日付を一日戻す。
 三月十三日(金)。その日の夜のうちに「合格おめでとう」とメールが入ってきている。正式に合格が発表されるのは翌朝だというのに。
 合格基準を超えていたのは間違いのないことだったので、シンジも合格したことは分かっていたのだが、それでも正式発表もないうちからこうしてメールが届くのは不思議な感じがする。
 同期のメンバーからは当然のこと、ケンスケやトウジからもメールが届いている。
 レイからは──残念ながら、なかった。
 ただそのかわり、初めて受信欄に載った名前があった。
【神楽ヤヨイ】
 この間、突然出会い頭に蕎麦を渡してきた相手だ。その蕎麦は保存がきくものだったので、きちんとシンジの冷蔵庫の中にしまわれている。
 いったい何を言ってくるのだろうとどきどきしながらメールを読む。

『明日のミーティング、お蕎麦、待ってます。』

 それだけが書いてあった。












第弐拾玖話



Nice to meet you!












 ──というわけで、何故かは知らないが、どうやらランクA適格者たちのノリがいいのかなんなのか、みんな仲良く既にテーブルの上は食事モードだった。ヤヨイにいたっては凛々しい顔をしたまま、両手に一本ずつ箸を持っている。いつでも『いただきます』の態勢だ。
「よ、シンジ。ようこそ、ランクAへ」
「いや、コウキ、あのさ。何なの、これ」
「いやあ、ヤヨイがさ、お前が蕎麦を作ってきてくれるっていうから、みんなで朝抜いて待ってたんだ」
 コウキが言うとトウジも参加してきた。
「そやそや。センセ遅いで。こちとら腹すかせて待っとったさかい」
「ごめん」
 別に意識したわけでもなく、謝罪の言葉が出る。
 一応人数分の用意はしてきたが、まさかここまで本気で待たれているとは思ってもいなかった。何なのだこの欠食児童の群れは。
「神楽さんが無理矢理に作らせたんだね。ごめん」
 優しい綺麗な笑顔で言うのは榎木タクヤ。でも止めずに蕎麦を待っていたのだから同罪だ。
「引越し蕎麦は日本の伝統文化」
 ヤヨイはタクヤに向かって指差し注意する。目が据わっている。よほど腹を空かせているらしい。
「みんな、碇くんとは顔なじみなんだねえ。知らないのって私だけ?」
 茶色の長い髪をした明るい笑顔の元気っ娘が周りを見回す。
「ん、ボクは一応顔見知りだけど、自己紹介はしてないかな」
(あ、あの子)
 一人称を『ボク』と呼んだ、黒髪ショートカットの子。それは以前、セラのことで落ち込んでいたときに、不意にドリンクを渡してくれた女の子だった。
「あのときの」
「はじめまして。ボクは館風レミ。この間はどーも」
「あ、うん。この間はありがとう」
「どーいたしまして♪ 少しは元気になったみたいだね」
 こちらも元気良さげに明るい笑顔を振りまく。レミと名乗った少女は、ヤヨイを挟んで反対側に座っている、背の高い茶髪ロングの元気っ娘に向かって笑う。
「じゃ、あとは本当に私だけだね。はじめまして。私、美綴カナメ。よろしくね!」
「あ、はい。よろしくお願いします」
 背の高さのせいか、シンジより幾分年上に見える。清楚な感じもするが、それ以上に元気の良さが印象的だ。
 そして、その間も無口で黙って腕を組んで黙っているのが最後の一人。
 朱童カズマ。
 仲良しグループの中で、一人だけが浮いたような存在だった。
「自己紹介は後でいいから、早く蕎麦の準備」
 ヤヨイが据わった目で催促する。
「あ、うん。一応容器は持ってきたから、一人一個取って隣に回していって」
 スチロールの容器が一人ずつ渡っていく。その間にシンジは持ってきた食材を取り出す。もっとも、食材といっても蕎麦つゆ、蕎麦、やくみ、七味唐辛子といったようなごくありふれたものしかないが。
「蕎麦はゆがしてきたから、すぐに食べられるけど」
「朝は何も食べてへんから、いつでもOKやで」
 トウジが笑って言う。シンジは魔法瓶を取って一番近くにいたコウキとレミに渡す。
