Lv.86

不定形の鍵、歪み霞める箱








「で、何を調査するつもりなんだ?」
 ルナはヴァイスを連れて王宮図書館へとやってきた。あらかじめ昨日のうちにアレスが書庫の使用許可をもらっていた。もちろん、機密に触れる部分のすべてを見ることはできないが『王子権限』でほぼ全てといってもいい文書が読み放題だ。
 本が好きなルナにとっては、一年いても飽きることがないだけの蔵書量。それこそ読みたい本が目移りするほどにあるのだが、今はそんなことをしている場合ではない。
「ブランカの正体を明らかにすることが最終目的です。ブランカのねらいも何もかも、本人を捕まえれば何とでも分かります」
「ま、そりゃそうだな。で、何を調べるんだ?」
「ブランカが海軍記録に出てきたのが六年前ですね」
「ああ」
「ですが、ブランカを中心とする海賊団が六年前に突然できたなんていうのはおかしい話です。何年かをかけて力をつけて、海賊団としての形が整ってから活動を開始したはず。となると、最低でも一年か二年、もしかしたらその前からブランカは活動を始めていたと考えてもいいでしょう。となると、その頃にこの国で何が起こったか、ブランカにつながる事件がないかどうかを探すことで分かることがあるかもしれません」
 といっても、ルナは既に目星をつけている。八年前といえば、この国では一つ大きな戦いが起こっている。
 ポルトガとの間で起こった大西洋戦争。エジンベア、ポルトガ両国間に多大な被害を出したこの戦争が原因である可能性は高い。
「この戦争にブランカが関係するのか?」
「分かりません。ただ、いざというときにすぐに知識を呼び出せないのは困ります。今は情報がほしいのです」
 無論、現代の戦争ということで、ダーマでもこの戦争には関心が高かった。ルナがダーマに来たときには既に戦争は終わっていたのだが、戦争について調査する専門のチームがあったくらいだ。ルナもその影響で、ある程度のことは分かっている。
 そもそもエジンベアとポルトガが何故争ったのか。
 ポルトガは海洋国家。独自の航路と強い海軍を持ち、世界で一番の富を集めていた。その繁栄ぶりは『太陽の沈まぬ国』と称されていた。その富がもたらされる原因となっていたのは二つ。東方貿易と植民地の鉱石採掘だ。
 東方貿易においては、ヨーロッパでは生産されない黒胡椒などの生活必需品を王家が一手に独占し、莫大な利益を上げていた。が、現在では民間の貿易船やエジンベア、ロマリアの進出によって独占権は失われている。
 そしてもう一方の植民地鉱石採掘。テドンのさらに南東にある土地から黒曜石と黄金の採掘に成功。大量の奴隷を投じて採掘に当たらせた。このためテドン南東の地域は『ポルトガの財布』と呼ばれるようになった。
 そのポルトガが次に目をつけたのが、北のアイスランドであった。ここは昔から交易によって細々と成り立つレイクという都市があった。そのレイクとの交易にルビーが混じっていたことから、ここで採掘が可能ではないかと考えたポルトガが海軍を派遣した。
 レイクは最も近かったエジンベアに救援を要請。レイクとの優先交易権を引き換えに、ポルトガとの戦争を決断。ここに大西洋戦争が勃発する。
 当時、ポルトガの『無敵艦隊』と呼ばれた船団がエジンベアを目指したが、エジンベアは機動力の高い小型船を使い、敵艦に突撃して船上白兵戦を展開。これにより『無敵艦隊』は半分の船と、三分の二の将兵が失われた。これにより、大西洋の制海権はポルトガからエジンベアに移ることとなった。
 これが大西洋戦争のあらましである。
 その後、自治都市となったレイクはエジンベアに帰属し、優先的に交易を行っている。エジンベアとしてはここが『財布』となった形だ。
 この戦いで『無敵艦隊』を撃破したエジンベア海軍提督がフランシスという人物である。
 もともと民間船の船長で東方貿易をしていた男だった。東方貿易の権利独占を主張していたポルトガがこのフランシスの船を攻撃し、フランシスは妻と仲間を失った。少なくなった部下と共に何とかエジンベアへ落ち延びたフランシスは、ポルトガへの復讐を考えるようになる。
 エジンベア国王はフランシスに一隻の船といくばくかの金を与えた。これで再び東方貿易をしてかまわないということだったが、フランシスはそのいただいたものを使い、ポルトガ船やポルトガ植民地を襲うなどして富を集め、後に与えられた金額の百倍の金額をエジンベアに献上した。この功績をもって、エジンベア国王はフランシスを海軍提督として招いた。たった一隻でポルトガ軍と戦えるなら、一国の軍を率いれば壊滅させることもできるだろう、と判断したのだ。
