Lv.89

歴史の中に隠された事実と








『奇跡の賢者』ルナには弱点が三つある。
 一つ目は勇者。自分が信じる勇者には無条件で両手を上げる。勇者のためならば自分のすべてを犠牲にすることができる。
 二つ目は高所。高いところから下を見下ろすと足がすくみ、動けなくなる。どうして苦手なのかは自分でも分からないが、生理的なものに理由などそうそうあるものではないだろう。
 そして三つ目は、自分の幼児体型だ。いくつになっても大きくならない胸。フレイやディアナを見るたびにコンプレックスを抱いていたが、目の前の提督はそれ以上だった。しかもその女性からはっきりと『つるぺた』と言われてしまい、ルナの精神はそれはもうどん底にまで落ち込んでしまっていた。
「相変わらずだな、メアリ」
 ヘンリーは困ったように笑う。
「アンタに言われたくはないね。海賊上がりのアタシに軽々しく声をかけてくるような王子はそうそういるもんじゃない」
「海賊上がり?」
 思考停止したルナに変わってヴァイスが尋ねた。
「ん? ああ、なんだいアンタ、説明してなかったのかい」
「そういえば詳しくは」
「だから変な言い方したんだね。提督なんて、変な呼び方されたらたまったもんじゃないよ」
「だが、王子さんもトーマスも提督って言ってたぜ」
「ま、一時期ね。って言っても、フランシス様がいらっしゃったときだけさ。あの方が亡くなってからは、アタシらはまた私掠船に戻ってんだから」
「私掠船?」
「ああ。って言っても、何も悪どいことはしてないよ。単にものを運んだり、護衛したり、たまには戦うけどこっちから仕掛けることはしない。まったくつまらないね。昔みたいに海賊に戻れたらどれほどありがたいか」
「それは駄目だぞ、メアリ」
「分かってるよ。アンタとの約束だし、フランシス様もアタシらにそんなの望んじゃいないだろうしね。ま、つまらなくても船と一緒にいられるだけで満足しなきゃね」
 まだ話が見えてこない。というより、早くルナに立ち戻ってもらわなければ、ヴァイス一人では何ともしがたい。
「おい、ルナ。そろそろ復活しろ」
「あ、はい。すみません」
 ぶんぶんと首を振る。まったく、自分が気にしていることを大勢の前で言わなくてもいいだろうに。
「ダーマのルナといいます。よろしくお願いします」
「ああ、よろしく。話は聞いてるよ。コイツがアンタにつきまとってるんだってね」
 メアリがヘンリーを指さして言う。
「つきまとってる、はないだろう。正式に求婚してるだけだぞ」
「でも断られてるんだろ? それをつきまとってるって言って何が間違いなのさ」
 メアリに言われるとヘンリーもぐうの音も出ないらしく、それ以上口ごたえしなかった。
「で、アタシに何の用だい──って、いつまでも立ち話もなんだね。おい、アンタら! ちょっと一つ空けな!」
 メアリが言うと男たちが一斉に動く。そして六人掛けのテーブルが一つ綺麗に空いた。
「何か飲むかい? そっちのお嬢さんはともかく、男共は大丈夫なんだろ?」
「悪いけどこれから仕事が多くてね」
「ったく、酒も飲めない男なんてたかが知れてるよ」
 メアリが座るとすぐに酒が運ばれてくる。
「いろいろとお話をうかがいたくて来ました」
「ああ。そうでなきゃこんなところに入ってくる奴なんかいないだろうしね」
「ただ、私の方も分からないことばかりで戸惑っています。ヘンリー王子とはどのようなご関係なのですか?」
「関係?」
 言われてからメアリがヘンリーを見る。
「なんだろうねえ。恋人じゃないのは間違いないけど。だからってアタシはコイツの部下じゃない。ま、気の合う友人ってところかな」
「もともとスペンサー提督は、フランシス総督に仕えていらっしゃったのですか?」
「アンタね、ちょっとその言い方やめな」
 じろり、とメアリに睨まれる。美人がすごむとかなり迫力がある。
「メアリでいい。提督なんて、ガラじゃない」
「では。メアリさんはフランシス総督に仕えていらっしゃったのですか?」
「そうなるね。アタシは海賊の娘だから、立派な女海賊になるのが夢だったのさ」
「海賊の娘?」
