「へえ〜、アスカがシンちゃんとレイの家にねえ」

 当然のことながら、そのような目立つ二人が食堂で目立つ言動をしていれば、自然と誰の耳にもその話は入ってくる。ネルフの作戦部長のもとまでその話が届くまでに、一時間とかからなかった。
 ちなみに当事者のアスカは現在シンクロテスト中だ。テスト前はそんなこと微塵も言っていなかった。言う必要もないと本人が判断したからだろう。

「いったい何を考えているのかしらね、シンジくんは」

「アスカとレイで二股かけようとか、思ってるんじゃない?」

 ミサトの言葉にネルフの技術部長は大きなため息をついた。冗談なら笑えないし、本気ならなおのこと悪い。

「そう思う理由があなたにはあるというの?」

「あるわよん。リツコだって、オーバー・ザ・レインボウのシンちゃん見てないでしょ?」

「そりゃあ……何かあったというの?」

 にやにやと笑うミサトから艦橋での出来事を聞いたリツコは表情を歪めた。
 つまり、レイの時と一緒だ。相手に対して、抵抗を忘れさせるほど強力な言葉を吐く。そうして自分の虜にしていく。
 レイは単純にひっかかった。いまやレイにとって碇シンジという存在はなくてはならない存在だ。
 では、アスカは?

「弐号機パイロット、シンクロ率七六%。記録更新です」

 マヤの声が発令所に響いた。












第拾話



宵闇の晩餐












 モニタに映るレイとアスカ。レイの方は五十%前後で安定せずに揺れている。最近、ようやくレイも五十%を越えるようになってきた。少年との関係が少女に力を与えているのかもしれない。
 だが、一方のアスカはどうだろう。少年とは口喧嘩ばかりしている。本来なら彼女の心は乱れているはずだ。それが日本に来て初めてのテストで自己記録を軽々と更新してしまった。

(使徒との実戦経験が彼女を成長させたのかしら)

 何らかの要因はあるはずだ。その要因として考えられるのは、少年か使徒か、どちらかしかない。

(環境の変化?)

 ふと考えついたが、それを自ら否定した。幼い頃からめまぐるしく環境が変わりつづけてきたアスカにとって、むしろ環境が変わらないことの方が稀なのだ。常に変わりつづける環境がアスカに与える影響など微々たるものだろう。

(シンジくんに何を言われたのかしら)

 環境で押さえ込まれたとき、耳元でアスカにささやかれた言葉。
 それさえ分かるなら。

(レイのときも……何を言われたのか聞いてなかったわね)

 口が耳に触れるかという距離で少年はレイに囁いていた。だから、彼女に何を言ったのか知る者はいない。

「レイ」

 思い立った瞬間、リツコは行動に移していた。

「はい」

「一つ聞きたいことがあるんだけど、いいかしら」

「はい」

「第三使徒が攻めてきたときのことを覚えている?」

「はい」

 レイの数値には全く変動はない。

「そのとき、シンジくんと初めて会ったわね」

 その質問で、急にシンクロ率がぶれた。

(動揺してるわね)

 碇シンジという名前を出すだけで、少女は揺さぶりをかけられるようになってしまった。
 もはや少年なしでは少女は生きていくことすら難しいだろう。

「初めて会ったとき、シンジくんが何て言ったか、覚えてる?」

「はい」

「教えてくれるかしら」

「私がチルドレンであることを確認しました」

 そういえばあのとき、レイは担架で運ばれてきたのだ。彼女の位置からはリツコもミサトも見えていなかったかもしれない。

「それから?」

「自己紹介をして、名前を聞かれました」

「あなたは何て答えたの?」

「自分の名前を言いました」

「センパイ」

 マヤが小声でリツコに数値を示す。
 シンクロ率、五三%。記録更新だ。

(……シンジくんのことを考えるとシンクロ率が上がるというの?)

