「質問があります」
 倉田ジンは、休憩所で足を組んで煙草をふかしていた教官、武藤ヨウに尋ねた。
「人が休んでるときに聞くもんじゃないぜ」
「いえ、今でないといけないんです」
 ジンとしても逃がすつもりは全くない。状況はおそらく、今回裏方に回って各地の情報を整理していた自分だからこそ一番よく分かっている。
「佐々を墓場にやったのはあなたですね」
「だったらどうする?」
 どうする、といわれても困る。
 ジンとしてはこの人物が何故そのようなことをしたのか、そして何をたくらんでいるのか、もっと具体的に言えばシンジの敵なのか、味方なのか。それが分かれば充分なのだ。
「確かに佐々を送ったのは俺だが、それがお前に何の関係がある?」
「関係はあります。シンジは俺の友人だ。友人を危険な目にあわせられたのに、黙ってはいられません」
「相変わらず、友達ごっこか」
 ヨウは煙草を消して椅子から立ち上がる。
「ごっことは、ひどい言われようですね」
「ごっこだろ。お前ら、本気で碇の友人だっていう気はあるのか?」
 ジンは睨むだけで答えない。とにかく、相手の真意を知らないことには始まらないのだ。
「まあ、最後に許してやれよ。あいつだって墓参りの一つや二つ、したかっただろうしな」
「話は聞きました。佐々と、美坂の妹の件につきましては。でも」
「あいつ、ネルフを出たらどうなると思う?」
 聞き方がおかしかった。
 どうする、ではない。
 どうなる、とこの男は言った。
「どういう意味ですか」
「ま、判断力Dじゃ分からんか。真道カスミなら多分一発で気がついてるぜ。お前に一部始終報告したのも真道なんだろ?」
「そうですが」
「真道は分かった。だが、お前には分からない。善良なお前には永久に分からないだろうさ」
「もったいぶらずに教えてください」
「コーヒー。ミルクと砂糖は入れるな」
 ヨウはあごで自動販売機をしゃくってみせる。ジンはため息をついて近づくとボタンを押す。すぐにカップが出てきてブラックのコーヒーが注がれた。
「どうぞ」
「サンキュ。煙草の後はコーヒーって決めてるんでな」
「身体を壊しますよ」
「かまわんさ。お前らが使徒を倒せなかったらあと半年の命だ」
 倒せないことを前提に話すのはやめてもらいたいところだが、ここはぐっとこらえる。
 やがて飲み終わると、ヨウは一息ついて言う。
「佐々は消される」
 その言葉に、ジンは言葉を出すことができない。
 いや、分かっていたのかもしれない。ただ、ヨウの言うところの『善良な』自分では永遠にそれを認めることはできなかっただろう。
「なぜ」
「分かってるのに聞くのはおかしいぜ。あいつがネルフの外に出て、ネルフのために永久におとなしくしてくれると思うか?」
「将来の危険性を理由に、処分するというのか」
「俺の決めることじゃない。ま、上申はしたがな」
「何て」
「佐々は消すべきだと。決めるのは総司令か副司令かは分からんが、そのどっちかだろうよ」
「あんたが余計なことをしなければ」
「だから言ったろう。お前には分からないと。こういう話が通じるのはお前らの中じゃ、真道か野坂あたりだろうな」
「今までに退役した人間を全員消してきたのか、まさか」
「それこそまさかだろ。俺がここに入ったのはつい最近だぜ。ま、副司令あたりがそう仕向けてる可能性はあるけどな。それこそ俺には関係ねえよ。俺は仕事以上のことはしない主義なんでな。佐々の件は、ま、サービスってとこだ」
「何故!」
「佐々も死ぬ前に心残りがあったろうからさ。恨みを残して化けて出られても嫌だからなあ」
 気楽に言う男に、ジンは反感しか覚えなかった。
 この男は、敵か、味方か。
 味方にはしたくない。だが、敵だとやっかいだ。
「……あなたは何故、この仕事を引き受けたんですか」
「決まってるだろ」
 カップをリサイクルボックスに入れてヨウは答えた。
「金がいいからさ」












第弐拾捌話



破顔一笑












 翌日から、何事もなかったかのように日常が再開された。
 三月八日(日)。休日。特別な動きはなし。
 三月九日(月)。格闘訓練。B二班から桐島マキオ、B六班から佐々ユキオの姿が消えた。
 三月十日(火)。射撃訓練。
 三月十一日(水)。シミュレーション訓練。
 三月十二日(木)。この日は全休。何故なら、次の日がついに、昇格試験だからだ。前日を休みにするかわりに、日曜日に訓練が入る。

