もちろん、そんなやり取りをしている間もアダムとエヴァの戦いは続いていた。
 いや、それは戦いではない。アダムにとってはただの攻撃の連続、エヴァにとってはただの回避の連続だった。
 たとえ、A.T.フィールドを全開にしたところで、あの光を一撃でも浴びたならば、一瞬でやられるのは間違いない。
 それだけの力の差がある。シンクロ率百%など、この化け物を相手にいったい何の効果があろうか。

「勝ち目なしね」

 だが、自分たちが引けば世界はもう、助かるまい。
 すべては自分たちにかかっている。それは分かっていた。

『ああああああああああああああっ!』

 だが、零号機がその光を浴びて、その場に倒れる。

「レイっ!」

 それに一瞬気を取られた──それが最後だった。
 アスカの目の前が、白く染まる。

「あああああああああああああああっ!」

 そして、がくりと崩れ落ちた。

 全身を焼かれる痛み。
 ただ、まだ意識だけは残っていた。それすらも、もはやおぼろげであったが。

『零号機、弐号機とも、大破!』

 マヤの声がうるさく頭に響く。
 だが、大丈夫。
 私は、まだやれる。
 この局面を打開して、必ず『あいつ』にもう一度出会う。

 それまで、死ねない。

 紫の巨人が、自分の目の前に立つ。

(ここまで、か)

 だが、自分の命運が尽きたと悟るのは簡単なことだった。
 アダムが大きく息を吸い込む。死ぬ。そう思った。

『アダム!』

 が、そこによく耳慣れた声が聞こえた。

「……嘘」

 信じられない。
 彼が、そこにいるなんて。

「シンジ……」

 紫の巨人が、二体になった。












The end of Another World

episode 3

──『存在』と『時間』──












「アスカ、綾波。大丈夫か!?」

 彼の声が──いや、アナザーの声が聞こえる。だが、それに答える力はあっても、立ち上がる気力まではない。

「なに、今頃のんびり来てんのよ……!」

 口にするのも辛いが、それでも愚痴を言わずにいられなかった。

「ごめん。でも、もう大丈夫。あいつは、僕が倒す」

 アダムを倒すことができるのは自分だけだ。何故なら『あいつ』は倒し方を知っている。それなら自分にだって分かるはずだ。

「行くぞ、アダム」

 アダムと戦って勝ち目がないと言ったのは自分だ。だが、戦う中で『あいつ』が気付いたことに、自分も気付かなければならない。
 リツコ作成のロンギヌスのコピーを強く握る。
 そういえば、自分がエヴァを操縦するのは実際には初めてだった。『フィルム』の中で何度も見たし、それ以上にシンクロシステムのことを既に完全に理解している。アスカやレイ同様、シンクロ率百%を出すのは難しくない。
 だが、問題はアダムの力を上回ることは、たとえ初号機の力を全開にしても無理だということだ。何故なら、初号機はアダムのコピーだからだ。アダムが初号機に似ているのではない。アダムに似せて初号機を作ったのだ。

「くらえっ!」

 正攻法で槍を突く。だが、アダムはそれを回避して目の奥を光らせる。
 新たに現れた自分を敵とみなしたのだろうか。それとも、自分と同じ格好をしている初号機を不思議に思ったのかもしれない。いずれにしても、戦端は開かれた。

「A.T.フィールド全開!」

 A.T.フィールドではアダムの攻撃は防げない──少年の理論ではそうなる。だが、初号機だけは別だ。アダムのコピーである初号機の力があれば防ぐことができるのではないか。そう少年は計算した。

「くっ」

 アダムの『光』が初号機に照射される。ラミエルの加粒子砲と同じ威力の攻撃に、A.T.フィールドを展開しながらもダメージを防ぎきれない。
 だが、ラミエル級の攻撃を防げているということは、自分は『フィルム』の自分よりも確実に強くなっているということか。
 だが、結果として、倒せないのでは意味がない。どうすれば倒せるのか。何をすればダメージを与えられるのか。
 トライデントは戦線離脱。
 零号機と弐号機は既に倒れて動けなくなっている。二人ともエントリープラグから救出はされただろうか。
 もう自分一人しかいない。世界の命運は、すべて自分が握っているのだ。

「何故、アダムは」

 あいつはアダムを敬遠していた。そして、アダムはこうして自分たちの前に立ちはだかり、人間を滅ぼそうとしてくる。
 何故アダムは、自分の子である人間を滅ぼそうとするのか。

(リリスの子だから、か)

 アダムの最初の妻、リリス。そしてアダムの肋骨から造られた二番目の妻、イヴ。
 彼が愛したのはイヴであって、リリスではない。

 いわば人間は、アダムにとっては望まれなかった子。

(僕と同じか)

