僕の中に何かがいると感じたのは、あの三年前の墓参りの時だった。
 目の前にいる大きな父さんに対して、異常なまでに盛り上がった『殺意』。
 それが僕自身から生まれたものではないということを、僕は当然のように分かっていた。
 十一歳。
 僕も、そして『あいつ』も、まだ世の中のことなんて何も知らない歳。
 ただ、世界は僕に冷たく、僕も世界を拒絶していた。友達も作るつもりはなく、ただ一人でチェロと戯れる毎日。

『君は誰?』

 何度問いかけても答はなかった。
 ただ、僕の中に何かがいるのなら。

 ──僕のことを、理解してくれているんだろうか。

 そんなことを、少しだけ期待していた。



 現実は、そんなに甘くなかった。












The end of Another World

episode 1

──『罪』と『罰』──












 もっとも、純然たるコピーに対し、機体も体調も万全のアスカとレイの二人組が劣るはずもなかった。問題はその数だけだ。
 数の不利を補うために、零号機と弐号機はぴたりと背中を合わせる。それを取り囲むかのように九体のエヴァはこちらをうかがう。

「リツコ、アンビリカルケーブルの残は?」

「『シンジ君』から言われているから、何十個単位で用意してあるわよ。遠慮なくやってかまわないわ」

「ダンケ」

 アンビリカルケーブルが切断された時が一番の問題だ。内臓電源では行動不能に陥るまで五分。
 五分で殲滅はさすがに不可能だ。その場合は一機がバックアップに回り、そして確実に電源の補充を行う。
 そうして騙し騙し戦っていくしかない。
 それにしても、この槍。

「あのロンギヌスのコピーか。シンジもよくこんなものを作らせてたわね」

 使徒を倒す最善の方法ということで、加持に渡したメモ書きの中にその製作指示が書かれていた。アルミサエル戦に間に合うのが理想だったが、さすがに少年が眠りについていた三十日間のタイムラグ、あれが大きかった。
 とはいえ、最終戦に間に合ったのならそれで充分だ。

「来る」

 零号機のレイが口にした途端、四機のエヴァが飛び上がった。残りの五機は一斉に駆け出す。
 黙っていては、一斉に殺されるだけ。
 ならば、突撃する。
 二人は同時に駆け出し、それぞれ目の前の一機に集中した。
 だが、時間をかけて確実に仕留めるようなことはしない。まずは相手を撹乱し、確実に一機ずつ減らしていかなければならないのだ。

「このおっ!」

 アスカは目の前の機体に一撃をくらわせると、その囲みを抜け出して敵と初号機の位置を確認する。レイもダメージは受けていないようだった。そして今攻撃した相手にロンギヌスを突き刺す。

(全滅させるのは骨が折れるわね)

 その一機に攻撃した瞬間、周りの数機が飛び上がって攻撃をしかけてくる。

「くっ!」

 とどめを刺すにいたらず、中途半端なまま回避行動に移る弐号機。
 その間にも、攻撃を与えたエヴァはS2機関を使って再生していく。

「くたびれる相手ね」

『確実に一機ずつ潰していくわ』

「もちろん!」

 そうして、零号機と弐号機が、同時に馳せる──






 発令所は二機のエヴァをバックアップするため、迎撃ミサイルや自走式戦車などからの攻撃を加えていくが、囮にすらならない。エヴァシリーズは全くそんなものを意に介さず、ただ執拗に二機のエヴァだけを捕らえようとする。

「手詰まりね。せめて、あと一機。初号機さえ動けば……」

 だが、その初号機を動かすことができる少年は、もはやこの世にない。いや、生きてはいるが現れることができない。
 この状況で、他に手の打ちようがリツコにはなかった。
 ゼーレは既に滅びている。あとは、渚カヲルの意思を受け継いだあのエヴァシリーズを殲滅すればすべてが終わるのだ。
 それなのに、その最後の敵がこれほどまでに厄介なものだとは。

