Lv.97

不足している何かを求めて








 ルナがラーガとナディアにあらかた説明をし終える。ナディアは信じられないという表情だったが、ラーガはどうしたものかと思案顔であった。
「トレイシーが。あの子はそんな、道を誤るような人間じゃなかったのに」
「陵辱された経験が、世界に対する憎しみに変わってしまったのです。私も、危うくそうなるところでした」
「お前を罠にかけるような相手じゃ。たいした逸材だと思わねばいかんの」
 ラーガが茶化すでもなく、真剣な表情で言う。
「ナディア。犯人の件についてはさておき、この事件に対してどう対処するべきかね」
「はい。モシャスの見分け方は中級魔法使いであればこのダーマで教わることです。協力者を募り、三人一組で各国にダーマ特使として派遣し、こちらから協力を仰ぐのはいかがでしょうか」 「ベストとはいえんだろうが、ベターな選択じゃ。お主らしいの」
「はい」
「今夜、賢者会議にかける。ルナ、お主も参加せい」
「はい」
「やれやれ、お主を送り出したばかりだというのに、一つ解決するたびにお主はすぐに帰郷してくる。これではせっかく送り出した甲斐がないというものじゃ」
「すみません。ですが、ダーマの力を借りなければどうにもならないことでしたから」
「確かに人手は必要じゃの。それに今は、ディーンの奴もちょうど帰ってきておるし」
「ディーン師が」
 エジンベアで会ったディーン。テドンから戻ってきて、その後は全く会っていなかったが、こちらに戻ってきていたとは。
「できればディーン師にはすぐにでも会いたいのですが」
「うむ、問題はなかろう。急ぎならばすぐに行くがよい」
「はい」
 ルナはラーガの前を辞して、すぐに西棟から東棟へと移動する。
 東棟の賢者はルナもあまりよく会うわけではない。氷の賢者タイロン師とはその後も何度も可愛がってもらっているが、それ以外の三人とはさほど会話をするというわけでもなかった。
 ディーンはその仲でも筆頭で、エジンベアで会うまではそれこそ片手で数える程度の面識しかなかったのだが。
「ディーン師」
 尋ねていくと、ディーンは無表情で出迎えた。
「久しい、というほどではなかったな。ヘンリー王子から詳細は聞いた。無事で何よりだった」
「はい」
 一見冷たく感じる言い方ではあるが、ディーンにしてみると相手を気遣うような言葉をかけること自体が、相手のことを考えている証拠でもある。ディーンは興味のない相手の立場まで考えるような気遣いのできる男ではなかった。
「結局、王子との婚約はなかったことになったのだな」
「はい。王子自身が、私の承諾を受け取っていただけませんでしたから」
「若いな、王子も。ダーマの賢者がエジンベアにつけば、ヘンリー王子の代になれば最強国家の座が揺らぐことなどなかっただろうに」
 ディーンがつまらなさそうに言う。
「だが、お前にとっては良い結果だったな」
「すみません」
「責めてはいない。むしろ私の方がお前には負担をかけてしまっていた。申し訳ないと思っている。正直、こういう結果に終わって安堵しているところもある」
「そうでしたか」
「トレイシーの件も王子から聞いた。それに、先ほど伝導管でラーガ師から連絡があった。これからお前が尋ねてくること、そして今夜、賢者会議で対策を考えること」
「はい。ディーン師はどのようにお考えですか」
「トレイシーのことをそこまで詳しく知っているわけではないが、放置しておけば人類の脅威になりかねんな。ダーマなら取り押さえることも可能だが、たとえばお前はこの前、ジパングに行ってきたな」
「はい」
「もしそこでトレイシーがお前の姿を借りて潜入し、新しく即位したイヨ女王を殺したとしたらどうなる」
 もちろんただではすまない。ジパングは混乱し、たとえそれが濡れ衣だと分かったとしても、ダーマとの間に必ずしこりが残る。
「だから急がなければならない。ラーガ師には申し訳ないが、私の部下を既に一人、ジパングには送り込んでおいた」
「ありがとうございます」
「エジンベアには俺が直接はりつけばすむことだが、あとはアリアハンやロマリア、ポルトガ、イシス、サマンオサといった主要国にはダーマの魔法使いを配備する必要があるだろう」
「はい。急がなければなりません」
「ああ。お前がすぐに帰ってきてくれたのは良かった。事情が分かっている人間から説明するのが一番だろうからな」
「師はいつお戻りになったのですか?」
「今朝だ。ブランカの件を聞いてから、エジンベア王宮に他に問題がないかどうか、戻ってきてはいないか、確かめてから戻ってきた」