 望まれずに生まれた子がどうなるかは、自分が一番よく知っている。
 そして、望まなかった子をどう思うか。それは、碇ゲンドウがよく知っているのだろう。
 だから『フィルム』の中でゲンドウはアダムと融合することができた。精神状態が似通っているからだ。

「父さん」

 既に、碇ゲンドウは殺した。自分は父殺しだ。
 そして今また、アダムの中に、父親の影を見る。
 もう一度世界は、自分に父親を殺せと言う。

「何回だって殺す。僕の、大切な人を守るためなら」

 そして、自分自身を守るためなら。
 初号機は再び槍を構える。アダムは初号機を叩き伏せるために力をため、跳躍して襲い掛かってきた。
 肉弾戦の方がどちらかというと得意だ。『フィルム』でも倒した方法として一番多かったのはプログナイフだ。第十四使徒戦でも取っ組み合いになって相手を上回ったという実績がある。
 ただ、今回は相手が悪い。
 最初の飛び膝蹴りを受け止めた直後、その体勢のまま、アダムの右手が上から落ちてくる。頭はかわしたものの、左肩に落ちた。鎖骨に皹が入ったのが分かる。

「ぐっ」

 だが、そこで力を緩めるわけにはいかない。少年はアダムを地面に叩きつけ、馬乗りになって上から槍で貫こうとする。

『目標内部に高エネルギー反応! シンジくん、避けて!』

 マヤの声が聞こえ咄嗟にとびのく──わずかに遅れて、空目掛けて加粒子砲が照射された。あの距離ではまともに受けたら助からなかっただろう。
 そう。アダムは何の前触れもなく『光』を放つことができる。あれは脅威だ。
 少年は立ち上がったところを見計らって、ロンギヌスの槍でアダムを突く。
 アダムはそれを何とも思わず、体で受け止めた。その硬いボディに接触したが、その衝撃で逆にロンギヌスコピーの方が折れてしまった。

「なっ」

 その直後、うなりをあげてアダムの右拳が初号機の顎を殴り上げた。

「がっ」

 その衝撃で脳震盪を起こし、目の前が見えなくなる。そして──

「A.T.フィールド全開!」

 何が次に来るのか予想した少年はフィールドを展開する。そして、加粒子砲の直撃を浴びた。なんとか致命傷を免れはするものの、全身が火傷したような衝撃を受けた──










『だから言っただろう。俺に体を寄越せ、と』

 目が見えない代わりに、自分はあの電車の中にいた。
 もうあいつは目の前の席に座っていて、冷静に自分を見つめていた。もう諦めたのだろうか。それともまだここから起死回生の方法でも持っているというのだろうか。

「どんなことがあっても、それだけはできない」

 ここに来て、自分はいまだ頑固だった。
 確かに自分ではアダムにかなわないのだろう。だが、この信じられない男にすべてを託すのではなく、自分でやれるだけのことをやりたい。逃げたくない。

『あのな、シンジ』

 だが、相手ももう自分を追い詰めようとはせず、ただ静かな声で話しかけてくるばかりだった。

『自分ひとりじゃできないことを誰かに頼むのは、逃げじゃないだろ』

「分かってるよ。でも、お前にだけは頼まない」

『やれやれ。俺と違い、父親に似て頑固な奴だ』

 肩を竦める。だが、彼はそれで諦めなかった。

『なあ、シンジ。俺とお前の違いは、何だと思う?』

「違い?」

『ああ。俺がお前に食われた、その理由だ』

 そんなことを言われても分からない。だいたい、自分はこの現象を意識して引き起こしたわけではないのだ。

「そんなこと分からないよ」

『そういうものは仮説を立てて検証するもんだ。おそらく、碇ユイは計画的にこれをやってのけたのだと思う』

 自分の顔色が変わったのが分かった。

「どういうことだよ」

『碇ユイは受胎した直後から、俺たち双子のことをじっくりと観察していた。そして、一人に絞ることにした。ミッシングは本来、もっと早い段階で起こるはず。それを受胎後四週間もしてからなど、ありえない。おそらくユイが、お前に俺を食わせたんだ。どうやったのかは、もはや永遠の謎なんだろうがな』

「そんな」

『だが、そうするおかげでこの体の中には二つの自我が生まれた。ユイの目論見では、俺とお前がうまく協力することができれば、アダムや使徒たちとも戦える、と思っていたんだろう』

