アスカもまた第壱中学に転校してきた。
 その転校初日。

(ふん……碇シンジか。ま、このアタシと張り合うにはまだまだかもしれないけど、少しは刺激がありそうな奴じゃない)

 卓越した思考能力、アスカを前にして特別扱いしない態度。
 それはどことなく、加持を彷彿とさせる。
 彼女自身が彼に興味を覚えているといって間違いないだろう。

(さてと)

 午前の授業が終わって、早速その少年の方を見る。すると、

(あれ、どこ行ったんだろ)

 少年はその席にいなかった。
 きょろきょろと教室を見回す。
 いた。

「綾波、今日はどこで食べようか」

「……どこでもいいわ」

「やっぱり人の少ないところの方が落ち着くね。中庭にでも行こうか」

「そうね」

 当の少年は、別の女の子と仲良く話しているではないか。

(なななななな)

 あのオーバー・ザ・レインボウで。
 あの少年は。

「なにやってんのよこのバカシンジッ!」

 アスカのペンケースが少年の後頭部を直撃した。












第玖話



想いは揺らいで












 教室は騒然となった。
 あの惣流・アスカ・ラングレーが、絶世の美少女が。

(おい、今の見たか)

(見た。時速一五〇キロは出てた)

(アスカさん、碇くんになんてこと……)

(碇くん、大丈夫かしら)

(けっ、碇め、いい気味だ)

 クラスメートたちには色々と思うことがあるようだったが、当事者たちは周りの考えなど関係なかった。

「……何をするんだよ、アスカ」

 むっつりと、少年は頭を押さえながら振り返る。

「あんたが! その女を! 口説いてるからでしょうが!」

「口説く? 僕が? 綾波を?」

 少年はレイを見つめる。本人はどうやら何を言われているのかは理解していないようだ。

「少なくとも綾波を口説いてるつもりはなかったけど……ああ、アスカも一緒にご飯を食べたかったのかい?」

「どうしてそうなるのよ!」

「それじゃあ、僕に声をかけてもらいたかったのかい? アスカ、今日の君は素敵だ、ぜひ僕と一緒にご飯を食べてくれないか、って」

「殺ス!」

 明確に殺気がともなった声に、少年も身構える。

「でも駄目だよアスカ。僕は綾波とご飯を食べるって約束しているから」

「勝手に話を進めるんじゃないわよ!」

「やれやれ、アスカも素直じゃないね。はっきりと『あのとき私のことを好きだって言ったのは嘘だったの?』って言ってみたらどう? その方が絶対可愛いと思うよ」

 アスカの右手がうなる。
 少年はそれを回避し、間合いを取る。
 アスカの逆鱗は当然おさまるはずもない。そのまま少年に飛びかかろうとする。
 が、それは二人の間に立った水色の髪の少女によって阻まれた。

「どきなさいよ、ファースト」

「どうして碇くんを苛めるの」

「どこをどう見たらそんな台詞が言えるのよ」

「……先に攻撃したのはあなた」

「それはシンジが……」

「そうだよね。僕が綾波に話し掛けたからアスカは嫉妬してペンケースを投げたんだよね」

「今すぐその口を塞いでやるわ、バカシンジ」

 だが、それはレイによって防がれた。彼女は振り返ると、厳しい目で少年を睨む。

「碇くん」

「なんだい、綾波」

「弐号機パイロットのことを好きだと言ったのは本当なの」

「本当だよ。僕は綾波のことも、アスカのことも好きだからね」

「……私とのことは遊びだったの?」

 教室中が喧騒に包まれる。もちろん、全員が転んだ音だ。当のアスカすら顔を引きつらせていた。

「違うよ。だって、綾波は僕の大切な所有物だもの」

「私は、碇くんの何? 単なるモノでしかないの?」

「綾波は僕の隣にいて、僕と同じ思いを抱いてくれる人だよ。でもアスカは違う。アスカは僕が守らなければならない人だよ」

「……理解できないわ」

「だと思うよ。でも綾波、僕を信じて。僕との絆を信じて。僕にとって絆がほしいのは綾波だけだ。アスカに対する『好き』っていうのは、綾波に対するものとは全く別のものだ。彼女を壊したくない。彼女は表面は強がっていても、実は弱い女の子だから、僕が守ってあげたいんだ」

