Lv.92

罠、たった一つの目的を








 宝物庫の中には一人の女性が立っていた。
「トレイシーさん!」
「ルナさんか」
 トレイシーの様子は普通に戻っていた。先ほどのうつろな様子はもうどこにもない。
「ご無事でなによりです。海賊がここに来ませんでしたか。外の兵士たちは眠らされていたのですが」
「ああ、来たよ」
 軽く答える。
「海賊はどちらに」
「ここにいる」
 ここに?
「……どういうことでしょうか」
「分からないかな。先ほどルナさんが私のところに質問に来たときに、もう私の正体が勘づかれているものと思っていたのだが」
 まさか。
 まさか。
「冗談を言っている様子ではないみたいですね」
「ああ。そうだよ」
 トレイシーはいつもの様子で言った。
「私がブランカだ」
「では、フィット公を殺したのは」
「私だ」
「ウィリアムズ公女ケイトを唆したのも」
「私だ」
「ノルマン公女シェリーを陵辱したのも」
「直接ではないが、まあ私の指示の結果だな」
「シャンパーニの塔でカンダタを殺し、アレス様たちと戦ったのも」
「私だ。ブランカがモシャスを使えることなど、とうに分かっているのだろう?」
 思ってもみないことだった。いや、疑うだけならいくらでも疑うことができた。
 だが、今はすべての詮索は後だ。
「それなら、あなたを捕まえなければなりません」
「無理だよ」
「あなたは賢者を甘く見ているのではありませんか?」
 ただちにラリホーをかける。が──
「甘く? まさか、私があなたを、評価していないとでも?」
 魔法がかからない。
「まさか、この部屋」
「気づくのが遅かったね。この部屋はもともと魔法での被害を防ぐために、部屋全体に魔法を封じる効果を備えている。イシスのピラミッドにもそういう効果を持つ部屋があるとされているが、原理は同じだろうね」
「まさか、私を捕らえるために」
「そう。私がここであなたを待っていたのは、あなたを確実に捕らえるためだよ、ルナさん」
「どうして私を」
「決まっている」
 トレイシーは微笑む。
「憎らしいからさ」
 そしてトレイシーが動く。逃げようとするが、遅い。
 トレイシーの姿は既に目の前にあって、鳩尾に重い一撃。
「あ……」
「まあ、ゆっくり休んでいたまえ。次に目が覚めたときには、君にもう希望は残っていないのだから」
 ルナの意識が、深く沈んでいった。






 海賊たちが引き上げていく。
 アレスは海賊を五人倒し、三人捕らえた。フレイはそれ以上の人数を焼き殺していた。戦いが終わったところで、メアリのところへ向かっていたヴァイスがちょうど戻ってくる。
「遅れてすまねえ」
「いや、こっちは大丈夫だ。ただ、ヘンリー王子や他の人たちがどうかは分からない」
「ああ。手分けするか」
「いや、今はばらばらで行動するのはまずい。まずはルナと合流しよう。どこかにはいるはずだ」
 そうして三人が城内の様子を見て回る。
「アレスさん!」
「ヘンリー殿下」
 どうやらヘンリーは無事だったらしい。その手に剣。後ろに控えているトーマスも両手に一本ずつ剣を握っている。二刀流か。
「無事で何よりです、殿下」
「いえ。それよりもルナさんは一緒ではないのか」
「はい。探しているところですが──」
「王子殿下!」
 そこに兵士が一人やってくる。
「どうした!」
「宝物庫が、完全に襲われています!」
「くっ。防ぎきれなかったか」
「そ、それから──」
 兵士が、一枚の紙を差し出す。それを見た王子が愕然とする。
「まさか」
「どうしました」
「これを」
 アレスが受け取って内容を確認する。

『ヘンリー王子へ。
 あなたの大切な姫君はいただいた。
 今度はウィリアムズ公のときと同じとは思わない方がいい。
 彼女は近いうち、ノルマン公女と同じ運命をたどるだろう。』

