「紀伊半島沖で警戒中の戦略自衛隊所属戦艦『はるな』からのデータ、パターン青とでました」
青葉シゲルからの報告で、発令所があわただしく動きはじめる。
「総員、第一種戦闘配置」
ミサトの指示が飛ぶ。それと同時に、
「国連よりエヴァンゲリオンの出動要請、出ました!」
「言われなくても出すわよ。ったく、たまには自分たちで使徒を倒してみろっていうのよ」
「今回はシンジくん、最初から素直に乗ってくれたみたいね」
あわただしく出発しようとするミサトに、リツコが声をかけた。
「ええ。でももちろん、これから現場に急行するわけだから、その間に国連軍に攻撃させておくことが条件になってるんだけどね」
「とにかく、切り札は先に見せるな、というわけね」
「ま、正論よね。じゃ、ちょっち行ってくるから」
第拾壱話
生き残るために
「あー、もう、日本でのデビュー戦だっていうのに、どうしてアタシ一人に任せてくれないのかしら」
現場で愚痴をこぼすのはもちろん惣流・アスカ・ラングレー。
既に二人はエヴァに入り、紀伊半島に乗り上げて来ようとしている使徒が来るのを待ち構えている。
少年は彼女について特段取り合おうとはしなかった。言っても無駄だと思っているのか、それとも彼こそアスカと同じ気持ちを抱いているのか。
「シンジ、一つ聞いていい?」
『なんだい』
「アンタ、使徒を殲滅することが目的だって言ってたわよね」
『ああ』
「次の使徒は、倒せる?」
聞いた本人が、いったい何を口にしたのだろうかと後悔する。
だが、彼が使徒戦に向けてどんな気持ちでいるのかということが知りたかった。
命がかかっている。だが、自分は絶対に負けるつもりなどない。九九%の自信と一%の不安。
それを彼も感じているだろうか?
『さあ』
「さあって……シンジ!」
『命をかけた戦いに『絶対』なんて言葉はないよ。僕らができるのは、その確率を少しでも高めるだけのことだよ。もちろん、負けるつもりなんてちっともないけどね』
「そう」
そして、使徒が現れる。
人型、と言っていいのだろうか。一応は両腕両足がある、鋭利な曲線で描かれた使徒。
コアは相手の胸の位置にある。
「それじゃあシンジ、アタシがお手本を見せてあげるから、アンタはサポートしてなさい!」
『OK。でもアスカ、一つだけ約束して』
「なに?」
『相手に一撃を浴びせたらすぐに退くんだ。相手は使徒なんだから、完全に殲滅を確認するまで油断はしちゃいけない。それは使徒戦の鉄則だ』
「分かってるわよ、そんなこと!」
こともあろうに、戦闘のプロである自分に対してそんなことを言う。
あくまでもエースパイロットは自分、惣流・アスカ・ラングレーなのだ。
「行くわよ、シンジ!」
上陸しかける使徒に長刀・ソニックグレイブを構えて飛びかかる。
赤い機体が上段から一撃で敵を両断する。
『お見事、アスカッ!』
ミサトからの声がかかる。それを聞いたアスカが、ふふん、と得意気に顔をほころばせる。
「どう、シンジ。これが──」
『退け! アスカ!』
だが、アスカが何か言う前に少年から指示が出る。
「な……」
『早くしないか! まだ戦闘は終わっていない!』
何を言うのだ、この男は?
アスカには全く理解ができなかった。目の前で使徒は両断した。もう戦闘は終わったではないか。
だが、次の瞬間、使徒が再び活動を始めた。
もぞもぞと蠢いた後、使徒は目の前で二つに分離したのだ。
『アスカ!』
初号機がパレットライフルを使徒に向けて放ったため、二つに分離した使徒は一度飛び退く。
「分離した?」
初号機がすばやく弐号機の後ろで背を合わせる。
分離した使徒たちがその二人を挟み撃ちにする格好となる。
『ぬあんてインチキ!』
ミサトからの素直な感想が入ってくるが、そんなものは戦っている二人にとっては何のたしにもならない。
『言ったはずだよアスカ。最後まで油断しちゃ駄目だって』
くっ、と唇をかみしめる。もし少年が今攻撃を仕掛けていなかったら、分離した使徒の集中攻撃を受けるところだった。
「そんなことよりシンジ、アンタ知ってたの?」
『何が?』
「使徒が分離するってことがよ!」
この間、この少年は確かに言った。
使徒が分離したらどうするのか、と。
『分かるはずないだろ、そんなこと』
「でもアンタあの時……」
『そんなことより、あの時の話だ。アスカ、倒すにはどうすればいいか分かっているだろう?』
そうだ。
その話をこの少年としたのだ。
使徒戦の『直前』にだ。
(なんでアンタはそんなことを知ってるの?)