「ありがとうございます。そこまで気が回っておりませんでした」
「ブランカの狙いがエジンベア王家の崩壊だとするなら、最大のターゲットは王家の人間だろう。国王の病状もよくはないが、今すぐにどうこうというレベルではない。ブランカが入り込まなければ当分大丈夫だろう」
「それは何よりです」
「逆に、ブランカが早く動いてくれた方がありがたい。水面下で動かれたままでは、どうにも対応することができん」
「はい。簡単に見つかるとは思えませんので、どこかの国が変な動きを見せないかぎりは」
「そういうことだ。まあ、そのあたりは今夜にでも話をまとめよう。ルナ、時間があるなら一度、訓練場へ顔を見せてみるといい」
 突然話を変えたディーンに、ルナが顔をしかめる。
「なに、行けば分かる」
「はい。分かりました」
 何故行かなければならないのか分からなかったが、とりあえずルナは移動することにした。
 賢者ルナが東の訓練場に顔を見せることは滅多にない。それこそこの一年に限ってもほとんどなかったくらいだ。
 ルナは基本的に西の所属だ。だが、東の魔法使いや僧侶たちに対しても分け隔てなく接した。だからこそ東の生徒たちからも慕われている。生徒たちは多くがルナよりも年上だ。それでも最年少賢者として、そしてダーマ史上最高の賢者として、尊敬の度合いは高い。
「ルナ様!」
 訓練場に顔を見せると、それまで武芸や魔法に訓練を続けていた生徒たちが一度動きを止める。教官たちですらその様子だ。
「お気になさらず、どうぞ続けてください」
 ルナが言うと、再び喧騒が戻ってくる。訓練場はいつもこうだ。武芸を磨く者も、魔法を唱える者も、分け隔てなくただ高みを目指す。
 最近は殺伐としたことが多かったので、こうやって自分を高めるということを忘れがちだ。四日間も船に乗っていたこともあり、日課のランニングすらできないでいた。
 その中に、どこかで見た顔があった。
(あれは)
 彼女とはあまり話をしなかったが、それでも顔くらいは覚えている。
「エミコ、さん?」
 おそるおそる声をかけてみると、魔法の訓練をしていたらしい彼女が動きを止めて、こちらを睨んでくる。
「何よ、私に何か用?」
「いえ。ソウから話を聞いています。ダーマへ留学生を送る制度を作るのだと。早速来られたんですね。ダーマはエミコさんを歓迎します」
 するとエミコは憎しみを込めるかのようにルナを睨む。
「留学制度ならまだよ。私は留学制度が作れるかどうかを確かめるための調査をかねてここへ来ているのよ」
「そうでしたか。ソウの役に立ちたいと思われたのですね」
「誰が、あんな奴のために!」
 と一度怒鳴ってから、悔しそうに腕を組む。
「……笑えばいいじゃない。憎んでいた相手のために動いている私を見て」
「笑う? 何故ですか。あなたはソウの妹。私にとって大切な友人の妹です」
「あなたの噂はここに来てからさんざん聞かされたわ。『奇跡の賢者』ルナ。ここに来てたった三日で二つの魔法を覚え、二ヶ月で中級魔法を全て使いこなし、半年で上級魔法のほとんどを使えるようになったと」
「おおむねその通りです」
「それが本当なら、あなたは化け物よ」
 相手に向かって堂々と言うあたりは、簡単に変われる性格ではないということか。
「私はここに来て三日経ったけど、ようやく一つ使えるようになったばかり。どうしてそんなに成長が早いのか──」
「三日で魔法を覚えたのですか!?」
 逆にそれはルナを驚かせた。
「そ、そうよ。遅くて悪かったわね」
「とんでもありません。逆です。私が見てきた中で、三日で魔法を使えるようになった人はごくわずかしかいません。素晴らしい才能です」
「あなたに言われると複雑ね」
「でも事実です。この調子でいけば初級魔法はあっという間に使いこなせるようになります。一年修行すれば中級魔法だって使えるようになります。これはすごいスピードです」
「さすがにそんなに長い期間はいられないわ。今回は十五日間の短期調査だもの。その間にダーマとの折衝、魔法だけでなく、政治や経済の勉強もするように言われているし」
「そんな勉強の時間をぬってここまで使えるようになったのですか? 魔法ばかりやっていた私よりすごいじゃないですか!」
 褒めるとエミコも悪い気はしないのか「そ、そう?」と不満そうな顔を崩さずに顔を赤らめる。
「エミコさんがソウのためにしてあげたいという強い気持ちのおかげですね」
「それを言わないで! いまいましい、あいつのためになるっていうのが一番嫌なんだから!」
