使徒の巨大なボーリングマシンが二二ある装甲のほとんどを突き破ろうとしているとき。
ようやく準備は整った。
ポジトロンライフルとSSTO。最強の武器と最強の盾。この二つをもって使徒を制する。
葛城一尉の提唱する『ヤシマ作戦』の開始である。
「翌零時、作戦開始。いいわね」
少年もレイも、頷きもしない。
それが二人の意思表示であった。
日本中のエネルギーを集中し、ポジトロンライフルで超長距離からの一点集中砲火。それしか今回の敵を倒すことはできない。
その意見を少年は拒否しなかった。
だがそれはネルフの指示下に入るという意味ではない。少年は自らの意思でミサトの作戦に協力しているというだけなのだ。
第漆話
深淵の闇に潜む
ポジトロンライフルは一度発射したら二射目までに二十秒の時間がかかる。
一方、これまでの国連軍の攻撃から使徒の加粒子砲はエネルギーチャージに五秒とかからない。
そしてSSTOの耐久時間は試算で一七秒。
攻撃担当の少年が一射目を外してしまえば、レイが防御担当となる。その際、レイの生死の保証はない。
「死ぬって、どういうことか分かるかい、綾波」
月夜の下で、少年は隣に座るレイに語りかけた。
「……?」
当然、そんなことを考えたこともないレイはただ無表情で少年を見返すだけだ。
「僕はときどき怖くなる。もしも自分が死んでしまったら、ってね」
「あなたは死なないわ。私が守るもの」
「そうありたいね。でも、綾波も死なないでほしい。絆がなくなってしまうのは、僕は生きていないのも同じだ」
「碇君」
「死ぬっていうのは、何もなくなることなんだ」
少年は、暗闇の中にうっすらと見えるエヴァの輪郭を見つめながら言う。
「魂なんてものは存在しない。猫や犬を見れば分かるだろう、あれには本能しかない。魂があるなんて考えているのは人間だけ。思考能力を持った人間だけなんだ」
「たましい……」
「思考というのはつまり物質的なものの考えのことだ。思考や感情もまた物質なんだ。死ねば何も残らない。何も残らないんだ。自分は何も残っていないのに、世界はおかしなくらい自分とは勝手に続いていく。そう、古来から哲学者たちはずっと考えつづけてきた。人はどこからきて、どこへいくのか。けど、そんなもの、答がありはしない。人はどこからきたわけでもない。自然の営みの中で、勝手に発生して、勝手に死んでいく。自分から見れば世界は自分を中心に回っているのかもしれないけど、世界は自分のことなんかかまわずに勝手に流れていく。僕たち人間に存在意義なんかない」
「碇君」
「そして僕が死んでも世界は続く。死んだ後の世界は僕には分からない。既に僕という存在はどこにもなくなってしまっている。僕のいない世界が無限に続く。じゃあ、今の僕の意識はなんだ? 何故僕はここにいる? もし僕が生まれていなければ、僕の意識はどこにあったんだ? 僕という意識はどうして作られた? 僕は何者だ? そうして、結局問題は振り出しに戻る。そう、僕は偶然から生まれた一つの意識体にすぎない。この世界にあるあらゆる人間はそうなんだ。全ての意識体は自分を中心に回っているようで、客観的にみれば決してそんなものじゃない。単なる一生命の営みにすぎない。偶然発生した僕という意識体は、僕が生きている間はその意識があり、僕が死ねばその意識は消える。僕の考えていることも、僕の感じることも、全てがなくなる。そしてなくなっても時間は流れる。一日、一週間、一月、一年、十年、百年、千年……そう、僕がいなくなったあと、何千年も何万年も、永遠に時は流れる。その永遠の時の流れの中で、僕は今ここにいる。僕の意識がなくなったあとの永遠の時間、僕の意識はどこにもないのに、その永遠の時間は勝手に流れてしまう。その永遠の時間、僕は考えることも感じることもない。ほんのこのわずか数十年という時が流れ終わってしまったら、僕は時間に取り残される。永遠に思考することも感じることもない。永遠に。僕はそれが怖い。死ぬことが怖い」
