リツコは報告のあった鈴原トウジの妹、鈴原アヤの病室に来ていた。
 体中に管が差し込まれている。簡単に見ても、回復の見込みが非常に薄いことが分かる。
 脳に損傷を負っている。仮に完治したとしても、何らかの障害が残るかもしれない。
 左腕は肘から下がない。義手をつけなければ生活に不便することだろう。

「……この子、使えるわね」

 ぽつり、と呟く。この地位についてからというもの、人らしい感情は既にどこかになくしてしまったようだ。
 しばらくして、病室のドアが一人でに開いた。
 その向こうにいたのはジャージ姿の少年。
 彼の姿を認めると、リツコは微笑みを浮かべた。

「はじめまして、鈴原トウジくん。私はネルフ技術部長、赤木リツコといいます」












第陸話



偽りの鎮魂歌












「は、はあ……」

 妹の病室にいる女性がネルフの人間だと言ってきても、トウジには何故ネルフの人間がいるのか分かるはずがない。

「妹さんのお見舞い?」

 だがそんなトウジに、リツコは答える間を与えずに質問をしていく。

「は、はい」

「そう。妹思いなのね」

「そんなことありません。わしがやってることは、普通のことやと思います」

「そうね。でも、そんな普通のこともできないような人が、世の中にはいるのよ」

 別にリツコはそれが自分であったり、自分と関係を持っているネルフ総司令のことだと言うつもりはさらさらない。だが、それを意識していたことは間違いない。

「あ、あの……何か用でっしゃろか」

「ああ、ごめんなさい。ちょっとあなたと話がしたかったのよ、鈴原トウジくん」

「は、はあ」

 相手は完全に威圧されている。無理も無い。まだ十四歳でしかないのだから。

「あなたは、この間エヴァンゲリオンに乗ったわね」

「あ、は、はいっ! 申し訳ありませんでした」

「いえ、いいのよ。それ自体は私の管轄じゃないから。それで、乗ってみてどう思ったの?」

「どう、と言われても……てん、碇くんが辛そうにしていたっちゅうだけで」

「あまり硬くならなくてもいいのよ」

 リツコが穏やかな笑みを浮かべる。

「そのシンジくんを、鈴原くんは殴ろうとしたのね」

「あ、そ、そんなことまで知ってるんですか!」

 トウジの胸に一瞬、転校生が告げ口した、という感覚が起こった。
 だが、そんなことを少年がしたところで何も意味はないのだ。なにしろ少年はあのとき、トウジを逆に殴っていたのだから。少年が傷ついたわけでもないし、不利益を与えたわけでもない。

「シンジくんはパイロットだから、常日頃から監視されているのよ。本人の了承済みだけどね」

「は、はあ……」

「今でもまだ、妹さんのことは許せない?」

 トウジは口を閉ざす。それは当然のことだろう。戦場で命をかけて戦う姿を見てしまっては、少年によって守られている自分たちが本来何も言う権利などないはずなのだ。

「一つだけ言っておくとね、妹さんの怪我は、シンジくんのせいではないのよ」

「え?」

「妹さんが怪我した原因になった瓦礫だけど、それを傷つけていたのはエヴァではなくて、国連軍のN2爆雷によるものだということが分かっているのよ」

「ほ……ほんまでっか!」

「ええ。だから、シンジくんがエヴァに乗ろうと乗るまいと、既に妹さんは怪我をしてしまっていたのよ。シンジくんを恨むのは筋違いということね」

「そ、そんならわし、転校生にどない謝ればいいんや……」

「別に謝らないなら許さない、なんてことを言ってるわけじゃないんだから、気にしなければいいと思うわ」

「でも、それじゃわしの気がすまへんです。碇くんは今どこにいらはりますか」

「悪いけど、それを教えるわけにはいかないわ。あくまでもシンジくんはエヴァのパイロットなんだから、少しの情報もあなたに教えてあげるわけにはいかないのよ。でも、シンジくんならそのうち学校に顔を出すでしょう」