「……分からないわ」

 レイはそう言うと、教室を出ていった。ふう、と少年は息を吐く。

「あやな……」

「待ちなさい、このバカシンジ!」

 アスカは追いかけようとした少年の襟を掴んで引き戻した。

「ごほっ! な、何するんだよアスカ」

「誰が、弱い女の子ですって……?」

 怒っている。
 これはかなり、怒っている。

「自覚がないの、アスカ」

「まだ言うかこの口はーっ!」

 アスカの鉄拳が少年の顎を捕らえる、はずだった。
 それをスウェーバックで回避した少年は、アスカと距離をとった。

「ごめんアスカ。君のことも心配だけど、僕は綾波も心配なんだ。今は彼女を追わせてもらうよ」

 そう言って少年は教室を出ていった。

「な、なんなのよいったい……」

 アスカはやりきれない想いを抱いた。

『はっきりと『あのとき私のことを好きだって言ったのは嘘だったの?』って言ってみたらどう?』

 そうだ。
 確かに自分はあのときの言葉を鵜呑みにして、少年との掛け合いを楽しみにして。
 この学校に転入してきたのだ。
 それを。

(……私のことを必要だって言ったのは、嘘なの?)

 突然、不安が押し上げてくる。
 彼は行ってしまった。
 自分を置いて。

「あの、アスカ、さん?」

 その静寂の教室で声を出したのは、学級委員長の洞木ヒカリだった。

「……え?」

「あの、いいかしら、アスカさん」

 ヒカリの声には、緊張と不安がみなぎっていた。






「待ってよ、綾波!」

 学校を出て、すたすたと歩いていってしまうレイの手を少年は掴む。

「離して」

「待つんだ、綾波。これ以上僕を怒らせないで」

 レイは強引に正面を向かされ、少年の腕に抱きとめられる。
 いつもなら心地よい温もりなのに、何故か今は気持ち悪かった。
 この腕の中にいたくない。
 離れようと、彼女はもがいた。

「綾波は可愛いね。でも、聞き分けのなさすぎる綾波は可愛くないよ」

「離して」

「離さないよ。僕にとって綾波は大切な人だから。僕から逃げようとするなら、捕まえて逃がさない。絶対に僕の傍にいてもらう」

「離して」

「僕のことが嫌いになった?」

 レイの抵抗が静まる。
 嫌いか、といわれるとそうじゃない。好きだ。碇シンジが好きだ。
 だが、今は顔を合わせたくない。

『あのとき私のことを好きだって言ったのは嘘だったの?』

 その言葉を聞いた瞬間、心の中にどす黒い感情が生まれた。
 少年と弐号機パイロットを、絞め殺したくなった。

「……弐号機パイロットを、どう思っているの」

「さっきも言った通りだよ。彼女は僕が守るべき人」

「私はもう、用済み?」

「どうしてそういう思考になるのかな。僕にとって綾波は大切な絆の持ち主だよ」

「どうして私にかまうの」

「綾波のことが好きだからだよ」

「この前までは信じていられた。でも今は信じられないわ」

「アスカがいるからかい? 僕が綾波を捨ててアスカのもとにいくとでも? ありえないよ。僕は綾波もアスカも、どちらも手放すつもりはないんだ。僕ははじめから、第三新東京に来たあの日から、綾波とアスカの二人を助けることを心に誓っていたんだ」

「……それはおかしいわ。だって、碇くんは私とも弐号機パイロットとも会っていなかったわ」

「会うことが好きになることの条件かい? それに、僕ははじめから自分がサードチルドレンだと知っていた。僕が助けようと思ったのは、ファーストチルドレンとセカンドチルドレン、その二人だよ。その二人をエヴァという鎖から解き放つためにここに来たんだ」

「鎖……?」

「そうだよ。綾波はエヴァを通じてしか絆を感じられなかった。エヴァなくしてはこの世界で生きていくことができなかった。そんな綾波に、エヴァ以外の絆を教えてあげたかった。アスカも同じさ。彼女はエヴァに乗ることが自分の存在証明だと考えている。でもそうじゃない、エヴァに乗ることだけが彼女の価値だなんて考えてほしくない。彼女は弱く、もろく、はかない、一人の女の子なんだ。綾波と同じでね。僕はそうした、エヴァに捕らわれて普通の幸せをもっていない女の子を助けてあげたいんだ」

「……弐号機パイロットは、私と同じ……」

「そうだよ。だから綾波とアスカは反発しあう。自分の嫌なところが鏡に映るみたいで気に入らないんだよ。アスカは自分の弱さを仮面で隠している。綾波は自分の弱さをそのまま受け入れている。弱いという共通点がありながら、その対処方法がまるで違うんだ。だから相手に対して、どうして自分のようにできないのか、と反発してしまう」

