「どういうこと?」
報告を受けたミサトは頭を抱えた。
例の四人組が、同じランクB適格者の二ノ宮セラに暴行。助けに来たのが碇シンジ、不破ダイチ、桜井コモモ。その後で古城エンと染井ヨシノ。さらにはそれを裏から指示を出していたのが倉田ジン、野坂コウキ、真道カスミ。
全て碇シンジと同期のメンバーだ。確かにこの八人はよく食事やパーティを開いて仲がいいということを聞いてはいたが。
「それにしても、瀬戸くんたちが集団自殺、ねえ」
彼らは薬を飲んで命を絶った。その遺体は全て裏町で発見された。
「そうなると、彼にも事情を聞いておかないと駄目か」
佐々ユキオ。
いずれにせよ、彼があの四人の裏にいたのは誰もが知る事実なのだ。どういうやり取りがあったのか事情聴取は必要だ。
(ほんと、管理不行ね。ようやく『あいつ』がやってくるところだったっていうのに)
ミサトはため息をついた。
第拾陸話
日常回帰
一日ぶりに部屋に戻ってきたシンジはベッドに仰向けになった。
見慣れた天井がそこにある。それを見ながら、今日一日のことをずっと振り返った。
最後にミサトからの事情聴取を終えて戻ってきたシンジが思い浮かべるのは、あの小さな気の強い少女のことだった。
(セラ)
そのセラに暴行した男たちは既にこの世にはいない。たった十四、五という短い命を終わらせた。それくらいのことはしたのだから彼らを悼むような気は起こらない。だが、どうにもこのやるせない気持ちに行き場がないことが辛かった。
(僕は、どうすればいいんだろう)
何もすることはない。セラの見舞いに行くといっても、彼女がどういう反応を示すかもわからない。自分が行くことで彼女が慰められるならいいのだが、自分が行くことで逆に過敏に反応することだってありえる。何しろ、自分のせいで彼女はあんな目にあったのだから。
そうやって、ただ天井を見つめたまま数十分考えた時だった。
チャイムが鳴る。
いったいこんな夜に誰が、と思って相手を確認すると、そこに意外な人物がいた。
以前、自分がリンチを受けてから全く話さなくなった相手。
美坂、カオリだった。
『いるんでしょう? あけてくれる?』
どうやら自分が戻ってくるのを待っていたようだった。仕方なく扉を開ける。
「こんばんは、碇くん」
「こんばんは、美坂さん」
扉は開けたものの、そこで二人の動きは止まっていた。シンジが場所をどけないので、カオリも入ろうにも入れない。ただ、入ろうとする意思も見せなかったが。
じっと見合って動かないこと、十秒。
「少し、話があるんだけど、いいかしら」
ツンとした様子で尋ねてくるカオリに頷くシンジ。
シンジが場所を譲ると、するりとカオリは部屋に入り込んできた。
いったい、こんな時に何をしに来たというのだろうか。
警戒していると、彼女はキッチンの椅子に座ってシンジを促した。座れ、ということらしい。
「分かった?」
突然尋ねてくる。そんなことを言われても何のことだか分からない。
「何が?」
「一人では何もできないっていうことが」
「な」
「あなたが誰にも頼らず、一人で行動した結果がこうなった。少しは身にしみたみたいね」
そんなことは今さらカオリに言われるまでもなかった。というより、せっかく塞ぎかけていた傷口をわざわざ広げられて、シンジも気を悪くした。
「何が言いたいんだよ」
「言葉通りよ」
そのカオリの目に本気が混じっていた。以前よりも鋭く、強い眼光をたたえてシンジを見る。
「あなたの行動に回りが左右される。それは今に始まったことではないけれど、その自覚もないくせに一人で生きようとするのはやめなさい。これであなたが誰かを犠牲にしたのは、二度目なのよ」
「な、なんだよ、それ」
「知らないのは幸せよね」
自分を糾弾する目。まさにカオリは自分を憎んでいるというような、そんな目。
「どういう、ことだよ」
「自分の胸に聞いてみることね」
そしてカオリは立ち上がった。
「あなたは自分がかつて危険な目にあったことなんて、知らないでしょう?」
話は終わり、とばかりにカオリはそのまま部屋を出ていく。