「勝手すぎるよ! 僕たちは、誰の道具でもない!」

『その通りだ。俺たちは今まで、常に誰かの道具として生きてきた。もうそれは卒業するべきだろう』

 その、前の座席からゆっくりと手を伸ばしてくる。

『俺もお前が嫌いだ。この世界に生まれるチャンスを潰したお前が憎い。だが、考えてもみろ、シンジ。俺とお前は、二人で一人だ。どちらかが体を使えば、永遠にどちらかは闇の中だ。右も左も、上も下も、前も後も分からない、虚空の中に一人でたたずむ恐怖はもう、お前にも分かっているはずだ。誰も自分に気付かず、自分の意識だけが異世界に存在する。声を出すことはできなくて、想いは誰にも届かない。自分だけが闇の中。誰もがみんな、自分とは別の世界にいる。正反対の、自分自身でさえも。そんな状況で、お前はいいのか』

「い、いいわけ……ないよ」

『なら、俺の手を取れ』

 これは、彼が誰よりも憎い自分に対する、最大限の譲歩。最大限の妥協。

『俺とお前は、今度こそ本当に一つになるんだ』

「一つに?」

『そうだ。一卵性だった俺たちは、何の因果か二つに分かれてしまった。そして、意識だけが残ったまま、一つの体の中に存在することとなった。だが、もうそんなことはどうでもいい。あるべき姿に、受胎した直後に戻るんだ。そうすれば、俺の意識も、お前の意識も、いつもこの世界にいられる』

「僕は、どうなるんだよ」

『融合すれば、俺もお前も消える。だが、俺もお前も永遠にこの体の中にいる』

「そんな。じゃあ──僕は、僕の存在がなくなってしまう。それに、お前も」

 だが、目の前の自分が諦めたように笑った。

『じゃあシンジ。『存在』ってのは、どういう意味だ?』

 突然言われても言葉に窮する。答えられないでいた自分に彼がさらに話しかけてくる。いや、その目は自分よりもはるか遠い、どこか別の場所を見つめているようにも感じられた。

『デカルトは言った。我思う、故に我あり。思うことが存在の証明だと。だが、それは、違う』

「違う?」

『そうだ。人間は存在しているからこそ考えるのであって、考えることが存在の証明ではない。順序が反対なんだ。俺は自分でこの体を自由に使えるようになってから、学校の図書館やインターネットで色々なことを調べた。いったい俺の存在は何なのか。ミッシングツインのこともそうだが、それ以上に、俺がこの地上で生きている理由──存在理由が知りたかった』

 その気持ちはきっと、シンジ本人などよりずっと強かったに違いない。
 十四年間、一秒たりとも途切れることがなかった意識。暗い闇の中で、誰も自分に気付くことなく、ただひたすら自分の存在を示したかった『意識』。

『思っているから存在するだと? そんなのは嘘だ。俺は、俺はずっとあの闇の中にいた。だが、誰も、お前ですらも、俺の存在には気付かなかった。まあ、気付いてもらおうとも思わなかったし、何をしても無駄なのは分かっていたからな。だが、誰にも気付いてもらえない存在意識など、それは存在していないに等しいんだ。誰からもその存在を認められていないのなら、それは存在していないんだよ。俺はこの体を初めて使うその時まで、ずっと存在していなかったんだ』

「でも、お前はずっと僕の中にいた」

『もし仮に、俺やお前以外の意識がさらにこの体の中にあったとしたら、お前はどう思う?』

 言葉に詰まる。もちろん、そこには何者かがいることになる。いることになるが──

『知覚できない相手なら、いないに等しい。いてもいなくても変わらない。つまり、存在していたとしても、存在していないものと同じ、空虚なものだ。十四年間、俺がずっとそうだったんだ』

 何も言えない、言えなかった。彼は十四年間、ずっと自分一人だけの世界で生きてきて、その『答』にたどりついた。その考え方が客観的に間違っているかいないかはともかく、少なくとも彼の主観ではその考え方は正しいのだ。

『俺が存在していたのは、この第三新東京市に来てからのわずかな時間だけ。一年にも満たないわずかな時間だけが、俺が存在していられた時間だ。逆に言うならば、シンジ。お前が存在していなかった時間だ』

 自分の表情が強張ったのが分かった。

『俺たちは二つに分かれている以上、必ずどちらかが存在し、どちらかが存在しない。表裏一体の関係だ。だが、俺たちは──いずれも存在することが可能になる。一つになることによって。俺たちの意識を重ねることによって』

「でも僕は、お前と一つになんかなれない。お前は、カヲル君を殺した!」

 すると、もう一人の自分の空気が、少しだけ柔らかくなった。

『そうだ。俺はカヲルを殺した。俺は──そんな俺が嫌いだ』

 はじめて、彼はそんなことを言った。
 どんなときでも自信があって、すべての人間を引っ張っていけるだけのリーダーシップを持つ人間。

『俺はずっと憎んでばかりいた。自分の身を犠牲にして誰かを守ろうなんて考えたこともなかった。だが、お前の考えは──悔しいことだが、憎らしいほどに尊敬できる。自分が死んでも誰かを愛することができるというのは、俺には羨ましい。また、それだけの覚悟を持っているからこそ、誰よりも強くなれる。お前は、俺なんかより、はるかに強い』

