探査機が溶岩の中を深く、深く沈降していく。
 レーダーにはまだ何も映らない。
 深度千をようやく超えたところで、その反応は現れた。
 パターン青。
 使徒だ。
 まだ活性化していない、卵から孵る前の使徒。

「まさか、修学旅行期間中にこんなお宝を発掘するなんてね」

 ミサトは唇を噛んだ。
 どうするべきか、悩む。
 呼び戻すか。
 それとも、彼だけでこの作戦を実行するか。

(呼び戻すのはいつでもできるけど、準備は急ぐわね)

 ミサトはただちに使徒捕獲作戦の決行を打診した。












第拾参話



変わり続ける












 二回目のシンクロテストを行っている最中に、使徒捕獲作戦を決行するという連絡が届いた。
 正直、それ自体ではリツコにとって何らの感動を与えたりはしなかった。だが、その連絡を聞いた瞬間、一つの考えが彼女の頭をよぎる。
 もし、この情報を彼に伝えたらどういう反応を起こすだろう。
 プラグの中で静かに目を瞑って集中している少年。彼はこのことを知っているのだろうか。
 いや、知っているはずだ。アスカとの前回の話を聞くかぎりでも、使徒の出現と行動パターンは全て頭に入っているのではないか。

「シンジ君、ちょっといいかしら」

 少年は右目だけを開けて答えた。

『どうぞ』

「今、浅間山に行っているミサトから連絡が来たの」

『浅間山といえば、かつて田沼意次の時代に大噴火がおこって、天明の飢饉が発生したという場所ですね』

「あら、博学ね」

『中学校の授業内容レベルですよ』

 その間、数値は何も変化していなかった。

「どんな内容か、知りたい?」

『赤木博士らしくない言い方ですね。僕を試しているみたいですが』

「そうね。そうかもしれない。あなたの反応が見たいのよ」

『で、どういう内容なんですか』

「使徒よ」

『では、このまま出撃ですか? それにしては緊急警報が鳴っていないようですが』

 さすがに鋭い洞察力をしている。
 だが、逆に考えるならば全てを知っているからこそ、全く動じることがなかったと取れなくもない。

「いいえ。どうやら今回の使徒はまだ幼体だったみたいね。使徒を捕獲するという動きが出ているわ」

『使徒を捕獲? 随分無謀なことをしますね』

「そうかしら」

『使徒は捕獲なんかできません。もしこちらから手を出せば、すぐに自己進化して攻撃を仕掛けてくるでしょう。浅間山で進化するのならともかく、このジオフロントに入ってからなら手を出すことができなくなります。その危険性に気づいているんですか?』

 彼の言うことは正しい。リツコも同じ考えだった。
 だが、これにはネルフ総司令碇ゲンドウのツルの一声があった。実行せよ、との。

『赤木博士も、分かっているみたいですね』

 こちらの顔色をうかがってか、少年はそう付け加えた。どっちが年長者なのか、とリツコは苦笑する。

「でもね、これは決定なのよ」

『でしょうね。結局上に逆らえないのはどの組織でも同じことですよ。それは分かっています。それで、僕がその捕獲作戦担当ですか?』

「アスカを呼ぶつもりよ」

『何故?』

「初号機では、溶岩の中に入るだけの耐熱装備がないからよ。弐号機にはあるのだけれど」

『それは困ったな』

 少年は愚痴のように呟く。

「何が困るの?」

『アスカにお土産を買ってもらう時間がなくなりました』

 なんという切り返しだろうか。
 今の発言がもし失言だったとしたら上手くカバーできているし、最初からそう考えていたのだとしたらこの危機をそれほど重く感じていないということになる。
 いずれにせよ、この少年は幼体の使徒に対してそれほどの危機感を持っていないように感じる。

『あ、勘違いしないでください』

 仏頂面になったリツコに、少年は声をかけた。

『今回の使徒は進化する前に倒さないととんでもなく強くなるだろうということは理解してますから。何しろ幼体の状態でマグマの中にいても大丈夫なくらいですからね。僕は単に、今すぐにでも攻撃を仕掛けて殲滅する方がいいと考えているだけです。それから赤木博士、お願いが一つだけ』