「何かバックアップ可能な兵器はないの?」

「ありません。N2も全部使ってしまいましたし……」

 誰もが頭の中に、初号機の姿が浮かぶ。少年さえいてくれれば。彼がこの場にいてくれたなら、きっと自分たちは何も悩むことはなかっただろう。

『私が隙を作ります。赤木博士』

 ──と、そこに通信が割り込んできた。






「こんのおおおおおっ!」

 ダメージを与えてもすぐに後ろに下がり回復してまた攻撃をしかけてくる。これではトカゲの尻尾切りだ。いつまで経っても終わらない。

『私が囮になるから、アスカが一体倒して』

「アンタバカァ!? それで八対一になったらなおのこと不利じゃない!」

『でも、このままだと』

「大丈夫よ。隙を見つけて確実に攻撃をすればなんとでもなるわ。あいつらの武器は私達を傷つけることはできない。それなら、このまま確実に倒すことができるまで待つのよ。いい、アタシが何も言うまで特攻しちゃダメよ!」

『分かったわ』

 レイは素直に従う。そしてこう続けた。

『信頼してるわ、アスカ』

 そんなことを、こんなときに。
 全く、この優等生の微笑みは、信頼していない時は腹立たしいというのに、心が通った時にはこんなにも綺麗に見えるものなのか。

(だからって、負けないからね!)

 何に対して張り合っているのかはアスカも意識しているわけではない。だが、彼女たちの先に一人の男性の影がちらついているのは間違いのないことだった。

「レイ! タイミングを合わせて!」

『了解』

 二人が同時にスタートを切る。手薄になった二体のエヴァ目掛けて。

『あああああああああああああああっ!』

 二人の叫びがコンジャクションする。そして、二体のエヴァが左右に離れた。

「レイ!」

『分かってる』

 その二体のエヴァの、一体だけに二人は標的を絞った。
 後ろから追いすがってくる他のエヴァに邪魔されないように、その場に立ち止まるようなことはしない。とにかくコアだ。そこだけを貫く。それで事足りる。
 近かった零号機がエヴァの頭を刎ねる。
 そして、後から続く弐号機が、エヴァのコアを貫く。
 ロンギヌスの力をコピーした槍が、S2機関に強制停止を命じ、そして──ついに、エヴァの一体が動かなくなった。

「アイン!」

 一体目、と数えたアスカが背後に衝撃を受ける。エヴァシリーズの一機が何と組み付いてきたのだ。

「このっ!」

 振りほどこうとするが、両腕でホールドしたエヴァは離れようとしない。そしてそのエヴァが顔を上げてにやりと笑ったように見えた。

『アスカ!』

 他のエヴァが群がろうとするところを零号機が牽制して近づかせないようにする。だが、弐号機とエヴァとは全く離れず、ひたすらもがいている。そして──アンビリカルケーブルが抜けた。

「ちっ!」

『アスカ、離れないと──』

 分かっている。次にこのエヴァが何をしようとしているかということは。

「A.T.フィールド全開!」

 振りほどけないのなら、ダメージを最小限にするしかない。接点に直接A.T.フィールドを張り、衝撃を和らげる。

 エヴァシリーズが、コアもろとも自爆した。

「ぐっ、ぐううううううっ!!」

 爆風と共に、十字の光がそこに現れる。だが、弐号機は軽傷で済んでいた。これで二体。

「リツコ! アンビリカルケーブル!」

『Eの四番が近いわ。弐号機から見て左後方一キロ』

『援護するわ』

「ダンケ!」

 残り四分三八秒。時間は無駄にできない。急いでビルまでかけつけなければならない。零号機が槍で牽制しながら先頭を行く。弐号機がそれに続く形を取る。

『アスカは接続を最優先に』

「モッチのロン!」

 そんな言葉を少年が聞いたら、アスカも日本語が上手くなったとでも言うだろうか。
 だが、現実はそれほど甘くない。群がる七体のエヴァを前に、無事にアンビリカルケーブルを接続するなど自殺行為に等しい。