偶然だ、などとは言わせない。
この戦いが終わったら、絶対に吐かせてやる。
そうだ、この少年はどんなことでも知っている。ゼーレのことといい、自分の知らない知識を大量に抱えている。
その全てを、暴いてやる。
「二点同時加重攻撃ね」
『そうだ。呼吸を合わせないと駄目だ。できるかい?』
「誰に言ってるのよ! アンタこそアタシにきちんとついてきなさいよ!」
『努力はするよ』
そして、使徒が動き出した。
同時に飛び上がって空中から降下してくる使徒たち。
赤と紫の機体は同時に前へ飛び出て、逆に挟み撃ちにする格好になる。
着地する瞬間を狙って、初号機がパレットライフルを放つ。
同時に、弐号機がソニックグレイブで今度こそ倒そうと、突進する。
『駄目だ、アスカッ!』
だがそんな制止の声も無視してアスカは攻撃をしかける。
「くらえっ!」
だが、分離して小型化した使徒はそれを難なく回避する。
逆に、左右に飛び分かれた使徒が、同時に弐号機に襲い掛かる。
『アスカッ!』
その片方に初号機が体当たりして食い止めるが、もう一体の攻撃までは回避しきれなかった。
「キャアアアアアアアッ!」
弐号機が蹴り上げられ、さらに飛び上がった使徒により地面に叩きつけられる。
弐号機が頭から、地面の中に落ちた。
『弐号機、戦闘不能!』
オペレーターのマヤから声がかかる。
『ちっ』
少年はそれを見て舌打ちした。
二体の使徒は、今度は狙いを初号機に定めてじりじりと間合いを詰める。
「シンジくん」
ミサトは素早く通信を入れた。
『感度良好』
「そんなこと言ってる場合じゃないわよ。一度態勢を立て直すわ。なんとかこちらで弐号機を回収するから、その間、使徒を引きつけていられる?」
少年は少し沈黙する。
「シンジくん?」
『いえ、弐号機はそのままにしておいてください。それから、戦闘は継続します』
「ちょっと、シンジくん!」
『僕には作戦拒否権がありますから。ただ、一つだけお願いします。もし僕が倒せなかったらN2を投下してください。今回の敵は第三使徒よりも強度はありません。数日は足止めできると思います』
「そんなことが分かるの?」
『ええ。さっき体当たりしたときに、第三使徒よりも防御力はないなって感じました』
ミサトの頭が忙しく回転する。
少年の方から協力を申し出られるのはおそらく初めてのことだろう。それも内容からすると、今回の敵には勝てないかもしれないという判断を下しているのだ。
「勝てる?」
『さあ。でも、勝つつもりではいますけど』
その答を聞いてミサトは頷く。
「分かったわ。こんなことが言える義理じゃないけど、お願いね。それと、無理しないで」
『僕が好きにやるだけのことですから。それから、弐号機はそのままにしておいてくださいね。アスカは無事ですか?』
「ええ、もちろん。大破してるわけじゃないから大丈夫よん」
『それはよかった』
あまり嬉しそうでもない表情で言われても、どこまでが本気で言っているのか分からない。
『それじゃ、始めようか』
少年の言葉に導かれるように、使徒たちが動き出した。
初号機は飛び上がった使徒たちにパレットライフルを放って威嚇しつつ後退する。
「どうするつもりかしらね」
ミサトが移動車両の中から戦況を見守る。
「葛城さん、弐号機パイロットの救出、完了しました」
「ご苦労様。アスカにはここに来るように伝えてちょうだい」
「了解しました」
日向がミサトの指示を的確に実行していく。
その間にも、初号機はパレットライフルを放ちながら、使徒に接近されないように距離を保っている。
「あのままじゃ勝てないわね」
そう、あくまで今初号機が続けている行動は、相手に攻撃させないかわりに、こちらからも攻撃ができない状態、現状を維持しているにすぎないのだ。
だからといって、彼から協力すら求めてきていないのだから、こちらとしてはやることもない。
そんな折、アスカが移動車両に戻ってきた。
「お疲れ様、アスカ」
こんなときに声をかけるのは、かえって彼女のプライドを傷つけるかもしれない。
「シンジはどう?」
彼女も自分の判断ミスが分かっていたのか、いつもの勝気な様子が見られず、現状だけを確認してくる。
「どうもこうもないわね。このままだったら百日経っても状況は変わらないわ」
