Lv.96

何かを為すには十分な準備を








 戻ってきたルナを待ち構えていたのは当然、親友のディアナであった。
 後から全てを聞かされたディアナは、心配する暇すら与えられなかった。となると当然こみあげる感情は怒り。
 船から下りてきたルナに向かって憤怒の形相を浮かべているディアナに、さしものルナも逃げ出したくなった。もちろん逃がすようなディアナではない。
「ちょっとこっちにいらっしゃいな、ルナ」
 髪の毛が逆立っているように見えた。怒っている。これ以上ないくらいに怒っている。それこそこの間、自分がエジンベア王妃になると言ったとき以上に。
「ご心配をおかけして、申し訳ありません」
「な、に、を、おっしゃってるんですか、あなたは!」
 一喝。それはもう、港中に響き渡るほどの。
「あれだけ自分の身だけは一番に考えるように言っておきながら、海賊に捕まった!? それもあの日、私に会いに来た後って、どれだけ間が抜けてるんですの! だいたい自分が狙われてるって分かってるのに一人で行動するなんて何を考えてますの!? あなたがいなくなったらアレスさんや皆さんがどれだけお困りになるか、そしてヘンリー殿下だってあなたを助けるために海軍を動かして自ら海賊のアジトに乗り込んで、どれだけ迷惑をかければ気がすみますの!」
 いちいちもっともだから何も言い訳できない。すみません、と一言謝る。
「……無事、だったのですわよね」
「はい。アレス様やみなさんに助けていただきましたから」
「まったく」
 ディアナは大きく息をついてから、ルナを抱き寄せた。
「すべてが終わってから知らされるなんて、心配することもできなかったですわ。親友なのに」
「すみません」
「私に黙って誘拐されるなんて、二度と許しませんわよ」
「もう誘拐されるつもりはありませんし、ディアナに断ってから誘拐されるのも難しいですけど、善処します」
 それから場所を移動してフィット家の屋敷へ移る。この数日間でひとまず葬儀も終わり、ようやく一段落ついたところということらしい。それでも国内の大貴族がゆえに、弔問客が絶えることなどほとんどない。
 それらを振り切ってでも、自分を出迎えに来てくれたディアナに心から感謝する。
「トレイシー様がブランカだったなんて、思いもよりませんでしたわ」
 既に事情は聞かされていたらしい。応接室にアレスたちを全員呼んでお茶をすることになった。
「この王宮で、一番理知的な方だと思っていたのですけれど」
「だからこそ余計に反発は大きかったのかもしれません。それまで国に対して抱いていた思いを、根底から覆されてしまった。表面は今まで通りに、そして裏ではエジンベアを滅ぼすために、いろいろと動かれていたのだと思います」
「あのとき、やっぱり私は狙われていたんですの?」
 あのときというのは、アレスたちが到着したまさにその日、ディアナが暴漢に襲われそうになったときのことだ。
「トレイシー様はそうおっしゃっていました」
「そうですの」
 ふう、とディアナが落ち込む。
「王宮で、唯一味方になってくれる方だと思っていましたわ」
「私も正体を告げられるまで、まったく思ってもいませんでした。せっかくルポール宰相からヒントをいただいていたというのに」
「宰相?」
 ヴァイスが思い返す。ルポール宰相と話したのは一度きり。そういえばルナがルポールに感謝の言葉を述べていたような。
「何のことだか、俺にはよく分からなかったんだが」
「ブランカは何者か、と尋ねられました。つまり、モシャスを使っている以上、ブランカの正体は『モシャスが使える人間』だということです」
「そりゃそうだろ」
「つまり、モシャスが使えれば正体が男でも女でもいいということになります」
「ああ」
 なるほど、とヴァイスが頷く。
「それを聞いてから、検討対象が広がっていたのですが、完全にトレイシー様だけはノーマークでした」
「そりゃそうだな。あの人が敵だなんて思うはずがない」
「考えてみれば、トレイシー様がヴァイスさんの姿を借りたのも、今考えればその通りなんですよね」
「は?」
「事件の前、トレイシー様は私とヘンリー殿下を二人きりにするために、ヴァイスさんをどこかへ連れ出していかれました。そのときにヴァイスさんの風貌をしっかりと記憶されたのでしょう。いくらモシャスができるからといって、ぱっと見ただけですぐにできるというのもおかしな話です。ブランカがヴァイスさんと会ったのはシャンパーニの塔で、ほんの一瞬。それでモシャスができるようになるほど観察できたとは思えませんから」
「なるほど、言われてみりゃそうだよな」
 犯人が分かってしまうと、いろいろとそこから判断できることも多い。だが、それらは本来、賢者であるルナが先に分かっていなければならないことであった。