『A.T.フィールド全開』

 零号機がA.T.フィールドを広げていく。その絶対障壁が一瞬だけエヴァシリーズの接近を食い止める。
 弐号機が三極プラグを取り、接続しようとする。が、

『キエエエエエエエエエエエエエエエエエッ!!!』

 エヴァの一体が出した『声』が、衝撃波となって弐号機を襲う。

「くっ!」

 それでも三極プラグを手放さなかったのはアスカの功績だが、衝撃波によって三極プラグそのものが破壊されてしまっていた。しかもその隙に三機のエヴァが弐号機に飛び掛かってきている。

『アスカ!』

 A.T.フィールドを張り続けている零号機は救出にいけない。

(ここまでなの!?)

 既にエヴァシリーズは目の前にまで迫っている。攻撃も回避もできない──

『アスカさん!』

 その三体のエヴァと弐号機の間に、エヴァの最高速度をも超えるスピードで『それ』が突入してきた。

「トライデント!?」

 それは、戦略自衛隊が開発した陸上用軽巡洋艦「トライデント」。ムサシ・リーが乗艦していた一番艦「震電」であった。
 パイロットの居住性を犠牲にしているため乗りこなすのは相当な修練が必要とされる。こんなものを乗りこなすことができるのはネルフの中には一人しかいない。
 三体のエヴァの攻撃を背に受け、トライデントが右手に持つものを伸ばす。

「マナ、あんた!」

『アスカさん、これを──』

 トライデントが運んできたのは、三極プラグ。もちろんアンビリカルケーブルがついたものだ。

「メルトダウンする可能性があるものでこんなところに来るんじゃないわよ!」

 と言いながらもそれをしっかりと受け取り、接続する。弐号機は再びフルチャージされた。

『大丈夫です。シンジくんの指示とネルフの技術で、動力は安全なものに代わって──きゃうっ!』

 話をしている間にも、エヴァの攻撃によってトライデントは地面に倒される。

「このおっ!」

 弐号機が槍でそのエヴァを貫く。

「ドライ!」

 そしてそのエヴァを貫いたまま振り回し、別のエヴァにぶつける。その衝撃で槍を引き抜く。そして、弐号機に群がっていた残りの一体を貫く。

「フィア!」

 そして、エヴァと衝突した残りの一体を容赦なく貫いた。

「フンフ!」

 これで、残るは四体。

「マナは下がってなさい! 待たせたわね、レイ! 一気に沈めるわよ!」

『了解』

 二対四。戦況はようやく、ネルフに有利な展開となっていた。






 何とかなりそうだ、という雰囲気がようやく発令所にも広がってきた。
 同時に、ロストしていた七人の技術者たちも捕らえられたという連絡が入り、発令所の封鎖が解かれる。

「これで何とかなりそうですね、先輩!」

 マヤの声もはずんでいる。マコトやシゲルなどのオペレーターたちの作業にも俄然、力がみなぎってくる。

「そうね」

 だが、リツコは決して油断していなかった。
 あの少年──渚カヲルが、こんな簡単な障害だけを残してこの地上を去ったなどと、本当に考えられるのだろうか。
 まだ何かがある。何か別の存在が、自分たちの前に立ちはだかりそうな気がする。
 それが何かは分からない。だが、きっとまだ何かが起こる。
 それまでは油断はできない。

 その時だった。

 発令所に入ってきた一人の人物。
 その人物の出現に、発令所の中が動揺を示した。
 この場所には最初からゲンドウも冬月もいなかった。最初から最後まで、リツコの指示によって発令所が動いていた。
 今更、ゲンドウにしても冬月にしても、戦いの最前線に来る必要はないのだろう。彼らはおそらく、人類補完計画の一番近いところ──ドグマにいるに違いない。
 だとすれば、ここに来て影響を与えられる人物など、一人しかいない。