「そうやろか」

 それでもトウジは自分の浅はかさを許せないようであった。
 とはいえ、結局トウジは少年を殴ることは一度もできなかったのだが。

「鈴原トウジくん」

 リツコは悩みにふけってしまった少年を現世に呼び戻す。

「あ、はい」

「そのシンジくんのことなんだけど、教室ではどんな様子だった?」

「教室でっか?」

「ええ。他の生徒とどんな話をしたりとか」

「綾波とだけはべったりですけど、他の生徒とはあんまり話さんです」

「波風を立てないようにしている?」

「そう……とも言えます」

 リツコはまた考える。ということは、学校での少年は前にいたところとあまり変わらないのではないか。

「屋上のときと、態度は同じなのかしら」

「いえ、全然違いました。なんかこう、人を見下すような目で……」

 なるほど。いつもの少年の態度だ。
 ということはやはり、少年はいくつもの顔を使い分けていると考えた方がよい。

「そう、ありがとう。他にシンジくんのことをよく知っている生徒は誰かいるかしら」

「そうやな、委員長なら少しは知ってると思いますけど」

「委員長?」

 洞木ヒカリ、という名前がこのときリツコの頭の中にインプットされた。

「ありがとう、トウジくん。また何か聞きたいことがあったら、お邪魔するわね」

 リツコは当面の目標が達成されて、満足して病室を出た。





 やはり少年は『演技をしている』という可能性が一番高いようだ。
 以前の学校では本当に波風を立てないようにしていたのだろう。苛められていたという話であったが、少年を苛めている人間は限定されている。少年にとっては従兄にあたる人物とその取り巻きだ。それ以外の人間は少年のことをかまおうとはしなかった。言うなればハブという状態だ。
 ただ、彼はオーケストラ部に入っていた。その生徒とは仲が良かったようだ。いくつかの証言もある。彼の優しさ(ルックスにもであろうが)に好意を持っていた生徒もいたようだ。

(以前の生活が彼の性格を歪めたのか、それともその生活が始まる前から歪んでいたのか……)

 それを判断する方法はもうない。それ以前ということはまだ少年とゲンドウが一緒に住んでいた頃ということになる。

(ふう……分からないわね)

 碇シンジという少年は謎ばかりだ。
 この間の戦いにしても、一瞬シンクロ率が二%まで落ち込んだり。
 それ以前からも不可解な言動が多すぎる。

「あ、おかえんなさーい」

 部屋に戻ってくると、相棒が待ち構えていた。

「どうしたの、ミサト。仕事はもう終わり?」

「邪険にしないでよ。それより、彼、来てるわよん」

 彼?
 リツコがちらりと視線を動かすと、部屋の隅で本を読んでいた少年が顔を上げた。

「シンジ君、学校はどうしたの?」

「具合が悪いから遅刻すると学校には言っておきました」

「レイは?」

「もう学校です。彼女は別に具合が悪いわけでもないですから」

 以前の生活では、少年はほとんど欠席がなかったという。欠席をすることで叔父母夫婦に迷惑がかかることを避けるためだと判断されていた。だとしたら、今学校に行かなければならない理由もないことになる。

「駄目よ、シンジ君。学問をおろそかにしては」

「一学期中間試験の結果です。見ますか?」

 少年は成績通知票を取り出す。ミサトがそれを取り上げてぱらりと中を覗く。

「国語九八点、数学百点、社会百点、理科九四点、英語百点……凄い点数じゃない、これ」

「合計で四九二点……学年トップ確定的、というわけ」

「簡単なテストでしたからね。わざわざ学校で勉強するまでもなくこれくらいの点数は取れるんです」

「でも理科と国語で満点は取れていないじゃない」

「今日は理科も国語もありませんから」

「一ついいかしら、シンジ君」

「どうぞ」

「前の学校ではあまり成績はよくなかったみたいだけど」

「従兄が僕より点数低いと怒るんです。処世術の一貫ですよ」

「苛められていたそうね」

「弱い者をいたぶるしか脳がない哀れな男ですよ」

(確かにこの点数ではね……)

