Lv.87

かつての盟約と可能性の先に








 続いてルナとヴァイスはヘンリー王子の部屋へとやってきた。王子が八年前のことが分かるはずもなかろうが、それでも一番手っ取り早く話が聞ける相手でもあった。
 とはいえ、王子というのは暇ではない。しばらく待つことになるとトーマスから説明を受けて、王子の部屋で待たせてもらうことになった。
「トーマスさんが一緒に行かれないというのは珍しいですね」
 身辺警護を兼ね、常にヘンリーの傍を離れないトーマスだが、彼が出席できない会議というものもある。具体的には七公爵家を呼ぶ最高会議だ。
「さすがに最高会議には、国王陛下と宰相閣下他、各公爵閣下と王子殿下しか出席できませんから」
「議題はウィリアムズ公家とフィット公家の話ですか」
 ルナが尋ねるとトーマスも申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「はい。さすがにディアナ様ではまだ若かろうという意見が他の四公爵から出ております。味方してくださっているのはテューダー公お一人。王子殿下も何とかディアナ様の最高会議参加を認めてくださるよう努力してくださっているのですが」
「正直、ダーマの知識は実戦に基づく実用学です。机上の空論などではありません。むしろディアナはこの国の政治をより良い方向へ変えてくれると思いますが」
「まあ、有体に言うとそれも問題の一つなのです」
 トーマスが困ったように口を閉ざすと、
「つまり、各公爵閣下にとっては、年端も行かない小娘がちょっとダーマで勉強してきたからっていい気になるなって思ってる、ってことだろ?」
 ヴァイスが代弁した。トーマスは「おおむねその通りです」とその考えを肯定する。
「なるほど。せめて立派な男性が傍にいてくれたり、もう少し歳があれば違うということですか」
「まあ、批判の種の一つはなくなるでしょうが、それよりも彼らは自分の座をおびやかす存在が現れることに恐怖を感じているのです」
「でも、七大公爵家をどうこうする権利は誰にもないはずですよね」
「はい、ありません。ですが、ウィリアムズ公家はもはや七大公爵家の一員としては認められないでしょう。これほどの犯罪をおかしてしまっては」
「だからって他の公爵家に飛び火するとは考えられませんが」
「もちろんそうだろうが、いっそのことフィット家も潰してしまえばいいって思ってんだろ? なにしろ今まで七つも家があったんだ。七大公爵家とはいっても実質、力は七分の一、王家の力も加えれば十分の一程度でしかないんだろ? それならフィット家を潰しておいた方が自分たちの利益が増える。単純な結論だ」
 ヴァイスの言葉に「まったくその通りですが、非常に気分のよくない話です」とトーマスが答える。
「トーマスさんはディアナをかばってくださるのですか?」
 素直に聞いてみる。トーマスは少しほころんだ笑顔を見せた。
「私はヘンリー様のお考えの通りにするだけです」
「でも、ディアナのことを気遣ってくださいましたよね」
「はい。やはり、あのように年端のいかない女性が、この王宮に入ってくるというのは、大変なことです。ディアナ様が優れているのは分かりますが、政治というのはそれだけではありませんから」
「分かるつもりです。まさに机上の通りにはいかないということですね」
「はい。ですから、私個人の意見としてはディアナ様にはいっそ、フィット公を継がないでくださるのが一番だと考えています」
「負担をかけさせたくないということですね」
「そうです。ですが、それは私の意見にすぎません。理想を言えば、ディアナ様がヘンリー様に嫁いでくださるのが一番だと思っています」
 確かに傍仕えの人間としては、家柄・人柄をあわせてもディアナが一番だというのは当然の判断だろう。あらゆる人間に公正で、当然ながら聡明だ。ヘンリーに最も相応しい人物というのはルナも同意見だ。
「二人が本当に好きあっていれば何の問題もないんですけどね」
「全くその通りです。ディアナ様はそれでも家のため、国のためを思えば相手を否定はしないでしょうが、肝心のヘンリー様があの様子では」
「もしかすると、私が立候補しようとしたのはトーマスさんにとってはありがたくないことでしたか」