「こんなところまで、何の用かしら──碇シンジくんの、本物さん」

 多少棘が入っているのはこの際、勘弁してほしかった。
 少年はその言葉を聞いて、動かそうとしていた足を、びくっと止める。
 だが、また勇気を持ってまた歩き出した。そして、オペレーター席まで行き、じっとパネルを見上げる。
 既に、五体のエヴァが沈黙している。S2機関を止められている以上、五体とも動けるはずがない。
 そして、零号機と弐号機はまだ五体満足。この分なら十分に勝てる。
 だが。
 少年は、何かに気付いたように叫び声を上げた。

「アスカ! 綾波! 逃げろ! アレが──ロンギヌスのオリジナルが来る!」






 その声ははっきりと、二人に届いた。
 そして、光速で接近するその物体を、二人は感知した。
 少年の言った通り、A.T.フィールドで防ぐなどということはせず、飛び退いて回避する。

 直後。

 弐号機がいた場所に、宇宙から飛来したロンギヌスが突き刺さる。
 そして──爆発を起こした。






 発令所は突然の爆発のためモニターが砂嵐に変わった。

「別の映像に切り替えます!」

 素早くマコトが遠距離カメラにモニターを切り替える。
 まだ爆心地は煙がもうもうと立っており、中の様子は見えない状況だった。

「零号機、弐号機の活動、及びパイロットの生存確認」

「零号機が脚部を損傷していますが、軽傷です」

 映像で見るよりも先に状況だけが伝わってくる。無事だということが伝わるのはありがたいことだった。

「エヴァシリーズ四体の活動も確認」

 続く報告に多少残念な気持ちも生じるが、そんな都合のいいことは期待していなかった。

『なんだってのよ、いきなり!』

 弐号機からアスカの声が聞こえてきた。

『碇くん、そこにいるの?』

 そして続くレイの声。

『そうよ。シンジ? 目、覚めたの?』

 エヴァ二体から立て続けに質問が浴びせられる。その質問で、発令所もようやくそこに立ち尽くしている少年のことを思い出した。
 少年が叫んでから、いきなりロンギヌスによる爆発が起こったため、誰も少年のことを気にしていなかった。

「ごめんなさい。僕は、皆さんの求めている碇シンジじゃありません」

 静かに少年は謝罪の言葉を述べた。

「それでもここに来たっていうことは、あなたはあなた自身で協力する道を選んだ、と解釈していいのかしら」

 リツコが少年を詰問する。その厳しい表情に少年はまた身をすくませるが、臆しながらも答えた。

「はい。僕だって、みんなが死ぬのはイヤですから」

 少年が──本物のシンジが、そう答える。

「エヴァに乗ってくれるの?」

 だが、続く答にリツコは落胆する。

「いいえ。僕は乗りません。僕がエヴァに乗る。それだけで人類補完計画が発動する可能性がありますから」

 だが、その言葉は同時にリツコに一つのひらめきを与えた。

「あなたも知っているの、未来を」

 少年だけではなく、アナザー──本物のシンジもまた、未来を知っているのだ。

「はい。僕とあいつは、あのリニアの中で同時にカヲルくんから教えられましたから」

 リニアの中で接触があった、という話は聞いている。もちろんそれが通常の接触ではないということも分かる。相手は使徒で、二人のシンジは精神的な存在だ。

「だったら教えてくれないかしら。彼はなかなかガードが固くて、私たちに何も教えてくれなかったから」

「当然だと思います。僕らはネルフやゼーレが何をしようとしていたのか、何をしたのかを全部知っています。父さんも、ミサトさんも、リツコさんも、あいつにとっては信頼できなくても仕方が無いものを僕らは見せられましたから」

 その口からはじめてファーストネームを呼ばれたリツコは少し肩をすくめた。

「シンジくんからそう呼ばれると新鮮ね」

「僕はずっと、リツコさんをそう呼んでいました。でもあいつはそうじゃない。あいつはネルフそのものを恨んでいるから」

「恨んで?」

「はい」

「それは今あなたが言った、信頼できなくても仕方がないものを見せられた、というのに関係があるの?」

「そうです。父さんは僕にトウジを殺させようとしたし、リツコさんは綾波を殺しました。そしてミサトさん。あいつにとっては一番嫌だったのがミサトさんだったんだと思います」