 不思議な話だ。
 だが、因果関係が全くないということはありえない。現実の数値として、ここに表われている。

「その後で、シンジくんは何て言ったの?」

 眼帯に隠れていない方の右目が大きく開かれたあのときの言葉。
 いったい、何を言ったというのか。

「……それだけです。気がついたら、唇が触れていました」

 嘘だ。
 リツコは瞬時にその嘘を見抜く。
 だが、あのレイが嘘をつくということがあるだろうか。それほどに碇シンジという少年の影響がレイに及んでいるというのか。
 口を割ることは、きっとできるだろう。
 それよりもむしろ、少年に聞いてみた方が早いかもしれない。

「……そう、分かったわ」

 通信を切る。再び彼女たちはテストに集中し始めた。

「なんか意味のある質問だったわけ?」

 ミサトが尋ねる。

「あなただって分かっているんでしょう。シンジくんがいったい何を言って二人の心を動かしたのか。気にならないというの?」

「そりゃあ気になるけど」

「初対面の人間から何かを言われて影響を受けるなんてこと、そう簡単にあるものではないわ。何かがあるのよ」

「ならいっそ、シンちゃん本人に聞いてみればいいじゃない。案外教えてくれるかもよ?」

 ふむ、とリツコは考える。
 確かにその方法がないわけではない。むしろ効率的だ。
 だがはたして少年は素直に答えるだろうか。
 まあ試してみないことには始まらないが。

「シンジくんはどこにいるの?」

「今? 多分訓練室じゃないかな」

「訓練? でも今日の戦闘訓練はもう終わったんでしょう?」

「いつもの居残り特訓。今日はいつも以上に気合入ってたわよ。やっぱりアスカが来たことが影響を与えているのかしらね」





 訓練を終えた二人が制服を着てミーティングルームに集まる。
 ミサトから簡単に今日の結果を聞いて解散となる。
 アスカはどうやら、ミサトの家に泊まることになったらしい。
 あまり好きな相手ではなかったが、特別問題はない。
 自分の心の中を勝手に荒らされなければ、自分は問題はない。
 心の中を荒らすのは……。

(あいつだ。碇シンジ)

 今日はファーストチルドレンとサードチルドレンが住んでいるマンションへ行くことになっている。
 そこで少年の目的を聞き出す予定だ。
 だが少年は話すだろうか。
 話さない気がする。
 だが、逃がさない。
 自分をそこまで虚仮にするのであれば、こちらは全力で対抗するのみ。

「ところでファースト、シンジはどこにいるの?」

 レイは何故か恨めしそうな顔でアスカを見た。

「多分、訓練室」

「訓練室? だって戦闘訓練はさっき終わったばかりじゃない」

「私がシンクロテストをやっている間、碇くんはいつも戦闘訓練を継続している」

 不思議な話だ。戦闘訓練、要するにトレーニングと格闘訓練のことだが、体を痛めつけるだけであまり面白いものとは思えない。具体的な数値で判断されないのだから、たとえ自分がもっとも優れていたとしても一番になった実感すら起こらない。

「ねえファースト。どうしてシンジはシンクロテストをやらないの?」

「碇くんはネルフの一員じゃないから」

「だからって、シンクロテストしなかったら自分がどれだけエヴァを動かせるか分からないじゃない」

「碇くんは私やあなたよりもエヴァを動かすことができるわ」

「そんなの、やってみなきゃ分からないじゃない」

 レイは答えなかった。わざわざ反論するまでのことでもないと判断したのだ。だがそれをアスカは無視されたのだととらえた。

「ファースト!」

「……なに」

 レイの機嫌が悪かったということに、アスカ以外の人間なら気がついただろう。少しでもレイと接したことがある人間なら気がつくはずだ。
 レイの普段の態度は『素気ない』ものだ。それは相手に対する感情を全くといっていいほど抱いていないからだ。
 だがこのときのレイには明らかに『敵意』が混じっていた。
 碇シンジという少年が興味を示す相手。セカンドチルドレン。
 たとえ自分のことを大切に思ってくれていると理解していても、それはレイにとって腹立たしいことに違いはないのだ。

「アンタ、いったいシンジの何なわけ?」

「私は碇くんの所有物」

 素気ない答だが、とんでもない爆発力を秘めた言葉に、アスカが口を開ける。

「何よそれ」

「碇くんがエヴァンゲリオンに乗る交換条件として、私が碇くんの所有物になったの」

「アンタはそれでいいの?」

「かまわないわ。碇くんがそれを望むなら」

 アスカは混乱した。
 自分が誰かのものになるなどとても考えられないことだ。
 自分は常に一番で他の誰よりも力がある。常に先頭を走ってきた。
 その彼女にしてみると、誰かに従うということ自体耐えられるものではない。

「アイツ……何者なの?」

「知らないわ」

「何が目的なの?」

「知らないわ」

「アンタはそれでいいわけ!?」

「……碇くんを信じているから」

 まただ。
 アスカは胸の奥が痛んだ。
 どうしてこうも他人を信じることができるのだろう。
 他人なんて、自分には何もしてくれない。

『僕にはアスカが必要なんだ』

 必要?
 まだ会ったこともない相手が何故必要なのか?