「なに言ってるんだよ」

 少年が負けじと言い返す。

「お前は僕なんかより、誰からも好かれて、誰からも信頼されていたくせに。僕なんか、誰にも気付いてもらえなくて、誰からも疎まれて!」

『そうさ。俺たちはお互いに、自分を嫌いあっているんだ。それは──お互いが、自分のなくした半身だからだ』

 はっ、と気付いたように少年は彼を見つめる。
 まだ、その手は伸びている。

『俺の手を取れよ、シンジ。一つになれ、お前の意思で。そして、今度こそ『本当の自分』として生きるんだ』

「ぼ、僕は……」

 おずおずと、その手を伸ばす。

「僕は、お前が嫌いだ」

『奇遇だな。俺もだ』

 そして、二人の手が、重なる──










「うおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 その咆哮は歓喜の声。

『し、初号機、シンクロ率──二百%!』

 マヤの声が飛ぶ。

「うん。この体はなかなかいいもんだ」

 一体化した『シンジ』が不思議なことを呟く。

『シンジ?』

 通信からアスカの声が聞こえてくる。どうやら、アスカもレイもマナも、全員発令所に戻ってきているようだった。見れば三人とも大変疲れた表情だったが、いずれも自分に期待しているのが分かる。

「感度良好」

 はるか昔に、どっちかの自分が言った言葉を反復する。

『アンタ、大丈夫なの?』

「大丈夫も何も、俺はもう平気だよ、アスカ」

 その言葉に、全員の表情が変わる。

『俺って……シンジ? シンジなの!? アナザーじゃなくて!?』

 どうやって答えたらいいのかな、とシンジは考える。だが、面倒な説明をしている暇はないし、勘違いしてもらっていてもいいだろう。もう、アナザーだのなんだのというのは、自分たちには関係のないことだ。
 一つになったのだから。

「そう考えてもらってかまわないよ、アスカ。それに、マナ、綾波」

 彼女たちに向かって、にこりと微笑む。

「みんなのために、アダムを倒すよ」

 そしてすぐに、戦闘モードに切り替わる。

「来い、ロンギヌス!」

 そして、打ち捨てられていたオリジナルのロンギヌスを呼ぶ。その槍はそのまま初号機の手の中に収まった。

「さて、倒すぜ、アダム」

 獰猛な猛禽類の表情を浮かべた。



「何か、いつもと雰囲気が違いますね」

 マナが尋ねるが、レイもアスカも頷きながら頬を染めている。
 あれはいつものシンジとは少し違う。違うのだが──今までよりも、ずっと魅力的だ。

「な、何だってのよ……」

 この胸の高鳴りは。
 いままでもずっと少年に魅入られてきたが、今回はきわめつけだ。
 いつも皮肉な笑みしか浮かべていなかった少年が、自分たちのためだけに『笑顔』を見せた。そんなことは今までの少年にはありえなかったことだ。

「いつもの碇くんじゃない」

 レイが言う。その顔も少し顔が赤らんでいる。

「……もっと魅力的」

 そして同じことを考えている彼女に、思わず苦笑した。



 同時刻。

「いよいよだな」

 男が廃ビルの上に立って、はるか遠くにいる二体の紫色の巨人を双眼鏡で見つめている。

「そうねぇ。ま、なんとかなるでしょ。あのコ、強いもの」

 その男に、軽い口調で女が答える。

「メッセージ、届いたかな」

「見てはもらえたみたいよ。もっとも、解読できたかは分からないけど。それにしても、よく見つけたわねえ、裏死海文書のオリジナル」

「ま、それが仕事だからな」

 無精髭の男は肩を竦めた。

「あれに書いてある通りなら、聖書の記述で抜け落ちている謎はもうシンジくんに伝わっている。大丈夫、勝てるよ」

「ま、そう願いましょうか。でも、私はこのまま人類が滅びてもかまわないわよ」

 そして、女は男に寄り添う。

「だって、最後の時間をあなたと一緒に過ごせるんですもの」

 女は、嬉しそうに笑った。



「倒せる」

 ロンギヌスのオリジナル。そして、アダムの『弱点』──3-left。
 これだけのものが揃っていれば、十分にアダムを倒すことが可能だ。

 このロンギヌスは、かのイエス・キリストを貫いた槍。
 イエスが真実、神の子だったとしたならば、それを貫くことができる槍は特別仕様ということになる。
 そう。鉄がようやく普及したばかりの時代に、この鉄は『錆びない』鉄だったと言われる。それはイエスの血を受けてそうなったのだとも言われるが、詳細は不明だ。