「……」
「何か、とりとめもないことを話しているね、僕は」
「ううん」
「でも、そうやって死にたくないと足掻いている姿が、多分一番人間らしいんだと思う。だって、思考があるからそうやって足掻くんだ。死にたくないと願うんだ。その足掻く姿を、奪い去ってはいけないと思う」
「そうね」
「人の死が痛ましいのは、多分僕らはそういうことを本能で悟っているからなんだ。何万年も隣人をなくしつづけて、僕らの血の中にそうした哀しみが宿っているんだ。だからこそ、誰もが人間はどこからきたのか、何者なのか、どこへいくのか、それを知りたがる」
「人は死んだら、何も残らないの?」
「残らないよ。魂は物質なんだ。物質を保存しておくことができれば、たとえ肉体は死んでも魂だけは生かしつづけることはできる。でもそれは自然な姿じゃないんだ。人は、死ななければいけないんだ。そういう生物なんだ」
「誰も死にたくないと思っているのに?」
「そうだよ。だから僕たちは必死に生きるんだ」
「でも、死は一秒ごとに近づいてくるわ」
「その不安を人間は常に抱えて生きているんだ」
「……私は今まで、死ぬことを怖いと思ったことはないわ」
「それは綾波が、今まで死ぬということを考えたことがないからだよ」
「……」
「自分が死んでもいいと思っている人は、思考していない人だ。思考し、感情を持てば、そこに個が生まれる。赤子は本能で生きようと思っているけど、自分が死んでもそれが悲しいことだとは思わない。それは知識と意識がないからだ」
「……」
「そういう意味では、綾波はまだまだ子供だね。赤ん坊だ」
「何を言うのよ」
「綾波はまだ自分のことを全然考えていない。もっともっと考えなければだめだ。これからの自分を、そしてこれまでの自分を。そして……綾波、お願いだ。絶対に死なないで。君の意識体は、君だけのものだ。他のだれも代わりにはならない。綾波は死んでも代わりはいないんだ。代わりがいるなんて絶対に考えないで。必ず生きて戻ってくると約束して」
「約束するわ」
「ありがとう」
少年は微笑んだ。そして、ころり、とレイの膝に頭を乗せる。
「……?」
「寂しいときは、人の肌の温もりがほしくなるんだよ」
「そう……分からない」
「すぐに分かるようになるよ。すぐに」
少年は片手をあげてレイの髪を弄ぶ。
「私は……」
触られるままに、レイは答えた。
「碇君の傍にずっといたい」
「うん」
「いつも、いつでも」
「うん」
「だから、私が守る」
「うん」
二人はしばしの間、月光欲をその体勢で行っていた。
特別何かを言うわけでもない。そうしてお互いのぬくもりを感じていられることが最大の幸せだった。
「そろそろ時間ね」
「ああ。綾波、約束してほしい」
「何?」
「必ずまた会うって。死なないって。単なる気休めにしかならないかもしれない。でも、その意識があるのとないのとでは、最後の力が違う」
「そう」
「だから、また、必ず会おう綾波」
エヴァが所定位置につき、作戦が実行される。
ポジトロンライフルの第一射目が放たれ、使徒の加粒子砲と干渉しあって狙撃が外れる。
すぐさま、使徒の第二射目が放たれ、零号機とSSTOが防御に回る。
ポジトロンライフルのエネルギーチャージが進む中、SSTOが破壊され、やがて零号機が加粒子砲の直撃を直接浴びる。
零号機が溶けていく。
「今、守るよ」
エネルギーチャージが終わる。
「オ・ルヴォワール」
ポジトロンライフルの第二射が、使徒を貫く。
それで、ヤシマ作戦は完遂した。
「綾波」
エントリープラグに入ってきた少年の顔には、表情がなかった。
「碇君」
「大丈夫みたいだね、よかった」
「……もう一度、会いたいと思ったから」
初号機の盾になった瞬間、少年の顔が浮かんだ。
絶対に死にたくないと思った。
はじめてのことだった。
「碇君……」