「これ、中に蕎麦つゆが入ってるから、適当に容器に入れて」
「さすがに準備いいな、主夫」
「言わないでよ」
 おそらく、本部適格者約七百人のうち、シンジほど食事をこまめに作っている者はいないだろう。毎日の訓練で疲れているのだから、自分で作るより栄養価までしっかりと考えられている食堂を使う方が楽なのは間違いない。
「え、碇くんって料理上手なの?」
 レミがつゆを注ぎ、隣のヤヨイに手渡す。
「センセの料理はホンマに上手いで。適格者になる前は何度か作ってもらったこともあるしな」
 コウキから受け取ったトウジも、つゆを注ぐと隣のタクヤに渡していった。
「それじゃあ二年以上前だな。多分シンジの腕前はそんときより上がってるぜ」
 トウジの言葉にコウキが口を挟む。
「何しろ俺は、シンジの部屋に食事をごちそうしてもらいに行ってるからな」
「えー、いーなー。ボクもいきたーい♪」
 レミが言うと、私も私もとカナメがはしゃぎ、ヤヨイは「明日夜……襲撃OK」と怪しげに呟いている。
(ランクBと随分違うなあ)
 相変わらずカズマだけは何も語らず、つゆを注いでいたが。
「じゃ、ボウルに蕎麦を入れてきてるから、二人一つくらいで分けていくから。人数分以上には作ってあるから、なくなりはしないと思うけど」
「それはどうかな。野坂くんと鈴原くんが三人前は食べるかもしれないよ」
 ずずい、とヤヨイが手を上げる。私も負けない、という意思表示らしい。
「……少しは遠慮してくれると助かるけど」
 シンジは二人一つでボウルをセットし、蕎麦をできるだけ均等に分配する。
 準備も整ったところで、シンジも席についた。
「じゃ、ミーティングまであと三十分だが、葛城サンが来ても無視の方向で行くのでそのつもりで」
 コウキが言うと、どっ、とカズマ以外の全員が笑う。
「まずは食事をしてからゆっくりと話すことにしようぜ。じゃ、リーダー。号令頼む」
 コウキはタクヤを見て言う。はいはい、とタクヤは立ち上がった。
「じゃ、一言だけ。碇くん、ランクAにようこそ。僕らはみんな、碇くんを歓迎します」
「え……」
 歓迎する。
 そんなことを言われたことは一度もなかった。それは適格者になってからはもちろんだが、それ以前、それこそ小学校時代からずっと。
「あ、ありがとう」
 少し照れながら言う。碇くんかわいいー♪ とはレミの台詞。
「それじゃ、せっかく碇くんが作ってくれたごちそうだから、味わうことにしよう。いただきます」
『いただきます!』
 そしてコウキとトウジが一気に蕎麦をすすりこむ。瞬間、二人の動きが止まる。
 ヤヨイもタクヤもレミもカナメも一口食べ、そして最後にカズマもゆっくりと食べる。そして一様に動きが止まる。
「美味しいっ!」
 最初に言ったのはカナメだった。
「うん、おいしーよ、これ。ボク、すごい気に入った!」
「さすがセンセやなー。ホンマ、腕上げたで」
「だーから言ったろうが。俺は月に一度は食わせてもらってるからな」
「うん、本当にいい味だね。僕も気に入った」
「……美味しい」
 全員が絶賛したが、ただ一人、一口食べてから箸が止まったままの人物がいた。
 朱童カズマ。
 相変わらず、まだ口を開かない。ただこの茶番に付き合っているというような、そんな雰囲気。
「じゃあここは一つ、食通のカズマにも感想を聞きたいもんだな」
(食通?)
 食に通じている、ということは自分の味を正統に評価してくれるということでもある。料理にだけは自信があるシンジにとっては、気になる答えだった。
「……ああ、なかなか上手いな」
 そのカズマからも、落ち着いた、凛とした声で賛辞をいただいた。
「へえーっ! カズマが料理で褒めるなんて初めてじゃねえか?」
「……人を偏屈者扱いするな」
 カズマは言ってからもう一度蕎麦をすする。ゆっくり租借して、味をかみ締めている。
「つゆに化学調味料が入っていない。一から自分で作れる時間があるとはさすがに思えないから、どこか専門店からつゆを取り寄せて、それに自分で味付けを加えているんだろう」
