二〇一三年九月登録者一覧
130900001 碇 シンジ
130900002 不破 ダイチ
130900003 染井 ヨシノ
130900004 古城 エン
130900005 野坂 コウキ
130900006 倉田 ジン
130900007 真道 カスミ
130900008 桜井 コモモ
第拾弐話
孤高俊英
シンジが部屋に戻ってくると、既に三時間目の授業が半分過ぎてしまっていた。
これ以上勉強に集中する気にもならず、シンジは次の移動の準備を整えると、ベッドに倒れ込んだ。
このまま眠ってしまいたい。だが、さすがに班行動、全体行動をするときはそういうわけにもいかない。
アラームを二十分後にセットして、シンジは仮眠を取ることにした。これくらいの休憩は問題ないだろう。
考えることは、あるようで、何もない。
普通なら、ここでシンクロ率を上げるにはどうするかとか、効率的なトレーニングはとか、どうしてこれだけエヴァと適応するのかとか、いろいろ考えるのだろう。だが、シンジはあくまで状況に流されてこの場にいるだけだ。それ以上の理由は何もない。
考える、ということが面倒だった。
流されていれば考えずにすむ。思考の放棄。
周りが変われば変わるほど、シンジ自身は何も変わらなかった。
力が抜ける。
寝るのかな、とふと頭の片隅をよぎったとき──誰か、人の気配を感じて飛び起きた。
「だれ!?」
「無用心だな。鍵が開いていたぞ」
だが、そこにいたのは別に自分に敵対意識を持っているような相手ではなかった。無表情、無愛想を地で行く男、不破ダイチだ。
誰も中に入ってきたような様子はなかったのに、全くこの男は神出鬼没というか。
「今は授業中なのに、何を寝ている?」
それは詰問するというのではなく、単に疑問を解消しようという様子だった。
「それなら不破くんだって、どうして授業中にここにいるんだよ」
「気になることがあったからだ。勉強の内容はあとで確認すれば足りるが、解消しない疑問は尋ねなければ分からない」
ダイチが据わった目で目の前にいるシンジを見る。
「シンクロ率、どうやってあげている?」
尋ねられた内容は、以前にメールでもあったものだった。
「どうやってって、僕だって分からないよ。メールにも書いたけど」
「ふむ。本人には本当に自覚なしか。まあ、理由が分かるのだったら誰でもシンクロ率は上がるのだがな。これは才能か」
「僕に聞かないでよ」
ダイチは他の人間なら聞きづらいことでも平気で聞く。それは彼の『疑問を解消したい』という最優先の衝動を満たすためだ。時折、平気で人の心の中を踏み荒らすことにもなるが、シンジが彼をそこまで厭わないのは、それが野次馬根性ではなく、真の意味の知的好奇心から来ているからだ。
「それを聞くためだけにここに?」
「なかなか会う機会もなかったしな。それに、さっき来たら誰もいなかったから中で待たせてもらっていた」
「え?」
「テーブルにずっと座っていたのだが、お前は気付かずにベッドに倒れ込んだのだ。こっちに視線が来ないので気付いていないと思ったが、本当に気付かなかったのだな。それだけいろいろ考えることがあるということか」
彼の特徴は、分析結果をすぐ口にするところだ。そして気になることは最後まで追及することだ。
「それにしても碇は一人の時には何も口にしたりしないのだな。行動に無駄がない。授業の進度を確認し、休養が必要だったのでベッドに横になる。不必要なことは一切していない。その行動ができる中学生は多くない」
褒められているのかけなされているのか分からない発言をするのも特徴の一つだろうか。とにかく、寝入りばなをたたき起こされてまだ頭がはっきりとしないシンジはとにかく起き上がる。体が眠ろうという体勢になっていただけに、動かすこと自体が億劫だ。
「寝るなら寝てもいいぞ。時間になったら起こしてやる」
「寝られるわけないだろ」
