『一月二日 晴れ
今日も暑い。
新年早々、私は発作を起こしてしまったので、昨日の日記は書けませんでした。というわけで、一日あけて今日、今年最初の日記を書いています。
お父さんにも、お母さんにも、お姉ちゃんにも心配をかけました。
でも、ネルフに行くのは嬉しい。嬉しかった。
あの人に、また会えたからです!
無事に昇格試験は受かっていました。
検査のたびに昇格祝いのプレゼントをきちんと持っていってたのに、こんなときに出会うなんて残念。
そのことを話すと、笑って『ありがとう』と言ってくれました。
夢をかなえるんですね、と言うと、優しい笑顔で頷いてくれました。
夢。
人にはそれぞれ夢がある。
私はお姉ちゃんと一緒にいられるのが夢だった。
でも、この間からずっと、私の夢は変わってしまっていた。
この人に会いたい。この人のことをもっと知りたい。
だから、尋ねました。
「申し遅れましたけど、私は美坂シオリといいます。お名前、何ておっしゃるんですか?」
小学生にしては、すごい言葉の使い方だと自分で思う。
そして、答えてくれました。
「
第弐拾漆話
多情多恨
全員が緊張する。
無論、佐々といえど一人で何をすることもできはしないだろう。こちらには格闘ランクSのエン、射撃ランクSのカスミがいるのだ。
「しかしざまあねえな、マキオ。小細工ばっかり使うから、そんな目にあうんだよ」
「あなたには関係ありませんよ。僕の望みは、いつか必ずかなう」
言い残した後、マキオは俯いて喋らなくなった。
「ま、安心するんだな。お前たちにとっては朗報だ」
佐々はつまらなさそうに言う。
「朗報?」
「ああ。俺はネルフを出る。葛城サンから適格者資格を取られたからな」
適格者資格を取られた。
ということは、もう佐々からの執拗な攻撃を受けることはないということだ。
「ざまあないのはアンタの方じゃねえか」
カスミが肩をすくめて言う。
「俺はいいんだよ」
「何がだ」
「碇ゲンドウの子倅を充分痛めつけてやったからな」
冷たい目でシンジを睨みつける。
「ど、どうして」
かすれた声でシンジが尋ねる。どうして、そんなに自分を──いや、父を憎むのか。
「憎いのに理由があるかよ。そもそも俺は適格者になってエヴァに乗ろうって奴が死ぬほど嫌いだ」
「じゃあアンタ自身そうじゃねえか。アンタだって適格者なんだろう」
「ああ。俺も数年前までは本気でエヴァに乗ろうとしてたさ。腹立たしいことにな」
佐々は唯一の荷物、スポーツバッグをその場に置くと「どきな」と言って一同の間を平気で歩いていく。
「どこに行くつもり」
カオリがその背に声をかけた。
「どこだって俺の勝手だろ」
「だって、そっちは」
そう。
カオリには分かる。その方角。何度も自分が通いつめた方角。
「……悪いな、一回も来てやらなくて。お前に顔向けが今までできなかった。だが、もうここにいられなくなったんでな。これが最初で最後だ」
佐々は『その』墓の前に膝をついて手を合わせる。
それは、美坂シオリの墓。
「あなた、シオリの何!?」
カオリがその背に向かって問いかける。だが、佐々は答えない。カオリはいらいらして、腕をおさえたまま近づこうとしたが、ヨシノに止められた。
理由は分からずとも、彼は心から墓の前で祈っている。それを妨げるのはよくない。
「俺がこいつとどういう関係だろうが、お前らにはどうでもいいことだ。こいつはもう死んだんだからな」
冷酷な声が響いて立ち上がる。
「こいつを死なせたネルフが憎い。こいつの犠牲でできているエヴァに乗ろうとする適格者が憎い。俺にとっての真実はそれだけだ」
「ランクAの朱童に喧嘩を売ったのもそれが理由か」
「かなわねえのは分かっていた。あいつと俺は適格者ランクBのとき、ずっと同じ班だったからな。だが、何も知らねえくせにエヴァに乗ろうとしているのが癇に障った。それだけだ」
「じゃあ、セラに暴行したのは」
