ネルフ作戦部による適格者の評価は、基本的な身体能力で定められる。基本七項目である筋力、持久力、知力、判断力、分析力、体力、協調性でランクが定められる。だがこの他にもいくつかの評価項目がある。
 ランクB適格者以上となるとシンクロ率やハーモニクス値などが出てくるが、それ以前にエヴァを操る場合、当然格闘や射撃という能力も必要になる。この訓練も必ず行われる。
 この格闘、射撃についてもランクが定められており、ランクEから始まってランクA、そしてランクSが存在する。
 格闘のランクSは本部の適格者の中では四人、射撃は十一人。いずれにしても狭き門であった。












第拾話



暗雲低迷












 二月十七日(火)。適格者たちの一日が今日も始まる。
 この日は一時間目が国語、二時間目が理科、三時間目が数学ときて、四時間目に射撃訓練が入る。
 シンクロ率、ハーモニクスともに本部最高数値をたたき出し、今や一躍時の人となっているシンジだが、そうしたエヴァの操縦以外のところは相変わらずからっきしだった。
 何しろ格闘ランクと射撃ランクは最低のE。本当によくこれでランクBまで上がってこれたものだと自分のことながら感心してしまう。それも全て親の七光りなのかと思うと、本気で上を目指している適格者に申し訳なく思う。
 もっとも、七光りが何人いようが、定員があるわけではない。何人でもランクを上げられるのだ。実力が全てのこの世界で七光りだからと妬むのはそれほど意味があるわけではない。そのためランクC以下の適格者たちについては、シンジをうらやむことはあってもそれ以上の行動に現れるということはほとんどなかった。
 行動に移そうといつでも身構えているのは、例の四人組だ。今日も今日とて、美坂と一緒にトレーニングルームに入ってきた時から四人組はにやにやとこちらを見て笑っている。
 そして射撃訓練が始まる。使う道具は基本的にピストルとライフル。エヴァが使用するタイプのものとほぼ同じ型のものを使う。もちろんサイズは全く異なるが、本番でスムーズに使えるようにするための配慮だ。
 狙ってもなかなか的に当たらないのはどうしたものか。座っていればいいだけのシンクロ・ハーモニクステストと違って、自分の体を動かすのはとことん苦手なシンジであった。
「どう、シンジ君?」
 教官役としてやってきていたミサトが尋ねる。
「よくないです」
「ふーん。そりゃ、あてようと思って撃たなかったらあたるものもあたらないわよ」
 突然そんなことを言われて、内心で苛立つ。こちらは一生懸命やっているというのに、その言い草はなんだろう。
「あ、ごめんごめん。別にシンジ君がてきとうにやってるとかじゃないのよ。ただ、一生懸命の方向が間違ってるだけ」
「方向?」
「うん。まずほら、基本姿勢をとって」
 言われた通り、ライフルを構える。
「はい。じゃあそのまま撃たずに待機」
「待機?」
「そう。ライフルの先を揺らさないようにね」
 言われてじっと待つ。だが、そうしているとライフルの先が微妙に揺れていることに気付く。止まれ、と念じても余計にゆらゆら揺れる。
「それがシンジ君の実力よ。きちんと的に向かってないから揺れるのよ」
「どうすればいいんですか」
 むっとしてシンジが尋ねる。
「的を見なさい。的の中心をじっと見るの。その的の中心だけに集中して、他のことは一切考えない」
 そのつもりでやっていたのだが、言われるままにライフルを構えて的の中心を見た。
 的の中心。
 同心円の一番中心の黒丸。
 そこだけに、意識を集中させる──
 瞬間、ぴたり、と震えが止まった。
(あ、揺れが)
 止まった、と思った瞬間にまた揺れた。雑念が入ったからだろう。
(もう一回だ)
 再び同心円の中心に集中を傾ける。
 ライフルの先が揺れているかどうかなど関係ない。
 ただただ、的だけに集中した。
(──あたる)
 それが実感としてわいて出てきたとき、シンジは引き金を引いた。
 弾は、的に当たっていた。中心からは外れていたが。
「できるじゃない」
 ミサトが笑顔で言う。はい、と素直にシンジは頷いた。
「やっぱシンジ君は集中力が違うわね。どうやったらそんなに深く集中できるのかしら」
「そんなに集中してましたか?」
「うん。だって集中したなって思った瞬間、こっちでわざと音立てたのに気付かなかったでしょ?」
 確かに、そんな音は頭の中に入ってきていない。
「……葛城さんは、教え方が上手ですね」
「まあね。こう見えても射撃は得意だし、どうすればあたるかっていうのは自分で必死に考えたもの。その結果が、集中、コンセントレーション。的のことだけ考えて、それ以外のことは考えないっていうことよ。少なくとも初心者はそれで十分」
「分かりました」
「ま、集中しすぎは疲れるからね。ほどほどに練習を続けて」
「はい」
 そしてシンジは再び射撃訓練に入る。
(あたるようになってきたか。射撃ランクはDに上げても大丈夫そうね)
 その様子を見て、ミサトが深く頷いていた。






