Lv.90

歴史の裏に閉された真実と








 ルナは非常に気に入らなかった。いや、メアリ・スペンサーという人物自体には非常に好感が持てた。自分のコンプレックスになっている部分さえ指摘しなければ、かなり好きな人物になっていただろう。
 だが、あれはない。一度ならず二度までも。そんなに言うほど小さいのか。賢者の服で隠されているとはいえ少しは。
「いつまでも機嫌悪くしてんなよ、ルナ」
「私のどこが機嫌が悪いというのですかその理由が私によく分かるように明瞭簡潔に答えてくださいはっきりとしないような言い方では私もそれなりに考えがありますのでそこのところをよくよく考えてから発言をお願いしますというよりも機嫌が悪そうに見えるなんてことはありませんなぜなら私は別に何も機嫌など損ねていませんからええ損ねていませんともメアリさんは大変親切にしてくださいましたし色々と教えていただきましたこれほどのことをしていただいてどうして機嫌を悪くしなければいけないんですか教えてくださいそれとも私には何か言えないようなことがあるのですかそんなにそんなに」
「落ち着け、落ち着けルナ」
「落ち着いていないのはヴァイスさんの方でしょう私が機嫌を悪くするなんていうことをがあるはずないでしょう私は賢者ですよ賢者がそんなに簡単に自分の感情を制御できないようでは困るではないですか私は五年以上も前からずっと勇者様に仕える立派な賢者となれるよう努力してきたのですからこの程度のことで機嫌が悪くなるなんていうことはないのですええありません絶対に神に誓って」
「やっすい神だなおい」
 ヴァイスは両手を上げる。それでもまだ、うー、と唸るルナをなんとか宥める。
「でも俺はルナさんなら何だって」
「王子も人の子ですから私なんて童顔幼児体型なんかよりメアリさんのようなグラマーな女性の方がいいに決まっていますそういえばトレイシー様だって騎士の鎧であまり目立ってはいませんが素晴らしいプロポーションの持ち主ですからねあてつけですかそれは私に対するあてつけなんですね」
「おい、いい加減にしておけよ、ルナ」
 ぽんぽん、とヴァイスが肩を叩く。それがスイッチとなってルナは、一度深呼吸した。
「すみません。少し暴走しました」
「お、やっと元に戻ったな。ま、いつものすましたお前と違って面白いものが見れた役得と思っておくさ」
「これでも」
 ルナが真剣に睨む。
「気にしているんです」
「悪かった」
「いえ。ヴァイスさんが悪いわけではありませんから。感情を制御仕切れなかった私が悪いんです。これで賢者とは笑わせます」
「今、ルナさんが言ったことがそのままだと思うけどな」
 ヘンリーが苦笑しながら言う。
「王子も人の子、ってな。俺もそう思うぜ。賢者も人の子、感情がないわけじゃないんだから」
「賢者は常にクールに、全ての物事を客観的に見るようにしなければいけませんから。感情があるのは当然ですが、その感情を制御できなければ賢者としては三流です」
 自分への戒めだ。どうも自分は弱点を前にすると冷静でいられなくなる。だからこその弱点なのだろうが、これについては克服しなければならない。
 そうして四人がようやく城に戻ったところだった。
「お、ようやく見つけたぜ」
 入口から宮殿の中を歩いているところで、柄の悪そうな男が前から駆け寄ってきた。
「この賢者ヤロウ! 昨日はよくもやりやがったな」
 第二王子のジョンがそこにいた。回りの目を全く気にせず、ルナに手を出そうとする。
「何を言ってるんだ、ジョン」
 ヘンリーがルナとジョンの間に割って入る。
「どけよ兄貴。俺はこいつに用があるんだよ」
「そんな攻撃的な奴をルナさんに会わせるわけにはいかないだろう」
 兄弟の間に火花が走る。
「つーかあの王子と何かあったのか?」
 ヴァイスが尋ねてくる。
「葬式の場で失礼なことをされたので、ラリホーで眠らせてお帰りいただきました」
「それはそれは」
 はあ、とヴァイスがため息をつく。
「とにかく、ここで会ったが百年目。今日は──」
「何をなさっているのです、お兄様?」
 と、そこへまた別の声が飛び込んできた。
 ふわふわの淡いピンクのドレス。すらりと伸びる金色の髪。
「グレース」
「まあ、まあ、まあ」
 第二王女グレースは笑顔を浮かべてゆっくりと近づいてきた。
「こんなところでヘンリーお兄様にお会いできるなんて、思いもよりませんでしたわ」
「こちらこそ。グレース、今日も綺麗だね」
 そう。