手を差し伸べる。そして少年はその手を取った。
「嬉しいかい、綾波」
「嬉しい……ええ、多分」
「そう。じゃあ、そういうときは笑うんだよ、綾波」
「笑う……」
「笑って、綾波。綾波の笑う顔は、とても綺麗だから」
「……」
レイの顔が赤らむ。そして、照れたように笑った。
「綾波。僕を信じて」
「信じる……?」
「そう。どんなことがあっても、僕が綾波を守る。ずっと傍にいるよ」
少年は両手でレイの頬に触れる。
「それが僕の本当の気持ちだから」
ゆっくりと、二人の顔が近づき、唇が重なった。
戦いは終わった。引き上げも完了し、事後処理が始まる。
使徒戦のあとは徹夜になる。それはもういつものことだった。
「赤木博士」
その最も忙しいときに、リツコのもとを尋ねてきたのは当のパイロットだった。
「シンジくん、どうしたの。レイと一緒に帰ったのではなくて?」
「綾波には、少し待っていてもらっています。いくつか教えてもらいたいことと、お願いがありましたので」
「お願い? シンジくんらしくないわね。いいわ、おかけなさい」
「いえ、お忙しいでしょうし、あまりお手間は取らせません」
レイを待たせているからだろうか、少年は本当にあまり時間をかけようとは思っていないようだ。
「それで、聞きたいことってなに?」
「いくつかありますが……まず、あの穴をどうするのかということです」
「穴?」
「使徒のボーリングマシン。あの穴を塞ぐ申請をされるんでしょう?」
「ええ、一段落したら……明日にでも申請は出すつもりだったけど」
「どうせ通らないでしょうけどね。お願いなんですけど、しばらくあの穴はそのままにしておいてもらえますか」
「そのままに? 何故?」
「できれば、ですけど。どうせ通らないでしょうからお願いするまでもないでしょうけど」
この少年は、いったい何をしたいというのだろう。
少年がこのように言う理由をリツコははかりかねた。少年の言うとおり、もし予算が下りないというのなら、それこそ言う必要はどこにもない。
「……まあいいわ。それで、次は?」
とりあえず疑問は置いておくことにした。今は少年の考えを聞くことが先だ。
「弐号機とパイロット、惣流アスカ・ラングレーの来日時期が知りたいのですが」
「アスカの? そうね、あと二週間といったところかしら」
「空母、オーバー・ザ・レインボウ。こちらのお願いは、かなり重要なものなんですけど」
「なにかしら」
「ぜひ、会いに行きたいんです」
「会う? アスカに?」
「ええ、同じパイロットですからね。早く会いたいんですよ」
「レイのときみたいに、またキスでもするつもり?」
「アスカがそう望むのなら。でも、聞いた話ではそうならないと思います」
「そうね。勝気な子だから」
「それだけではないでしょう。アスカの経歴、調べさせてもらいました。大学も卒業するほどの秀才ぶりに、訓練では常にナンバーワンのスーパーエリート。もちろん僕としても負けるつもりはありませんけどね」
「エリート勝負なら負けないということ?」
「いいえ。アスカに負けるわけにはいかない、という意味です」
「その理由はいったい何?」
「常に一番を走っている人は、倒れたときに立ち上がれなくなります。そうなる前に、彼女には挫折してもらわなければならない。被害が大きくならないうちに」
「随分、アスカのことを詳しく知っているみたいね」
「弐号機のことはかなり調べさせてもらいましたから。それで、許可は下りるんですか?」
「そうね、ミサトに相談してみるわ。私の一存では決められないからね」
「そうなんですか? 赤木博士に相談すれば、全てが解決するように思えたんですけど」
「どうしてそう思うの?」
「このネルフを牛耳っているのは、父さんと副司令、それに赤木博士、あなたです。それが理由ですが」
「……そう」
この少年は。
リツコは多大な恐怖を覚えていた。
いったいこの少年は、どこまで知っているというのだろう?