「そんなことはありません」
 ディアナが一番だと言っておきながらそこはしっかりと否定した。
「ルナ様もディアナ様と同じように、公正で聡明です。政治にも通じています。万が一誘拐されても自分で切り抜ける力もあります。何よりヘンリー様が掛け値なしに愛された方です。主人の愛する方を自分が認められなくてどうしますか」
「あ、いえ、そこまでお褒めいただくほどでは」
「確かに身分の問題は出るでしょうが、それを言ったら私とて、王子の傍にいられるような人間ではありません」
 生真面目に言うトーマス。どうやらこれは、話を聞いてほしいということか。
「トーマスさんは、どうしてヘンリー様に仕えるようになったのですか?」
「命の恩人です」
 質問を予期していたのか、ノータイムで答える。
「私の家はそれなりに名のある貴族でしたが、反乱を企てたため、一族が処刑されることになりました」
「それは、本当のことですか?」
「本当です。私の正式な名はトーマス・ムーア。隣のアイルランド島の一部を領土としていた貴族ですが、もともとアイルランドはグレートブリテンが制圧した地。エジンベアに対する反感が残っている土地柄です。私の家も、例にもれずエジンベア王家を憎んでいました。無論、私もです」
 今の献身ぶりを考えれば全くそんなことは感じさせない。
「反乱は実際に起こるところでした。いえ、ほぼ起こってしまっていました。大規模な反乱とならなかったのは、王家が先手を打って首謀者であるムーア家を先に捕らえてしまったからです。ムーア一族と、それに加担した者のうち主導的な者は処刑、もしくは流刑となりました。私は当時十七歳で、当然処刑に該当する年齢でした。正直、王家を憎んでいましたからね。文句の言えない立場です」
「反乱に加担はしていたのですか?」
「いえ。もしそうだとしたらさすがの王子でも庇いきれなかったと思います。私が幸運だったのは、ウェールズ地方の大学に通うために実家を離れていたことです。私が事件に巻き込まれたのは偶然の産物でした。私が里帰りをしたときに、ちょうど蜂起の日と重なっていたのです。私は知らずに帰ってきたのです。なかなか滑稽でしょう?」
「偶然にしては出来すぎている気がしますが」
「ええ。だから反乱に加担するために戻ってきたのだろうと、エジンベアの陸軍の人たちは私を拷問しました。そのまま死ぬかと思いましたよ。だからエジンベアなんて信用ならないと思いました。私は裁判にかけられることもなく処刑されることが決まりました。父も母も処刑され、あとは私一人でした。その処刑直前に現れたのが、当時十二歳の王子です」






「一つだけ聞きたい」
 処刑の直前となって、自分の前に現れたのは、きらびやかな衣装を身にまとった子供だった。自分も子供だが、目の前の人物はさらに子供だった。少なくともこのような場所が似つかわしいとは思えない。
 自分は両手両足をつながれて、拷問で痛められた体にボロの服をまとって、囚人の待つ牢の中にいた。じめじめとしていて、長くいれば病気になるのは間違いなかった。特にここ半年以上、ずっと勉学に勤しんでいたため、あまり体を動かしていなかった。健康的な生活をもう少し心がけるべきだった。今となっては後の祭りだ。
「何者だ」
「聞くのは僕の方だ。お前は供述で『自分は何も知らなかった』と述べているが、これは事実か、そうでないのか」
「真実を虚偽に、虚偽を真実にするのがエジンベアのやり方だろう。そんな発言にはもう、意味がない」
 処刑されるのには変わりないのだ。今さら自分が見苦しく命乞いをしたところで何になろうか。
「僕が聞きたいのはそんなことじゃない。事実か、嘘か。どうなんだ」
 年下のくせに妥協を知らない餓鬼だった。
「事実だ」
「証明は?」
「できると思うか? 両親が反乱を蜂起、その日にちょうど帰ってくる息子など、誰が聞いても知っていたに違いないと思う。百人に百人がそう思うだろう」
「だが、千人いれば一人くらいはお前を信じるかもしれないぞ」
「そんなことがあったからといって、何になるというのだ」
「その一人が、お前の命を助けることになるかもしれない」
「お前が、か?」
 相手をあざ笑う。身分が高いのは分かるが、王家に牙をむいた人間を許すほど、この国は頭がおめでたいわけではないだろう。