 結果は上記の通り、物量作戦を取るポルトガに対し、小型突撃艦を多数準備して白兵戦に持ち込んだフランシスが勝利した。
 その後、フランシスは南テドンの鉱山を攻撃しようと考えていたが、大西洋戦争後に病死した。五十三歳だった。
「この資料でいいのか?」
 次々に頭の中にデータを整理していく。そこにヴァイスが指示されたものを探して持ってくる。役割分担ははっきりと決まっていた。
「はい。ありがとうございます。次はブランカの活動地域について書かれているものをお願いします」
「あいよ」
 持ってきてもらったのは、戦争に関する会議録だ。七公爵家のほか、国王と宰相が出席して行われる最高会議で話し合われた内容が記録されている。
 最終結果を見ると、戦争賛成が五、戦争反対が二。結果として戦争することに決まった。
 この会議で反対したのはフィット公、ウィンチェスター公の二名。主戦派の意見に従い、エドワード王は開戦を決断。フランシスに命じて海軍を出動させることになった。
 このときの各公爵の意見は次の通りだ。
 ウィリアムズ公『ポルトガがアイスランドを押さえたとしたら、アイスランド、ポルトガ、南テドンと大西洋を完全に押さえられることになる。エジンベアは南北から挟撃される立場となる。断じてアイスランドを取られるわけにはいかない』
 ノルマン公『ポルトガに勝てるのなら戦うべき。勝てないのなら無視すればいい。フランシス提督に勝算があるのかどうか、それがポイントだ』
 ロウィット公『ポルトガばかりが勢力を伸張すれば、エウロペ三国のバランスが悪くなる。ロマリアと協力してポルトガを封じ込める方がいい』
 テューダー公『これまで海峡より北はエジンベアの領海と暗黙のうちに承知されていた。ポルトガはその領域に入り込んでこようとしている。これはエジンベアに対する挑発行為である。ここで開戦しなければ、今後ポルトガに立ち向かうことはできなくなる』
 シーフォード公『そもそもこれはレイクからの救援要請である。頼ってきた相手を見捨てるのは国際同義上よろしくない』
 フィット公『勝ち目のない戦いならするべきではない。また、勝ってもポルトガを相手にしたのでは得るもの少なく、失うものも多い。断じて戦うべきではない』
 ウィンチェスター公『ポルトガは戦うのではなく、お互い歩み寄るべき相手。戦争によって今後両国間の結びつきが途絶えるのは問題である』
 なお、ウィンチェスター公は個人的にポルトガの民間企業と深く結びついていたため、私利私欲がからんでいると回りからは見られていた。
 会議の流れを追っても、あまり意義のあるものではなかった。五公爵に対しフィット公が一人立ち向かっているようなもので、結果がどうなるかは明らかであった。
 宰相のルポールはどちらかというと反戦派だったようだ。開戦にあたり、ロマリアの協力を得ることと、フランシス提督の作戦案を国王と宰相に事前説明することを条件としている。そうでなければ宰相権限で議題を取り上げるつもりだとある。
 結果としては開戦し、しかもエジンベアが勝利したわけだが、その結果誰がどういう利益を享受したのか、それがもっとも重要だ。
 とりわけブランカの事件にからむウィリアムズ公については正確に整理しなければならない。
 まず、戦争後、フランシスは病死した。その後継となったエジンベア海軍総督はウィリアムズ派のテイラーとなった。
 ブランカの名はまだこの段階では出ていない。とすると、ウィリアムズ公とブランカとの接触はこれより後か。それとも、この時点で既に接触していて、ブランカの勢力が拡大するのを裏で支えていたか。
(ポルトガ側からもこの戦争についての確認を取りたいところですが……)
 今回はブランカの正体を探り、フィット公暗殺の首謀者を捕らえられればそれでいい。ポルトガまで検証する必要はないだろう。
「けっこう量あるぜ」
「ありがとうございます。必要なところはこの中の一部ですから、それほど手間でもないですよ」
「何か分かりそうかい?」
「まだ今のところは。知りたいことを知るには時間が必要ですから」
「オーケー。じゃ、次は何を探せばいい?」
「フランシス提督について詳しく書かれているものを」
「了解」
 そうしてルナはさらに次の資料に手をかける。
 次に持ってきてもらったものは、海賊ブランカの活動エリアだ。丁寧にまとめられたものはないので、一つずつの資料から必要な情報を書き出していく。