「私がレイを?」

 少年が何を言っているのかが今ひとつ理解できなかったが、どうやらその『見せられたもの』に何かがあったのだろうか。

「ミサトさんを嫌っていたのには多分理由はないんだと思います。無茶な命令をきかされたり、ちぐはぐなことを聞かされたり、色々なところに問題はあったんだと思いますけど、でも僕は」

「ミサトのことを嫌っていたわけではないのね」

「はい」

 少年は悲しそうに俯く。この世界のミサトは既に他界しているのだ。

「僕は今回の使徒戦の間、ずっと混乱していました。僕がずっと心を閉ざしていれば誰にも迷惑はかけない。あいつが全部、嫌なことは片付けてくれる。僕は逃げてたんです。逃げちゃだめだって、ミサトさんにも言われたのに」

「シンジくん」

「僕がエヴァに乗れば、父さんが人類補完計画を発動させようとする。だから僕は乗りません。でも、エヴァに乗らなくても僕にはできることがある。それは、未来を知っていることです。それに、あいつが何をしようとしていたか、何を企んでいたのか、それも全部知っている。あいつをこの地上に戻すことは絶対にさせませんけど、あいつのやりたかったことと僕のやりたいことは同じですから」

 そして、ようやく成長の色を見せた少年がパネルに向かう。

「アスカ、綾波、聞こえる?」

『ええ、全部聞いてたわよ、アナザー』

「僕がシンジなんだけど」

『うっさいわね! あんたは前にレイを突き飛ばしたでしょ! そんなヤツが今更アタシたちに何の用だってのよ!』

「みんなが生き残ること」

 少年は静かに答える。

「そのためなら、僕はもう怯まないって決めたんだ。アスカ、まずは残りの四体を倒す。ただ──」

 エヴァの残り四体が一箇所に集まる。そして、お互いに組み付き合う。

「そいつは強い。確実にコアを仕留めるんだ。奴等の狙いはエヴァそのもの、エヴァを食べること」

『エヴァを……食べる?』

 ぞく、と背筋が震える。

「そうだよ。エヴァはもともとアダムのコピー。エヴァシリーズが求めているのは、そのアダムの力なんだ」

『それを手に入れてどうしようってのよ』

「決まってる。カヲルくんが考えていたのはただ一つ」

 そして、エヴァシリーズが融合を始めた。
 四体のエヴァが徐々に一体化し、そして巨大化していく。

「人間を滅ぼす。このジオフロントそのもの──黒き月と呼ばれたものを地上に出現させ、アンチA.T.フィールドを発動させて地上の生物全てをLCLに戻す。それがカヲルくんが、ひいてはゼーレが考えた人類補完計画」

『ざけんじゃないわよ!』

 アスカが叫ぶ。そんなくだらない崩壊など絶対に認めない。

「そうだよ。だからそのためにも、そのエヴァシリーズは確実に殺さなければならないんだ」

 一体化した白いエヴァは飛来したロンギヌスを握る。そして戦闘体勢に入った。

「アスカ、綾波。今から、シンクロ率を高める方法を教えるよ」

 その言葉に、誰もが耳を疑った。

「やっぱり、シンジくんはシンクロ率を自在にコントロールしていたのね」

「ええ。カラクリが分かればそんなに難しいことじゃありませんから。アスカ。シンクロシステムの説明は今更不要だと思うけど──」

 エヴァはそもそもアダムの力をコピーしたもの。従って、それを人間が扱うとすれば、逆に精神が汚染されることになる。
 そのため、緩衝材としてのコアを必要とし、コアをエヴァの魂とする。
 そのコアと同調することによってエヴァを動かすと同時に、精神汚染を防ぐという構造になっているのだ。

