ランクA昇格基準
 シンクロ率:二〇%以上で安定。
 ハーモニクス:三〇以上で安定。
 パルスパターン:All Green
 シンクログラフ:正常

 現在のランクAはチルドレン二名を除き、本部と世界十二支部全てをあわせて二十三名が在籍。












第捌話



千差万別












 昼食時、カオリと一緒に食事に来たシンジを見た何人かの適格者が驚いて道を開けるようにする。『本部最高のシンクロ率を持つ男』はあっという間にその存在が、少なくともランクB生の間には知れ渡っているようだった。
 一方で大多数の適格者たちはこちらをうろんそうに見つめる。『総合成績EのランクB適格者』という現実もまた同時にそこには存在しているのだ。
「便利でいいわね」
 込んでいる食堂を歩いていくのにカオリはそんな冗談を言ったが、とてもではないがそういう心境にはなれない。食堂で弁当にしようなどと何故カオリは言い出したのか。一度部屋に戻った方が気楽だったのに。
「人目がある方がいいでしょ。また待ち伏せされてたらどうするつもり」
 そういわれて、四時間目の前にあったことを思い出す。全く、自分は学習能力がない。確かに人目につかないところを歩けばどうなるか、考えれば分かりそうなものだ。
「野坂くんにも言われたでしょ。しっかり考えないと駄目だって」
「言われたけど、でも、じゃあそんなこと言ってたら部屋に戻れなくなるよ」
「だから、何のために私が一緒にいると思ってるのよ」
 はあ、とカオリはため息をつく。
「ごめん、迷惑をかけて」
「いいわよ。別に迷惑とは思ってないもの。一応行き帰りはなんとかなるけど、それ以外は自分で身を守らないと駄目よ」
「分かった」
 突然狙われる立場となっても実感がわかない。だが、現実に先ほどのように絡まれることだってあるのだ。
(こんな力、譲れるのなら譲るのに)
 だがそれをこの場で口にするわけにはいかない。特にランクB生はシンクロ率を〇.一%上げるのに躍起になっているのだ。自分の気持ちとは無関係に、そんなに数値が高いくせにわがままを言うなと文句を言われるに決まっている。
「美坂さんは、どうして僕を守ってくれてるの?」
 回りに人がいないテーブルに向かい合わせで着くと、小声で尋ねた。
「この間も言ったわよね。将来自分たちを助けてくれるんだから、先に恩を売っているだけよ」
「でも僕は」
「ストップ」
 かぱ、とカオリは自分の弁当箱を開く。
「まずは食事にしましょう」
「う、うん」
 ぱく、とウィンナーを食べるカオリを見ながら、シンジは首をかしげる。
 と、その時だった。
「お、いおったいおった。センセセンセ、見たで、昨日の結果!」
「よ、碇……って、お、お、お、女連れ!? いや〜んな感じ!」
 トウジとケンスケが近づいてきて、トウジはカオリの隣に、ケンスケはシンジの隣に座った。
「ち、違うよ。美坂さんとは」
「分かってるって。センセにそんな甲斐性あるなんて思ってへん。よ、美坂。久しゅう」
「お久しぶり」
 つんとした態度で美坂が答える。
「知り合いなの?」
「おう。去年に二ヶ月連続で美坂とは一緒の班になったんや。を、そういやあんときも美坂、センセのこと聞いとったな」
(──え?)
 カオリは箸を止めて、箱の上に置く。
「それって、どう──」
「鈴原くん。少し、話があるの」
 そして、感情のよめない様子で立ち上がる。トウジは「ええで」と答えて立ち上がった。
「ごめんなさい。少し席を外すけど」
「あ、うん」
「それじゃ」
 今までの五十倍くらい冷たさを感じながら、シンジは二人を見送る。
「どういうことだろ」
 シンジは隣にいるケンスケを見て呟く。
「さあな。それにしてもあれが美坂カオリか。噂通り、カタブツらしいな」
「噂?」
「ん? ああ、シンジは知らないか。俺もランクBの生徒全員のデータを集めるのは時間がかかったからな」
 確かにランクCからランクBになると同時に手に入る情報量は格段に上がる。その情報を残さずケンスケはダウンロードして自分なりに整理しているらしい。
「美坂さんの噂って、どんな」
「気になるか?」
「そりゃ、少しは」
「そうだろうな。一緒に弁当食べてるくらいだしな」
「それは、いろいろあって」
「分かってるよ。碇、他の奴に目、つけられてるんだろ?」