 ブランカの出没エリアと、逃走ルート。それを照らし合わせるだけでもいろいろと分かることがある。たとえば逃走ルート。一見、適当な方向へ逃げているようにも見えるが、現実には必ず本拠地に戻っているはずなのだ。
 目撃例のうち、軍が絡むものと絡まないものに分ける。つまり、海賊が警戒しているときとしていないときだ。それを分けるだけでも全く違う。要するに、
(軍が絡んでいる場合の八割は南に、軍が絡まない場合の九割は北に。これは分かりやすいですね)
 サンプルデータが五十以上もあれば、それだけでも判断するのはたやすい。海賊ブランカの本拠地はこのエディンバラから見て北にあるのは間違いない。
(スコットランドか北部アイルランド。もしかするともっと北のノアニール付近かもしれませんね)
 ノアニールといえば、こちらも十年近く前からずっと住民たちが眠り続けるという奇病が発生している。実際にダーマからも調査団が派遣されて研究したが、まったく原因が分からなかった。ルナは行ったことがないが、逆に隠れ家としては最適かもしれない。一応ロマリア領内ではあるが、ロマリアも北部にはほとんど兵を配置していないらしい。
(そういえば)
 思い出したことがあって、ヴァイスを呼ぶ。
「おう、まだ資料は見つかってないけど、どうかしたか」
「ロマリアでのことを聞かせてください」
「ロマリア?」
「ブランカの部下と戦ったとおっしゃいましたよね。その一部始終を」
「ああ、そのことか」
 ヴァイスは頭をかく。表情が曇っているということは、あまりいい思い出ではないらしい。それは当然だろう、何しろ金の冠を盗んだ犯人の親玉を逃がしたことになるのだから。
「まず、俺たちがロマリアについたその日に、王都でカンダタっていう盗賊が現れたっていう話が出たんだ。で、次の日に王様に会ってみたらいきなり『頼む!』って」
「それだけだと何のことやらさっぱりですね」
「まあな。で、よくよく話を聞いてみると、盗賊のせいであちこちの村に被害が出てる、略奪は当然のこと、女はさらう、見たものは皆殺し。ひでえもんだぜ」
「それで討伐することにしたんですね?」
「ああ。いろいろと情報を聞いた結果、カザーブ西にあるシャンパーニの塔ってのが本拠地らしくて、そこに乗り込んでったんだ」
「ちょっと待ってください」
 ルナは世界地図を広げる。
 ポルトガ、ロマリアがエウロペ三国の中で南側に位置しているのに対し、エジンベアは北の島国だ。カザーブまで行くと既にエジンベアよりも北に位置するが、シャンパーニの塔はエジンベアより南だ。
「エジンベアから近いですね」
「そうだな。直線距離ならロマリアやポルトガより近いな」
「なるほど。そのカンダタという盗賊がブランカの部下であるというのも地理的に見れば納得がいきますね。ブランカは船を使います。シャンパーニなら経由地としてはうってつけです」
 ブランカがエジンベアを憎んでいるというのなら、北のノアニールと南のシャンパーニ。二ヶ所からエジンベアを監視することができるわけだ。
「それで、どうなさったのですか?」
「シャンパーニの塔にいた奴らを残らず蹴散らして最上階まで上ったところでカンダタとバトルになった。そこまでは良かったんだが、そこにあいつが来やがってな」
「ブランカですね」
「ああ。俺は手合わせしてないんだが、アレスの奴が一合あわせた。アレスの本気を受け流す奴は多くないぜ。よほどの剣の使い手だ」
「なるほど。年恰好はいかがでしたか?」
「白い髪に、ひきしまった体をした若い男だったぜ」
「それはダミーですね。おそらくはモシャスでしょう」
 ルナが一言で断じる。おいおい、とヴァイスが非難する。
「ブランカって『白』って意味だろ? どこの国の言葉だったっけか」
「ポルトガ語です。でもこの場合は、名前が通り名なのは分かりますよね?」
「ああ。白い髪だから『ブランカ』だろ?」
「少し違います。白い髪の人間をモデルにして、それに『ブランカ』という名前をつけたんです」
「は?」
「フィット公を暗殺したのがブランカ本人だとしたら、間違いなくモシャスを使えることになります。何しろヴァイス、あなたの格好だったんですからね」
「考えたくねえけどな」
「ということは、ブランカは自分の正体が知られたくなかったらモシャスで姿を変えればいい。そこで『ブランカ=白い髪』という図式を回りに与えておけば、白髪以外の人間は確実に正体から除外されるという仕組みです」
「あー、なるほど。普段、エジンベアの王宮の中にいるときに白い髪だったらそれだけで目立つし、ブランカの話が出るたびに注目受けるもんな」