「でもエミコさんは、ソウのことが好きなんですよね」
「誰が!」
 だがルナはにこにこと笑顔を見せる。その笑顔の前には毒気も抜かれるのか、エミコもため息をついた。
「あなたにはかなわないわね」
「人間素直になった方が得するものです。今まで素直になれなかった分、短期留学を終えてジパングに戻ったら、素直にソウに甘えるのがいいと思います。ソウも喜びますよ。あのとき、ソウはあなたが自分から罠に飛び込んでいったのを、本当に悩んでいましたから」
「……悪かったわね、迷惑かけて」
「ソウに言ってあげてください。私はお二人が仲良くしてくれればそれでいいと思っています」
「もういいわ。あなたのことを聞いて張り合おうとがんばってたけど、私がどんなにがんばったところであなたになれるわけでもないし」
 エミコは両手を上げた。
「魔法はホイミとキアリーくらいが使えればそれでいいと思っているのよ」
「僧侶になるのですか?」
「変? そりゃ私も魔法使いの方が性格にあってると思うわよ。でも、今のジパングに必要なのは回復魔法や解毒魔法が使える僧侶なのよ。ジパングは決定的に医者が足りないし、治癒魔法の使い手が少ないから」
「自分の役割を見つけられたのですね」
「そういうこと。私もいつまでも駄々っ子のままではいられないわ。ソウがこの国で学んだことを、私は十五日間で学びきってやるんだから!」
 こういう対抗意識を持つのはいいことだ。そして、この調子ならエミコはすぐにソウの片腕として活躍できるようになるだろう。
「ジパングで活躍できる日を楽しみにしています」
「ええ。そうしたら兄と一緒にもてなしてあげるわ。だから必ず立ち寄りなさい」
「はい。ぜひ」
 そうしてルナはエミコと別れた。なるほど、ディーンが行けば分かると言ったのはこういうことか。
(良かったですね、ソウ。妹さんと仲直りができて)
 ソウが喜びは自分にとっても喜びだ。
(ジパングはどうなったのでしょうか。順調だといいのですが)
 たった十日だが、この間にもソウはまた成長しているのだろう。イヨとはうまくやっているのだろうか。混乱は起きていないだろうか。
(時間ができたら、一度顔を見に行きたいものですね)






 さて、ダーマでそうしてルナが活動している一方、メアリの船へと向かったアレスたちはどうだったかというと、出航直前にメアリを捕まえることができていた。
 アレスから説明をすると、メアリがまた楽しそうに笑って答える。
「ああ、幽霊船ね。多分見つけられるだろうし、連れていくこともできるよ」
 メアリの発言は渡りに船というものだった。
「お願いできますか」
「まあね、他ならぬアンタたちの頼みだ。協力しないこともないんだが」
 メアリは少し考えてから尋ねる。
「肝心のあの子はどうしたんだい?」
「ルナとは別行動です。ダーマに戻って、トレイシーさんの対策を取ってもらうようにはかってくれています」
「なんだい、傷ついたあの子を一人にしたっていうのかい」
 突如不機嫌になるメアリ。
「あの子はしっかりしているように見えて、まだ十五やそこらの小娘だよ。傷ついているのにほったらかしにするような奴らに協力する義理はないね」
「ルナが望んだんです。僕らもルナに同行しようと言いました。でもルナは一人でダーマに戻ると決めて、メアリさんに伝言を頼まれたんです」
「伝言?」
「はい。今度会うときまでに、少しは成長しているから、と」
 それを聞いたメアリは一度固まる。そして、体を震わせて大きな声で笑った。
「そいつはいい。あの子らしい言い方だね。そうかそうか、そんなに気にしていたんだ」
「何かルナと話をされたんですか?」
「まあいろいろとね。でも、まああの子の頼みか。それなら仕方ない。今の伝言に免じて、アンタらを幽霊船に連れてってやることにするよ。ほら、乗り込みな!」
 そしてアレスたちはすぐにメアリの船に乗り込む。そして出航した。
「場所はどの辺りなんですか?」
「そんなに遠くないよ。ノアニールの反対、ロマリア方面だね。せいぜい三日ってところさ」
「三日か」
「まあ、アンタらもルーラくらい使えるんだろ? 最悪使えなくても用事が済めばキメラの翼で戻ればいい。アタシらはそのまま南の大陸に向かうことができるしね」
 そうして船は、ロマリアへ向けて進む。
 地中海。その海の中に、幽霊船が現れたのは、三日後。
 海霧が立ち込めたその向こうから、ゆっくりと近づいてきた。






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