 さすがに情報通。ケンスケもそのことを既に悟っていた。
「もしかして、ケンスケとトウジが僕のことを探してたのは」
「ああ。絡まれてないかってトウジが心配してな。俺は杞憂だって言ったんだけど……何かあったのか」
「さっき、同じ班の人に絡まれて」
「桐島か?」
 予想外の人物の名前を出され、違うよ、と答える。
「じゃ、佐々の手下か。四人組がちょうど一つの班に集まるなんて出来すぎてるけどな。気をつけろよ、あいつら、本気でシンジのこと疎んじてるからな」
 それにしても、ケンスケはいったいどういうルートからその情報を持ってくるのだろうか。
「ところで、どうして桐島くんだって思ったの?」
 尋ねると、ケンスケも暗い表情で声を静めた。
「音羽の事件って、聞いたことあるか?」
 その話ならば、ちょうどさっきカオリから教えてもらったばかりだった。
「うん。ずっとランクBにいた二人からイタズラされて、今じゃ寝たきりになってるって」
「ああ。その二人を音羽にけしかけたのが桐島だ──って、噂があるんだ」
 シンジは言葉に詰まった。あの桐島マキオがそんなことをしている──とは、とうてい信じられないことだった。
「噂だぜ、あくまで。でもな、あいつが格闘訓練でもう五人も病院送りにしてるんだぜ。危険なことはできるだけ避けておくべきだろ」
「う、うん」
 どうしてこのランクBというところはそんなにも歪んでいるのだろう。ランクCまでは多少のやっかみはあっても、誰かを傷つけようなんてことは絶対なかったのに。
 そんなにもランクAになりたいのだろうか。エヴァンゲリオンを操縦したいのだろうか。
「ケンスケは他人を蹴落としてでもエヴァに乗りたいと思う?」
「そりゃま、人並みにはな」
 このネルフに来る前から自分たちは仲が良かった。ケンスケだけが先にネルフに入ったが、じきにトウジも自分も適格者になった。
「午後からは二班合同でハーモニクステストだな」
「え、そうなの?」
 合同で行うということが過去になかったので、シンジは驚いて聞き返す。
「ああ。このハーモニクステストってのは二十人以上がまとめてやるんだ。シンクロテストが一人ずつやらされるのと対照的にな。シンジは二班だっけ? だったら一班とだな」
「そうなんだ」
 興味なさそうに呟くシンジに、はあ、とケンスケはため息をつく。
「お前って、そういうとこホント無関心だよなあ」
「悪かったね」
 言われてシンジは端末を開く。そしてランクB一班のデータをロードした。
「あ」
 そこに見知った名前を見つけた。
 桜井コモモ。そして、倉田ジン。
 二人とも自分の同期だ。しかもジンは同期の中で唯一、シンジが同班になったことがある相手でもある。
「知り合いがいたか?」
「うん。同期の知り合い」
「そっか。知り合いがいるなら安心だな。やっぱ、お前が狙われてるのって気になるからさ」
 ケンスケがほっとしたように言う。
「ケンスケは僕を妬んだりとかしないの?」
 それは相手にとって、いささか無神経な質問だった。だが、ケンスケはその言葉の中に嫌味など微塵も入っていないことを知っているので苦笑するだけだ。
「しないよ。羨ましいとは思うけどな。だって、考えてみろよ。ランクAには定員なんてないんだぜ?」
 その通りだ。基準値をクリアさえすれば誰でもランクを上げることはできる。
「シンジがいるからランクAに行けないとかっていうならありうるけどな。要するにこの一ヶ月で俺がどれだけエヴァのシンクロシステムに慣れることができるかどうかっていう問題だろ? だったら妬む必要なんかない。素直に羨ましいと思ってればそれでいいんだ」
 たしかに多少の妬みは生じるだろう。シンジはできるのにどうして自分は、と。だがそれは言っても仕方のないことだ。別にシンジが合格しようとしまいと、それがケンスケの合否には一ミリも関係しないのだから。
「ただいま」
 そんなことを話し合っていると、いつもの無表情なカオリと、蒼白になっているトウジとが戻ってきた。
「……どうしたの、トウジ」
「なんでもあらへんっ!」
 そう言って、全力で食事を喉に通すトウジ。
(……何があったんだろう)
 ちらり、とカオリの方を見ると、彼女は笑顔で答えた。
「どうかした?」
 何か聞いてみろ、聞いたらどうなるか分かっているな。
 笑顔の裏にそんな言葉が見え隠れし、慌ててシンジは首を振った。