「自分の非才が悔しいです。気づくチャンスはいくらでもあったはずなのに」
「それで、トレイシー様は今、どうしてらっしゃるの?」
「分かりません。船を下りるまでは確かに一緒だったのですが、制圧したアジトの中にはいらっしゃいませんでした。おそらくはもう逃げ去った後だと思います」
「エジンベアに戻ってきている可能性は?」
「あるでしょうけど、私は帰ってきていないと思います。ブランカの正体が分かっている以上、このエジンベアにいたらトレイシー様は捕まる以外に道がありません」
「別の国に逃げたってことですわね」
「はい。ですが、ヘンリー殿下に覚悟があれば、すぐに手を打たれるはずです。各国にトレイシー=テューダーを指名手配犯として通達し、見つかったときは捕らえてほしいと願えば、他の国でトレイシー様をかくまうことはないでしょう。特にエウロペ三国はブランカの被害にあっている国ですから、嬉々として協力するでしょうね」
「じゃあ、トレイシー様はどうなさるおつもりかしら」
「おそらくは、バラモスに接触するのではないかと思います」
 全員が目を見張る。
「まさか」
「いえ、トレイシー様ご本人がそうおっしゃっていました。エジンベアに、そして世界に復讐するために、バラモスに協力しようかと」
「あの姉ちゃん、悪いけどかなり強いし、頭も切れる。敵にするには嫌な相手だぜ」
「ヴァイスさんなら勝てると思います。もちろんアレス様は当然」
「もちろん負けるつもりはないけれど、今回みたいに策を弄されると辛いな」
「はい。なるべく早くに決着をつけなければ、トレイシー様は世界の敵になってしまいます」
「世界の敵か。放置しておけねえな」
 ヴァイスが言うと全員が頷く。
「はい。とはいえ、トレイシー様が次に何をしてくるか、どこにいるかがわからない以上、闇雲に動いても仕方ありません。私たちはまず一旦ダーマに戻り、事の経過を報告した上で、次の目的地へと向かうことにしましょう」
「次って言ったって、何かアテはあるのか?」
「実は、ないこともないんです。ダーマでオーブの在り処について、いくつか候補があったのを覚えていらっしゃいますか」
 それは誰もが覚えている。海賊ブランカのアジトなども候補の一つだったはずだ。
「その中に幽霊船があったのを覚えてらっしゃいますか」
「幽霊船か。確かに候補としてはあるということだったな」
「メアリさんなら、幽霊船のことも聞いたことがあるのではないかと」
「なるほど、海のことだから専門家に聞くってことだな」
「はい。それが一番かと思っています」
「でも、それなら急いだ方がいいだろ。メアリたちはすぐに行動開始するんじゃないのか?」
 確かに。ノアニールへの移動の目的は果たしたが、船で動くのが彼らの生き方なのだから、いつまでも陸にのぼっているはずがない。
「ですが、ダーマの協力は早くとっておいた方がいいと思いますわ」
 ディアナがごく当然のことを口にする。トレイシーがどこかの国にもぐりこんだりする前に、先手を打っておく必要はあるだろう。
「では、私は一度ダーマに戻ります。アレス様、フレイさん、ヴァイスさんはすぐにメアリさんのところへ行って、話を聞いてきていただけませんか」
「手分けするってことか」
「はい。トレイシー様がモシャスを使える以上、ダーマでも本格的に動かなければならないと思います。一日、二日で帰って来られるかどうか」
「その間に、メアリたちが幽霊船のことを知っていたら、さっさと乗り込んで確かめてくればいいってことか」
「はい」
「そうと決まれば、早速行動だな」
 メアリたちは王家の財宝を元に戻せばすぐに出航するだろう。時間はそれほど多くない。
「はい。よろしくお願いします、アレス様」
「ああ。ルナもトレイシーさんのこと、よろしく頼む」
「はい。お任せください」
「それと、一人にしてしまうけど」
「大丈夫です。私は賢者ですから。今度はもう油断しません。それから、メアリさんにお伝えください。今度会うときまでに少しは成長しているから、と」
 自信に満ちた表情でルナが言うと、分かった、とアレスも頷く。
「それでは一旦、別れましょう」
「ああ。幽霊船がどこにあるかも分からないけど、近場だったらすぐに行動する。もし遠距離になるようだったら、またここで落ち合おう」
「私の家を待ち合わせ場所に使うのもどうかと思いますけど」
 ふう、とディアナがため息をつく。
「世界のためなら仕方ないですわね。よかったら私がお互い伝言係になりますわ。もし急ぎで連絡を取るなら、私はダーマまでルーラで飛べますし」
「お忙しいのに、すみません」
「いいですわよ。私にもできることがあった方がありがたいですし。そのかわり、一人で危険なことをするのはなしですわよ、ルナ」
「はい。もちろんです」
 そうして、すぐに一人と三人は動き始めた。