一人残されたシンジは、その胸に手をあててみた。
「なんだっていうんだよ……」
胸が痛い。
彼女は、自分ですら知らない『自分のこと』を知っている。
『佐々ユキオくん。あなたは聞かれたことをそのまま答えてください』
「分かりました」
『あなたは葛西シュウジ、瀬戸リュウタ、三輪コウスケ、山崎タイチが本日何をし、どうなったかを知っていますか』
「知っています」
『どうして知っているのですか』
「話題ですから。さっき六班のメンバーから聞きました」
『あなたと四人との間に、何か話はありませんでしたか』
「何もありません。あいつらが碇シンジをリンチにしたと言ったので、そんなことはするなと言いましたけど、それだけです」
『どうしてそう言ったのですか』
「前に同じミスをしてますから」
『朱童カズマくんのことですか』
「そうです」
『どうして四人は碇シンジをリンチにしたかは分かりますか』
「腹が立つからです。俺も実際そうです」
『それはどうしてですか』
「基礎能力が低いのにうろちょろされるのは目障りです」
『シンクロ率が高くても?』
「それが余計に苛立ちます」
『だから碇シンジをリンチにしようとしたのですか』
「思うことと実際にやることとは別です。俺は何もしてないですし、あいつらが碇シンジを殴ったと言ったときは、そんなことはするなと言ってます」
『それなのに四人が今回どうしてそんなことをしたのかしら』
「それこそ俺の知ったことではないです」
『ではあなたは碇シンジに危害を加えるつもりはないということかしら』
「ありません」
『分かりました。下がっていいです』
暗闇から開放された佐々ユキオは心の中でやれやれと胸をなでおろす。危ない橋を渡ってはいたが、今回は免れることができそうだった。
無論、四人に指示を出したのは佐々だった。シンジとセラが仲良くしているのを見て、それを利用しようと考えた。四人にセラを襲わせ、それをシンジに見させることで逆上させ、そのままあの四人に始末させようとした。まあ、シンジの始末まではいかなかったが、苦しめることはできた。
四人を殺したのも佐々だった。あらかじめ渡しておいた薬。あのカプセルは特別製で、中身は興奮剤だが、さらに小型のカプセルが入っていた。毒入りの、小型のカプセルが。
そちらは溶けるまでには少し時間がかかる仕様になっていた。四人はそうとは知らずにカプセルを飲み、興奮してきたところでセラを犯し、そして逃げた先でカプセルが溶けて毒が全身に回った。
使えない道具を始末するのにもちょうどよかった。わずらわしいものが消えてくれて、佐々は非常に上機嫌だった。
が、その機嫌が悪くなる原因が目の前に現れた。
桐島、マキオ。
「機嫌がいいみたいですね、佐々さん」
「何の用だ」
「いえ、碇シンジが気に入らないのなら──手を組めないか、と思いまして」
「音羽のときみたいに、今度は俺を利用するのか」
険悪なムードだった。
「俺は碇シンジは嫌いだが、お前はもっと嫌いだ」
無視してその隣を通りぬける。マキオは肩をすくめた。
「やれやれ。やっぱり、僕が動くしかないのか」
そうしてマキオもまた反対方向に歩み去った。
二月二三日(月)。
あんなことがあった次の日も、訓練は変わらずに存在する。
シンジは休もうかとも思った。実際、三時間目までの授業など全く聞いていなかった。ずっとベッドの上で横になっていたのだ。
セラはまだ目覚めていないらしい。
それでも、日付は変わる。いつかは使徒も攻めてくる。それに向けて自分たちは、トレーニングを続けなければならない。
そのトレーニングに参加しているメンバーが、今回の事件を起こしたというのに。
人数が四人減ったB二班。トレーニングルームが随分と広く感じられる。
「あんな四人でも、いないと人数が少なくて、寂しい感じですね」
シンジにマキオが話しかけてきた。うん、とシンジが頷く。
確かにあの四人がいなければいいと思っていた。ただ、いないといないでこの空間に五人という人数は少ないのだ。班の構成をしなおしてくれるといいのだが。