 いずれにしても、これが霊的なものまでも貫くことができる槍なのだ。言い換えれば、アダムにダメージを与えられる唯一の武器なのだ。
 後は、アダムの『弱点』を貫くだけ。

「行くぞ!」

 初号機は馳せた。
 この戦いは長期戦じゃない。それこそ可能ならば一撃。
 どんなに攻防があったとしても、それほど長いものではない。







 アダムの光が放たれる。

 初号機は回避し、円を描いて背後に回る。

 アダムがそれを追うように転回する。

 ロンギヌスが上空から振り下ろされる。

 アダムが回避する──そこが、狙い。

 ロンギヌスを突く。

 同時に、アダムが光を照射してくる。

 A.T.フィールドなど、張る暇はない。

 それよりも先に、アダムを貫く──そう。

 加持とミサトが教えてくれた、アダムの『弱点』を。



『左の三番目の肋骨』の部分を。



 ロンギヌスが深く、アダムの体内に食い込む。

 紫色の、どろりとした液体がその傷口から流れ出る。

 その部分は、かつてアダムからイヴを作るために失われた場所。

 そして、やがて使徒として分裂したもの。

 二度と、アダムには戻ってこないもの。

 アダムの永遠の弱点。



「さよなら、アダム」

 祝福できない子を持った父。

「今、子供は父親を超えたよ」



 ──アダムが、爆ぜた。







「やった」

 発令所で最初に呟いたのは、その戦況をじっと見ていたオペレーターの青葉シゲルであった。

「ああ、倒した」

 日向マコトもスクリーンを凝視したまま答える。マヤが力をなくしたように呆然と見上げている。

「シンジ!? 無事!?」

 アスカの声で、誰もが我に返る。が、当の本人はぴんしゃんしていた。

「ああ、楽勝」

 にっこりと笑ってアスカに応える。本当に、今までのどちらのシンジとも違う様子に、思わず笑いがこぼれる。

「アンタらしくないわね。ま、無事ならそれでかまわないわ。そっちから見たアダムの様子はどう?」

「完全に消滅したみたいだよ。他の使徒と同じようにね。まあ、本当は紙一重の勝利だったんだけどさ」

 紙一重、と言われても戦っている場面を見ているだけの自分たちには分からない。

「どういうことよ」

「いやあ、加粒子砲をA.T.フィールドなしで受けちゃったから、一瞬で蒸発するところだったんだ」

 そのとんでもない発言に、思わず誰もが沈黙する。
 無論、その静寂を容赦なく突き破るのはアスカだ。

「あんたバカァ!? どうしてA.T.フィールド張んないのよ!」

「あそこで展開してたらロンギヌスで貫く時間がなくなってたからさ。まあ、最悪でも相打ちに持ち込め──」

『『『バカッ!!!!!!!!!』』』

 途中まで発言したところを、アスカと、レイと、マナとが同時に叫んだ。

「シンジくんが死んじゃったら、私」

 マナが思わず涙をうるませる。レイも「碇くん」と呟いたきり、何も言わない。だが、その表情は完全に怒っている。
 そしてアスカは、疲れたようにため息をついた。

「勝算があってやったんでしょうね」

「もちろんだよ。最悪でも相打ち、って言っただろ? ロンギヌスが届くのは分かってたし、アダムを倒せるのも分かってた。ただ、自分の身の安全がどこまで保障できるかということだけだったんだよ。うまいことに、加粒子砲が初号機に照射された直後、その熱量はすぐに失われたんだ」

「失われた? どうしてよ」

 分からないと首をひねるアスカに「俺も分からない」と同じく首をかしげるシンジ。

「ただ、もしかしたら、だけど」

「何よ」

「カヲルくんが、俺を助けてくれたのかもしれない」

 十五の使徒の肉体はアダムに還ることはなかったけれど、十五の使徒の精神はすべてアダムが所持している。ならば、そういうこともあるのかもしれない。
 真実はどうであれ、無事ならばそれでいい。

「まあ、いいわ。とりあえず戻ってらっしゃい。今日は祝勝パーティよ。もう思う存分、騒いでやるんだから!」

「碇くん」

 そして、その会話が終わるとレイが口を挟んできた。

「なに、綾波?」

「あなたは、誰?」

 さすがに鋭いな、とシンジは笑う。どうも二人のシンジが合わさると、こうも素直に感情を表に出せるのかと感心する。

「碇シンジだよ。みんなが知ってる二人のシンジが一人になったんだ」

「そう……じゃあ、あなたは以前の碇くんではないのね」

「厳密にはね。でも、綾波と今まで会話をしてきたのも、一緒に戦ってきたのも、学校に行ったのも、すべて俺がやったことだよ。そうだな、今までみんなと一緒にいたシンジに、アナザーの意識が加わったもの、と考えてくれるといいのかな? いずれにしても俺は今までどおりの俺だよ。少し性格がやわらかくなってるだろうけど」