ミサトの言葉に、アスカはディスプレイを見つめる。
確かにミサトの言う通り、少年は単に時間を稼いでいるような行動しかとっていない。
しかも時間稼ぎをすることを自分から断っておいて、だ。
「シンジと話はできる?」
「できるけど、今は戦闘中よ?」
「できるなら、話させてほしい」
真剣なアスカの表情に、ミサトは肩をすくめてOKを出した。
「──シンジ、聞こえる?」
ライフルを放っている最中の初号機に、アスカは話しかける。
『邪魔はしないでほしいんだけど』
だが、案外冷静な声が返ってくる。
「勝ち目もないのに、どうやって勝つ気なの?」
ミサトたちの視線がアスカに注がれる。
「アンタ、分離した使徒の倒し方なんて、二点同時加重攻撃の他に知らないでしょう?」
『確かにね』
「だったら、アンタがそこで戦ってたって、何年経っても勝てないんじゃないの?」
『そうかもしれないね。でも、人間にはできないことはあっても、できる努力は誰にだってできるんだよ』
「どういう意味よ」
『お手本を見せてあげるよ、アスカ。これが使徒戦なんだっていうところを、君はそこで見ているんだ。そして、命をかけるということがどういうことなのか、自分の目で確かめるんだ』
「な……!」
怒鳴りつけようとした瞬間、通信は途切れた。こちらから何度通信を呼びかけても返事がない。
「どういう意味よ、このバカシンジ!」
聞こえないはずの相手に向かってアスカは叫ぶ。
その瞬間、初号機の攻撃方法が変わった。
初号機と使徒二体が一直線になったところで、なんと初号機はパレットライフルそのものを使徒たちに向かって投げつけたのだ。
「なっ、何やってんのよ! バカシンジ!」
得物を手放していったい何をしようというのか。
だが、その予想外の攻撃に使徒たちは大きく身を退いて回避し、その間に初号機は弐号機の足を掴んで地面から引き抜き、肩口のウェポンラックを叩き壊す。
その中から、プログレッシブナイフをつかみ出した。
「プログナイフ?」
ミサトが顔をしかめる。いったい、それを取り出すことに何の意味があるのか。プログナイフならば初号機にも搭載されているというのに。
左手でプログナイフをしっかりと握る初号機に、飛び道具がなくなったと安心したのか、使徒たちが挟み撃ちにする要領で左右に散る。
「アタシのプログナイフなんかひっつかんで、何するつもりよ」
ライフルと同じように、敵に向かって投げつけるつもりだろうか。そんなことで勝つつもりなら、少年もたいしたことはない。
だが、そんなことではない、何か別の方法を考えているに違いない。
使徒が、飛び上がる。
初号機はその様子をじっと見つめてから、ぎりぎりのところで回避する。
だが、その相手をぎりぎりまで見据えるという行動が、初号機の行動に制限をかけることになった。
アンビリカルケーブルが、切断されたのだ。
「初号機、残り活動時間五分!」
「代わりをすぐに出して!」
「ですが、シンジくんに伝える手段がありません!」
そうだ。彼は通信を切っている。どこにアンビリカルケーブルの代わりを持っていっても、彼から通信をしてこない限り、どうすることもできない。
「とにかくいつでも対応できるようにしなさい。シンジくんだってどうしようもなくなったらこっちに連絡よこすでしょうし」
「初号機からの返信、ありません!」
アスカはその状況を聞いて舌打ちする。
意味不明な行動。何をしようとしているのか、全く分からない。三百秒という行動時間の中で、いったい何を企んでいるというのか。
(三百秒あれば倒せるっていうつもり?)
むしろ、動く際に邪魔になるアンビリカルケーブルを切断『させた』とでもいうのだろうか。
(そうかもしれない)
アンビリカルケーブルが切断された後、誰も見ていなかったかもしれないが、それが予定された行動であるかのように、初号機は素早く三極電源を落としている。
間違いない。
彼は、自分が動きやすくなるために、わざとアンビリカルケーブルを使徒に『外させた』のだ。
(何をするつもりだっていうのよ……)
心臓が高鳴る。
どうすることもできないはずなのに、少年なら何とかしてくれるのではないかという期待が胸の中にあふれてくる。
(なんだっていうのよ、惣流アスカ!)