「……」

「だから僕は、二人の支えになりたいんだ。同じパイロットにしか分からないことがどうしてもあるからね。僕は綾波に絆をあげるし、綾波から絆をもらう。僕はアスカを守るし、アスカに守られる。僕はそれだけを考えて、この第三新東京に来たんだ」

「最初から、私のことも弐号機パイロットのことも知っていたの?」

「そうだね。知っていた、と言うべきだろうね。僕はここに来る前にいろいろなことを知ってしまったから……だから、このまま綾波がいなくなるのは嫌なんだ」

「碇くんは、私のことを知っているのね」

「なんのことだい?」

「私が、二人目だということを……人ではないということを」

 ふう、と少年は息を吐いた。

「案外、バレるのが早かったね」

「知っていたのね」

「知っていた。知っていて綾波に近づいた。そして思ったよ」

「……何を?」

 レイの顔にはうっすらと緊張が浮かんでいた。

「……こんなに可愛い子が苦しむなんて、僕には耐えられないってね」

「な、なにを言うのよ……」

 そして一気に顔が赤らむ。

「僕は最初、綾波に興味があるだけだった。助けたいとは思ったけど、決して感情移入をするつもりはなかったんだ。だから、僕の所有物にしようと考えた」

「……」

「でも、駄目だね。綾波は可愛すぎたよ。こんなに好きになったのは初めてかもしれないな……守りたい、もっと君と一緒にいたい、って思うようになったのは、そんなに時間はかからなかった」

「碇くん」

「僕はね、綾波。人じゃないんだ」

 彼女の目が不思議そうに歪む。

「……どういうこと」

「言葉どおりだよ。絆を持たないって綾波は言っていたよね。それは人間ではないからだということだよね。だから自分を守ってくれた父さんとの絆をエヴァに求めた。でもそれは僕も同じなんだ。綾波の同類がこの世界にいないように、僕の同類もこの世界にはいない。だから、僕も絆がほしかったんだよ。たとえ世界に僕が孤独な存在だったとしても、同じように孤独を抱えている綾波とだったら一緒に生きていけると思ったんだ」

 少年の言う『人間ではない』というのが何らかの比喩であろうというのは少女にも分かった。
 だが、いったい何をもって少年が他人と違うのか。
 少女からしてみれば、少年はあくまでも碇ゲンドウの息子で、自分のようにクローンで作られた擬似生命とは違う。
 では、いったい?

「……」

「綾波。信じてほしい。僕は……たしかにアスカのことも好きだし、守りたいと思うけど……僕にとって綾波は本当に心から大切で、ずっと、一生、傍にいたいと思える人なんだ」

 レイは黙って少年を見つめた。

「本気なのね」

「本気じゃなきゃ言えないよ。綾波。僕の可愛い綾波……」

 少年は両手で彼女の耳元の髪をかきあげる。
 それだけで、少女の顔が真っ赤に染まった。

「好きだよ、綾波。だから、ずっと僕の傍にいて。代わりなんかいらない。今の綾波にずっといてほしいんだ、綾波……」

「私も……ずっと碇くんと一緒にいたい」

 二人の目が閉じられる。
 そして、ゆっくりと口づけをかわした。

 愛しい、誰よりも愛しい人とのキス。

 今までにないほど、彼女の心は充たされていた。

(これが……絆、なの?)

 唇から伝わる温かさに、思わず涙が零れる。

(そう……嬉しいのね、私)






 意外なほどあっさりと総司令からの加持への追及は終わった。それすらも何かのたくらみではないのかと思わせるほどだった。だがゲンドウが早速沈没した国連艦隊の引き上げに取りかかったのはすぐに分かった。
 それだけあの『アダム』が大事なものであり、ゲンドウにとって不可欠な部品であるということだ。

(やれやれ。シンジくんに肩入れしたばっかりに閑職に回されてしまったな)

 特殊監査部とはいえ、別命あるまで待機ということは、もしかすると少年との関係に薄々気付いているのかもしれない。
 もっとも、シンジがアダムのことを知っているなど、ゲンドウに分かろうはずもないのだが。

