊団の中に傑出した一人の人物が生まれたことを意味します」
「最近になって出てきた海賊だと何か問題があるのかい?」
「大ありです。分かりやすく言えば、ヘンリー王子が国を出て海賊をすることを考えてみてください。エジンベアの国情はつつぬけ。しかも内部に協力者がいるとなれば、エジンベア海軍の包囲を抜けて海賊行為を行うことができることになります」
「でも、どうして協力なんか」
「単純にお金ですね。儲けた金額の何割かを支払うことによって協力体制を保つ。お互いに得をする関係が結ばれるわけです」
「だが、協力した人間はある程度稼いだら、ブランカを切り捨てることだって考えるんじゃねーか?」
当然の疑問をヴァイスが口にする。
「監視する者がいるのです」
「監視?」
「監視人はブランカにとって相当信頼のできる人物か、もしくはブランカ本人。それがウィリアムズ公を監視していたから、切り捨てることもできなかった。逆に捕まったときは、そこからブランカの正体がばれないようにするために口封じをした」
「なんてこった」
「その点から考えても、私はブランカという人物はエジンベア出身であると思います。それも、相当にエジンベアという国を憎んでいる人物です」
その発想の飛び方が三人には理解できなかったらしい。何故、という表情を見せる。
「まず、エジンベアの中に協力者がいることから、エジンベア出身である可能性は極めて高いと思います」
「なるほど。それで、憎んでいるというのは?」
「少なくともブランカは何度もエジンベアで略奪を行っています。もちろんポルトガやロマリアも襲ってはいるのでしょうけど、回数はエジンベアがもっとも多いと思います。数字で出されていればいいんですけどね」
「だからって、憎むってのは」
「今回のノルマン公、フィット公、ウィリアムズ公の三名に起こった事件。すべてはブランカが描いたものだとしたら?」
後味の悪い事件だった。フィット公は娘の前で暗殺され、ウィリアムズ公は自殺に見せかけられた毒殺。そしてノルマン公女シェリーは一生消えない傷を負った。
「相手を苦しめることが理由だと考えなければ、納得ができません」
「でも、ノルマン公女の件は、ケイトの暴走だったんじゃ」
「そこです」
ルナは鋭く言う。
「ケイト公女はおそらく、ブランカの意のままに操られたのだと思います。それこそ、自分が意識しないところで」
「自分が意識しないところで?」
「いくらなんでも、それほど見識の高くない公女が、あんな手段を用いて相手を貶めることなど、考えもつかないでしょう。ケイトが自分は悪くないというのも、ある意味では分かります。自分から考え付いたのではないのですから。考えてみれば、自分で考えた行動にしては浅はかな部分が多すぎます」
「その程度の人間だったって可能性もあるぜ」
「そうですね。ただ、もしブランカが絡んでいるのだとしたら、そうやって浅い事件だと思わせておいて、本当は根深く、誰にも見えないような地下深くで活動している可能性があるということなんです。実際、みなさんはブランカと手合わせをしているということでしたが、いかがですか」
「確かに、ルナの意見は一理ある」
アレスが頷く。
「ロマリアでも自分は傷つかずに事態を動かしていた。そういうところがある人物だった」
「待てよ、となると、あの時俺たち、ブランカの姿を見てるよな」
「……白い髪に、長身」
「モシャスの可能性がありますね。ブランカはすぐに逃げたのですか?」
「ああ。カンダタ──盗賊の名前だけどな。とどめをさして、すぐに逃げた」
「今回の事件と、似ていますね」
ルナの言葉にヴァイスの言葉が詰まる。ターゲットを殺し、すぐにその場を立ち去る。それがブランカのやり方。
「モシャスの継続時間はそれほど長くありません。平均五分くらいです。先日、フィット公のときは私たちが屋敷に入ってから公の部屋に着くまで、三分とかかっていません。屋敷に入ったのを見計らってモシャスをかけたとしたら、ちょうどいい時間です。まあ、重ねがけをした可能性もありますけどね」
「モシャスっていうのはどんな姿にでもなれるものなのか?」
「相手のことを見知っていればできます。ですから、もしこの国の人物だとするなら、既にヴァイスさんが出会った人が犯人だということになります」
「俺がか?」
とはいえ、さすがに事件を挟んださらに前。いったい誰に会って、誰に会っていないのか。それに街中ですれ違った相手だとしたら、もう調べることなどできない。
「……質問」
フレイが手を上げる。
「なんでしょう」
「……ブランカは、何故、事件を起こしたの?」
「それは、この国を混乱させることが一つの目的だとは思いますが」
「……協力者を失ってまで?」
言われてみれば、確かにおかしい。
ブランカがもしエジンベアを疲弊させたいのなら、わざわざ協力者を失うような方法を取らなくても、いくらでもやり方はあったはず。
「──まさか」
今回被害にあった人物を考えてみる。フィット公、ウィリアムズ公と公女ケイト、そしてノルマン公女シェリー。
「王子の結婚と関係している? ウィリアムズ公の事件に便乗したのではなく、ウィリアムズ公の事件そのものもブランカの手の内だったとしたら」
ブランカが、ヘンリー王子の結婚の相手をのきなみ失脚させようとした? 何故?
「ヘンリー王子の結婚を、止めたがっている人物……」
おそらく該当する人物は一人や二人ではないだろう。心当たりもある。だが、それはどうなのだろう。あまりにも突拍子過ぎる。というより、その相手のことがまだよく分かっていないのに、断定するのはよくない。
「情報が必要ですね」
「そうだな。まだ調査は始まったばかりだ。オーブが手に入っても、ブランカを放置しておくわけにはいかない」
アレスにとって、ブランカは敵。超えなければいけない壁くらいに思っているのかもしれない。
「分かりました。まずはブランカに関する資料と、それからヘンリー王子の周辺の人間を総整理いたします」
「それから、ルナ。君も気をつけた方がいい。もしもブランカの標的が婚約者候補だというのなら、ルナだって狙われる可能性がある」
なるほど、その考えはなかった。自分の身は自分で守れると思うと、そこまで気が回らないものだ。
「じゃ、俺が始終くっついてればいいんだろ?」
ヴァイスがにやりと笑う。
「はい。よろしくお願いします、ヴァイスさん」
「俺は他にやることもねえからな。それから、オーブはどうするんだ?」
「宝箱はあるのですから、後にしてもかまわないとは思うんですけど。それに、この状況であまり宝物庫にたびたび入れてほしいというのも難しいですし」
宝箱さえ部屋から出してくれれば、それこそ一日中でも調べていられるのだが。
「まあ、一つずつ解決するしかないってことか」
「そういうことですね。それじゃあ、ヴァイスさん。お付き合いください。調査を開始します」
「オーケィ」
そうしてルナはヴァイスとともに行動を開始した。
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