「無駄なことだな。お前が何者かは知らないが、くだらないことに首を突っ込まない方がいい」
「くだらないことなどない。僕はこの国に冤罪で死ぬ人など一人も作りたくないんだ」
 少年はきっぱりと言って、手にしていた資料を開く。
「お前のことは調べた。トーマス・ムーア。十七歳。西アイルランドを領地とするオーギュスト・ムーア伯爵の第一子。ウェールズの大学にトップの成績で合格し、上半期の首席を取ったそうだな」
「よく調べたものだ」
「その人物の通信記録を調べた。この半年間、実家からの手紙、仕送りの類は一切無し。また、お前の方から手紙を送っていた形跡もない。いや、正確には一つだけ。二週間ほど前に『もう少ししたら一度戻る』という内容の手紙を書いた。そうだな?」
「そこまで調査していて、今さら確認もないだろう」
「結論を言うと、この手紙はムーア伯には届いていない。何を間違えたか、私のところに届いたのだ。他の通信と一緒になってな」
「それで、調べてみた、と?」
「そうだ。どこかで聞いた名前だと思ったら、反乱で捕まったのがムーア家だった。関係性があるのかと思って大学に問い合わせてみたらすぐに履歴が分かった。と同時に、お前がこの半年の間に両親と何かしらの接触方法がない限り、反乱に加担できないというのも確認した」
「……それで、俺を冤罪だと思ったのか?」
「処刑が近いというから急いでここまで来た。気に入っていた馬を一頭、潰したぞ。それでも本当に冤罪だとしたら僕は、絶対にお前を死なせるわけにはいかない」
 少年はそう宣言してからもう一度言った。
「重ねて聞く。自分は何も知らないという旨の言葉は事実か、それとも虚偽か」
「事実だ」
「分かった。なら、何とかしよう。少し待っていてくれ」
 そうして少年は出ていった。何とかする、と言ったところでどうにもなるはずがないと勝手に決め付けていた。
 だが、意外にも早く解放のときが来た。少年が立ち去ってからものの三十分で警吏がやってくると、自分にかけられていた縄が解かれた。そして風呂に放り込まれた。体を洗えということらしい。いよいよ処刑か、と考えていたら違った。風呂を出るときちんと服が用意されており、着替えて出てみると先ほどの少年と、さらには自分を痛めつけた拷問官と、自分に無実の罪を着せた将校がそこにいた。
「この二人がお前に多大な迷惑をかけた」
 迷惑をかけた、とは面白い言い方だ。体中に無数の傷。そして反乱を企てたとはいえ、父と母を殺された男に『許してくれ』とでも言うつもりか。
「拷問官はまあ……勘弁してやってほしい。彼はただの下っ端だ。君の事情を承知で言うが、彼も命令には逆らえない。妻子を養う一家の大黒柱だからな。問題はこいつだが」
 将校は脂汗を流している。よほどのことがあったらしい。
「彼のやったことは法律的にも人道的にも最低だ。彼の処分はおって沙汰するが、少なくとも今後楽しい人生が送れなくなることだけは確定している。それは信頼してほしい」
「難しい相談だな」
「もちろん、これでお前の怒り、恨みが晴れるとは到底思っていない。命を助けてやったのだから恩に着ろというつもりもない。お前が無実の罪を着せられるようになってしまったのは、王家の管理体制に問題があったということに帰結する。だから、お前は復讐する権利がある」
 少年はナイフを自分の前に放り投げる。
「僕はヘンリー・ステュアート。お前が憎む、エジンベア王家の長男だ」
「……」
「そのナイフで僕を刺すがいい。憎んでいた相手を殺すことができ、父母の仇を取ることができ、何より不遇な目にあわせた張本人に復讐できるのだ。悩む必要はないだろう」
「死んで詫びるというのか」
「死ぬつもりはない。だが、お前には死以上の苦痛を与えてしまった。たとえ自分が知らなかったとはいえ、責任を取る立ち場の者はこういうときには潔くならなければいけない」
 そうして、ヘンリー王子はナイフを拾うように指示する。が、そこに先ほどの将校が声をかける。
「だ、駄目ですぞ、王子。このような者にナイフなど、本当に──」
「大佐。黙っていたまえ」
「ですが」
「お前は流刑ではなく死刑を望むのか。ならば聞いてやろう。彼をこのようにしたことを鑑みてから、好きなことを言ってみろ」