こんなのは、自分らしくない。
自分は期待される人間なのだ。
決して、自分から『期待する』なんてことはありえない。
「シンジ! 勝たなかったら承知しないわよ!」
使徒が左右に分かれて、再び上空から滑空攻撃をしかけてくる。
だがそれも、少年は寸前のところで見切り、軽く回避する。
「おかしいわね」
その使徒の攻撃を見ながらミサトが呟く。
「何が?」
「使徒の攻撃が、よ。あんな単調な攻撃、何回繰り返したって初号機にダメージを与えられないもの。使徒にだってそれが分かってるはず。だとしたら考えられることは二つ」
「時間稼ぎ?」
「それが一つよ」
じゃあ、もう一つは。
その質問をかけるより早く、使徒は三度上空からの同時攻撃を仕掛ける。左手にプログナイフを持った初号機は、今度はかなり早い段階から回避行動に移っていた。そして使徒が再び左右に分かれた──。
「シンジくん!」
その、瞬間。
使徒は、恐るべきスピードで初号機に直進的に迫ってきた。
上空からのスローな滑空攻撃から、ハイスピードの直線攻撃。
単調な攻撃を繰り返していたのは、相手の油断を誘うため。
一瞬で、初号機まで肉迫する──!
『かかったな!』
初号機から、音声が突如回復する。それは明らかに少年の声。
初号機の右手が素早く肩口のウェポンラックに伸びる。
そしてプログナイフを掴み取る──プログナイフの二刀流。
さらに、接近する左右からの使徒に、カウンターでプログナイフをコアに当てる!
「罠をしかけていたのは、シンジくんだっていうの?」
一度目の滑空攻撃は、ぎりぎりで回避。
二度目の滑空攻撃は、少し余裕をもって回避。
三度目の滑空攻撃は、余裕だけではなく油断すら見せて回避。
そして、使徒が直線的に攻撃してくることを誘った。
カウンターで、左右の使徒に同時に攻撃をしかけるために。
「そんな……」
プログナイフと使徒のコアの間でスパークが生じる。
たまらず使徒は上空に逃げて、再び一つに戻る。
だが、初号機はそれを逃さず飛び上がり、正面から組み付いて足で完全に使徒をホールドし、そのまま地面に落ちてきて押さえつける。
『オ・ルヴォワール』
初号機は、二本のプログナイフを、使徒のコアにつきたてた。
爆発が生じた。
「パターン青、消滅」
「初号機、中破」
「シンジくん、大丈夫?」
ノイズが消え、クリアな音声が流れた。
『無事です。少々痛かったですけど』
「ありがとう。あなたのおかげで何とか勝つことができたわ」
『問題ありません。それより、あと一分少々時間がありますから、弐号機を拾って戻りますけど、かまいませんか?』
「そうしてくれるとものすごーく助かっちゃうわ。お願いできる?」
『そのくらいなら問題ないですよ。それからお金の方、いつものように振り込んでおいてくださいね』
「わあってるわよ。じゃ、後よろしく」
通信が切れて、初号機がゆっくりと動き出す。
それを見ていたアスカは、知らずのうちに唇を噛みしめていた。
勝った。
自分ではまるで太刀打ちできなかった相手に、たった一人で勝った。
いや、自分だって一人で勝てたはずだ。初号機と連携しようと考えたからこそ、動きが鈍ったのではないか。
そうとも、自分は負けてない。
ただ、勝てなかっただけだ。
「ふん、ちょっとはやるみたいじゃない」
だがその言葉は、口惜しみでしかないことは誰の目にも明らかだった。
少年がプラグスーツ姿のまま移動車両に戻ってきたところでミサトが「おつかれさん」と声をかけた。そしてアスカが「なかなかやるじゃない」と声をかける。
「葛城さん」
その二人からの言葉を聞いた直後、少年から声をかけてきた。
「何?」
「第三に戻る前に、ちょっとアスカと話をさせてください」
「アスカと?」
ミサトはアスカと少年を見比べて、そうねえ、と腕を組む。
「いいわ。そっちの小部屋が空いてるから、そこでゆっくり話しなさい」
「いえ、あまり時間はかかりませんよ。アスカ、ちょっと来て」
「な、何よ」
だが少年はアスカにかまわず先にその部屋の中に入っていく。
「どういうつもりよ」
「さあ。でも行った方がいいんじゃない?」
さすがに今回の戦いでいいところが全くなかったアスカである。あまり強気に出られるわけでもない。不承不承、その小部屋に入っていく。
少年はその部屋の中で腕を組んで壁に背を預けていた。
「何の用よ」