「ああ。そこにいる碇ゲンドウの息子を痛めつける、ただそれだけだ。憎かったからな。それに二ノ宮にせよ、どうせ適格者だ。どうなろうが俺の知ったことじゃねえ」
佐々は首を左右にゆっくりと傾ける。ウォーミングアップだ。
「もう一度聞くわ。あなた、シオリの何?」
カオリがゆっくりと尋ねる。
「何回か話したことがあるだけの友達さ。ただ、そうだな」
佐々は拳を握った。
「好きだった。そんな言葉で自分を正当化するつもりなんかねえ。俺は、この気持ちを奪ったヤツラに復讐してるだけだ。だからあんまり、気にするな。俺も気にはしてねえよ」
そして、戦闘態勢に入る。エンが先頭に立って佐々に向き合う。
マキオは同じ格闘ランクSだったからこそ大胆な攻撃に出ることはできなかったが、佐々は違う。自分より格下の格闘ランクA。ならば負けるはずがない。
「邪魔するんじゃねえよ。それとも、そこの碇の子倅は、自分で仇を打てない程度の坊ちゃんかよ」
「なに」
「俺が指示したんだよ。二ノ宮をヤれってな。憎くねえのかよ。自分の大切なものを奪われて、憎くねえのかって言ってんだよっ!」
シンジは痛む体で前に出る。
「エンくん」
「シンジくん」
「ぼくがやる。ぜったい、ゆるさない」
シンジの目が、激怒で充血する。
「どうして、あんな」
「お前が憎いからだよ」
佐々も本気だ。本気で相手を憎み、そのやり場のない怒りをぶつけようとしてくる。
「奪われる痛みが少しは分かったか。本当は最後にお前を殺して、お前の父親に見せ付けるつもりだったんだがな。まあいい。ここでやれば結果は同じだ」
「ふざけるなっ!」
声が戻ったシンジが叫び、佐々に突進する。無論、佐々の方がテクニックもパワーもスピードも上。それなのに、シンジの突進の直撃を受けた。
「こっちの台詞だ」
佐々は右手でシンジのボディに一撃を入れる。がはっ、とシンジの口から息がもれる。
「あいつはただ、生きたいと、それしか願っていなかった。そんな奴からその命を奪った連中に、何も言う資格はねえ」
そして、佐々の足が器用に大きく回った。まわし蹴り。シンジの側頭部を直撃し、吹き飛んだシンジが墓と激突する。
「とどめ──!」
佐々が駆け出そうとする、が、止まった。
シンジがぶつかった墓。
それは、美坂シオリのもの。
『夢をかなえるんですね』
嬉しそうな彼女の顔と、声。
それが、彼をさらにいらだたせる。思い出したくない。そんなことを考えたくはない。
『私、永く生きられないって言われてるんです。でも、お姉ちゃんと一緒に登校したいんです」
そう、確かに言った。
だが、今、彼の目の前にある墓。
その後ろにいる美坂シオリの幻影は、悲しそうな顔だった。
『どうして』
シンジが立ち上がって話してくる。だが、その口から聞こえてくるのは、彼女の声。
『どうして、こんなことを』
佐々は首を振った。
最初から、こんなことをしたかったわけではない。
だが、彼女に会って、彼女が可愛くて、恋しくて、そして可哀相で。
彼女の傍に少しでも長くいてあげたいと思っていた。
それなのに、ネルフは自分から彼女を奪った。
「お前がここにいないからっ!」
佐々は憤怒の形相で、墓を支えに立ち上がるシンジに突進した。
「奪われる気持ちが分かるのに、どうしてセラにあんなことしたんだっ!」
佐々の身体が、一瞬躊躇する。
シンジはその隙をついて、佐々の眉間を殴りつけた。
怯んだ佐々の足を蹴る。それで佐々は倒れた。
「そんなことをして、誰が喜ぶっていうんだ」
倒れた佐々に向かって言う。
「そうよ」
カオリが近づいてくる。
「あなたのしていることを、シオリは喜ばないわ」
「……そんなことは分かっている」
うつぶせに倒れた佐々だったが、ごろりと仰向けに転がる。
「だが、どうすることもできなかった。俺はあいつが失った悲しみを、誰かを憎むことでしか晴らせなかった」
「二ノ宮さんにつけた傷は、一生消えないんだ」