「物心ついたときに、村が何かの戦いに巻き込まれてね。生き残ってあちこちさまよってたところに現れたのがフランシス様だったのさ。もう二十年以上も前になるか」
「フランシス総督というのは、貿易船の船長だったと聞いていますが」
「はっ!」
 メアリが勢いよく笑う。
「そんなことあるはずないだろ。フランシス様は筋金入りの海賊だよ。エジンベアでもポルトガでもロマリアでも活動した。アタシだってこのエジンベアに襲いかかったことがあるくらいさ」
「聞き捨てならないな、それは」
 だがヘンリーは笑っている。ここでの会話はオフレコということだろう。
「ま、ポルトガの船に攻撃されてマリア様が亡くなられたせいで、フランシス様は海賊をやめてエジンベアに仕える決意を固めたんだけどね」
「マリアさんというのは?」
「フランシス様の奥さんだよ。アタシにとっても母親みたいな人だった。まあ、あの筋金入りの海賊に惚れたのが運の尽きなのかね。人を傷つけるのが何より嫌いな人だった。だからアタシらは当時も掠奪だけで、できるだけ放火や殺人はしなかったんだ。相手だって選んだよ。できるだけ金持ちの貴族ばかりを狙って襲った。まあ、おかげでこっちもいつも死にかけてたけどね」
「義賊ということですか」
「そんな偽善ぶった言い方は好きじゃないね。ただ、海賊ってのは貧しさに負けてなる奴が多くてね。貧乏人は搾取されたら生きていけないだろ? その気持ちが分かるだけに、盗まれても大丈夫な奴しか狙わないのさ」
 掠奪は褒められたことではないが、それでもルールをもって活動していたということだ。それもマリアという人物の影響が強かったということか。
「メアリさんもフランシス総督と一緒に仕官されたのですか?」
「形の上ではね。ただアタシらはいつだってフランシス様の部下で、コイツに忠誠を誓ったことなんか一度もないよ。ただコイツは、あの腐った宮廷の中で唯一腐ってない奴だったから、今でもこうしてたまに会ったりする」
「お前が本当に掠奪してたら許さないけどな」
「分かってるさ。アンタに迷惑はかけないよ。フランシス様をかばってくれたのもアンタだったしね」
「かばった?」
「なんだ、それも聞いてないのかい」
 いくらなんでも説明しなさすぎだろう、とメアリはヘンリーを睨む。
「フランシス様がエジンベアに仕官する際に、ポルトガの船を襲って掠奪したものを献上したのさ。そうしたらそのポルトガ船が、エジンベアの領土を荒らした奴でね。そのポルトガ船の財宝にエジンベア貴族の私物が大量に混じってたのさ。あれは何ていう絵だったっけね」
「ターナーの『湖畔の風景』です」
「さすがにアンタのお供はいつでも優秀だね」
「俺の自慢の相棒だからな」
 ターナーといえば、エジンベアを代表する古典画家。『湖畔の風景』はその代表作。富裕層にオークションをかければ、軽く百万はくだらないだろう。
「で、フランシス様がその犯人だって言いやがったんだよ、その貴族が」
「ちなみにウィリアムズ公です」
「そうそう。この間とっつかまったって聞いて、みんなで祝杯を上げたところさ」
 なるほど。人にはいろいろと歴史があるものだ。
「で、そのとき貴族を襲ったのがポルトガだって証明してくれたのが当時十歳の王子」
「分かりました。トーマスさんのときと同じということですね」
 ヘンリーは頭をかく。トーマスは苦笑した。
「まあコイツのよさっていうのは見て分かるからね。コイツに付き合うのは気持ちがいい。あの王宮でやってけたのは、コイツがあれこれと面倒を見てくれたからさ。フランシス様が亡くなったとき、すぐにアタシらを解放してくれたことも感謝してるしね」
「……感謝?」
 ヘンリーが顔をしかめる。
「文句あるのかい」
「滅相もない」
「ヘンリー王子はいろいろと人脈があるのですね」
 人脈は自分で築き上げるものだが、こうして信頼を得ていくことが一番必要なことなのだ。
「ちょっと待ってください。王子が十歳ということは、今から九年前ですよね。でも、フランシス総督は確か、十一年前にエジンベアに来たはずでは」
「ああ、後から発覚したんだよ。あれはちょうど、件の勇者、オルテガが到着した直後くらいだったかな」