「ルナが、まさか!?」
 この内容は明らかに、ルナを誘拐したという内容のものだ。
「……信じられない」
「いったいどうやって」
「いや、この紙が宝物庫にあったということは、おそらくその場所で連れ去られたんだ」
「どういうことだ?」
「宝物庫は賊避けに、魔法を封じる仕組みを部屋自体にしてあるんだ。あの中にルナさんが入ったのなら、ルナさんは完全に無防備になる」
 部屋の中ではキメラの翼すら使えない。まさに、彼女を捕らえるためにあるような部屋。
「なんてことだ」
「……早くしないと」
「ああ。ルナがぼろぼろにされるのなんか、絶対に許さねえぜ!」
 三人が一斉に激怒する。
「トーマス! 海賊船は」
「既に沖合いまで逃げたものと思われます」
「追いかけるぞ!」
 ヘンリーはすぐに駆け出す。
「ですが殿下、どのように」
「メアリの船だ! あいつの船なら追いつける! 一刻を争う、急げ!」
 ヘンリーとトーマス、さらにはアレス、フレイ、ヴァイスがその後に続く。
 ルナが危険にさらされる。
 そんな可能性があるとは、誰も思っていなかった。
 ルナなら絶対に大丈夫。ルナなら自分の命を優先できる。
 そんな甘えが、誰にもあった。
 ウィリアムズ公に捕まったときですら、飄々と帰ってきた彼女。
 だが、今度は相手が違う。
 海賊ブランカ。
 このままでは、ルナの身は。
(間に合ってくれ)






 そのルナが目を覚ましたのは、既に海の上だった。
 自分が乱暴をされた様子はまだないようだった。近くに人の気配はあるが、自分が目覚めたことをまだ気づかれない方がいいだろう。ゆっくりと呼吸をして相手に悟られないようにする。
 体が揺れている。どうやら船の中だろう。どこへ連れて行かれるのか。
 そして自分の体に異変を感じた。まず首に何かつけられている。そして自分の体内にマジックポイントが少しも残っていない。そして両手、両足が縛られている。完全に拘束されているようだった。
「目覚めたようだね」
 聞き覚えのある声。
「大丈夫だ。まだ君には何もしない。今のところはね。それよりも話をしたいのだが、目を開けてくれないかな」
 目をあけるとそこには、トレイシー=テューダーの姿。もちろんモシャスをしている様子などない。
「トレイシー様」
「どうしたのかな。もっと仇を憎むような目で見てくれるのかと思っていたが」
「あなたがブランカだというのは本当ですか」
「無論。六年前からブランカを名乗ってエジンベアを中心に掠奪をさせてもらっているよ」
「どうしてですか。あなたが海賊をする理由は」
「あるさ。私はエジンベアが大嫌いだからね」
「エジンベアが?」
「ああ。私が海賊になったのは、エジンベアに対する復讐さ」
「復讐? でも、トレイシー様は、海賊に」
「海賊に陵辱された、かい? 悪いけど、一言も私はそんなことは言っていないよ」
「ですが──」
 言われて思い返す。

『八年前のあの日、騎士団の本拠地が黒い船の海賊団から襲撃を受けた』
『襲撃した場所に女がいれば、扱いはどうなるか分かるだろう?』
『毎晩、いや、一時たりとも休むことなく犯されたよ。懇願してもやめてはもらえなかった。地獄だったね。そして最終的には、私はやつらの子供を孕んだ』