「そう……ならいいわ」

 納得したのか安心したのか、レイはそれで質問を取り下げる。
 だが、それでは納得がいかないのがアスカの方であった。

「いいわけないでしょ! アンタの中にまだあいつがいるってんなら、この私がたたき出してやる!」

「無理だよアスカ。完全に合一しちゃってるんだから」

「うるさいっ! 私がやるって言ったらやるのよ!」

 無茶苦茶だ、とそこにいた人々は思った。だが、そんな会話ができるのも、すべてはシンジがアダムを倒してくれたおかげだからだ。





「やれやれ、うまく倒してくれたな」

 無精髭の男──加持リョウジは双眼鏡を置くと、そのビルの屋上で大の字になって寝転がる。

「ホント、よくやったわね、みんな」

 そして葛城ミサトもその隣で横になった。

 そもそも、加持は死んでなどいなかった。死んだように見せかけて姿をくらます。常套手段だ。だがこの場合、敵も味方も全員を騙さなければならない。それこそ、碇シンジ本人にも隠れきらなければならなかった。
 そうでなければ、オリジナルの裏死海文書など手に入らなかっただろう。
 死んだと擬態し、その足でオリジナルを手に入れた。
 そこで手に入れた情報をミサトのPCから直接流そうとしてコンフォート17へやってきたところ、運良く──といえばいいのだろうか、ミサトが二人の男に銃で撃たれるところだったのだ。
 手にしていたライフルを一斉射撃してミサトを助け、いっそのことミサトも裏の世界へ入れてしまった方が都合がいいと加持は判断した。そこで、その男たちの死体を重ねてライフルを放ち、原型をとどめなくなるほどの肉片に変えた。検死は行われるだろうが、それまでの時間稼ぎになればいい。あの死体はミサトではないどころか、男の、それも二人分の死体であることはすぐに気がつくはずだ。
 だが、この状況ではなかなかそこまで手は回らない。数日は肉片を『ミサト』と思ってくれるはずだ。その間に加持は別の国の国籍と身分証明書、パスポートを偽造し終わっていた。
 だから、もはやここにいるのは葛城ミサトではない。そして彼もまた加持リョウジではないのだ。全く別の人間の名前を持っているのだ。

「それじゃ、行きましょうか『ヒビキ』くん」

 彼女が笑う。

「そうだな、『ユキ』」

 二人はその後、ネルフのメンバーと顔をあわせることは二度となかった。





 発令所では相変わらず、シンジと発令所メンバーとの間での会話が行われていた。
 マヤも涙をこらえきれず、シンジにあれこれと話しかけている。三人娘は言わずもがなだ。

 だからこそ、気付かなかった。

 彼女に。

 彼女がゆっくりとパネルの前に座ったことに。

 そして、その手が決して伸びてはならないところに伸びていることに。

 スクリーンに映るエントリープラグの色が、一瞬で黄色に染まった。
 そしてシンジは何も発言することなく、がはっ、と息を吐き出して気を失った。

 突然のことで、誰も何が起こったのかが分からない。
 慌てて後ろを振り返ると、そこに、うつろな表情の赤木リツコがいた。

「先輩」

 マヤが自分の場所──リツコのいる場所へと戻る。そして、目を見開いた。

 LCL圧縮濃度──限界値を大きく振り切っている。

「な……なにやってんのよ、リツコ!」

 アスカが叫ぶ。すぐにマヤがLCL濃度を元に戻すが、既に少年の目と耳と鼻と口から血が流れ出ている。
 当然だ。
 限界値まであげただけで気を失ってしまうようなシロモノだ。それを大きく振り切っているということは、命に関わる。
 そう。リツコは、シンジを殺そうとしたのだ。

「せ、先輩……どうして」

 ふふふ、とリツコは空ろな表情のまま応える。

「シンジくんが……シンジくんが、悪いのよ。あの人を、殺したりするから」

 ぶつぶつ、とさらに理解できない独り言が続く。どうやら、ゲンドウが死んだときに彼女の心も完全に死んでしまっていたようだった。

「と、とにかくシンジくんの安全が最優先です! 心臓マッサージを! それから、すぐにケイジに戻してください!」

 マヤの指示が飛ぶ。そのパネルに映るシンジの心臓は、まさに停止寸前であった。

「碇くん」

 レイがケイジへと向かう。

「私たちも行くわよ」

「はい!」

 アスカとマナもそれに続いた。それをマヤが見送って、自分も傍にいてあげたいのに、と思ったが、それよりも自分は自分でできることをしなければならないと気持ちを切り替えた。

「……先輩を、病室へ。手荒にはしないでください。それと、見張りは常時、二人つけておくようにしてください」

 その指示を出したマヤは、勝利直後の喜びなどどこへ消えたのやら、どっと疲れて背もたれに体を預けた。

(先輩がいなかったら……ここの発令所はどうなるんですか?)