 以前、ディアナが言っていた通り、グレースはまさに絶世の美女。見る者全てが目を奪われるとはこういうことなのだろう。ルナですら見入ってしまったくらいだ。
「ヘンリーお兄様は、結婚相手探しがまた振り出しに戻ってしまわれたそうですわね」
「ええ。残念なことだけど」
「やはり、ここは私を娶れという神の啓示ではないでしょうか?」
「いや、さすがに兄妹間の結婚は認められていないからね」
 ヘンリーが困ったように笑う。なるほど、グレース王女はこのヘンリー王子が気に入っているということか。
「ジョンお兄様。何でもすぐにヘンリーお兄様に勝負を挑もうとするのはおやめなさいと言ったばかりですわよね?」
「いや、今日はな」
「お黙りなさい」
 ぴしりと言うと、ジョンがぴしりと固まる。
「いずれにしても、今日ここでお会いできたのは何かの縁。お付き合いいただきますわよ、お兄様」
「グレースに誘われたんなら仕方がないな」
 ヘンリーは両手を上げた。
「トーマス。お前はルナさんに付き合ってあげてくれ」
「は。ですが、ウィリアムズ公領の件もございますが」
「そうだったな。じゃあ──」
「私どもならかまいません。どうぞご自由に」
 ルナが小さく頷くと、ヘンリーは残念そうに頷く。
「ごめんな。必ず埋め合わせはするから」
「いえ。私にも他にやることがありますので」
「分かった。それじゃあトーマス、後は任せた」
 そうしてヘンリーはグレースに手を引かれてどこかへ行ってしまった。残されたのはルナとヴァイスに、トーマス。そして、
「……俺の、立場は」
 がっくりと力をなくしている大柄なジョン王子の姿があった。
「それというのも、全部てめえが悪い、この賢」
「ラリホー」
 面倒なことになりそうだったので、先にラリホーで眠らせる。ぱたり、と倒れたジョン王子を見てため息をついた。
「どうすればいいでしょうか、トーマスさん」
「放置しておいてもかまいません。ジョン王子は今まで一度もお風邪を引かれたこどなどございませんから」
 このジョン王子という人物、ただ喧嘩を売ってくるだけの人間だというならば、裏表のある人間ではない。もしかすると、裏で手を引いている人物なのではと疑いもしたが。
(どうでしょうね。これほど無防備な人物がブランカだとは考えにくいですが)
 だいたいにして年齢が問題だ。ジョン王子はヘンリー王子の二歳下。もし八年前となったらまだ九歳ではないか。
 考えすぎだろう、とルナはトーマスに言われた通りジョン王子を放置してヴァイスとともに移動を始めた。
「次はどうするつもりだ、ルナ?」
「決まっています。ヘンリー王子が教えてくれないなら、直接うかがうだけです」
 トレイシー=テューダー。彼女から詳しく海賊のことを聞きたい。今のままでは情報が少なすぎる。
「なんだか嫌な予感がするぜ」
「嫌な?」
「ああ。あまり聞いても気分のいいもんじゃないって気がするぜ」
「それはそうでしょう。ノルマン公女の件を考えれば分かります。ブランカが絡むと、例外なく後味の悪い事件に変わります」
「それだけってことないだろ。ブランカの正体が分かれば、なんか問題が起きる。それは想像ついてるんだろ?」
「もちろんです。いずれにしても国の重鎮にブランカとつながりのある人間がいる。それもブランカ本人の可能性が高い。それが七公爵家か、それとも王家なのか。事は急を要します」
「慎重さよりも急を取るか」
「概して、早い段階での解決は遅かったときよりも流れる血は少ないものです」
「そう願うぜ。もう既に血は流れ始めてるんだからな」
 フィット公、さらにはノルマン公女シェリー。そう、既に犠牲者は出ている。これから先、ブランカはきっとためらわないだろう。もしもブランカがエジンベアに対して復讐を抱いているのならば、きっとそれはいきつくところまで進んでくるはず。
「その方ら」
 と、二人の背後から声がかけられた。聞き覚えのない声だ。かなりの老人の声。
「ダーマの賢者ルナ、それにアレスの付き人のヴァイス、じゃな」
「おっと、俺の名前まで知られてるとはね。あんた、何者だい?」
「ルポールといえば分かるかの」
「これは、失礼をいたしました」
 名乗られ、ルナは改めて一礼する。
「宰相閣下でございましたか」
「なに、ただのジジイじゃ。ワシの顔など一般に知れ渡るようなものでもないしの」
「ヘンリー王子が良識的な方だとおっしゃっていました」
「あの坊主が自由奔放すぎるんじゃよ」
 くっくっく、と笑う。だが、ヘンリーを嫌っているという様子ではなさそうだ。