「訓練室ね」

 着替え終わったアスカは扉を開けた。

「今日はアンタたちの家に行くからね! 覚悟しておきなさい!」

 最後に捨て台詞を吐くことだけは忘れなかった。





 訓練室は、奇妙な沈黙が流れていた。
 アスカが最初入ってきたとき、そこは時間が止まっているのかと思った。
 だが、そうではない。
 部屋の一角。そこで稽古をつけている保安隊員と、その前でかまえている少年。
 顔じゅう汗びっしょりで、その訓練がしばらく続いていたということが分かる。
 アスカが部屋に入ってきたことすら、少年は気付いていないようだった。
 真剣な表情。視線は相手から少しもそらすことがない。
 訓練服は汗でぴったりと身体に張り付いている。
 意外と筋肉があるのが、その姿からも分かる。

(な、なによ……)

 あんな真剣な表情を自分の前でしたことはない。
 いつも薄ら笑いを浮かべていたり、のほほんとしていたり、本心を見せることが全くない。
 だが、訓練をしているときの少年は、それ意外のことを全く考えていない。
 だからこそ、あれだけ真剣な眼をしていられるのだ。

「シンジ!」

 何故か勝手に声が出ていた。
 だが、少年の集中は途切れない。
 逆に、相手の隊員の方がかすかに揺れた。

「!」

 アスカは息を呑んだ。
 そのときの少年の動きの鋭さ。自分でもその一瞬をとらえられただろうか。
 一気に隊員に近づく少年。だが、隊員は迎撃の拳を繰り出す。
 それより早く、少年はかがみこんで足払いをかけた。これが完全に決まった。
 倒れた隊員に馬乗りになった少年は両膝で相手の腕をブロックし、正拳を相手の鼻先に当てた。

「まいった。強くなったな」

 隊員がそのように言って、少年もほっとしたような笑顔を浮かべた。

「一瞬何かに気がとられたようでしたので。でもようやく一本取れましたね」

「何だ、気付いてなかったのか。お前にお客さんだよ」

 隊員が示した先には、赤い髪の少女が立っている。

「あ、アスカ」

「あ、アスカ。じゃないでしょ!」

 ずかずかとそこまで歩いていって、少年の耳をつまむ。

「ちょ、ちょっとアスカ」

「あんたねえ、こっちの訓練はもう終わったっていうのに、何を一人でこんなとこで油売ってんのよ!」

「日本語が上手だね、アスカ」

「いいからさっさと着替えてらっしゃい!」

 少年は苦笑した。
 これだ。
 さっきのような真剣な表情は決して自分には見せない。

「それじゃあ今日は失礼します」

「おお、また明日な」

 明日?
 明日は訓練は入っていないはずだ。
 少年が着替えに行ったあとで、アスカは隊員に話し掛けた。

「明日って、訓練ありませんよね」

「ん? いや、あいつはネルフに来るようになってから、それこそ使徒戦があれば別だが、ほとんど毎日通ってるよ」

「毎日?」

「ああ。絶対に死にたくないし、負けたくない相手がいるからって言ってたな」

「負けたくない?」

「ああ。勝気で寂しがりやの女の子だとさ。負けたくないのと同時に絶対に守りたいって言ってたな。要するに君のことだよ」

「アタシ?」

「ああ。もうすぐ新しい仲間が来る、彼女を守るために力がいるんだって、何度も繰り返し聞かされたよ」

「……」

「あいつは、君に本気だよ。それだけは分かる」

「どうして分かるんですか」

「分かるのさ。目で分かる」

「目で?」

「訓練の時のあいつの目、見たかい?」

「はい」

「あれは嘘だよ」

「は?」

 集中して、真剣な目。
 それが、嘘だと?