 桐島マキオは幽閉されることになった。
 過去の問題──それこそ昨年十二月に起こった音羽事件の主犯ということについても問題となり、適格者としての資格が剥奪されるのは目に見えていることだった。おそらく使徒戦が終わるまで幽閉が続くのだろう。
 佐々ユキオの行方は誰も知らない。それを調べようとする者もない。
 ただ、シンジは、あの墓場で気を失った後、佐々がいなくなったことと、佐々の残した伝言だけを知った。
 結局、この一ヶ月、全ての問題は、一人の少女に端を発していたということだ。

 美坂、シオリ。

 彼女がエヴァに取り込まれたがために、美坂カオリ、佐々ユキオ、桐島マキオといった今回の事件に関わったメンバーの人生は大きく変わった。それに伴って、セラや音羽など、人生を変えさせられてしまった者も出た。

 二〇一二年十月。佐々ユキオ、適格者試験合格。
 二〇一二年十一月。佐々ユキオ、適格者登録。
 二〇一二年十二月。佐々ユキオ、ランクD昇格。
 二〇一三年一月。佐々ユキオ、ランクC昇格。
 二〇一三年二月。美坂シオリ、死去。
 二〇一三年三月。美坂カオリ、桐島マキオ、適格者試験合格。
 二〇一三年四月。美坂カオリ、桐島マキオ、適格者登録。

 たった半年の中で、三人の人生は大きく激変している。
 碇シンジが適格者登録されるのが二〇一三年の九月。その半年前にはもう、この事件の種はまかれていたことになる。
 そして二〇一五年三月。
 使徒が襲来する年の、この月に種は芽吹いた。

 たくさんの人間の不幸を糧として。






 三月十三日(金)。

 ついにこの日が来た。
 本部では八人目のランクAが登場するということで、数日前から盛り上がっていたが、当のシンジは変わらない。
 淡々とトレーニングをこなし、前日には一日中音楽を聞いたり、一人でチェロを弾いたりしていた。
 セラに会いに行こうかとも思ったがやめた。一度拒否されているのに会いに行くのはためらわれた。
 だが。
(落ち着いたら、一度ゆっくりと話せるだろう)
 と思う。そうなるといいと思う。
 せめて今は、安らかな眠りが彼女に与えられるといいと思う。
 自分はセラのことをどう思っていたのだろうか? 男女という意味での好きということはないと思う。それこそ自分はレイに対してすらその気持ちは抱いていない。レイはただ、守らなければいけないという気持ちはあるが、それ以上を感じてはいないのが実情だ。
 誰かを、欲しい、と、強く思う気持ち。
 いつかはそんな気持ちにめぐり合うこともあるのかもしれないが。
 今はまだ、そんな気持ちには、なれない。
 誰にも。
「時間か」
 初めてプラグスーツに着替えたシンジは、ケイジへと向かった。
 ランクB適格者の試験は、模擬プラグに直接乗り込み、実際にシンクロをすることで行う。
 シンクロ率、ハーモニクス、シンクログラフ、パルスパターン。四つの項目が完全にクリアすれば合格。ランクAに昇格する。
 時間は三分。シンクログラフとパルスパターンは常にオールグリーン。ハーモニクスは常に三〇以上。シンクロ率は常に二〇%以上。それが合格基準だ。
 過去、何十人ものランクB適格者がその壁に跳ね返されてきた。
 だが、シンジならばこれを軽々とクリアするのだろう、と誰もが思っていた。
 まず、三上エリが挑戦するも、不合格。
 そして、園浦ハルカが挑戦したが、不合格。
 三人目に、碇シンジの番となった。
 ランクBの二班は四人しかいない。瞬く間に順番がめぐってくる。
 緊張しないわけではないが、したところでどうとなるものでもない。
 いつも通り、そこにただ座っていればいいだけのことだ。
(シンクロ、か)
 結局、このシンクロシステムというものはよく分からない。ただ座っていればいいだけの機械。これでいったい自分が何をするのだろう。操縦訓練などは全くしたこともない。ランクA適格者たちはそうしたことも行っているのか。
『試験、開始します』
 模擬プラグの中に伊吹マヤの声が聞こえる。さすがに全く集中しないわけにもいかない。目を閉じて、シンクロに集中する。
 そして、数値が出た。