「何の用、じゃないよアスカ。いったいどういうつもりだ」
少年の目が暗い。
「な、何がよ」
「僕は言ったはずだよ。一撃を浴びせたらすぐに退け、と。それなのに、どうして言う通りにしなかったんだい」
一瞬、言葉に詰まる。確かに自分はその通りには動かなかった。そして危機を初号機に助けてもらった。それは事実だ。
「な、何でアンタの言う通りに動かなきゃいけないのよ!」
その言葉を聞いた少年は、ゆっくりとアスカに近づいてくる。
「な、何す──」
少年は力任せに彼女の左肩を掴んで壁に押し付けた。
たいした力でもないというのに、その少年の気迫に、アスカは振り払うことすらできなかった。
「生き残るために決まっているだろう!」
びくん、とアスカの体が跳ねる。
「アスカは戦場のことなんかまだ全く分かっちゃいない。戦場は命のやり取りをする場なんだ。格好よさとか、無駄とか、そんなことは関係ない。ただ勝って、生き残ること。それだけを考えなければならないんだ。少しでも油断をしたら、奴らは僕らの命を奪いに来る。命をかけた戦いなんだ! アスカは『パターン青消滅』『戦闘終了』の合図を聞いたのかい? 使徒の殲滅を確認するまで戦いは終わっていないんだ。今回は僕がいたから守ることもできた。でも、必ずしも僕がアスカを守れるわけじゃないんだ。ここは戦場なんだ。自分の身は自分で守るしかないんだよ! なんでそんなことも分からないんだ!」
「……!」
その言葉は、確実にアスカの甘さを抉っていた。それが分かったからこそ、アスカの精神はショックを受けていた。
だが、それを素直に受け止められるほど、アスカは大人ではなかった。
「なんで、アンタにそんなこと言われなきゃいけないのよ!」
強引にその手を振り払う。
瞬間、
「ごふっ!」
少年がうずくまって、血を吐き出した。
「──え?」
おびただしい血が、床を染め上げていく。
「ちょっとシンジ! シンジ!」
その場に跪いたアスカは、少年の蒼白な顔に驚愕する。
(コイツ──)
アスカは急いで少年のプラグスーツに空気を吸入する──その瞬間、さらに大量の血が床に溢れた。
「怪我? どうして?」
何が起こっているのか、アスカには分からない。
だが、非常事態だということだけは理解した。
「ミサト! すぐに来て! シンジが大怪我をしてるわ!」
扉を開けてミサトを呼ぶ。
その間も、少年は必死に立ち上がろうとしている。
「シンジ!」
「死んでたまるか……」
少年の目から涙がこぼれていた。
「絶対に死なない……この俺が、こんなところで……」
がくり、と少年の意識がそこで途切れた。
第三新東京市、NERV特別病棟の集中治療室外で、ミサトとリツコが気難しそうな表情で今回の少年の怪我について話し合いを行っていた。
「悪いけど、もう一回分かりやすく説明してくれる?」
専門用語を並べ立てられて、完全にちんぷんかんぷんなミサトに、リツコがため息をつく。
「私もよく分からないのよ」
「はあ?」
「つまり、今回のシンジくんの怪我の部位、右肩と左脇腹だけど、これは使徒が爆発した際に初号機が中破した部分と全く同じなのよ」
「でも、初号機が壊れてもシンジくん自身には──」
「そう。痛みは伝わっても、実際に怪我することはない。それが今までの定説だったわ。そして前回の第四使徒戦でも、初号機は腹部を負傷したけどシンジくん自身は傷つかなかった」
「じゃあ、どうして今回ばっかり」
「おそらく、シンクロ異常」
その言葉だけでは何を意味しているのか分からない。
「だから、分かりやすく説明してって言ってるでしょ?」
「だから私も分からないって言ってるでしょ! 一つだけ言えることがあるとしたら、今回シンジくんが使徒を倒したときのシンクロ率、信じられる!? 216.5%!! ありえない数値よ、これは!!」
そう、リツコ自身混乱していた。
シンクロシステムは通常100%を超えることはありえない。シンクロというのは機体と人間とが同調することである。完全に同調した、自分の手を動かすようにエヴァを動かすことができた場合、それが100%なのだ。
もしそれを超えたということは、それはシンクロ異常を意味する。
シンクロ異常が引き起こされた場合の事例研究はたった一つ。
それは、エヴァによるパイロットの取り込み。
「かえすがえすも、シンジくんが実験に参加してくれないことが腹立たしいわ」