 厄介者の従弟より点数が低くては格好がつかないということか。

「それでわざと成績を落としていたの?」

「まあ」

「やり返そうとかは思わなかったの?」

「思いませんよ。そんなことをしても僕には一ミリほどの得もありませんから」

「でも今なら?」

「そうですね。もう一人で暮らしていけるだけのお金も力もありますから。容赦なく叩きのめすところですね」

「やっぱり、前の生活では演技していたのね」

「いいえ。前の生活とやらも本当の僕ですよ」

 しばし睨みあう少年とリツコ。
 だがこの場合、情報が手に入らないリツコの方が圧倒的に不利であった。

(気圧されては駄目よ。彼だってネルフのことは何も知らないんだから……)

 そう。彼の行動は虚勢にすぎない。自分の価値を高く見せつけているにすぎないのだ。
 セカンドチルドレンが日本に到着すれば自分の居場所も少なくなる。そう考えて今のうちに価値を高めようとしているにすぎないのだ。

(その、はずなのに……)

 なんだろう、このあまりにも堂々とした態度は。
 これが十四歳の少年にできることなのだろうか。
 この少年にはまるで、自分と同じくらいの経験を感じる。

「それじゃあ赤木博士、一つ聞かせていただいてもいいでしょうか」

「何?」

「零号機の再起動実験、いつやるんですか」

 それが本題か、とリツコは心の中で舌打ちした。
 もっとも、どうせすぐに分かることだ。今教えたところで何も問題はない。

「あとそうね……十日といったところかしら。まだ決定しているわけじゃないけど、レイが完全に回復するまでにあと五日、零号機の準備はいつでも大丈夫だから、そのくらいが多分目安でしょうね」

「零号機の暴走の原因は解明できているんですか?」

「それは誰から?」

「以前誰かから。もう忘れましたけど」

 忘れたというのは便利な言葉だ。それを確かめる術がない。

「……まあいいわ。原因は不明。これでいい?」

「また暴走するかもしれない零号機に綾波を乗せるんですか?」

「ええ。それが私の仕事だし、レイの仕事だもの。そしてシンジくん、あなたにはそれを拒否する権利はないわよ」

「あれは僕のモノですよ?」

「でも所属はネルフよ。それにレイも拒否していないわ」

 少年は肩をすくめた。どうやら本気で言っているわけではないらしい。

「赤木博士、最後に一つ」

「何かしら」

「隠し事はあまり、ためになりませんよ。それじゃ」

 少年はそれだけを言い残すと、部屋を出た。

「……どっちのことだか」

 リツコはため息をついた。

「随分と嫌われてるみたいね、私たち」

 しばらく傍観していたミサトがようやく口を挟んでくる。

「そうね。それに……」

「それに?」

「案外面白いことが分かったわ」

「面白いこと?」

 ミサトが分からない、という表情を浮かべている。
 リツコは笑って答えた。

「彼にも分からないことがある、ということよ」

 考えてみれば当たり前の話だ。
 だが、彼のあの態度を前にしているとどうしてもこちらが圧倒的に不利な印象を受けてしまう。

(問題は……何を知っているのか、ということね)





 昼休み。少年が学校に着くと、凄い目で少年を睨みつけているレイの姿があった。
 自分ひとりを学校に向かわせ、少年はどこかへ行ってしまった。
 それがレイには許せなかったらしい。

「ごめん、待ったかい、綾波」

「……」

 声をかけると、レイはぷいっと窓の方を向いてしまった。
 ふう、と息をつくと少年は鞄を机に置いてレイの机に正面から手を置いた。

「綾波。こっちを向くんだ」

 少年の顔が真剣なものになっている。
 怒っている。
 レイには、それが分かった。

「……」

「綾波は、僕との絆はもういらなくなったの?」

「そんなことない」

「じゃあ、そういう態度はすぐに改めるんだ。相手が常に自分の思い通りに動くなんて思ったら駄目だ。綾波は僕がもらったけど、綾波は完全に僕の自由になるわけじゃない。僕も同じだ。綾波の思うとおりの僕になるわけじゃない」