「それじゃあ、今日の訓練を担当する武藤ヨウだ。よろしくな」
自分たちとそれほど年齢の変わらない男が現れる。そしてヨウがマキオに目をつけた。
「へえ、お前が問題児の桐島か」
「僕が、問題児?」
意外だとでもいうかのようにマキオがとぼける。
「ああ。五人ばかり病院送りにしてるそうじゃねえか。ま、俺にしてみりゃ相手がだらしないだけだが」
その言葉は挑発か。マキオはかちんときたが、表面には何も出さない。
「よし、それじゃあ三上と園浦、碇と美坂でペアを組め。桐島。お前の相手は俺だ」
武藤が言うと桐島は表情を変えずに頷いたが、内心ではほくそえんでいた。
(訓練にかこつけて、徹底的にやってやる)
格闘ランクSが伊達ではないということを思い知らせてやろうと考え、マキオは格闘訓練に入った。
だが、渾身の力を込めて繰り出した拳も脚も武藤には全く当たらない。逆に瞬時に近づかれ、少し触れただけでマキオは三メートルも弾き飛ばされた。
それを横目で見ていた他の四人が目を丸くする。あんなに鮮やかにマキオを倒せる者はネルフ本部の格闘コーチたちの中でもそうはいないだろう。
(すごいな)
シンジが素直にその様子を見ていると、武藤と目が合った。彼は自分に向けてウインクをする。
(え、僕?)
だがすぐに武藤はマキオに指導を入れ始めたので、視線が交わされたのはほんの一瞬であった。
「すごいわね。さすがアメリカで名を馳せた傭兵だけのことはあるわ」
美坂が素直に感心する。
「傭兵?」
「ええ。その道に詳しければ知らない人はいないっていうくらいには有名人よ。アメリカはほら、セカンドインパクト以来内戦が絶えないでしょ。戦いのたびごとに駆り出されてたって話」
「ふうん」
「それじゃ、こっちも始めましょうか」
カオリが気の乗らない様子で構える。もちろんシンジはこの女性にかなうとは思っていない。力の差がありすぎる。
ただ、今日はそれだけが理由ではなかった。昨日の言葉が引っかかっている。
『自分の胸に聞いてみることね』
危険な目にあっていたことすら知らない自分。それなのにカオリは、そのことを知っている。
いったいいつ、何があったのか。そしてカオリはどうしてそれを知っているのか。
「集中しないと、怪我するわよ」
カオリの膝が入って、シンジは倒れた。
「いつも以上に気合が入っていないわね」
「仕方ないだろ。昨日あんなことがあったばかりなのに」
セラはまだ目を覚ましていない。この後の昼の時間に彼女を見舞いに行くつもりだが、目覚めているかどうかの保証はない。
「そんなことだから、あなたは他の人を苛立たせるのよ」
「そんなこと言ったって」
「あなたは自分が守られていることをもう少し自覚するべきね。そして、そのことが他に敵を作るっていうことも」
「……美坂さんも、その一人なの」
小さく呟いた声に「どうかしらね」と髪をかきあげて答える。
「僕のいったい何を知っているっていうんだよ」
「知らない人に何を言っても効果はないでしょう?」
「僕の知らないところで、勝手に僕のことを決めないでよ」
「あなたが知ったら後悔するわよ。今回の事件以上にね」
カオリは冷たい言い放った。
「今回、以上?」
「言い過ぎたかしらね。まあ、知りたければ自分で調べてみることね」
と、そこへ武藤教官がやってきて、二人をジト目で睨んだ。
「お前ら、やる気あるのか?」
私語をしていてすっかり訓練をしていなかった。すみません、とシンジが頭を下げてから構える。
「よし、碇。そのまま動くな」
シンジは半身の体勢で構えていた。左足を前にして、右手を少し下げている。
「なるほどなあ、こりゃ格闘ランクEがつくわけだ」
いきなりそんなことを言われ、しかめ面をする。
「今のお前は、本部にいる七百人の適格者の中で、一番弱いぜ」
「分かってます」
「分かってないな。お前の弱さは今、この場で克服が可能だ。筋肉も体力もそこまで高いわけじゃないが、技術はそこそこあるぜ。たった一つ変わるだけで、お前は規格外から並の適格者以上にはなれる」
あっさりと言うヨウ教官に、シンジはますます顔をしかめる。
「そんなこと言われたって」