 シンクロ率:五〇.一八三%。

「すごいわね」
 その数値を見た赤木リツコが素直に感想をもらす。
「さすがシンジくんね。また最高数値をあっさり更新しちゃって」
 ミサトも満足げに頷く。
「ハーモニクス値七七.八。シンクログラフ、パルスパターン、オールグリーンです」
 オペレーターの高橋シズカから報告が入る。
「ハーモニクス値も最高値、か。これが三分。問題なし、でしょうね」
 昇格決定。さすがに本部のメンバーもほっとした様子だった。
(やったわね、碇くん)
 カオリはそれを冷めた目で見ながら思う。
(あなたはシオリのためにも、もっともっと自分を高めて、そして使徒と戦わなければいけないのよ)
 カオリは苦笑する。
 これでシンジはランクAになる。望むと望まざるとに関わらず、その命をかけて使徒と戦う。
 それなら、もういい。充分だ。
 そのまま世界の救世主になればいい。シオリのかわりに。

 それが、彼の、宿命。

 そして、順番が変わる。
 シンジの合格がほぼ確定となり、そして最後にカオリの番となる。
 カオリは模擬プラグに入り、LCLを吸い込む。
 そして、シンクロに集中した。

 ──もっとも、結果は分かりきっていたのだが。


















 美坂カオリ。二〇一五年二月度昇格試験結果。

 シンクロ率:〇.〇〇〇%


















「どうしてだよ」
 昇格試験が終わったあと、シンジは彼女に尋ねた。
 悪いときでも一〇%前後の数値を必ず出していたカオリだ。いくら何でも〇%はありえない。それを問い詰めても、彼女はただ苦笑して首を振った。
「これが本当の私の能力よ。私にはもともと適格者になる資格なんてなかったもの」
「でも、今までずっと」
「そうよ。私がシンクロ──いえ、そうじゃないわね。会いたかったのは、シオリ、ただ一人。シオリがエヴァの中にいると思ったからこそ、私のシンクロ率は高まっていった。でも、今の私はもうそうじゃない。シオリのことが一つ完全に吹っ切れて、だからシンクロなんていうものを必要としなくなった。今の私は、先週までの私じゃないのよ」
 諦めたように笑う。
 確かに今までならば、シンクロ率はいつでも二〇%を超えることができた。自信とかではない。それは事実だ。それを無理にシンクロ率を低くしていた。
 だが、今は違う。シオリを求めていた自分はいなくなった。
 求めていない以上、もともと適格者としての資格のない自分にシンクロ率が〇.〇〇一%も出るはずがない。今まではシオリを求めていたからこそ、シオリとシンクロしていたのだ。別にエヴァとシンクロしていたのではない。
「私、今月一杯で適格者を退役するわ」
「でも」
「もう資格はなくなったのよ。それに、私の気持ちはもう、あなたに引き継がれたのだし」
 にこりと笑って、カオリがシンジに近づく。
 目の前、五センチ。
「ねえ、碇くん。約束して」
 息がかかるくらいに近づいて言う。シンジは唾を飲み込んだ。
「シオリの分まで生きるって。使徒と戦って、勝って、生き延びるんだって。あなたが生き残ること、そのためにシオリは命を費やしたのよ。だから、途中で無様に負けることなんて、許さない」
 シンジは頷く。
「約束するよ」
「ありがとう。じゃあ、お礼よ」
 そのまま。
 カオリは目を閉じて、触れるだけのキスを、シンジの唇に落とした。
「!!!!!!!!」
 驚愕したシンジが三歩は飛び退く。その態度に、さすがにカオリもむっときた。
「……失礼な態度ね」
「だ、だ、だ、だって! 美坂! さんが! そんな!」
「そんなに顔を赤くされたら、私の方が照れるじゃない」
 ぷい、とカオリはそっぽを向く。
「私だってファーストキスなんだから」
「な、なんで!」
「言葉通りよ」
 お礼。そう、確かにカオリは言った。
「だ、だからって!」
「ええ。お礼だけじゃないわよ」
 そして、上目遣いで笑った。そう、確かに。
 彼女は、確かに、笑った。それは今までのように、皮肉や、諦めのような笑いではない。

 楽しそうに。ただ、相手とのやり取りを楽しみながら。

「好き、だったからかもね」
 カオリは言い残すと振り向いた。
 もう、会うことはない。
 自分はこのネルフでやるべきことは全てやった。
 シオリのことも全てが分かった。そして、その命は今、私の初恋と一緒に、彼に託した。
(さよなら)
 カオリは心の中だけで彼に言った。
(一目惚れ、っていうのは案外、嘘じゃなかったのよね)
 今更になって気付く自分に、少しだけ呆れた。






 三月十四日(土)。

 昇格したシンジは、九時からのミーティングに出るために、八時には自分の部屋を出ていた。
 さすがに一時間前ならば、まだ誰も来てはいないだろう。
 そうして入ったミーティングルーム。
(え)
 そこには既に、ランクA適格者が七人、顔をそろえていた。
「よ、シンジ」
 野坂コウキが丸テーブルの一席から声をかけた。
「ようこそ、ランクAへ」






次へ

もどる