「何かしら」

『肩口のウェポンラック、マグマの中だと保たないかもしれません。シミュレートして強度は万全にしてください。使徒が進化したなら、それしか武器はありませんから』

「いいわ。他には何かない?」

『そうですね……』

 少年はひらめいたように付け加えた。

『修学旅行が駄目になったアスカのために、麓の温泉にでも行かせてあげてください。せっかくですから僕も行きたいです』

 リツコは苦笑した。






「あ〜、もうサイアクっ! せっかくのバカンスだったのに。なんだってこんなときに使徒が出てこなきゃいけないわけ!?」

 アスカは憤慨していたが、これを口実に一緒に戻ってきたレイの方は三日ぶりに少年に会えるということで嬉しそうだった。

「お帰り、二人とも」

 ジオフロントにやってきた二人をミサトが出迎える。

「で、今度はなに、使徒を捕獲するんですって?」

「そ。浅間山の火口に現れた使徒の幼体をね。この仕事ができるのはアスカしかいなかったから」

 そう言われると悪い気はしないのがアスカだ。少しだけ機嫌を取り戻して「ま、仕方ないわよね」くらいのリップサービスは行う。

「で、役立たずのバカシンジはどこにいるのよ」

「さあ? 何かリツコとケイジの方で話し合ってたみたいだけど」

「私、行ってきます」

 レイは愛しい少年の居場所を聞いた途端、オペレーティングルームから飛び出していった。

「ちょうどいいわ。アスカも行きなさいよ」

「どうして?」

「弐号機、ちょっといじらせてもらったから。それから今着てるプラグスーツの使い方もリツコから教えてもらってね」

「?」

 ミサトの言っていることは今一つ理解できなかったが、まあ行けばわかるくらいの気持ちでアスカはレイの後を追いかけた。

「やれやれ。まさか使徒の捕獲作戦なんて大胆なことをするとは思わなかったよ」

 と、そこへ入れ替わりに無精髭をはやした男が現れた。
 加持リョウジ。

「あら、随分といいタイミングで現れるのね」

「こう見えても暇なんでね。ちょっと見学させてもらいに来たのさ」

「ちょうどよかったわ。あなたに話があるのよ」

 ミサトのいつにない真剣な口調に、加持はからかうような言葉は使わなかった。

「なんだい?」

「至急に調べてほしいことがあるのよ」

「といわれてもなあ」

「あなたも気になっているはずよ。サードチルドレン、碇シンジ君のことについては」

 加持はそういわれても少しも反応することなく、胸のポケットからタバコを取り出して火をつける。

「彼はエヴァンゲリオンを動かすことができるだけの、普通の少年だろ?」

「あなたが本気でそう思っているとは思えないわね」

「じゃ、葛城には何があると思っているのか、聞かせてくれるのかな」

「使徒に対する知識量、それにネルフに対する知識量もそうね。彼は私ですら知らないことを当たり前のように知っている。どうして彼がそれを知っているのか、分からない」

「人間には秘密がいろいろとあるんだろ」

「加持!」

「葛城。聞け」

 加持はミサトを、ぐい、と抱き寄せる。こんなときに、とはミサトは反論しなかった。彼の真剣な瞳がそれ以上口にすることを許さなかった。

「無理にシンジ君を調べようとするのは間違いだ。最悪の場合、逆にこっちが危険な目に合うぞ」

「危険? どういうこと?」

「俺にも分からんよ。だが、彼はおそらく全ての謎に一番近いところにいる」

 加持は言葉を選んで説明する。仮にもここで、自分が故意に隠蔽しているアダムの件や、セカンドインパクトの真相を漏らすわけにはいかない。

「彼に関わってはいけないの?」

「そうは言わないさ。だが、慎重になった方がいい。彼はただの子供じゃあない」

 彼の行動が不自然だということは分かる。
 だが、加持をしてここまで慎重たらしめるほどのものが、彼にはあるというのか。

(まだアタシの方が甘いってことか)