「でもその後で君を見たときのあいつの目、本当に嬉しそうだったよ。男ってやつはな、好きな女の子の前だと絶対に目が優しくなるんだ。まあ、女の子にしてみると真剣味が足りないって思うのかもしれないけどさ」

「……でも」

「俺はずっとあいつの相手を務めていたから、少しはあいつのことを分かっているつもりだ。少年らしくないところも含めてね。あいつは何も言わないけど、それはあいつの背負っている秘密がそれだけ重いってことだ」

「重い……」

「そうさ。君もそうだけど、エヴァンゲリオンに乗るっていうだけでとんでもない責任だろう。だが、あいつはそれだけじゃない。もっと重たいものを背負っている。悪いけど、俺は臆病なんでそこまであいつの重さを肩代わりするつもりはないんだ。こうして少しでもあいつの負担が減るようにって、全力で組み手の相手を務めているくらいが限界なのさ」

「……」

「だから、あいつのことを調べたいっていう気持ちは分かるけど、それは君にとってあまり良いことにはならないと思う。その重さを一緒に背負えるという覚悟がないのなら」

「アイツは……」

「うん?」

「アイツが話してくれないのは、はぐらかすのは、アタシを信頼してないからじゃないんですか?」

「違うね、絶対。あいつは最初から決めているみたいだった。まあ話すと長いんだが、最初に俺のところにあいつがやってきたとき、本当にやる気があるのか不思議に思ったもんだよ。だが訓練になると途端に目つきが変わる。どんなに殴られても、へこたれずに起き上がって訓練を受ける。ハードなトレーニングにも耐える。やはり気になるさ。どうしてそこまでするのかってな」

「……なんて答えたんですか」

「それは本人の口から聞いた方がいいだろう。俺が言ったと聞いたら、あいつはいい顔をしないだろうからな」

 ちょうどそのとき、少年が戻ってきた。
 ほんの一、二分しか話していないような気がしたが、実際はもっと長く話していたようだ。

「何の話だったんですか?」

「何、お前が彼女にラブラブだっていう話だよ」

「ああ、なるほど」

 少年は苦笑した。

「もう少し正確に説明してほしいところでした」

「違うのか?」

「ええ。僕はアスカにラブラブなんじゃなくて、僕はアスカに超ラブラブなんです」

 隊員は吹き出して笑った。

「何をバカなこと言ってんのよ!」

「本当のことだもの」

「いいから! さっさと行くわよバカシンジ!」

 くっくっ、と笑う隊員を後に、二人は部屋を出ていった。





 家に戻ってくるなり、少年はまず料理に取り掛かった。
 アスカは制服姿で椅子に座って料理が出来上がるのを待っている。レイは私服に着替えてアスカの前に座っていた。

「それにしても、ほんとオンボロよね〜」

 アスカが部屋の中を見回してそう言った。
 もっともそれは部屋の中がというより、ビル自体がオンボロなのだろう。だからこそ少年もここから引き払いたいと考えているのだろうが。

「そういえばアンタは料理しないわけ?」

「時々するわ」

「へえ? じゃあ今日はどうしたのよ」

「今日はあなたが来るから、一切手伝うなって言われてるから」

 レイは相変わらず不機嫌だった。
 自分と少年の聖なる部屋に踏み込むだけでも腹立たしいのに、この赤髪の少女は少年の手料理まで食べるのだという。
 腹が立たないはずがない。

「お待ちどうさま」

 少年が料理を並べていく。さすがに訓練後で疲れている三人の子供たちにはどのような料理であれご馳走に見えてしまうのは仕方のないことだろう。

「遅い!」

「ごめんごめん。一応準備はしてあったんだけど」

「アンタが訓練なんかしてるからでしょ!」

「でも、アスカや綾波と一緒に帰りたかったからね」

 笑いながら、次々と並んでいく料理に、さすがにアスカも目が止まった。

「……ちょっと」

「何?」

「一体何皿あるのよ!」

「そうだね、あれもこれもって考えてたら二十皿くらい考えたんだけど」

「にじゅうっ!?」

「さすがに食べきれないと思ったから、五皿くらいにまとめたよ。もう少しあるからちょっと待ってて」

「この狭いテーブルのどこに並べるのよ……」

 料理は簡単なものというわけではなかった。唐揚げとサラダの盛り合わせ、魚のムニエル、それだけでも充分な量になるというのに、ホテルの料理ででも出てきそうな揚げ物や煮物が次々と出てきたその量にさすがにアスカの顔も引きつる。