「こんにちは、加持さん」

 その少年が目の前に現れたのは午後四時を回って少しした頃だった。

「おや、シンジくんじゃないか。どうした、こんなところへ」

 まずいな、と加持は顔をしかめる。
 ここは盗聴されている。危ない話はしたくない。
 と思っていると、少年は口だけを動かしていた。

『読唇術はできるんですか?』

 さすがにこれには、加持も苦笑せざるをえなかった。

『できるよ。シンジくんもできるとはね』

『僕のはカタコトですから。口はゆっくりと動かしてくださいね』

 少年は机の上を見てから言った。

「実は、加持さんにはいろいろとオーバー・ザ・レインボウでお世話になったので、お土産を持ってきたんです」

 少年が取り出したのは、第三新東京市銘菓『ひよこ』まんじゅうだった。
 沈んでしまった第一東京が首都だった頃から作られている伝統のお菓子だ。

「いや、こいつはすまないな。早速もらってもいいのかい?」

「ええ、もちろんです」

『今日はお願いがあってきました。盗聴を切ることはできませんか?』

 加持は包みを開けながら答える。

『今はちょっとマズいな。いっそ場所を変えた方が早い』

『外に?』

『いや、そこまでしなくてもいい場所があるのさ』

「こいつはうまそうだ。そうだシンジくん、葛城のところに持っていって食べないか?」

「葛城さんのところですか? ええかまわないですけど」

「せっかくのお菓子だ。みんなで食べた方がおいしいだろ?」

「そうですね。では場所を変えましょうか」

 飲み込みの早い少年に加持は頷いた。






「なるほど。葛城さんの行動なんて筒抜けだっていうことですね」

 勤務時間にミサトが自分の部屋にいることは稀だ。もともと整理が苦手な彼女はほとんどの雑用は部下の日向に任せており、彼女の判断が必要なもののみ日向から直接口頭で確認を取っている。
 作戦部長でありながら、彼女はあくまで『現場責任者』の立場であり、デスクワークはあくまで必要最小限にしている。
 つまるところ、彼女は今ここにはいない、ということだ。

「まあな。ここは盗聴システムを取られてはいない。葛城の部屋が一番話をするには最適なのさ」

 ポットで湯をわかしてお茶を二つ入れ、片方を少年に渡す。

「ありがとうございます」

「いやなに。これも情報提供をしてもらっている御礼さ。それで、今日のお願いとやらはいったいなんなんだい?」

「実は家を買おうと思いまして。保証人のあてを探しているんです」

「家?」

「ええ。僕と綾波の新居です。できればアスカも連れてきたいんですけど、それはまだ早いですから機会を見て。とにかく今はあのさびれた綾波のマンションから出て、ネルフの監視が及ばないところに家かマンションか、とにかく住めるところにいきたいんです」

「いずれにしてもネルフの監視が及ばないというのは無理だろうな。君たちの行動は随時マークされている」

「でしょうね」

「つまりシンジくんは、そこまでの面倒を俺に見てほしいと言っているわけだな?」

「できますか?」

「できる、とは言い難いな、正直。なにしろこの間の件で今は仕事を取り上げられているからな」

「すみません」

「それはまあともかくとして、できないことはないさ。保証人の一人や二人はアテがある。問題は監視の方だな」

「ええ」

「諜報部に口を挟むのは不可能に近いな。あれは副司令の管轄だ。だが取り込んでこちら側につけてしまえばなんとでもなる」

「そんなことができるんですか」

「きわめて難しいだろうけどね。どのみち家を買うことをネルフにばれないようにするっていうのは無理があるな。第三の全ての土地はMAGIが押さえている。たとえ名義をシンジくんにしていなかったとしても、ばれるのは時間の問題だ」

「問題は盗聴や監視がつかなければいいんです。それができるかどうかなんですが」

「ああ。だから取り込んでしまえばその点はどうにかなる、ということさ。諜報部には俺の知り合いもいれば、元部下だっているからな。ネルフも組織としてはまだまだ二流さ。いくらでもつけこむ余地はある」

