Lv.91

相反する、事実と真実と








 そうして二人はトレイシーの部屋へとやってきた。そろそろ日が暮れる頃だったが、彼女はまだ城で父親の代わりに雑務を引き受けていたらしい。テューダー公の長女ともなればやることも多くなって大変なのだろう。
「やあ、わざわざ訪ねてきてくれるとはね」
 トレイシーは笑顔で出迎えてくれた。王子には容赦のない人物だが、客人には非常に丁寧だ。とにかく好感の持てる人物だ。
「はい。トレイシー様にぜひともうかがいたいことがありまして」
「分かった。ソファに座って少しだけ待っていてもらえるかな。この書類だけ片付けておきたい」
「はい。お忙しいところをすみません」
 だが、それほど時間はかからなかった。さらさらとなにやら文書に書き込みをして棚に置くと「待たせたね」と彼女はデスクから立ち上がった。そして茶器を取り出して持ってくる。
「もうぬるくなってしまったもので申し訳ない。私のところにはトーマスのように便利な者はいなくてね」
「いえ。おしかけてきてしまってこちらこそすみません」
「ああ。それから、先ほどディアナ嬢の様子を見てきた。今のところは大丈夫そうだったよ」
 トレイシーのさりげない優しさに、ルナの顔がほころぶ。
「ありがとうございます」
「何。私もあの子は気になっているのだ。政治的な知識でいえば私よりはるかに高い見識を持っているだろう。が、何しろ彼女はまだ若い」
「ディアナならしっかりできると思います。ただ、回りからそう見られるのは避けられないですね」
「そうだな。というわけでどうだい、ヴァイスくん。君が彼女の傍にいてあげるというのは」
「冗談言うなよ。本気で背筋凍ったぞ今」
「おや、君たち二人は割合に仲が良かったように思ったのだがね。違ったのなら失礼。さて」
 前置きはこれくらいにして、という感じで本題に入る。
「今日は何の話で来られたのかな?」
「八年前、トレイシー様が北方の海賊征伐に行かれたときのことで、黒い船の海賊団を追っていたという話を聞きました。いったいどのような海賊団だったのかをうかがいたく」
 トレイシーは茶器を手に持ったまま、少しだけ固まった。
「なるほど。あのときのことか……」
「王子に当時のことを聞こうとすると、トレイシー様のことだけは話せないと頑なでした。ですが、海賊ブランカを捕まえるためにも、今はその情報がどうしても必要なのです」
「そうか。いや、分かった。私の話せる限りでよければ話そう。ただ、申し訳ないがヴァイスくんは一度席を外してもらえるかな」
 ヴァイスとルナが目を合わせる。
「私はトレイシー様からうかがった話を、アレス様やフレイさんにもするつもりでいますが」
「ああ、後でルナさんから伝える分にはかまわないよ。ただ、私の口から直接聞かせたくないということもある。それから、ルナさんたち四人以外には当然、絶対極秘ということでお願いする」
「はい。約束は必ず守ります」
「よろしい」
 話はまとまった。ヴァイスは立ち上がって部屋を出ていく。
 それから一分ほど、お互い何も話さなかった。どうやって切り出せばいいのかが分からなかった。
「私が王子から求婚されたという話は聞いたかな?」
「はい。断られたというのも聞いています」
「まあ、その理由を知っていたらこんな質問をしには来ないだろうな」
 トレイシーははじめて、疲れたような顔を見せた。それは自信に満ち溢れた、今までの顔とはまったく違ったものだった。
「八年前のあの日、騎士団の本拠地が黒い船の海賊団から襲撃を受けた」
「襲撃、ですか」
「ああ。あの場にいた騎士団の人間は私以外すべて殺された。そして私は連れていかれた」
「連れて──」
「襲撃した場所に女がいれば、扱いはどうなるか分かるだろう?」
 嫌な汗が出てきた。
 目の前の女性は、それを過去のこととして語っている。だが、その様子を見れば一目瞭然だ。
 そのことで、深く、深く傷ついているということを。
「すみません、私は──」
「いや、聞いてくれ。それが、私が傷を抱えていると知りながらあえて尋ねてきたあなたの義務だろう」
 そう言われて引き下がることなどできない。
「毎晩、いや、一時たりとも休むことなく犯されたよ。懇願してもやめてはもらえなかった。地獄だったね。そして最終的には、私はやつらの子供を孕んだ。それでもやつらはやめなかった。そして流産した。まあ、あの状況ならごく当然のことだった。そして二度と、子供の産めない体になってしまった」
「そんな──!」
「王子の求婚を断ったのはそれが理由だよ。ただ涙を流していた私だったが、やがて海軍が助けに来てくれた。黒い船の海賊団はそこで全員が討伐された。下っ端はどこかで生き延びているかもしれないが、幹部は全員処刑、船は一隻も逃がさなかったと聞いている」
「……」
 そのような、ひどい過去をもってなお、彼女は毅然と生きている。
 この強さは、いったいどこから来るのだろう。
「やつらがどういう連中か、分かってもらえたかな」
「申し訳ありませんでした。それほどの傷を抱えていながら、あえて触れてしまったことをお許しください」
「いや。海賊ブランカの所業はあれと大差ないだろう。ぜひとも捕らえてほしい」
「分かりました。必ず」
「話はもういいかな」
「はい。ありがとうございました」
「では少しだけ一人にしてほしい。久しぶりに嫌なものを思い出してしまったからね」
「はい」
 ルナは立ち上がって部屋を出ていく。
 最後にトレイシーをちらりと見た。疲れたような表情は最後まで変わらなかった。






