三月一日(日)現在、エヴァンゲリオンは零号機からはじめ、参拾号機までの建造完了。
 零号機専属パイロットはファーストチルドレン、弐号機専属パイロットはセカンドチルドレン。初号機については現状専属パイロットなし。
 三月の昇格試験後のランクA適格者数をもって、参号機から参拾号機までのエヴァンゲリオンを四月一日、各支部に振り分ける。












第拾玖話



張三李四












 レイは今回の事件、シンジが無事であったというだけである意味安堵していた。
 だが、それからというもの、徐々にシンジが元気をなくしているということを知り、どうにもできないまま、時間だけが無為に流れてしまっていた。
 ちょうどその時、視界の端に『シンジの同班』の人物を見つけた。名前は知らない。
 ただ、そのシンジの同班の人物は、やけに禍々しく見えた。
「はじめまして、綾波レイさん。いつもおつかれさまです」
 こういう反応もレイにとっては多くないものだ。たいていは自分を敬遠するか、そうでなければ崇拝するか、どちらかに分かれる。普通の相手として接してくれる人物はまずいない。
「何が悲しいの」
 その、マキオに向かって彼女は思った通りのことを口走った。
「……悲しい?」
「ええ。あなた、悲しそうな顔をしている」
 言われたマキオの方はといえば、突然『見当違い』なことを言われて呆気に取られた。いったい彼女は自分に何を言わんとしているのか。
「人を苦しめて、どんな悲しみから逃げているの」
 急所をえぐる、レイの波状攻撃。だが、それはマキオにとっては容認できないことだった。
 自分は悲しくなどない。
 ただ、自分より『上』にいるものが気に入らなくて、痛めつけてやることに喜びを覚えるだけだ。
「綾波さんが僕の何を分かっているというんですか」
「分かるもの。あなた、悲しい人」
 マキオの怒りに火がついた──この人物は、自分を、哀れみの目で見ている!
「ふざけるなよ」
 仮面が外れて、凶暴な獣の本性が現れる──もちろん、回りに綾波レイ以外の人間がいないことを確認した上でのことだ。
「あんたみたいに何でも持ってめぐまれた人間がそう多くいるわけじゃない。僕だってね。でも、僕はあんたを超えてやる。引き摺り下ろしてでも超えてやる」
「無理よ」
「なんだって?」
 マキオは耳を疑った。
 無理だと。自分は、彼女に及ばないと。そう、言われた。
「無理よ。だってあなた、悲しい人だもの」
 レイも何故自分がそこまで言うのかが分からない。ただ、彼を見ていると、分かることがあった。
 彼は、シンジのためにならない。
 だからできるだけシンジから遠ざけたい。それこそチルドレン権限を使って適格者資格を剥奪でもしたいほどに。
「何を──」
「綾波?」
 だが、マキオが激昂しかけた瞬間、彼らのところに声をかけた人物がいた。
「碇くん」
 途端。
 それまで、無表情だった『鉄仮面』のレイが、その顔に穏やかな笑みを浮かべたのだ。
(──え?)
 マキオはそれを見て愕然とした。今まで、誰も見たことのない、綾波レイの笑顔。それは強烈なまでのインパクトを与えた。
「どうしたの、こんなところで。いつもなら訓練とかの時間じゃないの?」
「時間、空いてたから」
「食事?」
 首を振る。そういうわけではなく、単に散歩していただけということだろうか。
「ああ、そういえば、綾波からメールもらってたね。ありがとう」
 言われてレイはかすかに顔を赤らめる。どうメールを書けばいいのか分からず、件名も内容もないまま送ってしまった。それなのにシンジからはきちんと返事がきた。
「……別に」
「うん。あ、マキオくんも、こんにちは」
 表情を元に戻したマキオだったが、正直この目の前のラブラブコンビに怒りがこみ上げてきていた。
 自分を無視して、勝手に始まったファーストチルドレンと『次期』サードチルドレンの会話。
 だが、そのマキオに話しかけた瞬間、鋭い視線でレイがシンジを睨み、そして服の裾を引いた。話すな、とその目が訴えている。
「どうも、綾波さんには嫌われてしまったみたいです」
 マキオはまだ演技を続ける。シンジはまだ自分を危険視していない。
「え、どうしてさ、綾波」
 だがレイは答えない。もうボロは出ている。目の前の男性は『死神の鎌』を構えている。相手を、殺すための武器を。
「僕がいろんな人を傷つけているのが気に入らないそうです。この間もシンジくんに怪我をさせてしまいましたし」
「え、でもあれは、訓練の中でのことだよ。大丈夫だよ、綾波」
 マキオは思う。どうしてこの男は無制限に人を信じすぎるのだろう。少しは疑わなければいけないということが分かっていないのだろうか。
「ふふ、ふっふっふ……あっはははははははははっ!」
 こらえきれなかった。あまりにも面白すぎて、滑稽で。
「……マキオ、くん?」
「シンジくん。悪いけど、戦闘に入ると自分を『止められなくなる』なんていう都合のいい表現を信じているのは──信じていたのは、あなただけですよ」
 殺意のこもった瞳でマキオが睨みつけてくる。その目に射抜かれたようにシンジの動きは止まった。
「僕が今まで痛めつけてきた理由は、相手が『気に入らないから』だよ。それは碇シンジくん、君もそうだけどね」
「気に入らないって、どうして」
 鸚鵡返しのような質問しかできないシンジに対し、マキオは気をよくしたのか朗々と語る。
「僕より高い数値を出すからさ。決まっているだろう」
「高い数値って、シンクロ率のこと?」
 シンジにはそれが分からない。あんな、ただ座っているだけでエヴァとの適正が測られるなんて、おかしいと思わないのだろうか。自分は自分がすごいと全く思えない。それよりも格闘や射撃でSのついている周りの方がずっとすごいと思う。
「親の七光りでランクBまで上げてもらった理由は、その高いシンクロ率ってことか。ふざけるな。こっちがどれだけ努力しても、お前みたいに何も苦労もしないで『力』を持っている奴なんて、僕は絶対に認めない。力があるのは、優秀なのはこの僕だ!」
 それは『力』を持つ者に対する嫉妬。
 だが、その醜い感情を持つことが、シンジには嫌う理由になどなれなかった。
(僕のせいなのか?)
 内罰的に自分を責める。それが彼の思考形態。
 だが、それを読み取った者がいた。綾波レイだ。