「……」

「でも、だからこそ分かり合おうと思わなきゃいけない。お互い、相手を完全に支配できないからこそ、理解しあうことができるんだ」

「……」

「それが絆、だよ。支配、被支配の関係じゃなく、お互いに支えあい、理解しあえる関係になることが大切なんだ」

「……ごめんなさい」

「よろしい」

 少年はその頬に軽く口づけした。どよっ、という空気が教室の中に起こる。

「なにをするのよ」

 レイの顔が真っ赤に染まる。

「ご褒美」

「……」

「それじゃあ、今日は早く帰ろうか。ネルフはお休みだし、昨日言っていた買い物をしにいこう」

「……ええ」

 またレイは視線をそらした。だが今度は少年は咎めなかった。





 それから数日がすぎ、ついにその日がやってきた。
 零号機起動実験。
 もちろん少年もこの実験を見学している。

「それじゃあ準備して、レイ。それからシンジ君は上に来てちょうだい」

 零号機に乗り込むレイを見送る少年。そしてそれを後ろから見るミサトとリツコ。

「にしても、この間の様子からあんまり零号機の再起動実験については賛成してないみたいだったけどね、シンジ君」

「そうね。正直反対されなかったのは助かるわ。あまり関係をこじらせたくはないもの」

「いざとなればレイは強制的に実験に参加させることができる。でも、そうなるとシンジ君と私たちの間に亀裂が走る」

「彼もそれくらいのことは考えているでしょうね。まあ、私たちに貸しを作ったという風には考えていないでしょうけど」

 彼が考えているのはおそらく、この実験が無事に終わることだけだろう。
 場所を移動し、三人が所定の位置につくと、ミサトから直々に実験開始の指示が出される。

「葛城さん」

 ころあいを見計らったのか、作業が進んでいる最中に少年から声がかかった。

「なに?」

「碇司令は来ないんですか?」

「来ないわよ。どうかしたの?」

「いえ……なんでもありません」

 だが、その表情は明らかに不信感をあらわにしている。

「言いたいことがあったらはっきり言っていいのよ」

「なんでもありません。それより、実験を続けてください」

 少年は再び沈黙して、ガラス越しに零号機を見つめた。

「シンジ君、ちょっといいかしら」

 すると今度は背後からリツコが近づいてきて、隣に立って声をかけた。

「なんでしょうか」

「この実験は成功するかしら?」

「は?」

 あまりといえばあまりの質問だったのか、少年は素で尋ね返していた。

「それは失敗する可能性があるということですか」

「実験に失敗はつきものよ。今回に限らず、あなたの起動実験だっていつ失敗するかなんてわからないわよ」

「ならあとは可能性の問題でしょう。それは赤木博士の専門分野かと思いましたけど」

「そうね。でも、あなたならこの実験の結果が分かるのかと思って」

「僕が。何故です?」

「さあ……そう思ったから、としか言いようがないわね」

 リツコとしては、それはなんともない単なる思い付きにしかなかった。
 ただ、少年はこの実験のことをよほど気にしていた。わざわざ十日も前からこの実験がいつ行われるのかをずっと気にしていたのだ。
 何かがある。
 今までの普通ではない少年の振る舞いから、何かがこの実験に隠されているような気がしてならなかった。

(考えすぎかしらね。この実験を行う日も、内容も、全て私たちで決めているわけだし……)

 リツコが考えに没頭している間にも、実験は次々進んでいく。

『絶対境界線まであと二.五』

 そのまま、ボーダーラインを綺麗にクリアしていく。実験は容易に成功した。そして実験は続いて連動実験に入っていく。
 とりあえず少年が一息ついたのを見て、リツコはもう一度声をかけた。