 確かに急いて事を仕損じるのは御免こうむりたい。

「じゃあ、もう一回だけ聞くわ。今の会話をふまえた上で、シンジ君の調査はしてくれるの?」

 ふっ、と加持は笑ってそのままミサトに口付ける。
 今度こそ、その頬をひっぱたこうとしたミサトだが、強引に口の中に入ってきたカプセルに気がつき、抵抗をやめる。

「ま、残念だが葛城とは部署が違うからな。俺も勝手には動けないんでね」

 加持はそれだけ言うと、部屋を出ていった。

(このカプセル)

 中に何が入っているのかは分からない。
 だが、彼は自分に何かを託した。
 それがおそらく少年に関係するものだということは分かる。

(協力はしてくれるということかしらね)

 とりあえず、この口の中のカプセルをどうするか。
 できるかぎり早く帰り、中身を検証したい。
 だが、その前にやらなければならないことがある。

(こんなときに、使徒と戦わないといけないとはね)

 まずトイレに行って、誰にも見られないところで口の中からカプセルを取り出すことが先決だ、とミサトは判断した。






「ええ〜! これがアタシの機体!?」

 まんまるの耐熱装甲に包まれた弐号機を見てアスカがショックな声を上げる。
 だが、そんなものには関係がないという様子で、レイはきょろきょろと視線を泳がせる。

「碇君」

 弐号機の前でリツコと話をしている少年を見つけると、レイは小走りで駆け寄り、彼の服の袖を掴んだ。

「あ、綾波、お帰り」

 その時になって、ようやく少年は彼女に気づいたらしい。その差に少しだけ、レイの機嫌が損なわれる。

「ちょっとリツコ、どういうことよ、これは!」

 二人の再会をわざわざ邪魔するかのような大声でアスカが割り込んでくる。

「どういうことって?」

「これよこれ! 私の弐号機が、こんなカッコ悪くするなんてひどいじゃない!」

「仕方ないじゃない。そういう仕様なんだから」

 つらっとした表情でリツコが言う。

「あ、それから弐号機に入る時は、袖のボタンを押してね」

「袖?」

 言われてからはじめて、左手首の部分に小さなボタンがあることに気づき、ためしにポチッと押してみる。
 その瞬間、プラグスーツが膨れ上がり、アスカの横幅が見た目で三倍となった。

「なによこれ〜っ!」

「チルドレンD型装備仕様」

「仕様って言うなーっ!」

 その場にいた少年が、珍しくくすっと笑う。

「笑いやがったわね、このバカシンジ!」

「いやいや、可愛いよアスカ。こんなアスカが見られるなんて思わなかった」

「殺ス!」

 だがその格好で言われても迫力も何もあったものではない。

「それよりもアスカ、わざわざ悪かったね。せっかくの修学旅行なのに、初号機じゃこのD型装備はできないっていうことだから」

「ふん。所詮はプロトタイプの初号機じゃ、水陸両用ってわけにはいかないんでしょ。仕方ないじゃない。アンタはここで黙ってアタシの活躍を見てなさい!」

 少年は笑顔で「頼むよ」と言った。
 だがその少年を、リツコは冷ややかな顔で見つめていた。






 使徒キャッチャーに捕まえた使徒が、急激に孵化する。
 ミサトの指示で使徒キャッチャーを放り投げる弐号機。だが、すぐに使徒は急激に巨大化して弐号機に襲いかかる。
 アスカはウェポンラックからプログナイフを取り出し、使徒の攻撃を防ぐ。

「アスカ!」

 リツコがマイクに向かって叫ぶ。

「冷却パイプを一本切って、使徒の口の中に入れて!」

『な、なんでよ!』

「熱膨張よ!」

 リツコのその一言でアスカは全てを察知したのか、使徒が一度離れた瞬間に冷却パイプを一本切断し、次に突進してきた使徒の口の中に突き入れる。
 やがて使徒は冷却水の膨張によって、ぐずぐずと崩れ落ちていった。

「パターン青、消失!」

 青葉シゲルの言葉に、リツコは表情を変えずに頷いた。

(……まさか、本当に彼の言う通りになるとはね)