「って言うことは、自分の弱点がある程度は理解しているわけだ。それをあえて見ないようにしているか。根は深いが、まるっきり改善できないっていうわけでもないらしい」
「何が言いたいんですか」
「来月にはランクAに上がるお前に、少しは戦士らしくなってもらおうと思ってるだけさ。ま、傭兵上がりの俺なんかの指導でよければ、だけどな。葛城サンも全く、骨の折れる仕事を回してくれるもんだ」
その言葉の意味はシンジにも分かった。つまり、シンジを鍛えるようにという指示を葛城ミサトから受けているということだ。
「でも、僕は」
「あー、構わないぜ。俺は俺でできることをするだけだからな。じゃ、始めるぜ」
ヨウは半身の体勢を続けていたシンジの前に立つ。
「俺を殴れ。全力でだ」
「え」
「お前の弱さは、殴り慣れていないだけのことだ。全力を出して殴った時、相手がどうなるのかを恐れている。それくらいなら自分が傷ついてもいいと考えるくらいにはな。全く厄介な考え方をしやがる。敵は敵だ。叩きのめすつもりでやれ。昨日、お前が友達を助けたようにな」
頭に血が上った。そんなことをこの場でわざわざ言わなくてもいいものを。
「知っているんですか」
「知ってるさ。お前の話だけでも有名だってのに、武勇伝までついたんだからな。知らない奴はこの本部で誰もいないだろ?」
「僕は別に、そんなつもりじゃ」
「分かってるさ。でもな、そのお嬢ちゃんを傷つけたのはお前だぜ」
はっきりと、一番言われたくなかったことを目の前で言われて、激しく動揺する。
「分かってるんだろ。確かにあの子を傷つけたのは連中で、お前は何もしていない。ただ、狙われているという自覚があるのに、自分に関係する人間を傷つけたら、そこに責任はあるんだ」
「そんなこと言われたって、僕にはみんなを守れるような力なんて」
「だから身につけろよ。ここでな」
ヨウは自分の顔を親指でさす。
「力を抜くなよ。全力でやらないと、力の加減なんて分からない。お前は殴られ慣れはしているみたいだが、殴り慣れはしていないからな。まずは全力でやれ。すべてはそれからだ」
「本気でいいんですか」
少し震えながらも、シンジは確認をする。
「ああ。お前程度じゃ俺を殴り倒すことなんかできないから、遠慮なくやってくれ」
「分かりました」
シンジは意を決する。そして、意思のこもった目でヨウを見つめた──睨みつけた。
大きく一歩を踏み込み。振りかぶった拳でヨウの左頬を殴る。ぐらり、とヨウが一歩よろめく。
「あ」
シンジが心配したような表情を見せる。だがすぐに背を伸ばすと、ヨウは右手で頬をさすった。
「一撃でノックアウトできるように、まずはならないとな。ただ、さすがに優等生だけあって筋はいい。どこを殴れば相手を倒せるか、というのはよく分かっている。今のは少し脳が揺れたぜ。ただ、力が足りない」
「は、はい」
「人間はけっこう頑丈にできてるだろ? それにこれはあくまで訓練なんだからな。訓練で殴ることもできない奴が、殺し合いで相手を殺せるのか?」
「いえ」
「ってことだ。ま、傭兵の哲学をお前に言っても仕方ないが、お前の戦いは人類の命運をかけた戦いだ。相手を倒さなければお前だけではなく、人類全てが滅亡する。肝に銘じておくんだな」
「分かりました」
気付けばすっかり、シンジは真剣な表情でヨウの話を聞いている。たった数分間の出来事でしかなかったというのに、大きな変化だ。
「よし。それじゃあ組手をしていいぜ。美坂。相手してやれ」
「はい」
そして組手に入った。以前と違い、腰が引けるところがなく、相手に対して攻撃する姿勢ができていることを、相手になったカオリには、はっきりと分かっていた。
(たったこれだけのやり取りで、ここまで成長するというの)
いや、それよりもシンジの気持ちをここまで一瞬で引き上げた武藤ヨウ教官を褒めるべきか。
(まあいいわ。あなたが強くなるのは私にとってもありがたいことだから)
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