シンジは冷蔵庫を開けてコーヒーを取り出す。あまりいつも飲んでいるわけではないのだが常備はしている。
「不破くんも何か飲む?」
「いや、いい。それより寝起きにコーヒーは体を悪くするぞ」
そこまで来ると余計なお世話というものだった。
というわけで、シンジはダイチと一緒に大講堂へ向かった。百五十人が一度に受講できるスペースがある。こうした講堂はネルフ内部にいくつもある。適格者がどれだけ増えても大丈夫なように予め計画されていたのだろう。
「こんにちは、シンジくん。今日はダイチくんと一緒かい?」
優しそうな笑顔を持った男が近づいてきた。
古城エン。シンジの同期生だ。その優しいマスクとは裏腹に、数少ない格闘ランクSを持っている人物でもある。たった四人しかいないランクSの一人だが、エンはそれを適格者として登録された最初の時から持っていた唯一の人間である。つまり、このネルフ適格者の中で、最も格闘戦に優れた人物ということだ。
そのくせ芸術にも造詣があり、自らもバイオリンを弾くなど多芸である。シンジとは時折バイオリンとチェロで合奏などもしている。
長くチェロを弾いているシンジだが、エンのバイオリンにはかなわないと本気で思う。だがエンは(他のメンバーもだが)シンジのチェロを気に入ってくれている。それは安心できる材料でもあった。
「あ、うん。さっき部屋に来ていろいろ聞かれたんだ」
「そっか。またダイチくんの質問攻めにあってたんだね?」
「まあ、ちょっと困ったけど」
非常に安心して会話できる相手。共通の趣味もあることから、同期生の中では一番話がよくあった。それは相手も同じようだったが、誰とでも話を合わせられるエンに対し、シンジは基本的に自分から話題を振ることができない。この差は大きい。
「俺は困るような質問はしていない。分からなければ分からないと答えればいい」
言いたいことをずけずけというダイチは、シンジの百倍は敵を作りやすい性格と言えるだろう。
「答えにくいことをはっきり言うことも難しいことなんだよ」
エンはそのようなダイチにも分かるように説明を行う。彼が怒っているところは見たことがない。常に静かに優しく、全ての人間を見守っている。
「ふむ。なかなか難しいものだな」
「特にシンジくんはね。ガラスのように繊細な心の持ち主だから」
「何言ってる、ダイチの心だってガラス製だぜ」
と、その会話に入ってきたのは真道カスミだ。
「もっとも、ライフルも弾く防弾ガラスだけどな」
「誰が防弾ガラスだ」
はははははっ、と笑うカスミをダイチがぺしっと叩く。
真道カスミ。将来の夢は『トレジャーハンター』という変わった考えの持ち主だ。そんなカスミを形容するとしたら、元気、活発、前向きなどなど、およそ肯定的な元気のよさばかりが浮かび上がる。
ネルフの評価ポイントにはなっていないものの、サバイバルという評価項目があったならば、カスミはこの七百人以上の適格者の中で最高点をたたき出すことができるだろう。また、トレジャーハンターには銃が必要、というよく意味が分からない考えに基づき、射撃のセンスも高く、十一人いる射撃ランクSの中の一人でもある。
このダイチ、エン、カスミは同じランクBの三班である。シンジの同期はランクAが野坂コウキ、ランクBの一班が桜井コモモと倉田ジン、二班がシンジ、三班がこの三人で、四班が染井ヨシノだ。五班と六班に同期は配属されていなかった。
「それにしても俺たち八人が同じところに揃うなんてな。ま、先月まではシンジがいなくて、コウキなんかが寂しい寂しいってずっとわめいててな」
「野坂はシンジに過保護すぎる」
ダイチが無表情のまま言う。
「そういうお前だって、シンジがいてくれて嬉しいんだろ?」
「否定はしない。全員が揃っているのはいいことだ」
「だってさ。よかったね、シンジくん、モテモテで」
三人から攻撃されるシンジはもう何も答えられなかった。