 ヴァイスを連れてアレスたちの部屋へ戻る。が、アレスたちも外出していたらしく、部屋には誰もいなかった。
 周りに人がいなくなったことで、ようやくルナは大きく息をついた。その様子を見てヴァイスが声をかける。
「そんなにひどい内容だったか?」
「はい。最悪です」
 こんなことは二度言いたくない。だからアレスたちが帰ってくるまではルナは口外しなかった。
 と同時に考えるべきことは増えていた。
 被害者であるトレイシーの証言、そしてメアリの調査結果が食い違っているということ。どちらも同じ黒い船に対する内容なのに、どうしてここまで違うのか。
 もっとたくさんの証言が必要だ。情報の量は真実を露呈させる。
 いろいろと考えていたところにアレスとフレイが戻ってきた。
「どこに行ってたんだ?」
「ブランカに関する証言を集めてきた。少しでも役に立てばと思って」
「ありがとうございます」
 アレスからメモを受け取り、内容を確認していく。
 ルナも王立図書館で調べてはいたが、生の証言はありがたい。それに──
「ブランカの部下?」
「ああ。牢屋に捕まってたから話を聞いてきたよ。なかなか興味深い証言が得られた」
 曰く、ブランカという人物は海賊団幹部の前以外ではほとんど顔を見せないらしい。幹部は三人。アレスたちが倒したカンダタも幹部の一人だったようだ。
 ごく稀に見たブランカの相貌は、白い髪で目が吊り上がっていて凶悪な顔つきだという。
「俺たちが見た顔だよな」
 ヴァイスが尋ねるとアレスが頷く。
「でも、やはりずっと部下たちの前に顔を見せていないところをみると、白い髪の男はモシャスで変化した姿だと考えた方がいいですね」
「たまに姿を見せておいて印象づけさせておいて、普段は全く別の格好をしてまぎれてるってわけか。たいした野郎だ」
「それもエジンベアの中枢にいる人物がブランカになった可能性があります。まだ現時点では誰と指定することはできませんが」
「……もう一つ」
 フレイがメモを指さす。そこにはブランカのアジトの場所が記されている。
「アジトは一箇所ではないのですね」
「ああ。ブランカの部下が証言した場所は既に海軍が調査した後だった。もぬけの空だったそうだ。他の場所までは知らなかったから、結局一から探しなおしだな」
「ですが、本拠地となる場所は必要ですね。エジンベアの近くにいくつかの拠点を作っておいて、部下を分散させておく。そして自分はエジンベアにいて掠奪の命令を出し、掠奪したものはどこか幹部しか知らない本拠地に蓄えておく。そういった感じなのでしょう」
 やはり距離的にもノアニール近辺が怪しい。かといって広い大陸をやみくもに捜査しても見つかるはずがない。
「メアリさんに協力を依頼するしかないですね」
「メアリ?」
「はい。フランシス総督の部下だった方で、ブランカの動向にも詳しい方です」
「明日にもノアニールに出港するとか言ってなかったか」
「そうですね。早めに伝えないといけません」
 それについてはこの後ヴァイスが伝えに行くことになり、いよいよ問題の話となる。
 ルナが一日をかけて調べてきたことについて事実のみをアレスたちに伝える。そして、トレイシーの過去についても。
 アレスもヴァイスも、そしてフレイも沈痛な表情だ。だが、自分たちが足を踏み入れたのはそういう場所なのだということを認識させられる。
「問題は、メアリさんたちが実際に調査した内容と、トレイシー様が実際に受けた被害とに大きな差があるということです」
「同じ海賊団とは思えないな」
「はい。となるといくつか考えられますが、黒い船の海賊団が二つある可能性、黒い船の海賊団が騎士団に対してだけ恨みを持っていた可能性、あとはメアリさんの調査結果が違っている可能性なども考えられますが」
「現状ではまだどれと決められる段階ではない?」
「はい。もう少し証言が欲しいところですね。黒い船の海賊団の中にブランカにつながる何かが見つかれば、ブランカの正体を突き止めることができるかもしれません」
「誰から聞く?」
「海軍の方がいいと思います。実際に黒い船の海賊団のアジトに攻め込んだ方がいらっしゃれば一番ですね」
「じゃあ、それは明日だな。もう時間が遅い」
「はい。今日はここで休むことにしましょう。私も一度ディアナの様子を見に行きたいところです」
「じゃ、俺は先にメアリさんとこに行ってくるぜ」
「お願いします。私はディアナのところへ」
「僕たちも一緒に行こうか」
 アレスが同行を申し出るが、よく見るとフレイが既に睡魔の限界に来ているようだった。
「いえ、フレイさんを休ませてあげてください」
「……大丈夫」
「いや、そんだけふらふらしてて大丈夫とかないから」
 ヴァイスの突っ込みにもなお、ぼーっとしているフレイ。
「分かった。じゃあ、その言葉に甘えさせてもらうよ」
「はい。ゆっくりされてください」
 そうしてヴァイスとルナはそれぞれ目的地に向かって動き出した。