「だから、ブランカの正体とは似ても似つかない人間の姿になっているはずなんです。わざわざその姿でヴァイスさんたちの目の前に現れたということは、その白い髪の方の姿は、見られても問題ない人間の姿だということですね」
「どういうことだ?」
「おそらくはもう死んでいるということです」
 ヴァイスの言葉が止まる。
「死んだのは仲間か、それとも家族か友人か、それは分かりません。でも、ブランカは活動する際に『回りに見せる顔』としてその白い髪の人間を選んだ。とすると、一番可能性が高いのは既に死んだ人間だということです」
「生きてる人間に罪をなすりつけるっていう考え方もあるんじゃねえか?」
「もしそうだとしたら、もっと有名な人物の姿を借りればいいことです。誰も知らない人間の姿を借りても意味はありません」
「それもそうか」
「つまり、もう存在しない、死者の姿を借りている以上、足がつくことはまずないということです」
「でも、その人間の顔を覚えている奴がいたら、つながりを探すことだってできるんじゃねえか?」
「それができないような人間の姿を借りているということでしょう。おそらくは、その白い髪の人ももともと海賊で、あまり名前が知られていなかったのではないでしょうか」
「言うなれば『先代』ってところか」
「実際に海賊団を率いていたかは分かりませんが。でも、その可能性は高いということです」
 ブランカのことが少しずつ分かってきた。だが、まだこれからだ。
「じゃあ、もう一つ聞いてもいいか? 何だって今回、ブランカの奴は俺の姿でやりやがったんだ?」
「ブランカとシャンパーニの塔で会っていたのなら、ブランカはアレス様たちの誰にでも化けることができることになります。もちろん、これで私にも化けられることになりましたが」
「つまり、屋敷の窓からアレスたちが入っていくときに俺の姿がなかったから、その姿を借りたってことか」
「それも一つにはあるでしょうけど、いろいろな効果を狙っていますね」
「ていうと?」
「まず、ヴァイスさんの姿をしていたから、私たちは戸惑いました。いったい目の前で何があったのかと。その間に逃げる隙を与えてしまいました。そして、もう一つ。私やディアナがあの場にいるということは、モシャスは見破れるということになります。もっともモシャスの見破り方はダーマの秘伝なので、相手もそこまで気が回ってなかったかもしれませんが、ヴァイスさんの行動を確認すれば明らかにフィット公を殺害したのがヴァイスさんではないと分かります」
「まあそうだな」
「ですが、相手がモシャスを使えるということが分かれば、もしかしたら私たちの周りにいる人間も既にモシャスをした別人の可能性が出てくるわけです」
「つまり、お互い疑心暗鬼になるってことか」
「はい。もっとも、余計な小細工をしたせいで、逆にブランカの正体に近づいてしまいましたけどね。むしろ、会わずに逃げていた方が良かったかも──いえ、なるほど。これは迂闊でした」
「どうした?」
「ブランカは、私に会うことが目的だったのかもしれません。これで、私もモシャスの対象になってしまいました」
「なるほどな。つまり、ルナの姿をしていても危険ということになるわけか」
「そういうことになります。そうですね、モシャスの見分け方を後で皆さんに伝授しますので、少なくとも私たちの間では分かるようにしておきましょう。あとは、王子とは合言葉を決めておくことが必要ですね」
「面倒なことになってきたな、おい」
「魔法を悪用するつもりなら、いくらでも可能ということです」
 ふう、とルナはため息をつく。
「問題は、人物の特定が難しいということですね。シャンパーニの塔に行っても、何も証拠は残ってないでしょうし……あとは、本拠地を見つけて叩くくらいしか手が見つかりません」
「分かるのか?」
「見つかれば、ですけど。おそらくはノアニール近辺だと思います。とはいえ、大陸は広いですから、簡単には見つからないでしょう」
「じゃあどうする?」
「そうですね。古典的ですが、いろいろと話をうかがうのがいいでしょう。幸い、話を聞く相手はたくさんいるようですし」
「田舎者に答える筋合いはない、とか言われないか?」
「可能性はありますね」
 そうしてお互い笑う。気を張り詰めてばかりいては精神が疲労する。ヴァイスのこういうさりげない優しさは、ルナにとって評価の高いところであった。






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