 ルナはルーラでダーマまで飛び、三人は再び港へと急いだ。






 ダーマは相変わらずだ。エジンベアはまだ昼前だったが、ダーマでは既に夕暮れ時になっている。いつものように門番のジュナがいて、十日ぶりくらいに顔を見せたルナを見て「よう!」と声をかけてくる。
「なんだなんだ、また戻ってきたのか。ジパングが終わって、今はエジンベアじゃなかったのか?」
「はい。ですがちょっと問題が起こりまして、一度報告と、ダーマ全体に少し動いてもらわなければならないことができてしまいまして」
「大事そうだな。いいぜ、せっかくだから俺が連れてってやるよ」
「一人でも大丈夫ですよ」
 ルナが苦笑する。
「何言ってんだよ。五年も一緒に暮らしてきた仲だろうが。遠慮すんな! おーい、ちょっとここ離れるから、後よろしくな!」
 そう言ってジュナは早速ルナについて歩き始めた。
「エジンベアではうまくいったのか?」
「はい、順調です。ただ、次にどこへ向かえばいいのか分からなくなって」
「情報収集に来たってわけか」
「それもありますけど、問題が起こったんです」
「問題?」
「モシャスを使うことができる悪人が、もしかしたらどこかの街に入ってくるかもしれません。全世界的に警戒体制を取れないものかと」
「モシャスか。そりゃ確かにまずいな。要人に変化された日にゃ、どうすることもできねえぜ」
「はい。ですから急いで戻ってきたのです。それこそ、私に変化される可能性もあります」
「ルナに変化されたら、誰も対抗できねえじゃねえか」
「……なんだか、私が凶暴な印象を受けます」
 少しむっとする。この人物の前ではいつでも自分は妹みたいなものだ。
「でも実際、俺じゃかなわないのは事実だからな。で、どうするつもりだ?」
「最低限、私やアレス様の姿が使われないよう、身分証明書のようなものを携行しようかと思っています。各国に打診して、賢者ルナ、勇者アレス、その仲間たちが必ず携行するものがどのようなものかを伝達しておくだけでも効果はあります。あと、モシャスを見破ることができる魔法使いを各国張り付きにできればなお効果が強いです」
「なるほどなあ。いろいろと考えてるんだな」
「そうでなければ賢者は務まりませんから。ダーマはどうですか? 何か変わったことは?」
「いや、何もねえよ。それよりもちょっと、実家の方がな」
「実家?」
 言われて思い出す。ジュナは確か、サマンオサの出身。
「サマンオサで何かあったのですか?」
「あまり治安がよくないらしい。サマンオサから来た奴に聞いた」
「治安といっても、サマンオサは勇者サイモンが出たことでも知られる、騎士団の強い国。モンスターに襲われたとしても問題ないはずですが」
「そうなんだけどな。でも、国の首脳がおかしくなったらまずいことになるだろ?」
「首脳? 国王ペドロ六世陛下が、ですか?」
「そのペドロ様の統治があまりよくないらしいな。俺も詳しくは分からねえけど、一度様子を見に帰りたいとは思ってるんだ。親も弟妹もいるからなあ」
 ジュナはダーマで稼いだお金を本国に送金している。無事についていれば、そこそこ豊かな暮らしができているはずだが、それもきちんと届いているかどうか。
「心配ですね」
「ああ。ま、こっちの話だけどな。おっと、鬼教官のお出ましだぜ」
 自分たちが戻ってきたことを察知したのか、やってきたのはナディア教官だった。
「お久しぶりです、ナディア師」
「十日ぶりかしらね。どうなの、調子は」
「はい。エジンベアで無事に五個目のオーブが手に入りました」
「それは良かったわ。今日は一人で?」
「はい。ラーガ師と、それからナディア師にもお伝えしたいことがありまして」
「私に?」
 ナディアは顔をしかめる。
「いいわ。今の時間、ラーガ師も時間が空いていると思うから案内してあげる。ジュナ、ここまでありがとう」
「いえいえ」
「それから、一つ言っておくけど。私は真剣にやっている子ほど厳しくしているだけ。鬼と呼ばれるのは心外です」
「ありゃ、聞こえてたか」
 ジュナが頭をかいた。
「じゃあな、ルナ。達者でやれよ」
「はい。ありがとうございました」
 そうしてルナはジュナを見送る。
(サマンオサ。そういえば、サマンオサにもオーブがあるという話がありましたけど、この間行ったときは山彦の笛が反応しませんでしたね)
 もう一度行ってみた方がいいだろうか。エジンベアの例もある。もしかしたらこの二十日間くらいの間に別のところからオーブが運ばれてきている可能性だってある。
「どうしたの、ルナ」
「はい。すぐにまいります」
 そしてルナはナディアについて、ラーガの部屋へと向かった。






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