「知ってるさ。悪いことをしてるなんてのは自覚してるさ。だが、誰が傷つこうが、ネルフにいる連中のことなんざ俺には関係ねえ。適格者だって、どうせネルフの手先だろうが」
上半身を起こして佐々は眉間を押さえる。ずきずきと痛む。
「ちっ。カズマの奴にやられたときより痛みやがる」
佐々は頭を振って痛みを振り払おうとするが、やがてその場に立ち上がる。
「言っておくが、俺はお前ら全員が憎い。適格者なんか一人残らず死んでしまえばいい」
「言ってくれるぜ」
カスミが肩をすくめる。
「ただまあ、お前は例外だ」
佐々はカオリを横目で見た。
「私? どうして」
「お前はあいつの姉だからな」
それ以上の理由ではないが、それは彼にとって大切な理由なのだ。
「まあいい」
佐々は立ち上がると首を回した。
「やる気が失せた。ここまでだ」
「なに」
「ここまでだって言ってんだよ。碇の子倅にいてえの一撃もらっちまったし、シオリの姉の前だとどうにもやる気が出ねえ」
「待て」
シンジが佐々に近づく。
「二ノ宮さんに、謝れ」
だが、シンジこそ逃がすつもりはなかった。
たとえかなわなくても、全力でこの男から謝罪の言葉を聴くまでは、くらいついてやろうと思った。
その佐々はあっさりと言った。
「すみませんでした。これでいいのか?」
相手をからかうかのように、そんなことを言った。
無論、シンジは激怒する。だが、それより早く佐々が動いた。
「うぜえんだよ」
渾身の左アッパーが、シンジの顎を打つ。
その一撃で、シンジは脳震盪を起こし、地面に倒れた。
「シンジくん!」
エンが駆け寄る。だが、既に意識はない。
「久しぶりに左が出ちまったか。まったく、こっちが切り上げてやるっつってんのに、馬鹿な奴だ」
佐々が唾を吐く。エンが睨みつけてくるが構いはしない。
「碇の子倅に伝えておけ。お前はシオリの命を預かってるんだ。もし粗末にするようなことがあれば、俺が殺しに来てやる、ってな」
「佐々、お前」
「言っておくが、俺は謝るつもりなんかさらさらねえ。俺はシオリの復讐をするためだけに今までネルフにいた。誰が傷つこうが、俺には関係ねえよ。それに、桐島マキオ」
ずっと黙っていたマキオに向かって佐々が近づいていく。そして、銃で撃たれた左肩を強く蹴りつけた。
「ぐうっ!」
そして大地に転がったマキオの左肩をさらに踏みつける。
「シオリの実験、担当はお前の父親だって話だったな」
「……責任者はそうだ。だが、上からの命令だったと聞いている」
「関係ねえ。いずれにしても、引き金を引いたのはお前の父親だ。子が償え」
「前に言った、僕が嫌いだっていうのはそういう意味か」
「そうだ。死んで後悔しな」
強く踏みつける。叫びが、墓場に響く。
「佐々くん、やめて」
それを止めたのは、カオリだった。
「何故だ」
佐々が少しだけ足を緩めてカオリを振り返った。
カオリは悲しそうな瞳で見つめ返す。
「シオリが、見ているわ」
カオリが視線を逸らした向こうには、美坂家の墓。
そこにシオリが──いや、骨は納められていないはずだが、それでもそこに何かがいるのを感じる。
「それもそうだな」
佐々は足を避けた。マキオの荒い呼吸音が響く。
「じゃ、俺は行くぜ」
スポーツバッグを拾い上げた佐々は残った一同を──いや、カオリを見た。
「『二度と』会うことはねえだろうけどな。ま、あんただけは死なないことを祈ってやるよ」
「ありがとう。でも、大丈夫よ。私も死ぬつもりなんてないから」
「そうだな。それこそシオリが悲しむ」
佐々がそうして他のメンバーを無視して歩き出していく。
「待てよ」
カスミがその背中に向かって声をかける。
「お前、これからどうするつもりだ?」
「どうする?」
佐々は振り返りもせず、鼻で笑った。
「俺の未来なんか、決まっている」
そうして、佐々ユキオは去っていった。
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