「そう、だったのですか」
 黒い船の海賊団。それは、確かにメアリの調べたとおりだったのだ。
「あなたを陵辱したのは黒い船の海賊団ではなく、同じ同僚の騎士団たち」
「そう。あのとき海賊討伐に配置された女騎士は私一人。前線には女っ気がなくてね。毎日慰み者にされていたよ。そしてその配置をしたのはウィリアムズ公。騎士団の連中もウィリアムズ公の手の者ばかり。つまり、私ははめられたのさ。王子の教育係を勤めていた私を追い落とすつもりだったのだろう。まあ、証拠が残っていないからそれでウィリアムズ公を糾弾することなどできなかったがね」
「黒い船の海賊団は、あなたを助けてくれたのですね」
「騎士団と海賊団は相容れないものだからね。私が子供を孕んで、泣きながらそれでも犯されていたところに彼らが襲撃をかけた。私は動けずにいた。海賊団はそこにいた騎士団を残らず倒したみたいだったけど、私のことは見かねて連れていってくれた。彼らのアジトに連れていかれて、そこで流産した。二度と子供が産めない体になった。でもね、海賊団のみんなは私に優しくしてくれたよ。同じ騎士たちなんかよりよっぽど紳士的だった。私は彼らから一度も強要されたことはなかった。私はあの場所でようやく安らぎを得られたんだ」
「それをまた、騎士団が倒した」
「ああ。私の命の恩人を残らず殺したのは騎士団の連中さ。まあ、彼らにしてみればそれが仕事だし、後から来た騎士団に私を犯そうなんていう不埒な奴はいなかったよ。まあ、自分が傷のある人間だっていう目をやめてはくれなかったがね」
「だから復讐を」
「ああ。私はおかげで初恋を諦めなければならなかったしね。私の人生はあの事件で狂ってしまった」
「初恋は、ヘンリー王子ですね」
「あなたは人の心が分かるのだな。そう、私はヘンリーが大好きだ。彼に求婚されたとき、どれほど嬉しかったかあなたには分かるまい。だが、私と結婚しても子供を産むことはできないのだ。ヘンリーは側室を持つ気などない。正室だけを一生愛し続けるだろう。だとしたら私がヘンリーの妻になるわけにはいかないのだ」
「だから、ケイトさんやシェリーさんを狙ったのですか?」
「私と同じ目にあえば、私の気持ちが分かるだろうと思ったまでだ。本当はケイトを陵辱するつもりだったし、ウィリアムズ公にぼろぼろになったケイトを見せてやりたかったのだがね。ウィリアムズ公は私の正体をばらすと言って脅しをかけてきたから、そうも言っていられなくなったよ」
「……ディアナもそうするつもりだったのですか」
「ヘンリーと結婚すると言っていたからね。そうなってもらうつもりだった。私がフィット公を殺した場所で待っていたのはそれが理由さ。ただ、あなたたちも一緒に帰ってきたから誘拐することができなくなった。さすがの私でも、あなたたち全員を相手に勝てる気はしないのでね」
「だから私を狙ったのですか」
「そうだ。まあ、あなたについては理由が一つではない。ヘンリーに好かれたこと、好かれているのにそれを何とも思っていないこと、そして私の傷口を抉ったこと。まあ、探せばいくらでも理由はあるが、そんなところかな」
「私を陵辱するつもりなのですね」
「ああ。もうあなたはこの船から逃れることはできない。あなたの体は拘束させてもらったし、魔法も使えない状態だ。それはもう分かっているね」
「この首輪がそうですね」
「さすがだな。それは魔力吸いの首輪。装着した人間からマジックポイントを全て吸い上げ、魔法を使えなくする道具だよ。さすがの賢者も、両手両足を拘束され、魔法も使えないというのではどうすることもできないだろう?」
 確かにその通りだ。これではどうにもならない。
「二日だ」
「何が、でしょうか」
「君が陵辱されるまで。二日で私たちはアジトにつく。船の上で女を犯すのは古来から禁じられていてね。母なる海がへそを曲げるので、海での行為は禁止なんだ。だからそれは安心していい。ただ、陸に上がればそんなことは関係ない。君は犯される。朝から晩まで、いや一日中一睡もさせられることなく、ただひたすら犯されるだけの、性欲処理の道具にさせられる。そして私たちのアジトはアレスさんもヘンリーも知らない。観念するのだね」
「トレイシー様」
 だが、それでもルナは毅然とした態度で尋ねる。
「こうなってしまっては、あなたはもうエジンベアに戻れないのではありませんか?」
「間違いないね。ルナが消えて、私もいなくなった。私が主犯であるのは遠くないうちに判明するだろう。私ももうエジンベアには戻るつもりはない。海賊も続けるつもりはないよ。私は私のやり方で復讐する──世界に」
「世界、に」
「ああ。こんな運命を背負わせた世界は滅びてしまえばいい。それこそ、噂のバラモスとかいう魔王に協力しようか?」
 喉の奥で笑う。
「さあ、カウントダウンだ。海賊に犯されたときの、そして海賊の子を孕んだときのあなたの顔を見るのが楽しみだよ、賢者ルナ殿」
 トレイシーはそれだけ言い残すと部屋を出ていった。






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