 だが、その能面の奥で、リツコは苦虫を噛み潰していた。






『赤木博士。弐号機のウェポンラックですけど、外れないように固定はしっかりとお願いします。深度千五百くらいでも外れることがないかどうか、きちんとシミュレートしてください』

 突然ケイジにやってきた少年は、突然そんなことを言った。

『どうして?』

 問い返した言葉にはいろいろな意味がある。
 まず、深度千五百まで行く予定はない。使徒がいるのは深度千くらいの地点だ。
 それに、ウェポンラックが外れるなど、その発想はどこからやってくるのか。

『MAGIのシミュレートは昨日のことですよね? だったらもっと深くまで使徒が流れている可能性は充分にあります。それに、このウェポンラックじゃ多分千五百の深さでは耐えることはできないでしょう。もっと頑丈にしてくれないと、いざ使徒と戦うという時に武器がなければアスカは死にます』

 死という言葉を使われると返す言葉もない。ただちにリツコはシミュレートの指示を出す。

『それから、仮に使徒が孵化した時の対処ですが、今回の使徒が火口内部で孵化した時に限り有効な戦法があります』

『それは?』

『熱膨張ですよ。冷却水を使徒の体内にぶちこめば、内側から使徒は崩れていくでしょう』

 言われて素早く頭の中でシミュレートする。確かに少年の言うことには一理ある。

『その指示を、赤木博士か葛城さんからアスカに出してほしいんです』

『どうして自分で言わないの?』

 少年は肩をすくませて、簡単なことです、と答えた。

『まず、今回はアスカが僕の手を一切借りずに使徒を倒すことで、前回の戦いの雪辱を果たし、自信をつけさせることが必要です。ですがアスカ一人で勝ってしまうと、今度は発令所の指示をアスカが聞かなくなる可能性もあります。だからこの戦いの指揮はあくまで発令所が行わなければなりません』

『なるほどね。でも、そうなるとシンジ君の功績は全くなくなるわよ?』

『僕はネルフの人間じゃないですし、これから先、いくらでも稼ぐことはできますから。でも、アスカを鍛えるには、そしてこの先の使徒戦で効率よく動いてくれるためには、これがベストなんです。だから、僕の手のひらの上にいるなんてこと、絶対にアスカには言わないでくださいね』

『ええ〜! これがアタシの機体!?』

 ちょうどそこへ、アスカとレイがやってきた──






(おそろしい少年ね。碇シンジ君)

 再び引き上げられていく弐号機内部からの映像を見ながら、リツコは考えた。
 やはり、ダミープラグの件を黙っているわけにはいかない。これについては司令と相談する必要がある。何故そのことを少年が知っているのか、そして少年の目的は何だというのか。
 ただでさえ今はダミープラグの開発は遅れているのだ。レイに協力させて、ただちに完成させなければならないというのに。

(それとも知っているのかしら。ダミープラグがレイなしでは完成しないことを)

 おそらくは知っているのだろう。知っているに決まっている。
 その中身も使い道も全てを知って、牽制してきたのだ。

(危険だわ)

 思えば、たとえどれほど知らないはずのことを知り、分からないはずのことが分かっていたとしても、少年に危機感を覚えたことは今まで一度もなかった。
 だが、もうここにいたっては思わざるをえない。彼は自分たちにとって、危険人物なのだ。

(消すわけにはいかない。でも、放置もできないわね)

 いっそのこと、洗脳してしまった方がいいだろうか。それとも彼の目的を自白させるか。新型の自白剤ならば、精神に影響を与えることなく自白させることが可能だ。

「にしてもリツコ。よくあんなこと気づいたわね」

 ミサトが賛辞の声を言う。リツコがアスカに指示するのは本来越権行為ではあったが、戦闘ではミサトとリツコが同時に指揮しているようなものだ。ミサトも目くじらをたてるようなことはない。