「こんなに作ってどうするのよ……」

「残った分は明日食べるよ。さ、乾杯しよう」

「乾杯? 何に」

「三人のチルドレンがこうして無事に顔を合わせることができたことに」

 ノンアルコールシャンパンを少年はグラスに注ぐ。

「それじゃあ今日という日を祝して乾杯」

 三人はグラスを合わせた。はあ、とアスカがため息をつく。

「ファースト。シンジっていつもこうなの?」

「……そうね」

 レイはつまらなさそうに頷いて料理に手をつけた。

「ま、いいわ。ご馳走だっていうことだし、早速あずからせてもらうわ」

 アスカも料理に手をつけた。
 唐揚げは油を使いすぎておらず、こざっぱりしていて食べやすい。ムニエルも火加減が丁度よく、またソースが絶妙で魚の臭さが全くないのに口の中に甘酸っぱい味が広がっている。その他の料理も全て絶品といっていい出来栄えだった。

「どう?」

「まずまずね」

 素直に『美味しい』と言うのが癪で、そのような表現を使った。だが少年は嬉しそうに微笑んだ。

「ありがとう。よかった、口にあったみたいで」

「まずまずだって言ってるでしょ!」

 それでも少年は笑っていた。
 しばらくは少年の方からアスカやレイに話が振られるような形で会話がなされていた。正直、アスカとレイはお互いをあまり快くは思っていなかったが、それでも少年が間に入るとそれほど気にはならないようだった。それほど少年の話を仕方が上手だった、と言わざるをえまい。
 食後のコーヒーを少年が入れ、いよいよ話が本題に入った。

「さてと、それじゃあいろいろと聞かせてもらいましょうか」

 アスカがそう断言すると、少年はレイの方をちらりと見た。

「そうだね。何から話せばいいかな」

「まずはアンタが何者かってところからね。そして何を目的に活動しているのか」

「僕は碇シンジで、ネルフ総司令碇ゲンドウの息子。今はネルフの客員で初号機のパイロットをしているかな。目的は使徒殲滅。それだけだよ」

「使徒殲滅ね」

 ふふん、とアスカは勝ち誇ったような顔を浮かべる。

「悪いけど、ミサトやヒカリに聞かせてもらったわ。アンタのことをね」

「僕の? 委員長?」

 何故そこで委員長の名前が出たのかが分からない様子の少年だったが、とりあえず少年はそれ以上は何も言わずアスカの言葉を待つ。

「アンタ、前のときとじゃ随分性格違うみたいじゃない」

「ああ、そのこと」

「前の生活では猫かぶってたって? とてもじゃないけど信じられないわね」

「どうして?」

「あんたみたいに自己主張の激しい奴が、生まれてからこの方ずっと猫かぶってるなんてありえないってことよ」

「どうしてそんなことがアスカに分かるのさ」

「分かるのよ。同じことを考えてる奴のことはね」

「同じ?」

「アンタは何か別の目的があって、それを達成するためにエヴァに乗っている。つまり、そういうことよ」

「使徒殲滅以外にってこと?」

「使徒殲滅なんて、アンタにとってはどうでもいいことでしょ?」

「どうでもよくはないけどね」

「アンタは何が狙いなのか、それが知りたいのよ」

「知ってどうするの?」

「どうもしないわ。でも、そもそもアタシやレイにかまってきているのはアンタの方なのよ」

「なるほど」

 どうしたものか、と悩んでいるような様子だが、それすらもポーズのように見える。

「答えられない?」

「まあ、いろいろな意味で答えられないよ。誰にも話せない秘密なんて誰でも持ってるわけだしね。ただ一つだけ言えることがあるとすれば、僕がこの街にやってきた理由で一番大きいのは、綾波とアスカ、君たちを守るためだ」

「それよ。さっきの隊員さんからも聞いたわ。どうして『アタシたち』なわけ? いくら同じチルドレンだからって、それは守る対象になるの? それに、アンタはアタシたちのことを最初から知っているようだった。それはどうして?」

「そうだね、どう説明すればいいかな……たとえばアスカはドイツの首相が誰だか知っているかい?」

「当たり前でしょ」

「でもドイツの首相はアスカのことを知らないよね」

「そうでしょうね」

「それと同じことだよ。僕はアスカのことを知っていた。当然だよね、だって先にチルドレンに登録されているんだから。でも僕は後から呼ばれて、後から登録された。アスカが僕のことを知るより、僕の方がアスカを知る方が容易だったということだよ」

「確かに知ることはできるでしょうね。でもおかしいわ」

「何が?」

「普通、後から選ばれたパイロットが、先に選ばれたパイロットを守らなければならないなんて思うかしら」

「君たちのことを知れば知るほど、守りたいという気持ちは強いよ。ただ、前に綾波には話したと思うけど、僕は最初からアスカたちを守るためにここにきた。この第三新東京市に来たのはそれが理由なんだ」