「でも、ちょうどよかったです。実はルポール宰相にはおうかがいしたいことがありました」
「それはこちらも同じじゃ。そちには聞きたいことがあっての」
「はい?」
「フィット公リチャードが暗殺された場に居合わせたそうじゃの」
「はい」
「犯人の目星はついておるのかね?」
「今のところはまったく」
「モシャスを使っていたようだの」
「はい」
「その犯人、何者じゃ?」
「何者……」
 そう言われて、ルナは背筋を奮わせた。
 この人物、聞きたいことがあるといったが、とんでもない。今の会話は自分が間違っている方向に進もうとしていたのを回避させてくれるアドバイスだった。
「宰相閣下」
「なんじゃね」
「ありがとうございます」
「なに、少しでも役に立てたのならばそれでよい」
「どうして私にそれを?」
「ラーガの奴とは既知での。その秘蔵っ子となれば肩入れもしてやりたくなるものじゃ」
「そうでしたか」
 ダーマのラーガ師。どこにいっても自分を助けてくれる、まさに恩人だ。
「早く旅を終わらせて師匠孝行しないといけませんね」
「まったくじゃ。若い者は年寄りを敬うことをしないから困る」
 カラカラとルポールは笑った。
「それで、そなたが聞きたいことというのはなんじゃ?」
「はい。八年前の大西洋戦争に反対されたという話です」
「懐かしい話じゃの」
「何故、宰相閣下は反対されたのですか?」
「反対はしておらんよ。開戦するのなら事前の準備が必要だと言ったまでじゃ」
「勝算と、ロマリアとの同盟ですか」
「それもあるが、他にもう一つ」
「もう一つ?」
「ポルトガに勝ったとして、その後の政治、経済がどうなるのか。施政者としてはただ戦争を行うだけではなく、勝った後のこと、負けた後のことまで考えなければならん。まあ、負ければ蹂躙されるだけだから考えなくてもいいがの」
 そう言って笑う。防衛戦に負けるということは、国がなくなるということだ。笑い話ではないが、確かに考えても仕方のないことだ。
「エジンベアは戦争後の景気も悪くないと聞きましたが」
「表面上はの。レイクとの交易のおかげで今のところは順調じゃが、もしそれがなかったとしたらエジンベアはロマリアからの陸路のみが交易ルートとなる。それで国を栄えさせるのは無理じゃ。それも分からんで利益追求をしようとする者がおるから、さらに状況は悪くなる」
「……七公爵家ですか?」
「うむ。フィット公はそのあたりをよくわきまえていた人物だったのじゃがな。惜しい男を亡くした。その代わり、一番浪費の激しいウィリアムズ公がいなくなったのじゃから、国としては一長一短だったの」
「ディアナはフィット公の思想も受け継ぎます」
 ルナが言うとルポールは「そうじゃの」と答える。
「あのラーガが過去に指折数えるほどしかいなかった優秀な弟子。お主もディアナも、期待に応えてくれようぞ」
「ディアナはあまり、ラーガ師から直接教わったことはありませんが」
「ラーガが言っておった。自分で教えるより放置した方が伸びる弟子というのも珍しい、とな。お主は一を教えれば十を知るタイプじゃろうが、ディアナ嬢は一を隠せば十を暴き出すタイプじゃな」
 それは言いえて妙だ。確かにディアナの性格をよく表している。
「しかし、なんだって大西洋戦争を調べておるのじゃ?」
「ウィリアムズ公が海賊ブランカと関係があるのはもうご存知でしょう。そのつながりです」
「ブランカ……ブランカのう」
 ルポールはいまひとつピンと来ないらしい。
「ならば、大西洋戦争よりその時代の海賊を調べたがいい。海賊本人に聞くことができれば一番ではないかの」
「それはそうですが、そんな知り合いはなかなか」
「フランシスのやつがおらんと、そのあたりに詳しい者もおらんからのう」
「そのようですね。メアリさんにはお会いしてきたのですが」
「そうか。まあ、わしの権限でどうにかなることなら、いつでも便宜を図ろう。遠慮せずに来るがよい」
 ルポールが言い残して立ち去る。その背に「ありがとうございました」と感謝を述べた。
「どう思う?」
「分かりません。ただ、宰相閣下のおかげでいくつか考え直さなければいけないことがあります」
「さっきの、礼を言っていた奴か?」
「はい。もっとも、ほんのわずかな芽にすぎませんが、犯人像が少し変わりました」
「変わった?」
「まだ、推測の域を出ません。これからもう一度考え直します」
 そうして二人はトレイシーの部屋へと向かった。






次へ

もどる