「オルテガ様が?」
「ああ。著名な勇者オルテガ様を招いて、フランシス総督が献上したという品物を一般に見せてね。そうしたらウィリアムズ公がわめいたんだ。これは自分のだ、ってね」
「なるほど、分かりました」
「まあ、そのときは何事もなかったからよかったものの、間違えればフランシス総督もアタシらだって捕まってたかもしれないわけだからね」
「宮仕えというのも楽ではないですね」
「本当さ。フランシス様さえいなかったら、アタシはすぐにでもエジンベアを出てたね。とまあ、アタシがコイツと一緒にいるのはそういう理由からさ」
「失礼な質問をしてもいいですか」
「三十二」
「ありがとうございます」
 微塵も迷わず答えてくれてありがたい。だが、三十二のメアリに慕われる十九のヘンリー王子。身分としても年齢としてもくだけた話し方にはならない二人のはずだが、なかなか面白いものだ。
「じゃ、そろそろ本命の質問をしてもらおうかな。アタシに何の用だい」
「今もあちこちの海を回られているというのなら好都合です。海賊ブランカについて知っていることがあれば教えてほしいのです」
「海賊ブランカ……なるほど」
 メアリは腕と足を組んで、背もたれに体を預けた。
「その名前が出てくるっていうことは、何かやっかいな事件が起きてるのかい?」
「ウィリアムズ公が裏でブランカとつるんでいた可能性がある。というか、それはほぼ確定」
「ふうん。それで?」
「海賊ブランカを捕らえたいのです」
「なるほどね。ブランカを相手にするってんなら、確かにアタシらの方が軍よりアテになるだろうね」
 メアリが不機嫌そうに言う。
「何度かやりあったことがあるのですか?」
「今このあたりの制海権を握ってるのはブランカさ。エジンベア、ロマリア、ポルトガのエウロペ三国の首脳とブランカはつながっている」
「馬鹿な」
「って、何を王子が驚いてるんだい。ウィリアムズ公とブランカがつるんでるって言ったばかりじゃないか」
 メアリが呆れたように言う。
「あ、そうか。首脳っていうから、俺や父上のことかと思ったぜ」
「どの段階でつながってるかは分からないけどね。でも、掠奪箇所を考えると、エジンベアとのつながりが一番深いんだろうね。実に他の国の十倍は現れてるよ」
「十倍」
 こうして改めて数字で言われると実感できる。やはりブランカはエジンベアの出身に違いない。
「アタシらが私掠船であちこち回ってるのはそれも原因の一つさ。ブランカたちのやり方は悪どい。同じ海賊として黙ってみているわけにはいかないからね」
「ご協力いただけますか」
「明日にもノアニールに行くつもりだったんだが、それも一番の目的はブランカのアジトを見つけることさ。うまく見つかるといいんだけどね」
 どうやらメアリたちも本拠地がノアニール方面だと判断していたようだ。
「ブランカについて知っていることはありますか?」
「そうさね、アタシがエジンベアから出たのが七年前。その頃、まだブランカなんていう名前は一度も聞いたことがなかった。その次の年くらいからだね、頻繁に名前を聞くようになったのは。沿岸の村に多く出没しては掠奪の限りを尽くしていた。ひどいもんだよ。海賊のアタシらですら相手をかわいそうに思えるくらい、とんでもない有様だ」
「ブランカは女子供にも容赦ないんですね」
「ああ。むしろ、陵辱するのが趣味だとすら思えるね。大勢の男に犯された女を『置き土産』にされていたところもあったよ。その娘は結婚間際だったんだけど、婚約者の目の前で犯され、婚約者は殺され、そして放り出された。助けはしたんだが、その半年後、ついに衰弱して死んだ。万事がそんな状況さ」
「許せませんね」
「ああ。絶対にね。同じ海賊として、こんな連中を放っておくつもりはない」
 やはり同じ女だからだろうか、そこには自衛の意識も強まる。いつだって弱いのは女で、泣かなければならないのも女。そんなのは真っ平だ。
「八年前、大西洋戦争の頃にも海賊はいたそうですね」