その四人組のところに、小さな女の子が近づいてくる。
途中でシンジも気がついた。久しぶりに見た彼女は以前よりも少し大人びた感じがした。いや、以前からそうだっただろうか。
「セラ」
「久しぶりだな、シンジ」
セラがちらりと三人の方を見ると、男衆は邪魔者扱いされていることに気づいて場を譲った。
「随分と人気者なんだな。割と驚いた」
「そんなことないよ。みんな優しいから僕にもかまってくれてるだけだよ」
「と碇は言っているが、古城。何か言いたいことは」
「少し悲しいかな。僕たちはみんなシンジくんのことが好きだからね」
「そうだよなあ。シンジはそういうところ、結構冷たいよな。心を閉ざしてるっていうか」
鋭く三人からの指摘が入る。シンジはため息をついた。
「本当に驚いたな」
セラの重ねての言葉に男三人はその場から離れていった。ゆっくりと話させてくれるということなのだろう。
「それにしてもすごいな、シンジは。シンクロ率にハーモニクス。それにさっき確認したら、シンクログラフとパルスパターンもグリーンだった。ランクAは間違いないとして、これは才能というんだろうか」
「僕にも分からないよ。でも、結果がそうなんだから仕方ないけど」
「シンジは自分の力をすぐに否定する。もっと堂々としていればいい。まあ、それくらいの方がシンジらしくていいのかもしれないけどな」
自分より一つ年下の、かわいらしい顔立ちをした、小さな女の子。だが、その口から出てくる言葉はあまりにも大人びていて、シンジもこの少女を姉のように慕っていた。
「セラだって数値は出しているだろ?」
「シンジに比べたら雲泥の差だ。私は起動数値にすら達していないのだから。まあ、シンジと比べるのは無謀だけれどな。シンジに比べたら、この本部にいる七百人は誰もかなわない。綾波さんを含めても」
と言っても、努力してそうなったわけでもない数値を評価されても実感の出るはずもない。みんなが自分にしているのは評価でも賞賛でもない。使徒を倒すことができるという期待だ。
そんな期待、されたくはない。
父親の言うとおりに適格者としてここでトレーニングをただ続ける。そんな、状況に流されるままの自分でちょうどよかったのに。
「でもな、シンジ」
セラはにっこりと微笑む。
「そんな、奢らない、優しいシンジが私は好きだな」
素直に言われると嬉しい。さっきの男三人とはそれこそ雲泥の差だ。
「ありがとう。嬉しいよ」
シンジも笑顔で答える。すると何故かセラは、少し困ったような顔をした。
「どうかした?」
「いや。どうやら私の言い方が悪かったらしい。もう少し場所と言い方を選ぶべきだった。気にしないでくれ」
そう言われるとシンジにはもう追及できない。仕方なくうなずくだけだった。
「よ、カオリ嬢」
カオリは自分がその光景に目を奪われていたことを自覚せざるをえなかった。何しろ、この油断ならない男にすぐ背後まで近づかれても気づけなかったのだから。
「こんにちは、野坂くん」
「何を見てるかと思えば、覗きは趣味が悪いんじゃないか?」
「あら。この状況で碇くんを見ている人がどれだけいると思っているの?」
「俺はお前さんが見ていたのがシンジだなんて、一言も言ってないぜ」
カオリは肩をすくめた。確かにその通りだ。
「そのつもりで言ったんでしょう?」
「まあな。それよりいいのか? このままだとアイツ、あの女の子に取られるんじゃねえのか」
「別に、私には関係のないことだもの」
さらりという言葉にはそれ以上の感情は全くこもっていない。
「素直じゃないねえ」
「あなたには関係のないことよ、野坂くん。いつから野次馬になったのかしら。ほら、ランクAの人たちがあなたのことを待ってるんじゃないの? もう他の六人は席についてるじゃない」
「まだ時間にはゆとりがあるよ。どのみち俺たちランクAなんざ飾りで、ランクBの中から使える人間を探すだけの一時間だろ。あんただってもっとたくさん発言すりゃランクAだって夢じゃねえのにな」