この少年なら、どんなことを知っていても不思議はないような気がしてくる。だいたい、アスカの件にしても本人を知っているかのような言い方だ。
それに、彼はアスカだけはファーストネームで呼んでいる。まだ会ったこともない相手をだ。
「……とにかく、その件は承ったわ」
「じゃあ、いいんですね」
「まあ申請が却下されることはないと思うわ。ミサトとしてもね」
「ありがとうございます」
「そのかわり、一つ教えてほしいことがあるのだけれど」
「なんでしょう」
少年の顔色は全く変わらない。
何を聞かれても大丈夫と思っているのか。
何も知らないのか。
「アスカのことが好きなの?」
「は?」
「聞こえなかったかしら。アスカのことが好きなの、と聞いているの」
呆然としてしまっている少年。自分としても、何故こんなことを聞いたのか分からない。
だが、そう質問することが自然なことのように思えたのだ。
「さあ、それは会ってみないことには」
「会ったことがないというわりには、アスカのこと随分詳しく知っているみたいだけれど。いったいどうやって調べたの?」
「葛城さんや他の人たちに聞きました」
「人づてでそこまで? それで本人をまるで見たことがあるかのように話せるというの」
「分かりやすい性格をしているみたいですね」
「……じゃあ聞き返すわ。レイのことは好き?」
「どうしてそういう話になるんですか」
「興味があるのよ。いったいあなたの目的が何なのか、ということをね」
そう。この少年には明らかに目的がある。
それをあからさまに隠している。
「あなたがレイにどうしてそこまでこだわるのかが知りたいのよ」
「綾波のことは好きですよ。あれは僕のものですから。僕は自分の所有物は大切にするんです」
「そんな形通りのことを聞いているんじゃないのよ。異性として愛しているのかということ」
「プライベートなことですからあまり答えたくありませんが、そうですね、一目ぼれで今では真剣に愛していますよ。それでご満足ですか」
「そう」
それが本当かどうかは分からない。
この少年は自分の言葉を軽くする。真剣に言っているのかどうかが判断がつかない。真実と嘘を見分けることが難しい。
「ごめんなさい、変な質問をしてしまって」
「かまいませんよ。傍目にも僕が異質だっていうことは分かっているつもりですから。昔からそうでしたから、今さら不快に思ったりはしませんよ。それじゃあ、僕はこれで」
そして少年は部屋を出て行った。
しばらくしてから、リツコは息を吐き出す。
(何を知っているというの、碇シンジくん)
彼が何か隠し事をしているのは間違いない。
だがそれが何かが見えてこない。
エヴァや使徒、セカンドインパクトなどよりもはるかに大きく、興味深い謎。
(とにかく、彼のことを知っている人から直接話を聞かないと駄目ね)
気持ちが昂ぶっている自分を抑えるために、彼女は煙草を口に運んだ。
三日ぶりに学校へ来た少年に話し掛けるクラスメートは誰もいなかった。
少年は自分から話そうとすることはない。誰かが話し掛けても、相手を邪魔に思っているということが言葉と態度でどうしても分かってしまうのだ。そんな相手に話し掛けられるほど度胸のある者はいなかった。
そして、少年はほとんどの時間を図書館で学問にあてるか、レイの傍にいた。
だから少年と話す機会からして、多くはなかったということも言える。
「碇くん」
そんな少年に話し掛ける勇気のある者は、やはりクラスの委員長であった。
「こんにちは、洞木さん」
図書館の奥で少年は分厚い洋書を開いていた。
「今日は何の勉強をしているの?」
「これは世界史。十字軍の頃のヨーロッパ史をまとめた本があったから」
「授業までさぼって?」
少し咎めるような口調であった。それは当然といえば当然だろう。だが少年は苦笑して答えた。
「ああ、ごめんごめん。熱中しててすっかり忘れてた。今何時間目?」
「もうお昼よ。綾波さんが碇くんのことを探していたわ」
「ふうん」
「いいの?」
「何が?」
「綾波さんのところに行かなくて」
少年は微笑む。そして、本を閉じた。
「そうだね。行かないといけないね。あれは僕のものだから」
「……碇くんのもの?」
「うん。契約をしたんだ。この前も言ったよね、彼女の心も体も僕のものなんだって」
かあっ、と委員長の顔が真っ赤に染まる。
「ふ、不潔よっ!」
「洞木さん、ここは図書館」
「そんなに落ち着いた声で言わないで。綾波さんをどうするつもりなの?」