 ふう、と少年は一息ついた。

「やっぱり加持さんを待って正解だったみたいですね。あの監視と盗聴のまんなかで暮らすのもいい加減うんざりしてたんですけど」

「家の方はすぐにでもなんとかなるけどな。よければこちらで手配するが」

「自分で見て決めたいところではありますけどね。いい物件があったら教えてください」

「広さはどれくらいがいい?」

「そうですね4LDKで、ネルフにも学校にも通いやすいところで、とにかく監視・盗聴がつかなければ言うことはありません」

「OK。それじゃあ探しておくよ。明後日には見つかってるだろう」

「お願いします。何しろこういうことはやったことがないから勝手が分からなくて」

「シンジくんはずっと叔父さんのところにいたんだって?」

「ええ、まあ」

「どんな人なんだい、その叔父さんっていうのは」

「加持さんはもうとっくにそんなことは調べているんでしょう?」

「それはそうだけどな。でも、シンジくんの口から直接聞いて確かめたいこともあるのさ」

「なるほど。じゃあ保留にしておきましょう。心ゆくまで調べてみてください」

 二人ともひよこを三匹たいらげ、ゆっくりとお茶を飲む。
 ミサトがここに来るまでにはもう少し時間があるとのことだった。

「そういえばアスカ、随分と君のことを気にしていたようだったな」

「そうですか。それなら光栄ですけど」

「含みがあるな」

「ええ。ちょっと今日、綾波が拗ねちゃったんで、アスカをほったらかしにしてしまったんです」

「おやおや」

「次の戦いでは零号機もまだ復帰してないでしょうし、僕とアスカで出撃になるでしょうから、早めに話はしておきたいんですけどね」

「次の戦いはいつごろだい?」

「そうですね。僕の見立てだとあと数日というところでしょうか」

「使徒の出現時期がどれくらいなのか、シンジくんは知っているのかい?」

「大雑把ですけどね。多分期末試験の前くらいだと思いますから」

「期末試験が終われば修学旅行に夏休みだな」

「どちらにせよ、多分期待するだけ無駄ですね。修学旅行で沖縄になんか行っている場合じゃないでしょうし、夏休みも訓練訓練で」

「随分と悲観的だな」

「ええ。綾波はともかく、アスカはきっと修学旅行を楽しみにするでしょうから、できれば行かせてあげたいんですけどね」

「けどそこで、シンジくんが残るといえば、レイちゃんも残ると言う。そうなれば自分だけ行くことはできないとアスカが言うのは目に見えているな」

「そうですね。行くなら全員でというのがアスカの希望でしょう」

「だとしたら結局行けないっていうことか。葛城にお願いしてみたらどうだ?」

「いいですよ、別に。あまり行きたいとも思いませんし。それくらいなら綾波と二人で一緒にいる方がましです」

「アスカは?」

「それまでにくどければいいんですけどね。とりあえず訓練前に一度話すことができればいいんですけど」

「アスカなら訓練前は大抵食堂だな。少なくともドイツではそうだった」

「ありがとうございます。それじゃあ」

 少年は立ち上がって部屋を出ていった。

「なるほどな」

 加持は少年が座っていた椅子を見て頷く。
 彼は、タイムテーブルは大雑把だが分かっているといった。おそらくはどのような使徒が現れるのか、どう対処すればいいのか、そのあたりまで分かっているのだろう。そうでなければ『作戦拒否権』など考えつくはずもない。
 自分ならどう倒せばいいのかが分かっているから、作戦を拒否して自分の思うとおりに行動しようとしているのだ。
 ということは、彼は使徒を倒すという意味においては間違いなくそれを実行しようとしている。
 だが、その目的は何だというのか。
 二人のチルドレンを守りたいと少年は言う。だが守ってどうしようというのか。好きになったという言葉には信憑性がない。
 何かを企んでいるのは違いない。
 だが、それが何かが分からない。奥が深く、それをさらけだそうとしない。
 あくまで少年は使徒を倒そうとしているのが分かるのみで、その目的がわからない。
 それに、ゼーレもだ。
 少年にとってはゼーレも殲滅対象だ。だから本部の位置などを尋ねたのだ。
 ゼーレの十二人の幹部たちを抹殺することが可能であれば、確かに補完計画は水泡と帰すだろう。
 だがあの十二人がどこにいるのかなど、誰も知るところではない。おそらくはネルフ総司令碇ゲンドウですら知らないはずだ。

(……それを調べるのが、俺の役目か)

 少年の側についたことで逆に危険度が増したのではないか、と思う加持であった。






「やあ、アスカ」

 少年はピラミッド型をしているネルフ本部の頂上レストランでパフェを食べていたアスカに声をかける。
 美味しそうにそのパフェを食べていたアスカだったが、少年の顔を見て突然顔色が悪くなった。

「近寄るな、この変態!」

 アスカにしてみるとどれだけ毒づいても足りない相手だ。わざわざここにいる全員に聞こえるようにして言ったのだが、少年はそんな言葉には微塵も揺らぎもせずにアスカの前に座る。