「いたね。十一年前はアタシら、フランシス海賊団がこの辺りをシめてたけど、フランシス様がエジンベアに仕官してからは小さな海賊団が乱立してね。別にアタシらも知ったことじゃないと思って放置してたけど、まあそのうちフランシス様の命令で取り締まることになったんだ。海賊が海賊を取り締まるってんで、正直申し訳ない気持ちだったね」
「その中に、後のブランカにつながりそうなものはいませんでしたか?」
「いつもアタシらの裏をかいてた奴はいたね。結局捕まえ切れなかったのはそいつらだけだ。大西洋戦争が終わった八年前くらいから消息が分からなくなっていたけど……」
「名前とか特徴とかはわかりますか」
「船は真っ黒だった。だからアタシらは普通に『ブラック』って呼んでたよ。ああ、またブラックが出た、みたいにね。ブランカの船が何の変哲もない船なのとは対照的だね。ただ、ブラックはあまり捕らえるつもりはなかったんだ。あいつらはアタシらと同じで、放火や殺害はまるでしていなかった。フランシス海賊団の後継者みたいなもんだったよ。だから放置しておいてもかまわないと思っていた」
「では、たとえ『ブランカ』がいたとしても、海賊団としての性格はまるっきり違いますね」
「違うね。だから一致して考えたことはない」
「黒い船の海賊団……」
 ヘンリーが少し考えるようにしている。心当たりがあるようだ。
「何かご存知ですか、ヘンリー王子」
「ああ。その海賊団なら、確か騎士団が捕まえたはずだ。八年前、ちょうど大西洋戦争の頃に」
「そうなのかい? 聞いたことがないね」
「事情があって、トップシークレットになってるんだ。それに、フランシス総督は大西洋戦争で忙しかったから伝えていない」
「情報は多く寄越せって言ってたんだけどね」
「すまない。だが、これについては話せなくてね。申し訳ないが。ただ、その海賊団については俺が聞いた話とはかなり違う」
「違う?」
「黒い船の海賊団こそ、略奪をし、女性を犯すような海賊団だと聞いていた」
「……随分、違いがありますね」
「ああ。だからちょっと気になった。もちろん、ブランカとは関係ないだろうけど。既に全員捕まえているわけだし」
「いや、分からないよ。黒い船の海賊団が、もしかしたら二グループいた可能性だってある」
 メアリが言うと、たしかに、とルナが頷く。
「つまり、後のブランカにつながる海賊団と、暴行の類をしない海賊団、両方とも黒い船だったということですね」
「ああ。その可能性はどうだい?」
「可能性はあるかもしれませんが、それなら黒い船の海賊団がもっと頻繁に現れていてもいいような気がします。それに、一つの海賊団が殲滅されたのだとしたら、もう一つの黒い海賊団がどこへ行ったのかも分からないのでは……」
「なるほど、二つの海賊団説は没か」
「いえ、没というほどではありません。まだ情報が少ないですから。それを確認するためにも情報のソースが必要です。メアリさんはその情報をどこから?」
「実際に『ブラック』が現れたところを回ったよ。別に誰も連れ去られていなかったし、弱者をいたぶった様子はなかった。これは確かな事実だ」
「では、王子は?」
「騎士団から聞いた」
 ということは、王子の耳に入る前に情報が操作されている可能性もあるということになる。
「騎士団の隠蔽工作を疑っているのか?」
「可能性はあります」
「いや、それはない。これ以上は俺の口からはいえないが、信頼できるソースだ」
「なるほど、分かりました。トレイシー様ですね」
 ずばり言い当てると、う、と王子が言葉に詰まる。
「いえ、この間からトレイシー様のことについてはいろいろとお話できない事情があるのは分かっていますので、これ以上は追及しません」
「そうか、悪いな」
「いえ。長い間、時間を取らせてすみませんでした、メアリさん」
「気にしないでいいよ。アンタのこと、気に入ったしね」
「そうですか? ありがとうございます」
「アタシはね、そういう小さい胸をしている子が大好きなのさ」
 最後にルナはフリーズした。それを見たメアリが喉の奥で笑っていた。






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