「あなた、かわいそうな人」
「まだ言うのか」
「誰も信じない、信じられないのに、どうしてここにいるの」
 マキオは答えない。質問の意図を把握しきれていないのだ。
「じゃああんたはどうしてチルドレンなんてやってるんだ」
「エヴァに乗ることが絆だから──碇くんとの」
 きゅ、とその服を掴む力が強くなる。
「絆?」
「碇くんがエヴァに乗ることは、最初から決まっていたことだった」
 その言葉にシンジが驚き、マキオも憎しげに睨みつけてくる。
「どういうことだよ、綾波」
「ふん」
 マキオは鼻を鳴らす。
「結局、ひいきにされてるってことじゃないか」
「違うわ。ただ碇くんは、エヴァを動かすのに最適だっただけ。だから私は碇くんをサポートするためにチルドレンになった。それが理由。ランクAにいる人たちは皆、誰かを守ろうとしてここにいる。それが分からない人は、エヴァを動かすことはできないわ」
 マキオがまたも激昂し、手を上げかけた。さすがにマキオが相手では、レイとシンジが束になってもかなわない。
 その拳が振るわれる、直前だった。
「そこまでにしときな、問題児の坊や」
 声がして、動きが止まった。
「また、あなたですか。教官」
 武藤ヨウがそこにいた。
「ま、お目付け役としてはな。お前の正体なんてバレバレだぜ。さっさと帰って、シンクロ率を上げるためにどうすればいいのか考えるんだな」
「シンクロ率なんて、すぐにあげて見せますよ」
 それはブラフだ。ヨウはそれに気付いたが、レイやシンジには分からなかったかもしれない。
「じゃ、そうしてくれ。世界を守る『英雄』は一人でも多い方がいいからな」
「ちっ」
 鋭い舌打ちを残して、マキオは去っていった。
 それをじっとただ、シンジは見つめている。
「どうした。裏切られたのがそんなに辛いか」
 ヨウから言われて現実に戻ってくる。いえ、とシンジは首を振る。
「ただ、ちょっと驚いてるだけです」
「お前さんは人を信じすぎるからな。人間は嘘をつく生き物だ。少しは疑うことを覚えた方がいい」
 それにはシンジは何も答えない。それを見たヨウがくっくっと笑う。
「なんですか」
「いや、お前さん、本当に顔に出やすいと思ってない。納得がいかないか」
「いえ、そんなことは」
「あるだろう? 顔に書いてある」
 一度押し黙ってから、シンジは小さく頷く。
「知らない人を疑うなんて、できません」
「だからこの間の事件も起こった」
 シンジの胸に痛みが走る。
「お前が本当の意味で強くなりたいというのなら、まずは俺くらいは抜いてもらわないとな」
 無理だ、とシンジはすぐに思ったが、それでもこの人は確かに『強い人』だと認識されていた。
 どこからこの強さがくるのか。それが分かれば自分も少しは強くなれるだろうか。
「どうしたらヨウさんみたいになれますか」
「俺みたいに? それはお前さんには無理だ」
 はっきりと言われ、意気消沈する。
「ああ、別にお前に才能があるとかないとか言ってるわけじゃないぜ。ま、ないけど。ただ、そういうんじゃないんだ。俺の強さを求めたって、お前には少しも価値がない」
 何気にひどいことをサラリと言ったが、ヨウなりの慰めなのだろうか、真剣な表情だった。
「お前はお前のやり方で強くなればいい。俺は相手を倒すための強さだが、お前は仲間を守るための強さが欲しいんだろう。だったら、戦いを楽しんでいる俺なんかを参考にすることはないのさ」
「戦いを、楽しむ?」
「ああ。ずっと戦場にいて、戦友も多い。あそこが俺の生きる場所なんだって思う。ま、今は何の因果か、お前さんの指導教官なんてものをやってるが」
「僕の?」
「あ、そうか。これは言っちゃまずかったんだったか。ま、いいだろ。俺はこのネルフの警備体制の強化と、お前さんを鍛えるために呼ばれたんだよ」
「僕を……また、父さんが、ですか」
「誰の思惑かは知らないけどな。俺としては面白いオモチャを与えられたみたいで楽しいが、お前さんにとってはどうかな」
「ヨウさんは優しいから、嫌いじゃないです」
 意外なことを言われたヨウは目を丸くした。
「優しい? 俺が?」
「はい。さっきのマキオくんの時だって、あのままだとマキオくんを逮捕しなきゃいけなくなるから、止めてくれたんでしょう?」
「それは買いかぶりだな。ターゲットであるお前さんに危害を加えさせないってのも、俺の任務なんでね」
 それでもシンジには、彼が優しい人間だと感じられた。優しいというよりも、根が善良だといえばいいのだろうか。契約を結んだ相手には絶対に従うという傭兵としての誇り、そしてさりげなく相手を気遣う態度。そうしたものが自然と身についている。
 確かに戦いを肯定しているヨウの考え方とは合わない部分も多い。だが、この人についていきたいと思わせるタイプの人間だ。同期でいえばジンのような、リーダータイプというところか。
「ま、そんな話はそれくらいにして、せっかくの休みなんだ。そこの彼女とデートでもしてきたらどうだ」
 言われて、ずっと服を掴んでいたレイと目が合う。
 そういえば、レイと最後に会話したのはいつだっただろう。確か、去年のクリスマスの時だったと思う。
 子供の時からずっと一緒にいた彼女。一人で先にネルフに入っていった彼女。
 それに先ほど、レイは自分も知らないことを言った。
 自分がエヴァに乗ることは、最初から決まっていたことだった。
「綾波」
 レイは呼びかけられても表情が変わらない。ただ、一緒にいることは嬉しいのだろう、自分の目をじっと見つめてくる。長く一緒に暮らしていたシンジには分かる。レイは、目で、甘えるのだ。
「綾波は、時間あるの?」
 こく、と小さく頷く。
「じゃあ、街まで出ようか。話したいこともあるし」
 また頷く。ああ、変わらないんだな、とシンジは久しぶりに彼女と話している実感が生まれた。
「それじゃあ、今日はありがとうございました、ヨウさん」
「いや。彼女を大事にな」
「はい」
 おそらくシンジは、ヨウが言いたかったことを正確に理解はしていないだろう。
 シンジにとって綾波レイという存在が、どの程度強いものなのか。恋人に昇華するか、それともただの幼なじみで終わる関係なのか。
(ま、気長に見させてもらうか)
 ほのぼのした二人を見ていると、アメリカに残してきた彼女に久しぶりに会いたいと、そんな気持ちに襲われていた。