「気づいたのは私じゃないわ」

「へ?」

 リツコはこの場に彼がいないことを確認してから、彼女だけに聞こえるように囁いた。

「シンジ君よ」

 浮き立つ発令所の中で、二人の間にだけ寒風が吹いた。






 問題の少年はその頃ロッカールームにいた。
 目を閉じ、じっと黙っている。
 同じようにプラグスーツを着たレイが隣に座って彼の様子をうかがっている。
 その表情が、少し苦しそうだった。
 動悸も激しい。
 彼の変化に医者を呼ぼうとしたレイだったが、彼に止められたのでじっとただ隣に座っている。

「くそ……」

 少年は両腕で自分の体を抱きしめる。

「碇君」

 レイはその彼を守るように、両腕で優しく包む。
 まだ前の戦いの怪我が痛むのか。いや、それはない。少年は退院してから痛みを訴えたことなど一度もなかった。
 では風邪か何かだろうか。いや、それもない。少年は何故このような状態になってしまっているのか自分で分かっているのだ。だから医者を呼ばないように言った。

「碇君」

 彼の体が震えている。
 もっと強く、彼の体を抱きしめる。
 全てのものから守ることができるように。
 自分の存在が彼の心を少しでもやわらげることができるように。

「あ、綾波……」

 彼の腕が彼女の腰を抱く。
 密着したプラグスーツごしに自分の鼓動が相手に伝わってしまわないだろうか、と彼女は場違いなことを考えた。

「……ありがとう。もう、大丈夫」

 やがて、彼の震えは止まった。
 数センチの距離にあった彼の顔が優しく笑う。

「助かったよ」

「私は何もしていないわ」

「綾波が傍にいてくれるっていうことが、一番の薬なんだよ」

 レイの顔が赤らむ。それを見た少年は彼女の頬に自分の頬をあてた。

「前に、死ぬこと、について話したよね」

「ええ」

「じゃあ、僕はどうしてここに『存在』しているんだろう。そんなことを綾波は考えたことがある?」

「ないわ。私の存在は、他人によって作られたものだから」

「でもそれは、あらゆる命はそうなんだよ。綾波は人工生命かもしれないけど、それは試験管で生まれたか母体から生まれたかの違いにすぎない。この世界にそんな命はいくらでもある」

「そうね」

「結局、存在の定義は他人との関わりから生じるんだ。人は他人から認められて初めて存在する。他人から一切認められていない命なんて、存在していてもしていなくても同じなんだよ」

「碇君はここにいるわ」

「そうだね。でも、僕はどうしてここにいるんだろう、って僕はいつも思うよ。僕は本当に存在しているのだろうか、とね」

「碇君はここにいるわ」

「いないかもしれない」

「ここにいるわ」

「そう見せかけているだけなのかもしれないんだよ、綾波。僕は本当は存在していなくて、容れ物だけがここにあるだけなのかもしれない」

「私は碇君を認めているわ」

 レイは抱きしめる腕に力をこめた。

「だから碇君は存在している」

「ありがとう。かりそめの命だったとしても、嬉しいよ」

 だが、少年の微笑みはまだわだかまりが残っているのが彼女にも分かった。
 そして、そのことを少年が話してくれないということも彼女には分かっていた。

(私では碇君の支えになることはできないの?)

 この人の力になりたい。
 この人を守りたい。
 それなのに、自分には力がない。

(私は何をすればいいの?)

 だが、情報が制限されたこの状況では、彼女にできることはただ彼の傍にいることだけだった。
 そして彼女は、それが彼にとって少しは救いになるということを信じていた。






「……というわけで、サードチルドレンの行動には不審な点が多く見られ、早急に対応の必要があるかと思います」

 ネルフ総司令室。碇ゲンドウ、冬月コウゾウ、そして赤木リツコの三人がその場で渦中の人間について話し合っていた。
 その彼は今は浅間山麓の温泉に出かけている。チルドレンや葛城一尉も一緒だ。