 頭の中で呼びかけるが、それに応える相手はもういなかった。










The End of the Another World

執筆:静夜





右も左も見えない虚空に佇む

途切れることのない意識が永遠に

僕から溢れて



このままどこまで旅を続ければいいの

見知らぬ土地、人、知らない言葉、誰も

僕を見ていない



I'm in the another world 届かない

I'm not the other one 気付かない

You're my only one 戻らない

You're not here, in the another world



僕だけが……闇の中















──それから──











「報告をもらおうか」

 既に組織のトップ、そして技術部長、作戦部長と、これだけのメンバーがいなくなっている。ネルフという組織が組織たりえているのは、ひとえに冬月の手腕によるところが大きかった。
 あれから一週間。
 既に、世界は新たな局面へ向かって歩みだしていた。
 ゼーレと呼ばれる組織は結局表面化せず、犠牲を払ってまで使徒との戦いに勝利したネルフを各国はこぞって褒めたたえた。
 そして、常に先頭に立って戦わなければならなかった十四歳の少年少女たちは英雄として取り扱われることとなった。

 もちろん、そんな評価など彼女たちにとってはどうでもいいことだ。外はお祭騒ぎかもしれないが、彼女たちはこのネルフにつめて既に一週間になっている。その間ずっとお通夜状態だ。

 シンジが、目を覚まさないのだ。

 たとえ世界が救われようとも、それでシンジがいなくなるのだったら、そんなことには何の価値もない。

「はい。ネルフに対する予算は大幅にカットされる見込みです。ただ、エヴァを担保にすることで資金提供を行うという国は後を絶ちません」

 ネルフは冬月が総司令代理に、そして作戦部長代理に日向マコト、保安部長代理に青葉シゲル、そして技術部長代理に伊吹マヤがあてられていた。

「エヴァをやるわけにはいかんな。それに、パイロットもだ」

 戦いは終わったのだから、アスカを本国に帰せと言ってきているのはドイツだ。ドイツはアスカを救世主とすることで、現政権を維持しようと企んでいるのだろう。

「やれやれ。ゼーレがいなくなった途端、どの国も好き勝手なことを言い出すようになった」

「今までの締め付けが強かったんです。仕方がありません」

「とはいうものの、ネルフも組織を縮小しなければならんな。もはや使徒は攻めてこない。だとすればエヴァンゲリオンの必要性そのものが問われる」

「やはり、エヴァは凍結しますか」

 その話題は二人の間でこの一週間、何度も話に出ている。

「やむをえんだろうな」

「では、その方向で事を進めておきます」

 マヤは一礼すると、この一週間で徐々に身につけ始めた威厳を身にまとって総司令室を出ていく。

「リツコくんという枷がなくなったおかげで成長したか」

 若い者が成長するのを見るのは嬉しい。それは昔、教授だったということに関係があるだろうか。

「その若者たちのために、もう少しがんばらなければな。せめて戦いが終わった子供たちの幸せくらい、守ってやらねばなるまい」

 全く、余計な仕事ばかりさせおって、と冬月は呟いた。





 その、シンジの病室。
 既に病院に泊り込んで一週間になる三人が、今日も会話もなくシンジの回りにただ座っていた。
 回りの人間からは、ここに自分たちがいても、シンジが目を覚ますことにはならないと何度も説得されていた。だが、三人は決して譲らなかった。もちろん、寝る場所は別に用意がされているし、食事の時間になったらそれぞれ食事に行く。
 だが、三人全員がシンジの傍から離れることはなかった。必ず誰か一人はついているようにしていた。
 そうしなければ、シンジが目を覚ました時に、一人ぼっちでいることになってしまう。
 とはいえ、さすがに一週間もすると、ネルフ的にチルドレンの二人がいつまでも病室にばかりいることはできなくなってきた。さらにはトライデントを勝手に使ったことにより、マナに対して証言を求めなければならなくなった。無論、冬月が既に手を回していて重たい罪になど決してならないのだが。
 三人が一度にシンジの下を離れるのは今日の夜。