「そのコアに使われているものが人間そのものだっていうのも、知っているよね」

『それがどうだっていうのよ』

「思い出して、アスカ。あいつがオーバーザレインボーで、最初にアスカに会った時に言ったことを」

『最初に……?』

 もちろん、忘れるはずもない。
 あの一言で、自分は強烈な印象を少年に抱いたのだから。


 ──アスカは、いらない子なんかじゃない。


「その意味を説明するよ。あの言葉は別に、碇シンジという存在がアスカを求めていたというわけじゃない。もちろんその意味もあいつにはあったんだろうけど、そこにはもう一つの意味がある」

『回りくどいこと言わないで、さっさと言いなさい!』

「うん。つまり、弐号機のコアに使われているのは、惣流・キョウコ・ツェッペリン。アスカのお母さんだ」

 弐号機からの音声が止む。
 その言葉の意味が分かったのか、アスカの表情が完全に固まっていた。

『……ママ?』

 愕然とした様子で呟く。

「そうだよ。アスカのお母さんはずっとそこで、アスカを守っていたんだ。アスカを見ていたんだ。アスカのためだけに、ずっとそこにいてくれたんだよ」

「シンジくん!」

 リツコもさすがにこの状況でそれを言うとは思っていなかったのか、我に返ると少年を止めようとする。

「大丈夫です、リツコさん。アスカ。お母さんはずっとアスカのことを呼んでたんだよ。ゆっくりと落ち着いて、そう、お母さんの声を聞いてあげて」





『ママ……ママ? そこにいるの? 本当に?』

 突然の事実に動揺していたアスカだが、それが本当だとしたら。
 今までずっと自分は、母親と共に戦っていたということになる。
 自分を捨てた母。
 自分を見ない母。
 ずっと、ずっと自分は、母に見てもらうために努力をしてきた。
 その、母が。

『そこに、いるの?』

 エヴァの中に呼びかける。

「アスカ」

 そして、答があった。

 ──ああ。

 アスカの目から涙が出る。

 私を守ってくれている。
 私を見てくれている。





「弐号機、シンクロ率、上昇!──百%で安定!」

 おおっ、と発令所がどよめく。この急激な変化に、さすがのリツコも言葉を失った。

「綾波、聞こえる」

『聞こえているわ』

「綾波も同じだ。あいつが言ったこと、覚えているよね」

『ええ』

「零号機のコア。何が使われているかは、知っているの?」

『知らないわ』

「そう。綾波が一番ほしかったもの、それがコアに入っているよ」


 ──絆が欲しい?


 レイの脳裏にそのフレーズが蘇る。そうだ、自分は絆がほしかった。だが本来、その絆として少年、碇シンジを求めたのではなかった。確かに今でこそ少年との絆は欲しいが、それ以上に欲しかったものは──

「綾波が欲しかった絆は、僕と父さんが持っているような『血』のつながりだ。でも、綾波にも血のつながりはあるじゃないか」

『でも、三人目以降は全部、殺してしまったと聞いたわ』

「そうだよ。綾波の自我が生まれるのはたくさんの中の一人だけだからね。死ねば別の綾波が自我を手に入れることになる。でも、死者は、そのままだ」

 綾波は表情を変えていなかったが、少年の言いたいことが分からずに困惑する。

「つまり、零号機のコアに使われているのは、一人目の綾波だよ」

『……』

 二度、瞬きをする。紅い瞳がかすかに揺れている。

「綾波にとってたった一人の家族だ。綾波のお姉さんだよ」

『おねえ……さん』

「そう。それは綾波だけが持っている絆だよ……僕も、少し羨ましい」





 今まで、自分には絆などないと思っていた。
 家族の絆がないのなら、せめて少年と愛を育むことができればいいと思っていた。
 だが。

『そこにいるのね』

 今まで強く意識したことなどない。
 心を開かなければエヴァには乗れない。だが、自分は誰に心を開いていたというのだろう。

『おねえさん?』

 呼びかけてみる。そして、答があった。

「やっと気付いてくれたのね。私と同じ、レイ」

 ──ああ。

 絆があることに、ずっと気付いていなかった。
 そんな自分を、いつでも見守ってくれていた。
 自分は。

 ──なんて、幸せ者なのだろう。





「ぜ、零号機もシンクロ率百%です!」

 全員が大きく息をつく。この状況で、まさかここまでの成長を急激に遂げるとは。

「たいしたものね、シンジくん」

 だが、ここにいるのはアナザー──本物のシンジの方であって、すべてを計画していた今までのシンジではない。

「僕は何もしていません。全部考えたのはあいつの方です。最初から最後まで、どうやってアスカと綾波を最終戦で自分のベストパートナーにするか、それだけを考えて二人を教育していたみたいですから」