 大佐と呼ばれた将校はそれきり何も言えなくなった。自分の命がやはり大事らしい。
「何故お前が命をかける必要がある? そもそもアイルランドはお前たちの領土だろう。そこで反乱が起きたのなら鎮圧するのは当然。そして、首謀者は一族郎党処刑するのがしきたりだろう」
「私が国王になったらそのようなくだらない法は改正する」
 ヘンリーははっきりと言う。
「もちろん王家を守る者として、首謀者を死刑にするのは変えられない。だが、関係のない人間まで殺す必要などどこにもない」
「だが、俺は父母を奪われた。俺を生かしておけば、将来いつかどこかで仇を討つために反乱を起こすかもしれないぞ」
「そうなったときは、改めて捕らえるしかない。だが、命の尊さの前にはそのような未来のことなど些細なことだ」
 命の尊さ。
 この王子は、この年齢にして、あらゆる命が尊いと口にするのか。
「よかろう。王子、一つ尋ねたい」
「なんだい」
「お前はここで何が行われていたか知らなかったのに、その責任を取るというのだな」
「ああ。責任者は責任を取るのが仕事だからね」
「ならば、俺は父母が反乱を起こすのを知らなかった。家族として、その責任をどう取ればいいのだ」
 王子は困ったように口をつぐんだ。どうやら自分の言う矛盾に気がついたらしい。
「変わった王子だ。だが、面白いものだな」
 自分の唇が釣りあがったことに気づく。
「今まで俺は、お前に会ったこともなかったのに憎んでいた。何故、知らない人間なのに憎めたのだろうな」
「環境の問題だろう。アイルランドではエジンベアに対する反感が強いから」
「そうだな。だが、それだけが問題じゃない。お前のことを知らないという、相手に対する無知が問題なのだ」
 床に落ちたナイフを拾い、刃を見せる。
「これでお前を殺せば、いかなる理由があれ、俺は王家の人間を刺殺した罪に問われる」
「いや、問われない。俺がここで何をするつもりかは全て父上に伝えてきている。もしお前が無実で、お前に殺されるようなことがあっても、お前を許してやってほしいと」
「何故そこまでする。見たこともない相手に」
「じゃあ何故、君は見たこともない相手を恨むことができたんだ?」
 感情のベクトルに差こそあれ、見たこともない相手に対して強い感情を持ったことだけは共通。見たことがある、ないは問題にならない。
「僕は君が本当に無実なら殺させたくなかったし、本当に申し訳ないと思った。だから自分のできることをしようと思っているんだ」
「変わった王子だ」
 そしてナイフを一閃する。はらり、と王子の前髪が一房、舞った。
「これで充分だ」
「だが」
「お前、法を改正するといったな」
「ああ」
「お前が死んだら、どうやって改正するつもりだ」
「それは……」
「初めから、お前、死ぬことなんて考えていないだろう」
「死んだ後のことを考えても仕方がないと思っているだけだよ」
「お前のような人間が国王となったら、周りは大変だろうな」
「そうかな。自分ではうまくやれると思っているけど」
「なるほど。基本的に王子は楽天家なのだな」
 妙なところで感心してしまった。
「俺はお前が国王になったところが見たい。だから殺さない」
「そうか」
 王子は少し考えてから続けた。
「君みたいに優秀な人間が、ただ見ているだけではつまらないだろう。いっそ、参加しないか?」
「参加?」 「そうだ。僕もまだ王宮に味方らしい味方がいない。君のような人間が近くにいてくれれば嬉しい」
「王子。それは冗談か。それとも悪質な罪滅ぼしか」
「いや、もちろん君がよければだけれど。僕は、君がともにいるなら面白いと思っただけだ」
「王子に仕えているのが反乱首謀者の息子か。まったく、本当に冗談ではないな」
 だが。
 この自分よりはるか年下の王子が、今まで生きてきた中で何より魅力的なのは間違いないことだった。
「条件がある」
 認めるのが悔しいので、かわりにこう答えた。
「お前が国王になるとき、俺を一番近くにいさせろ」
「喜んで」
 王子は笑った。それにつられて、自分も笑った。






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