 そして、五時限目。ハーモニクステストの時間が来た。
 トレーニングルームにはシンジとカオリの他、まだ誰も来ていない、かと思われたが──
「とうっ!」
 突然シンジは背中からタックルを受ける。不意をつかれたシンジはそのまま前かがみに倒れた。
「なにす──」
「ははっ。シンジ、今日は一緒のトレーニングだな」
 そこにいたのは、小柄で元気な桜井コモモがいた。
 綾波と同じように、髪の色が薄い彼女。他の誰よりも目を引くのは決してその容貌だけではない。その元気で愛くるしい活動っぷりが最大の魅力だ。
「あ、そだ。また今月やるぞ、同期会」
 シンジの背に乗ったままコモモが言う。
「分かってるよ。メールにもあっただろ」
「シンジはいつも乗り気じゃないからな。でも、今回は胸を張って来いよな。これで一三年九月組から二人目のランクAが誕生するわけだし」
「勝手に決めないでよ」
「もう規定路線だろー? 羨ましいな、おい。くそう、私もやるぜ。まずは今日のハーモニクステストで勝負だ!」
 何をどう勝負するのか全く分からないのに、いつもコモモは元気だ。それだけが取得だ。
「おい、いつまでシンジの上に乗ってるんだよ、コモモ」
 ひょい、と彼女の体が誰かに持ち上げられる。小さくて軽い彼女を持ち上げることはシンジであってもできないことではないだろう。
「よ、シンジ。今日は一緒だな。よろしく頼むぜ」
 倉田ジン。同期八人の中では最も落ち着いていて冷静。リーダーと呼ぶに相応しい言動をする。もちろんシンジもこのジンに対しては色々なところで世話になっているし、信頼もしている。
「ジンくん。うん、よろしく」
 ジンが差し伸べる手を取って立ち上がる。
 こうして同期と一緒にいられるのは滅多にあることではない。シンジはいつも誰より昇格が遅れていたので、ランクDの頃にジンと一度一緒になったとき以外は、全く同班になったことがないのだ。
「それにしてもすごいシンクロ率だな。みんなお前に注目してるぜ。よくも悪くもな」
「そんなこと」
「あるって。あのシンクロ率、間違いなく実戦レベルだろ。コウキとも話したけど、このままだとシンジはエース格として扱われるぜ。何しろ、エヴァなんて最終的にはいかに操ることができるか、シンクロ率が高いかの勝負だからな」
 できれば、前線など出たくない。
 それでも回りは自分をそう扱うのだろう。本部最高のシンクロ率を出した者、エースパイロットとして。
「僕にそんなことができるとは思えないよ」
「シンジの悪い癖だな。力はあるのに、それを認めようとしない。ま、それがなくなればシンジじゃない気もするけどな」
 そうしているうちに、徐々に人が集まってくる。
 同期三人+美坂カオリという不思議な組み合わせを遠くから見る何人かの適格者たち。
 そして。
 桐島、マキオ。
 彼は申し訳なさそうな顔をして、シンジの方に近づいてきて、頭を下げた。
「さっきは、ごめんなさい」
 言われると、先ほどの痛みがぶり返してくる。もうほとんど痛みはなくなっているが、あのときの激痛は忘れることはできない。
「いや、こっちこそ相手にならなくてごめん」
「僕、戦いになると我を見失うんです。本当にごめんなさい」
 謝るだけ謝ると、マキオはまた離れていった。
 悪い人ではない。ケンスケの言うことは杞憂だろう。シンジがそう思ったときだった。
「マキオには気をつけろよ」
 コモモが突然、回りに聞こえないように言った。
「え」
「あいつ、お前のこと狙ってる。獰猛な肉食動物の目だ」
 大人しそうな、反省しているような表情。
 だが、コモモにはそうは映らないということなのだろうか。
「ま、シンジが私を信じるか、それともあいつを信じるかは任せるけど。でもな、私たちがどんなにお前を守ろうとしても、お前にその意識がなかったら守りきれないぜ」
 何度目だろうか、この台詞は。
 隣にいるカオリと視線を交わす。はあ、と彼女はため息をついた。
「全く、碇くんはみんなが守ろうとするのね。本当にプリンセスなんだから」
「碇姫か。なんだかお似合いではあるが」
 ジンまで悪乗りする。勝手にしてよ、とシンジは膨れた。






次へ

もどる