「私はシンクロ率が足りないもの。無駄よ」
「わざとシンクロ率落としてるやつが、何言ってやがる」
そこだけ、コウキの発言が低くなった。周りに誰が聞いているか分からない。
「証拠はあるの?」
「なに?」
「私がわざとそうしているっていう証拠があるの、って聞いたのよ」
それじゃあね、とカオリは言って自分の席へ向かう。やれやれ、とコウキは頭をかいた。
戦術理論の講義は、まず作戦部長である葛城ミサトから全員に対する講義から始まる。十分ほどの授業の後、実際のシミュレーションに移る。シミュレーションは、前半がこの場にいる全員に対して使徒の形状とデータが与えられ、ミサトからどのように戦うかの質問が出される。それに答えていく形だ。
たいがいの場合は挙手を求められる。積極性も評価のポイントに含まれるからだ。だから百人以上の適格者たちが一斉に手を上げようとするその様子は鳥肌ものだ。
そうした応答が十分ほど続いた後で、コンピュータを使って一対一のバトルシミュレーションとなる。対戦型のシミュレーションゲームのようなもので、時間に応じて状況が変わっていくので、うまく指示を出していかないとすぐにやられてしまう。
誰と対戦することになるかは完全なランダムで、勝敗が評価のポイントとなるため、適格者たちはなるべく強くない相手と戦いたいと願っている。
だいたい十分あれば一勝負できる程度なので、よほど長くなったとしても二回、早ければ四回は相手と戦うことができる。
だがシンジは別に相手が誰であろうと関係ない。別に評価をされたいと思っているわけではないのだから、それはごく当然のことだった。
(相手は──ランク、A?)
そこには『Kazuma Shudo - A』と記入されている。
ランクAの、朱童カズマ。この本部で最初にランクAになった人物。
(いきなり強い相手に当たっちゃったな)
シンジと同じような少年のカズマだが、そちらの方を見ると、視線がぶつかる。
その瞬間、相手の瞳に激しい敵意が生まれていた。
(え?)
ふん、とカズマはすぐにコンピュータに向き直る。
(嫌われてる?)
あれは、明らかな敵意だった。
自分より高いシンクロ率に対する嫉妬──とは、少し違うような気がした。
視線を交わしたことに対する怒り。そんなふうに見えた。
ゲームはすぐに開始された。
操作自体はそれほど難しいわけではない。いくつかの命令コマンドを行うだけで、そのとおりに実行していく。
だが、どういうわけか序盤からあっという間に劣勢になり、十分ともたずにシンジは本陣を奪われ、ゲームオーバーとなっていた。
(負けた)
あっさりと。もともとこうしたシミュレーションが苦手ではあったが、ここまであっさり負けると正直口惜しい。
と、その時だった。画面に文字が現れた。
『弱いな』
それは戦った相手、朱童カズマからの言葉だった。
(これってチャットできるんだ)
あまりこうしたチャットをしたことがないシンジではあったが、とりあえず『ごめん』とだけ打ち込んだ。
そうしたら返事が返ってきた。
『謝ることじゃない』
シンジは首をひねった。いったいこの人物は自分に何を話そうとしているのか分からなかった。
すると、さらに言葉が続いた。
『お前には、守りたいものがあるのか?』
突然言われて、シンジも戸惑う。何と返答すればいいのか。
守りたいもの。
自分にそのようなものが、あっただろうか。
しばらく考えていると、カズマからさらに言葉が送信されてきた。
『なんでもない。忘れろ』
そして、接続が切れた。
(なんだったんだろ)
本部で最初にランクAになった人物。その人物から個人的な話を振られた。
だが、それはシンジにとって謎だけを残すことになった。
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