「洞木さんには関係ないことだよ。それに、綾波はそれで納得もしてるし満足もしてるんだ。僕らの問題は僕らで解決するよ」
「碇くん」
と、そこへ現れた赤い瞳の少女。
「やあ、綾波」
「あ、綾波さん……」
レイはヒカリには目もくれずに少年のそばまで近づいて、その袖をそっとつかんだ。
「ごめんね、一人にしてしまって」
「ううん」
「それじゃあ、お弁当にしようか。今日は外で食べる?」
「……そうね。天気がいいから」
「よし、決まり」
少年は棚に本を戻すと最後に委員長を見た。
「まあ、僕らはこれでうまくいっているわけだから、あまり気にしないで。洞木さんに迷惑かけるようなことはしないから」
そして二人は図書館を出ていった。
ヒカリは脱力して、本棚に背を預けた。
彼のそうした行動自体が迷惑とはいわなくともそれに近いものだと、彼は気付かないだろう。
彼女の性格的に、あのような態度をしている少年を放ったらかしにしておくことはできないのだ。
「もう、見ていられないんだから」
彼女は苛々していた。
レイのことにしても、相変わらず誰とも仲良くしない態度を取ることも。
だが、それは彼の言うようにおせっかいをやいているだけなのだろうか。
彼のことを思ってしていることなのに。
『もう少し洞木さんは覚悟を持った方がいいよ』
彼が初めてここに来たときの台詞を思い出す。
「覚悟か……」
自分がどうすればいいのか、どうするべきなのか。
真剣にヒカリは考え始めていた。
放課後。
少年は屋上にいた。呼び出された、と言ってもいい。
呼び出したのは二人の少年だった。
鈴原トウジと相田ケンスケ。
「で、何か用?」
少年の冷たい声が響く。
トウジはしばし迷っていたようだったが、ケンスケに促されて頭を下げた。
「転校生。こないだはワシが間違っとった。この通りや!」
しばしの沈黙。
やがて、ふう、とため息をついて転校生は答えた。
「それで?」
顔を上げたトウジはぽかんとした表情になる。
「悪いけど、余計なことで僕の貴重な時間を費やさないでくれないかな。用がそれだけならもう帰るよ」
「ちょ……ちょっと待たんかい!」
さすがにトウジも怒りをみなぎらせて呼び止める。
「だから、何」
「こういうときは、何か言うんがスジっちゅうもんやないか!」
「何か?……ああ、なるほどね。確かに大切なことを忘れていたよ」
ほっとするような表情を浮かべたトウジだったが、すぐにその表情がひきしまる。
当の転校生が、逆に怒りをみなぎらせていたからだ。
「お前らがいなければ、僕は余計な苦労がかからずにすんだんだ」
転校生はゆっくりと一歩ずつ近づいてくる。
そのあまりの迫力に、トウジは一歩引いた。
「てめえらみてえな雑魚が戦場に出てくんじゃねえ!」
一気に最後の五歩ほどの距離を縮め、トウジの顔面に拳が繰り出される。
「ひ、ひぃっ!」
が、その拳が彼の目前で止まった。
へなへなとその場に崩れ落ちたトウジを冷たい目で少年は見下ろす。
「二度と僕に関わらないでくれ。僕にも、エヴァにもだ。今度エヴァに関わろうとしたらお前だけじゃない、お前の妹も家族も、全部僕がこの手でぶちのめす。覚えておくんだな」
「な、な……」
「それじゃ」
今度こそ、少年はその場を立ち去る。
それを引き止める言葉を二人は持ちえなかなった。
屋上から降りてきた少年を待っていたのは、紅い瞳の少女だった。
「おつかれさま」
彼女の口から自然とそんな言葉が漏れる。
「別に何も疲れてないよ」
「そう」
だが、彼女にしてみると腑に落ちない。
面倒なことなら呼び出しなど無視すればよかったのだ。今まで彼がどれだけネルフからの呼び出しを無視しつづけてきたことか。両手で数え切れないほどだ。
「……いいの?」
「あの二人のことかい? ま、ああ言っておかないと後々面倒だからね」
「あとあと?」
「また戦場に出て来るかもしれないだろう。自分が傷つくのは二度と御免だよ。それにね」
それに? とレイは視線で尋ねた。
「僕は、子供は嫌いなんだ」
レイの表情に疑問符が浮かんだが、少年は何も言わなかった。
そしてレイもまた、何も尋ねなかった。
「弐号機パイロットがもうすぐ来るね」
「そうね」
「早く会いたいな」
「そう」
その後、二人の会話はネルフに着くまでかわされることはなかった。
捌
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