「どうしてそんなに守りたいだなんて思うわけ?」

「それは、僕がアスカと綾波のことを好きだから。そういう理由じゃ駄目なのかな」

「会ったこともない相手と?」

「そうだよ」

「堂々巡りね……じゃあ何故、アンタはアタシのことが好きなわけ?」

「好きになるのに理由はいらないよ。それともアスカは、僕がアスカのこの部分が好きとか言われて納得できるの?」

「納得できないわ。何しろアンタはアタシのことが好きだと言ってるけど、そんなの嘘っぱちだもの」

「嘘? どうして僕が嘘を言わなければいけないの?」

「アタシを好きだっていうのが、アタシに近づくための口実だからよ!」

「口実なんかじゃ──」

「いい加減、本音で話したらどう、シンジ」

 少しずつ、アスカの声に熱がこもってくる。少年は戸惑ったような表情を浮かべるばかりだ。

「アンタの上辺の言葉には付き合ってられないわ。アンタがアタシにかまう目的は何! はっきりとおっしゃい!」

「本音か……」

 少年の顔から笑みが消えた。そして目が細まり、冷たい視線がアスカを射抜いた。

「それじゃあ、少しだけ話をしようか」

「え……」

「でも最初に一つだけ言っておくよ。僕が綾波とアスカのことが好きだっていうことに偽りはない。それだけは信じて」

「……いいわよ。アンタの話次第だけれどね」

「うん」

 少年は一度左右に首を振ってから、席を立った。そして学生鞄を持ってきて、中から紙とペンを取り出した。

『アスカは日本語が書ける?』

 アスカは眉をひそめて『日本語』と『書』の部分をトントンと示した。
 それに気づいて、少年は『にほんご』と『か』とルビを振る。

『カナならね。でもなんで?』

『このへや、とうちょうされてるから』

 アスカの表情が変化した。

『じょうだん?』

『ほんとう。だからこのへやではほんねではなしはできない』

『たいへんなせいかつね』

『かじさんにへやをさがしてもらってる』

『いいことね。ふたりでくらしてるのにイヤでしょ』

『まあ。それから、できればアスカもいっしょにすんでほしい』

 アスカと、そしてレイの目が見開かれた。

『アタシが?』

『ぼくはアスカがすきだから』

『そのはなしはあと。さっきのはなしがさき』

『OK。ぼくのもくてきをおしえるよ』

 アスカとレイの喉が鳴った。

『しとをたおしてもせかいをすくうことはできない。ぼくは、このせかいをまもりたい』

 アスカの額に汗がにじんだ。

『どういうこと?』

『ネルフとしとをうらであやつるそんざいがある。それがゼーレ。ゼーレはこのせかいをほろぼそうとしている。ゼーレをほろぼすのがぼくのもくてき』

 それを読み終えて、アスカは逆に汗がひいていった。

『ひとつきくわ。なぜシンジはせかいをすくいたいの?』

 逆に少年が目を見開いた。

『じぶんのせかいをまもろうとするのはへん?』

『へんではないけど、せかいのためっていうのはおかしいきがするわ。アタシはせかいのためっていうよりじぶんのためだもの』

『ぼくだってそうだよ。だってぼくは、このせかいにアスカとあやなみがいるから、このせかいをまもりたいんだから』

「全く、アンタってやつはどこまで本気なんだか……」

 アスカは声に出して言った。

「ま、いいわ。よくは分からないけど、アンタが本気だっていうことだけはなんとなく分かったから」

「言っておくけど、僕は最初から最後まで全部本気だよ。綾波が好きなことも、アスカが好きなことも」

「今度ゆっくり話を聞かせてもらうわ。今日はとりあえず帰るから」

「うん。今度ゆっくりとおいでよ。今度はこんな殺風景な場所じゃないところに」

「遊びに来るのはかまわないけどね」

 先ほどのことを思い出したのか、アスカは顔をしかめた。

「さっきの冗談は笑えないわ」

「だから、僕は何事も本気なんだって」

「アタシはごめんよ!」

 そして、クスリと笑った。

「ただ、アンタには少しだけ興味を持ったわ。今までアンタみたいなのには会ったことないしね」

「それは光栄。もっと好かれるように努力するよ」

 少年も笑った。
 だが、レイだけは鋭い視線を少年に送り続けていた。






拾壱

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