リツコは唇を噛む。そう、あの高シンクロ率を叩き出す原因さえつかめるのなら、こんなに苦労することもないのだ。
「じゃあ、シンジくんが怪我をしたのは、シンクロ率が100%を超えたからっていうこと?」
「それ以外の原因は考えられないわ。でも、それがどうして引き起こされたのか、全く不明なのよ。現状で初号機は完全に正常。使徒戦の最中だって、シンクロ率・ハーモニクス数値以外は完全に正常そのものだったのよ。それにシンクロ率が100%を超えたことが原因といったって、それがどういう仕組みでシンジくんを傷つけたのかも分からないわ。分からないことだらけよ」
全くお手上げだと言わんばかりに、彼女はタバコに火をつける。
「禁煙よ、ここ」
「禁煙の方が悪いのよ」
「あに言ってんだか」
だが、一口吸っただけで彼女の思考はすぐに冷静さを取り戻した。
「単純な話、シンジくんがもう一度乗ってくれると助かるのよね」
「じゃ、交渉というか、お願いしてみればいいじゃない。それこそマヤにでも頼んでもらってさ」
「駄目ね。私たちがマヤを使えば、彼にきっとバレるわ。マヤはそういうところで隠し事ができないタイプだから。マヤが自分から動いてくれるなら話は別でしょうけど」
「じゃ、リツコが直接交渉するしかないわけね」
「そういうことね。応じてくれるかしら」
「さあ」
いつも手を焼かされている少年との交渉は、正直気が重い。
彼は常に自分よりも上位にいるかのように振舞う。
そして、握っている情報からするとおそらく彼の方が上位なのだ。
(いったい、何を知っているというの)
今度こそ、化けの皮をはがしてやらなければならない。
それに、アスカとの話からも気になる点が多すぎる。
彼は、知っていたのだろうか。使徒がやってくることを。そして、分離するということを。
知っているならば、何故。
「シンジくんの意識、戻りました」
治療室の扉が開いて、二人に声をかける。リツコは携帯灰皿にタバコを押し付け、看護師に白い目で睨まれた。
「シンジくん、だいじょぶ?」
ミサトが先に入って、少年に話しかける。
「ええ。問題ありません。ご迷惑をおかけしたみたいですね。治療費は僕の報酬から割いておいてください」
少年は意識が戻ったばかりだというのに、はっきりとした口調で言った。
「その様子なら心配ないみたいね」
「ええ。大げさですよ。傷口は小さかったみたいなんです。ただ血だけがたくさん流れてしまったので、輸血が遅れれば問題でしたけど」
「だったらアスカと話する前に治療受けなさいよ。全く、血の海の中にいたシンジくんを見たとき、もしかしてアスカがシンジくんを刺したのかと思っちゃったわよ」
少年は苦笑した。
「気をつけないとそうなりかねませんね。でも大丈夫ですよ。僕はアスカが好きですし、アスカを振り向かせる自信もありますから」
「そ。がんばってね」
「ええ。ところで、話はそれだけじゃないんですよね」
話をどう切り出そうか、と待ち構えていたリツコを見て少年が言う。
「お見通し、みたいね」
「ええ。赤木博士がわざわざ出向いてくるっていうことは、何か話があるからだっていうことですから。その証拠に、前回の治療の時は赤木博士は来なかったじゃないですか」
「その通りね。話、してもいいかしら」
「どうぞ」
少し緊張した様子で、リツコが近くの椅子に座る。
「今回のシンジくんの怪我の原因を調べたいと思うのだけれど、それにはシンジくんにシンクロテストに参加してもらうことが必要なのよ」
「それだけですか?」
「そうね。聞きたいことは山ほどあるけど、答えてくれるかしら?」
「質問の内容にもよります。僕が知っていることなら答えられますけど」
「そう」
だが、その言葉は決して本当ではない。何故なら、彼は知っていても答えないだろうから。
「けど、今はさっきの話だけでいいわ。シンクロテスト、参加してくれるかしら」
「そうですね。条件を二つ、いえ三つ呑んでいただけるなら」
「三つ?」
「ええ。一つはこの件に関してのシンクロテストは一回限りです。それ以上は参加できません」
「一回だけでも、すごい効果が上がるわ。ありがとう、シンジくん。それからあと二つは?」
「ええ、実は──」
少年は苦笑しながら言った。
拾弐
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