 長い、長いエスカレーターを、マキオは一人で上っている。
 ヨウに言われた言葉が腹立たしかった。勢い、シンクロ率なんかすぐにあげられると言ってしまったが、もちろんそんなことはマキオにはできない。
(最初から、決まっていただって?)
 自分ではなく、戦いのことを何も知らない、あんな平凡な人間が。
(認めない)
 あんなやつに。
(お前をエヴァになんか、乗せてやらない)
 あんなやつに、自分が劣っているだなどと、認めない。
 と、その時。
 エスカレーターで、上からおりてくる相手と目が合った。
(あれは、たしか)
 碇シンジについて調べていたときに見た顔だった。確かランクCで、シンジと二回連続で同じ班になった人物。
(石河──何て言ったかな。ま、そんなことはどうでもいいか)
 彼が検索で引っかかったのは、シンジに対しての不満を技術部の赤木リツコ博士に直談判しに言ったということからだ。つまり、シンジに対して強い不満を抱いている人間。これは利用しやすい。
「あ、石河くん」
 ひょい、とマキオは隣のエスカレーターに飛び乗る。突然声をかけられた相手は驚いて声も出ない。
「ちょっと話したいことがあるんだけど、いいかな」
 都合のいい駒が手に入った。
 マキオは内心の笑顔を表に出さず、神妙な顔で石河の取り込みに入った。






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