「教育ね。でも、この場で今の話をするのは相当なリスクだったのではなくて?」

「今までのシンクロ率だったら殺されるだけだって思ってたみたいです」

 あっさりと少年が言う。

「あいつは分かってたんです。エヴァシリーズとの戦いでは、中途半端な力では役に立たないっていうことを。それどころか、あいつはこの先を考えているみたいでしたから」

「この先?」

「はい。ゼーレが裏で操っているならともかく、全てを知っているカヲルくんが、このままで終わらせるはずがありません。きっと、何か別の攻撃をしかけてくるに違いない。あいつはそう考えていました」

「何をするつもりだと?」

「分かりません。でも、僕も思います。今のアスカと綾波なら、エヴァシリーズに勝てます。でも、それで終わりだとしたら、最終戦にしては随分と楽すぎます。少なくとも僕らが楽勝できるような最終戦を用意したりしません。生と死が等価値だというカヲルくんなら、勝つか負けるか、五分五分のものを用意する」

 少年は全く笑わない。慎重になっているとも、脅えているとも取れる。

「とすると、エヴァシリーズを倒した時に何かが起こる……」

「と、思います」

 少年はじっと画面を見る。ようやく零号機と弐号機も戦闘態勢を取った。






 白いエヴァがロンギヌスを振るう。
 だが、シンクロ率が過去にないほど高まっている弐号機と零号機は衝撃波を軽く回避した。
 シンクロ率が高いのは逆にダメージを直接受けるということでもある。少年が過剰シンクロしたときのような、ダメージのフィードバックこそないものの、激痛はそのまま生じるのだ。
 零号機がA.T.フィールドの中和に入り、弐号機が槍で白いエヴァを刺す。
 だが、白いエヴァも黙ってはいない。ロンギヌスを合わせて弾き合う。
 その時既に、零号機が背後に回っていた。その手にした槍で白いエヴァを貫く。
 動きが止まったエヴァを、今度は前から弐号機が槍で貫く。
 二方向から貫かれた白いエヴァは、ついに動かなくなった。






「やった」

 マコトが固まったまま呟く。

「倒した……のか?」

 シゲルも半信半疑といったところだ。
 だが、リツコと少年だけは、それが終わりだなどとは信じていなかった。
 エヴァシリーズとの戦いの終わりは、次の戦いの始まり。
 間違いなく、この『次』がある。

「まだだ!」






 少年の声に、白いエヴァが緩慢な動作でロンギヌスを持ち上げる。そして──自らの胸を突き刺した。

「なによ!?」

 アスカが驚いて一歩後退する。

『アスカ、綾波! 退け!』

 少年の声に、考えるより早く二機のエヴァは離脱を図った。
 直後──その白いエヴァが大爆発を起こした。

「なんだってのよ、いったい!」

 爆風で、何が起こったのかを見ることができない。

『あれは自爆したんじゃない。S2機関を暴走させたんだ』

「暴走?」

 少年の言葉に顔をしかめるアスカ。

「どういうことよ」

『S2機関が暴走したら、そこに虚数空間との接点が生じる。おそらく、カヲルくんの狙いは、虚数空間に落としたもの』

 風が治まり、土煙が晴れ。
 そこに、一つの影があった。
 白いエヴァではなく。
 色を言うのなら、紫。
 形を言うのなら、初号機によく似ていた。

『最初の人間にして、第一使徒、アダム』












──『真実』と『嘘』──

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