 トレーニングが終わってシャワールームに入る。
 シンジは今日の射撃訓練に多少の満足を覚えていた。シンクロテストなどと違い、自分の行動の結果が明確に現れている。たとえ意に染まぬ訓練でも、成長が見られるのはやはり悪い気はしない。
 シャワーを浴びながら、今日の反省を繰り返す。何故あたったのか。何故はずれたのか。一射ごとを思い出しながら、さらに深く集中しなければいけないと自戒する。
 ふう、と一息ついてシャワーを止めて、服に着替える。
 ちょうど、着替え終わった時のことだった。
「お、優等生はっけ〜ん」
 嫌な声が聞こえた。
 入口のところで例の四人組が待ち構えている。にやにやと笑う彼らは、獲物を追い詰めた猛禽類。自分はウサギか。
(誰もいない)
 この状況では自分で切り抜けるしかない。しまった、と後悔する。とはいえ、この状況では誰に頼るわけにもいかなかったのだから、これはなるべくしてなったということだろうか。
「何とか言えよ。話しかけてるんだからよ」
「どうして僕を狙うんだ?」
 素直に尋ねた。意味もなくつけまわされて、正直辟易していた。
「決まってるだろ」
 リーダー格なのだろうか、葛西が睨みつけてくる。山崎と三輪が自分たちの横につく。瀬戸は逃げられないようにするためか、扉を後手で閉めて、鍵をかけた。
 ──逃げられない、というわけか。
「やれっ!」
 二人が一斉に飛び掛ってくる。誰もが格闘訓練を積んでいるのだ。格闘ランクの低いシンジでかなうはずがない。あっという間に二人が自分の体を押さえ込む。そして葛西がゆっくりと近づいてきて、腹に一撃をみまった。
「がはっ」
 息を吐き出す。それだけではない。
「がっ」
 喉を抑えられる。呼吸ができない。苦しい。苦しい。苦しい。
「ふん」
 途中でその苦しさから解放されるが、同時に拳が顔を打つ。
「おい、顔はまずいぜ。痕が残る」
 瀬戸が後ろからかわるように前に出てきて、シンジの髪を引っ張った。
「おい、これだけされても謝ったりしないのかよ」
「どうして、こんなこと」
「まだ分からないのか? ムカつくからだよ。お前みたいにランクBに相応しくない奴がのうのうとここにいるのが腹立つって言ってんだよ」
 膝がシンジの腹に入る。前かがみになろうとするが、後ろの二人がそれを許さない。
「やめますって言えよ。適格者をやめるから許してくださいって言えば、許してやるぜ」
「……無理、だ」
 シンジは強くにらみつけた。
「なんだって?」
「僕は、望んで、適格者になったわけじゃない。させられてるんだ。だから、やめると言っても、父さんは許してくれない」
 それを聞いた四人が大声で笑った。
「なんだ、ってことはてめえ、父親のいい道具ってわけか」
「大変だな、おい。つまりこうか。父親にとって息子は数少ないランクB適格者ですって宣伝材料の一つにするための駒か」
「それじゃ、あのシンクロ率やハーモニクスもでたらめの数字なんだろ」
 そうかもしれない。
 だがそれは自分には分からないことだ。本当に数値が高いのか、それとも操作がされているのか。
 とはいえ、今のシンジにそれを考える余裕はなかった。
 肩。
 足。
 腹。
 これはリンチだ。この四人に自分はいいようにされるだけ。
 ぐったりとしてきたシンジがうっすらと目を開ける。
 その目に、一つ飛び込んできたものがあった。
(あ……)
 これしかない。
 自分がここから、逃げるには。
「おい、随分とぐったりしてきたな」
 後ろの二人の拘束が、少しだけ緩む。
 その瞬間、シンジは飛び出した。
「てめえっ!」
 だが、背後にはかまわない。シンジはそのまま壁に取り付く。
 そこに、火災報知器があった。パネルごと上から力ずくでボタンを押す。
 ただちに、警報が鳴った。
「まずいぜ」
「ああ、ずらかるぞ」
 四人が一斉に外へ飛び出していく。それを見送ってシンジは、ずるり、とその場にへたりこんだ。