 そして、シンジが目を覚ます可能性は、MAGIの試算で0.0000023%であった。

 脳神経が、完全にズタズタにされている。
 たとえ目を覚ましたとしても記憶障害は当然残るだろうし、体を自由に動かすことすら難しいだろう。
 それを考えると、目を覚まさないでいられる方がいいのかもしれない。

 だが、彼女たちは会いたかった。
 彼に。
 シンジに。

 声をかけてほしい。
 微笑かけてほしい。
 抱きしめてほしい。
 キスをしてほしい。

 三人とも、完全に碇シンジの虜になってしまっていた。
 だからこそ、三人とも何も話すことができないのだ。

 何かを話せば、その瞬間、もう諦めてしまいそうで。

「あの……」

 一週間経って、ようやく口を開いたのはマナだった。

「今日の夜……ですよね」

 三人がそろっていなくなる日。

「そうね」

「私……やっぱり、誰か一人だけでもここに残った方が」

「気持ちは分かるけど、マナ。せっかく副司令が短い時間で、私たちのためにセッティングしてくれたんだから、それを受けておく方がいいわ」

「はい。でも──」

「分かってる。私も同じ気持ちよ。レイもね。それに、ほんの半日でここに戻ってこられるんだし、今まで一週間目覚めなかったくせに、たった半日で目覚めたりしたら、その時こそ本当にぶっとばしてやるんだから」

 コクリ、と頷くレイ。そしてため息をつくマナ。

「シンジくんが……何をしたって言うんですか」

 その言葉を、誰もが我慢していた。
 それだけは言ってはいけなかった。
 それを言えば、全員が──崩壊する。

「何もしちゃいないわよ。こいつは、こいつが正しいと思ったことをやっただけ」

 直接のきっかけは、シンジがゲンドウを殺してほしいと冬月にお願いしたこと。
 これは、それに対する報いだ。

「でも、それはそこまで追い詰められたシンジくんが」

「分かってるわよ! それをやったのがアナザーで、それもシンジ本人には関係のないところで行われたからって、現実こうなってんだから仕方ないじゃない!」

 アスカも泣いていた。マナも泣いていた。
 そして、二人を見ていたレイもまた、何故か目の前がにじんで見えなくなる。

「涙……」

 触って確かめる。間違いなく、自分が流した涙。

「私、悲しいの? 碇くんと会えなくて、寂しいの?」

「レイ」

「碇くんに会いたい」

「私もよ、レイ」

 アスカは思わず、レイを抱きしめていた。そしてレイもアスカを抱き返す。

 ──それほどに思われているシンジは、まだ目覚める兆候がなかった。





 その夜。
 三人がいなくなった隙を見計らって、マヤが病室に来ていた。
 手には、リツコのPCから入手した、シンジの分析結果資料が握られている。
 そこには、信じられないことがいろいろと書いてあった。
 その中でも極めつけなのが、シンジの中で分泌されている成長ホルモンが、通常の二倍検出されているということだ。
 リツコの仮説では、おそらく二人のシンジが両方とも成長ホルモンを分泌させていたために、二倍の速さで成長したのだろうと結論づけている。
 そして同時に、細胞分裂のスピードが速い。軽く二倍はある。このままでは老化も極端に早くなる。通常の人間の二分の一しか生きることはできないだろう。

 だが、同時にこういう仮説も成り立つ。

(もし、シンジくんたちが本当に一つになったのなら)

 そのホルモン分泌は、元に戻っている──そういうことではないか。
 マヤはシンジの腕を消毒液を含んだガーゼでぬらすと、少し大きめの注射器で血液を採取する。
 そして、後始末をすると、その部屋から出ていこうとした。
 だが、少し立ち止まると、もう一回シンジの近くにやってきた。

 そして、その安らかな寝顔に、そっと唇を押し付けた。

「世界を守ってくれて、ありがとう、シンジくん」

 そして、自分を救ってくれて、ありがとう。
 そう。自分はずっと心に引っかかっていた。自分がシンジを殺す命令を出したということを。それが理不尽な命令であればあるほど、自分だけは抵抗するべきじゃなかったのかと、ずっと後悔していた。
 だが、シンジはそれを許すと言った。仕方がないと言った。悪くないと言った。そう、ほしかったのはその言葉だ。

(いけないいけない)

 自分はもう二十四歳。シンジはまだ十四歳だ。十も違う。

(私はお姉さんぽく、シンジくんの傍にいてあげるだけでいいんだよね)

 だが、既に彼に惹かれているということを半ば自覚していた。
 仕方がないといえばそれまでだ。恋愛に年齢は関係ないのだから。

(さて、仕事仕事)

 血液の分析は急ぐものではない。今はやることがいくらでもある。
 自分にできること、自分にしかできないことを、今はやるだけだ。


















終劇



















その夜……

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