「ダミープラグの件については無視しろ」

 ゲンドウは即答した。おそらくそうくるだろうとは思っていたリツコは素直に頷く。

「いいのか、碇」

「ああ。奴の狙いは読めた。S2機関について言ったことを考えればな」

「まさか」

「ああ。先に問題解決のできない内容を提示しておいて本題を示す、そう思わせておいて、別の狙いがある」

「別の狙い?」

 リツコはその考えが理解できず、眉をひそめる。

「うむ。S2機関とダミープラグ。いずれも構造的欠陥があることを我々に忠告しているのだよ。条件という形にしたのは、一種のジョークだな」

 冬月の言葉にリツコが目を丸くする。

「では、彼の本当の狙いは……」

「現時点では絞ることはできないだろうが、S2機関やダミープラグの未完成品を搭載されてエヴァが暴走することを防ぐ、そんなところではないかな」

 それを相手に悟らせることもなく。
 改めてリツコは自分が相手をしているのが本当に中学二年生なのかと恐ろしさを覚えた。

「赤木博士」

 ゲンドウは手を組んだポーズから、背もたれに寄りかかるポーズに変わる。

「S2機関、およびダミープラグの再シミュレーションを行え。S2については結果をただちにアメリカへ送信してやれ」

「よろしいのですか?」

「S2は我々の目的には欠かせんのだ」

 永久機関ともいわれるS2機関は人類補完計画を行う際に必ず必要になってくる。外部電源だけでは補完計画を発動するためのエネルギーには全く足りないのだ。

「ダミープラグについては開発を急がせろ。ある程度目処がついたなら、初号機に搭載しろ」

「よろしいのですか」

「かまわん。奴がいなくとも初号機が動かせる状態が望ましい」

(初号機にこだわりすぎだな、碇)

 冬月は気づかれないようにそっとため息をついた。






「ねえ、ミサト。一つだけ教えてほしいことがあるのよ」

 温泉に入ったアスカはミサトに尋ねる。
 レイは寂しそうに垣根の方を見ている。あの向こうに愛しの少年がいるのだ。鎖でつないでおかないと向こうへ行ってしまいそうな雰囲気である。

「何?」

「今日の戦いのことよ。あれ、リツコが指示出してたでしょ?」

「ああ、あれね。やっぱ科学者よね〜。熱膨張なんて一瞬で思いつくあたりが」

「シンジでしょう?」

 突然愛しい少年の名前が出たことでレイが振り向く。

「何が?」

「とぼけなくてもいいわよ。科学者だからなんて余計な説明をつけたせいで逆に確信が出たわ。アタシたちがケイジについたとき、シンジとリツコが話し合ってた内容が、多分それなんだわ」

 ふう、とミサトは息をつく。

「さすがに分かっちゃうか」

「分かるわよ。アイツの不審な行動を見てればね」

 さすがは天才少女である。今回の戦闘では完全に少年の影は見えないようになっていたのに、闇に隠れていた陰までも見極めてしまった。

「アイツ、何者なの?」

「それは私も知りたいわよ」

 ミサトは困ったように話す。

「彼について分かっていることはいくらでもあるわ。以前の生活環境とかね。でも、あまりにも今と違いすぎて、前のところでは演技していたっていう可能性が強いけどね。でも、彼がいったい何を考えているのかは分からない」

 ミサトは初めて少年に会ったときのことを思い返す。
 いぶかしげにミサトの車を見ていたときのこと、そして鋭い指摘でこちらの度肝を抜いてきたこと。
 さらには、レイとアスカとの邂逅のとき。

「逆に私も聞きたいわね、アスカ。それにレイも」

 ミサトは温泉から出てその淵に腰かける。

「シンジ君と最初に会ったとき、あなたたちは何を言われたの?」

 以前、レイはそれを答えることを拒否した。
 アスカはどうだろうか。

「それが、何か関係のあることなの?」

 口調がとげとげしい。やはり、答えたくはないようだ。

「二人とも、革命的に変化したからね。何があったのか気になるのよ。それに、彼がいったい何を知っているのかもね」

 レイは何も答えなかった。彼女はおそらく、ミサトやアスカよりも若干少年の真実に近いところにいる。
 だが、彼女にも彼の本心は見えない。分かるのは、彼が自分を好いてくれているということだけだ。
 いや、それも彼の本心ではないのだろうか……。
 レイは、温かい温泉の中にいるはずなのに、急に回りが寒くなったような気がした。






拾肆

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