 たすかっ……た……。

 ずきずきとした痛みが体のあちこちに上がっている。それでも彼なりに鍛えていたせいか、きちんと体が無事であるということは分かる。マキオに急所を攻撃された時ほどではない。
 痛いのは、体ではなかった。

 心が、痛い。

 次第に遠くから足音が聞こえてきた。
「何事だ!?」
 黒服が、へたり込んだシンジに尋ねてくる。だが、シンジはそれに答えることができず、安心からか気を失ってしまっていた。






 目が覚めると、知らない天井だった。
 少し大きめのベッド。それに痛む体。
(あ、そうか。ロッカールームで殴られて)
 気を失う前のことを思い出す。そして寝ながら、ぶるっと体を震わせた。今さらながらに、自分の甘さかげんを思い知った。同時に先ほどの恐怖が蘇ってくる。
 助けてくれる者はいない。全員が自分に牙をむいて、最悪の場合自分の命まで──
(なんで、こんなことするんだ)
 恐怖と怒りが自分の心の中に生まれる。いや違う。これはそんな単純な気持ちではない。
 これは──自分ひとりではどうすることもできないもどかしさだ。
「大丈夫?」
 聞き覚えのある声がする。
「……美坂さん?」
 その声を認識するまでに時間がかかった。
「気をつけなさいって言ったのに」
 その女性が視界に入ってくる。冷たい表情で自分を見下ろしているが、彼女はこれで自分のことを心配しているのだ。彼女の優しさはもう分かっている。
「ごめん」
「私に謝っても仕方がないでしょ。それにしても考えたわね。ロッカールームだったら監視カメラが回っていないからやりたい放題だもの。これからはきちんと護衛をつけた方がいいわね」
「つけることができるの?」
「あなたのことを心配している同期の人たちに頼めばいいんじゃないの?」
「同じ班じゃないのにそこまで迷惑はかけられないよ。大丈夫。これからは気をつけるから」
 そう言って起き上がろうとしたシンジを、カオリは手で止めてベッドに押し倒した。
「美坂さん?」
「そんなこと言って、自分ひとりで解決できるあてもないくせに?」
 少し怒っているようだった。だが、そうやって接触してくるなら、シンジも意固地になるだけのことだった。
「美坂さんには関係ないだろ」
 だが、そう言うとカオリは「そう」と一言答えるだけだった。
「じゃあ、好きにしなさい」
 案外あっさりとカオリは答えた。そして、そのまま病室を出ていく。
 結局、彼女は一度も振り向かなかった。
(なんだっていうんだよ)
 ゆっくりと起き上がり、服を着る。
 腕を通した布地がやけに冷たかった。






 やがて葛城ミサトがやってきて、事務的な応答が始まる。
 一応シンジからの証言は信じると言ってくれたものの、証拠がなければどうすることもできないだろう。もっとも年齢的に中学生のやることだ。調べればすぐに分かることだが。
「これからはこんなことが起こらないようにするわ」
「できるんですか」
「ええ。シンジ君とあの四人組ができるだけ接触しないようにこっちでガードすればいいだけだもの。まっかせて」
 そのネルフ本部の中で起こった事件なのだから、少しも信用も信頼もできない。
 自分の身は自分で守る。それをこの事件で学んだ。
「今日はもう休みなさい。訓練はまた明日もできるから」
「はい」
「しばらく待っててね。ボディーガードをつけてあげるから。それじゃ」
 そう言ってミサトも出ていく。そしてまた一人になる。
 だが、ボディーガードを待つまでもなくシンジはさっさとその病室を出た。
『自分ひとりで解決できるあてもないくせに?』
 確かに、自分ひとりでは解決できないかもしれない。でも、これは意地だ。
 気丈にシンジは自分の部屋まで戻る。
 その途中だった。
 大柄な男がそこに立っている。そこで見下ろしている。
 誰──いや、知っている。
 この男が、そうなのだ。
「ふん」
 男は鼻を鳴らして立ち去った。

 今の男が、佐々ユキオ。

(……どうして、僕を狙うんだ)
 単純なやっかみ以上のものを、シンジはなんとなく感じていた。






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