「安心した?」

「自分の物は大切にする主義ですから」

「素直じゃないのね。レイのことが心配なら心配と、そう言えばいいのに」

「僕が今心配しているのは……」

 と、その時。警報が鳴った。

「どうしたの!」

 ミサトが声を張り上げる。

「使徒です! 第三新東京に、巨大浮遊物体が出現しました!」

「出現? ここに?」

「はい。映像、出ます!」

 別スクリーンに映像が出る。綺麗な八面体のクリスタル。

「今までのとは随分違うわね」

「でもパターンは青。使徒に違いありません」

 リツコとマヤが意見を交わす。

「シンジ君、ケイジへ向かって。すぐに初号機で出動するわ」

「拒否します」

 さも当然のことのように少年が拒否したので、ミサトはそれが最初、拒否されているのだと分からなかった。

「っと、え?」

「拒否します。敵の戦力も分からないうちからこちらの秘密兵器を使う必要はありません。いつものように税金の無駄遣いを国連軍にしてもらってください。僕が出撃するのはそれからです」

「ちょっとちょっと、いつもは税金の無駄遣いで意味がないって言ってたのはシンジ君じゃない」

「無駄というのは、効かないと分かっている攻撃を二度も三度も四度も五度も繰り返すことです。国連軍が攻撃すること自体は問題ありません。このままでは敵の攻撃方法も防御力も何も分からない。手当たり次第、成り行きまかせの作戦には従えません」

「成り行きまかせって……」

「違うんですか? 使徒がきた、とりあえず出撃、っていうのは成り行きまかせ以外の何者でもないと思います。敵の形状は今までのものとは明らかに違う。突撃は勇敢ではなくて無謀です。たとえば……」

 少年はじっくりと敵の様子を探る。

「敵は目に見える武器を持っていない。ということは、あの体内に武器が収められていると考えた方がいいでしょう。しかし、例え武器があってもそれを使う手がないのなら……あのままで武器を使えるということですね。つまり、体内でエネルギーを収束し、一点集中の砲撃を加える、といったところですか。コアがあの中にあるとすれば、ちょうど中心部にあることになりますね」

 ミサトは目を見張った。確かに、言われてみれば説得力のある考え方だ。もちろんそれが正しいかどうかなどは分からない。だが作戦を立てるということは、仮説を立てるということに近い。それがどれだけ信頼性のある情報から立てられるかどうかが問題なのだ。
 だとすれば、国連軍にまず攻撃させろという少年の言い分は正しいということになる。

「国連軍、攻撃を開始しました!」

 結局国連軍がまず攻撃をすることになり、自走式戦車、航空部隊が次々に爆撃を仕掛ける。
 が、それは少年の予測した通り、ほとんどが爆撃を加える前、一定の距離に達したところで逆に加粒子砲で撃墜されることとなった。

「加粒子砲か……」

 ミサトは下唇を噛む。もしあれでエヴァが狙撃されていたら、間違いなく敗北していただろう。少年の意見が正しかったということになる。

「なるほど」

 少年は頷いて答えた。そして出口から出ていこうとする。

「ちょ、シンジくんどこ行くの?」

「あれを倒すのには、少々手間がかかるでしょう。今回の作戦は誰が立てたって同じ結論になりますからね。でしたら後は準備をするだけです。そうですね……半日したら戻ります。そのころには準備もできあがっているでしょう」