「いい度胸してるわね」

 コップの水をかけてやろうか、と思ったがやめた。それはあまりにも自分の印象の方が悪くなる。

「まあ、アスカとつきあうんだったら、それくらいのことは覚悟しておかないと。水をかけられるか、ビンタをもらうか、それくらいは覚悟していたんだけどね」

「言ってくれるじゃない。で、愛しのはに〜はもういいの?」

「綾波のことかい? ああ、大丈夫だよ。僕がアスカに愛の言葉を囁いても我慢してくれるくらいには説得したから」

「ふざけないで」

 アスカの顔は真剣そのものだった。
 少年の意図はわかったつもりだ。こちらを怒らせて、とにかく気をひかせようとしている。それにのせられてはいけない。

「アンタの目的は何?」

 だからきわめて冷静を保って尋ねる。少年は肩を竦めた。

「愛の告白のつもりだけど」

「だから、ふざけるのはやめなさい。アタシにかまう理由はいったい何? アンタには得なんて一つもないはずよ」

「恋愛感情は損得勘定とは違うからね」

「シンジ!」

「分かったよ。じゃあ別の話をしよう、アスカ。使徒のことだ」

 話をはぐらかされたような気もするが、その話も確かに重要だと考え、まずは矛を収めることにした。

「いいわ。何?」

「使徒を倒すにはどうすればいいか、もうアスカは分かっているよね」

「ええ。あのコアを潰せばいいんでしょう」

「そう。じゃあ、もしもそのコアが、二つに分裂するとなったら、どうすればいいと思う?」

「二つに分裂? そんなことがありうるの?」

「もしもだよ。一つの使徒が二つに分離する。そしてコアも二つに別れる。片方のコアを壊したとしても、もう片方の使徒が生き残っているかぎり再生してしまう。そんな敵がもしもいたとしたら」

「そんなの……」

 無理に決まっている、とは言えなかった。何故なら少年は解答を持っている。
 これは自分を試すテストなのだ、と割り切った。
 試されるのは癪だが、少年は自分が頼りになるかどうかを測っているのだ。

「……あるわ」

「そう。どうすればいいの」

「まず確認だけど、二体以上には分離しないのね?」

「うん。三体にはならない」

「それなら、二つのコアを同時に叩けばいいのよ。エヴァ一体じゃ無理ね。二体のエヴァがよほどうまく連携を取らないとできないわ」

「なるほど……同時攻撃か。そんな方法があったんだね」

「アンタは別の意見を持ってるの?」

「ないよ」

「はあ?」

 アスカは拍子抜けする。

「もしそんな敵が攻め込んできたらどうしようかなって考えてたら、僕一人じゃ対処しきれなくて。でもなるほど、今はアスカがいるからね。二人で同時に攻撃すれば倒せるのか」

「変なヤツね。それでこのアスカ様にお知恵を拝借しにきたってわけ」

「そういうこと」

「ふん。答を教えてやったんだから、ありがたく思いなさい」

「ありがとう、アスカ」

 少年はにっこりと笑う。

「……アンタさあ」

 それを見て、アスカはふと思う。
 この少年は、普段何を考えているのだろうか、と。

「なに、アスカ」

「ううん、いい」

 何を聞けばいいのか、アスカは分からなくなる。
 少年に対する疑問は果てしなくある。だがそれをいちいち聞いたところで少年がまともに答えるはずもない。

「そういえば今日はシンクロテストだね。がんばってね、アスカ」

「あんたもでしょうが」

「僕? 僕はテストなんてしないよ。今日は単に綾波が終わるのを待ってるだけ」

「はあ? どうして」

「僕はネルフの一員じゃないから。特別にお願いされない限りはエヴァには乗らないよ」

「シンクロテストをしないの?」

「しないよ」

「なんで?」

「だから……」

「ああもう、アンタの言ってることは一から十まで表面ばっかり! アンタの目的は何! 何が目的でここにいて、使徒と戦って、アタシにちょっかいかけるわけ!」

「……そう」

 少年は立ち上がった。

「ど、どうしたっていうのよ」

「もしそれが知りたいんだったら、今日は僕と綾波の家においでよ。料理をご馳走するよ」

「はあ?」

「そのときにゆっくりと話をしよう。アスカには知ってもらいたいことがたくさんあるんだ」

「……いいわ」

 アスカは決心した。
 この少年と正面から向き合わないかぎり、自分はいつまでもこのモヤモヤとした感情と付き合っていかなければならない。
 それは絶対に避けたかった。

(コイツの化けの皮をはがしてやる)

 そう心に決めた。








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