 朝のときより、随分ディアナは元気になったようだった。やはり何も考えずにひたすら体を動かし続けていたのが良かったのかもしれない。
 お互いの状況を簡潔に伝え合うくらいの時間しか取れなかったが、それでも彼女の元気な様子を見られたのは非常に良かった。トレイシーも大丈夫そうだと言っていたが、確かに今のディアナなら問題はないだろう。
 後はこちらの問題を片付けるのと、それから──
(宝箱の問題が残っていましたね)
 鍵のかかった宝箱。あの中にオーブがあるのだとしたら、何とか開けなければならない。
 ヘンリー王子に頼んで、また宝物庫に入れてもらわないといけないと考えていたときのことだった。
 城の方が、闇の中、突然輝く。
「何が」
 見ると、城の一部に火がついている。
 耳を澄ますと、悲鳴と剣戟。明らかに城で何かが起こっている。
「ルーラ!」
 ルナは瞬時に魔法を唱えて、城の入口まで戻る。
 そこは戦場となっていた。倒れている兵士に近づき、回復魔法をかける。
「大丈夫ですか」
「ああ、助かった。あなたは、賢者様」
 どうやら自分のことはもうすっかり知られてしまっているようだった。
「何があったのですか」
「海賊が攻めてきたんです。街の中に突然現れたように。城も突然爆破されて、もう何がなんだか」
「ブランカ海賊団、ですね」
 自分たちがブランカのあぶり出しをしたため、向こうが先に仕掛けてきたということか。
 だが、それなら逆に好都合。一気にブランカを捕まえるチャンスでもある。
 アレスとフレイはどうしているだろう。ヴァイスは戻ってきてくれるだろうか。
 それに、ブランカはモシャスを使う可能性がある。それこそ、自分にだってモシャスで変化できる。自分の姿になりすまして王子に近づくことだってできるのだ。
「今はこちらの姿を見せない方がいいですね」
 兵士を送り出してレムオルを自分にかける。そして城の中に入っていく。
 まさかこの城が襲撃を受けることになるとは思ってもいないことだった。だが、ブランカがエジンベアの要人だとすればそれも可能だ。警備の手薄なところにブランカの部下を送り込み、いつでも襲撃をかけられるようにしておけばいいだけだ。
 城内でも喧騒が続く。
 ヘンリーは無事だろうか。病気で長くないという国王はどうなのだろう。
(それにしても、この国に来てまだ五日だというのに、随分と動きがあるものですね)
 いや、違う。動きは自分たちが来る前からあった。
 おそらくは国王が病身となり、ヘンリーが妻を迎えなければいけなくなったときから徐々に歯車が動き出し、ディアナが戻ってきたときにそれが加速、そして自分たちが到着した今こそが最速のスピードになっているだけなのだ。
(とんでもないときにやってきたものですね。ですが、最悪の事態はおかげで防げるかもしれません)
 既に死者も出ている。陵辱された人物もいる。
 だが、ヘンリーも死んでいないし、ディアナも無事だ。あとはブランカさえ捕まえてしまえばそれでひとまず解決する。
「宝物庫を守れ!」
 どこかから声が聞こえた。宝物庫といえばオーブのある場所。
(ブランカにとっても財宝のある場所を狙うのは当然ですね)
 ならばブランカに会うことが可能かもしれない。ルナは宝物庫へ向かった。宝物庫の前の兵士たちは魔法で眠らされていた。そして扉は開いている。
(まずい)
 ルナは急いで中に入った。






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