「どういうこと?」

「ヒントがほしいですか? あの様子では接近戦をしかけても迎撃されるだけです。それじゃあ」

 そう言い残して少年はルームから出ていった。

「接近戦では迎撃……」

 ミサトの頭の中で急速に作戦が展開される。
 そして、それが一つの形になるとき。
 彼女は、身震いした。

「……そんなことを一瞬で思いつくなんて、シンジくん、あなたはいったい……」

 彼のおそろしいまでの思考速度に、恐怖を覚えた。





「碇君はどこ?」

 レイは戻ってくるなりミサトに詰め寄った。

「知らないわ。出ていってしまったもの」

「……」

 レイはとにかく少年を追いかけようと出ていこうとしたが、それをミサトが止めた。

「駄目よ、レイ。あなたにはやってもらうことがあるの」

「……」

「睨んでも駄目よ。シンジくんもそう言ってるんだから」

「碇君が……」

 嘘だけどね。
 ミサトは心の中で舌を出した。

「何をすればいいんですか」

「ちょっとまってね。もう少しで徴発令状が出るから」

 徴発?
 ミサトの言葉にレイだけでなく、リツコやマヤも不思議に思う。

「ミサト、あなたいったい何をするつもりなの?」

「簡単よん。あの使徒を倒すには超長距離射撃からの高エネルギー一点集中砲火。それしかないわ」

「ポジトロンライフルを使うつもり? でもあれでは使徒を破壊するだけの出力に耐えられないわよ」

「だから借りてくるの。戦自研のプロトタイプ」

「それで徴発令状……でも、あのA.T.フィールドを貫くエネルギーは膨大なものになるわ。それをいったいどこから集めてくるつもり?」

「決まってるじゃない。日本中からよ」





「あれ?」

 伊吹マヤは資料を運んでいる途中で、見慣れた後姿を見かけた気がした。

(今の、シンジくん?)

 休憩所のベンチでゆっくりと休んでいる一人の少年。
 何か、苦しそうに、顔をゆがめている少年。

「シンジくん」

 思わず声をかけていた。
 彼は、はっ、と気付いて顔を上げる。

(……泣いていたの?)

 なんとなく、彼の目が赤い気がした。

「ああ、マヤさん。どうしたんですか?」

 気付いたときには、もういつもどおりの彼だった。

「どうしたって、シンジくんこそどうしたの?」

「僕は休んでいただけですよ。あの使徒と戦わなきゃいけませんから、戦士は体を休めること、それが僕の仕事です」

「そう。てっきり、ネルフから出ていっちゃったのかと思った」

「さすがにそこまではしませんよ、外は危険ですからね。それより、マヤさんはここにいてもいいんですか? 仕事、忙しいんですよね」

「あ、うん。そうなんだけど……」

 マヤは、何故か彼をここに一人で残していくことがためらわれた。
 彼を一人にしてはいけないような気がした。
 資料を置くと、ゆっくりと彼に近づき、隣に座った。

「マヤさん?」

「……ねえ、シンジくん」

 自分より一回りも年下の男の子を見つめる。

(これが、本当に一回りも私の年下なのかしら……)

 彼の瞳は、自分と同じか、それよりもずっと年上の洗練された輝きを放っている。
 頼りがいのある、大人の男性の持つ魅力を兼ね備えている。
 とても、十四歳の少年が放つ雰囲気ではない。

「どうしたの、マヤさん」

「シンジくん。何か、悩みごとがあるならいつでも相談に乗るから、あまり一人で悩まないで」

「相談、ですか?」

「一人で何か悩んでいるみたいだし、つらそうなシンジくんの顔、見ていたくないから」

「……それは、凄い口説き文句ですね」

「え?」

 少年が真剣な表情を浮かべているのに気付いて、マヤは顔を赤らめる。

「ち、違うのシンジくん! 別にそんな意味じゃなくて、ただシンジくんがその、辛そうにしてたからだからええと、あれ、えっと……」

「ちょっと静かにして、マヤさん」

 少年は少し微笑みを浮かべると、隣のマヤを抱き寄せる。

「えっ」

「優しさに甘えます。少しだけこうさせて」

 そのままマヤの肩に、少年は顔を埋める。

「シンジくん……」

 気持ちが昂ぶる。
 彼を助けてあげたいと、心の底から願う。
 気付くと、自然に彼の体を抱きしめていた。

「マヤさん……」

「あ、ごめんなさい。嫌だった?」

「とんでもない。光栄ですよ」

「お世辞でも嬉しいわ。でも、レイちゃんに悪いことしてるかな」

「僕はかまいません」

「でも……」

「綾波のことは好きです。でもそれとは違う意味で、マヤさんは優しいから好きです」

「し、シンジくん……」

「僕もたまには、甘えたくなります。弱い人間だから……」

 少年はしばらくそうして、マヤに甘えていた。








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