 カズマは冷静に味の分析を行う。鋭い。まさか一口二口でそこまで見分けられるとは。
「麺はヤヨイが用意したものだから当然高級品なんだろうが、ゆがし方がうまいな。のどの滑り、面のコシ、ちょうどいい仕上がり具合だ」
「さすがカズマくん、食には厳しいね♪」
 レミがからかうように言う。するとカズマはそれ以上は喋らず、あとは黙々と食べ続けた。
「レミ、違うぜ。カズマはな、何にでも厳しいんだ」
 真剣な表情でコウキが言う。
「そうだよねー♪ ボクなんかシミュレーションやら格闘やら射撃やらで、とにかくもー、カズマくんにこてんぱんにされてるもん」
「私も私も。料理好きだからよくみんなにクッキー焼いてくでしょ。でも、カズマくんから美味しいって言ってもらったことないもん! そんなカズマくんから褒められたんだから、シンジくんは凄いよ!」
「美綴はその前に、もうちっとばかし料理の腕前上げた方がええんちゃうか?」
「そういう鈴原くんには二度とクッキー焼いてあげない」
「え、あ、そりゃ勘弁してーな」
 あはははは、と笑いが生じる。
(別に、カズマくんだけが浮いてるっていう感じじゃないんだ)
 じっとみんなを見ていたシンジは、ここにいる全員が、お互いのことを信頼しあっているように見えた。
 ただ、ここにいる誰もが全員、何か気迫のようなものを感じる。
(やっぱり、ランクAっていうのは考え方も変わるのかな)
 一人だけ。
 この中に一人だけ、そうした気迫が感じられない相手がいた。よくいえば自然体でリラックスしている、悪くいえばランクAとしての自覚が感じられない、そんな様子だ。
 目が違う。
 他のメンバーは楽しんでいながらもその奥に何か別のものを潜めているのだが、その人物だけは、ただこの場を楽しんでいるとしか思えない。
「ごちそうさまでした」
 と、ヤヨイが箸を置いて手を合わせた。おそまつさまでした、とシンジは答える。そして次々に箸がおかれていく。
「さてっと。それじゃ、全員食べ終わったところで、シンジに簡単に自己紹介といきますか」
 コウキが言うと、各々が頷く。
「じゃ、まず俺からな」
「コウキのことはよく分かってるから」
「言うじゃねえか、コイツ。ってわけで、野坂コウキだ。碇シンジ・プリンセスナイツの一員だ」
「だからさ」
 シンジはため息をつく。まったく、こうしたおちゃらけたところがなければ、本当に頼れる相手なのだが。
「次はワシやな。ま、こっちもセンセにはよくわかっとるやろ」
「うん。よろしく、トウジ」
「まかせとき。つってもシンジのシンクロ率にはこの中の誰も勝てへんけどな。綾波くらいやろ、数値が近いのは」
「ま、カズマくんを除いて、僕らはみんなシンクロ率二十%台だからね」
 タクヤが続けて言う。
「それじゃ、改めて。僕は榎木タクヤ。僕も料理とかするから、今度一緒に作ってカズマくんにまた美味しいって言わせてあげよう」
「あ、うん。よろしくお願いします」
「別にかしこまらなくてもいいよ。一応、ランクAの中での役割分担としては、班長ってところ。ただ、このメンバーの中に班長ができそうな人が他にいなかっただけのことだから、あまり気にしなくてもいいから」
「うん」
 本当に優しそうな笑顔だった。彼がいてくれれば、このランクAではイジメなどということは絶対におきないだろう。
「じゃ、次私ね! 私、美綴カナメ。五月二日誕生日。もうすぐだから、プレゼントよろしくね!」
 茶髪ロングの女の子が笑顔で言う。さすがにここまで堂々といわれると気持ちいい。ここは料理でプレゼントに代えるべきか、それとも買うべきか。思案のしどころだ。
「次はボク。館風、レミです。実は十二年の八月組、つまり最古参のグループだったり。特技は占い。今度シンジくんも占ってあげるね」
「あ、ありがとう」
「ちなみに見て分かると思うけど、レミはこのメンバーの中で最小だぜ」
「コウキっ! 余計なこと言わないっ!」
 確かにこの黒髪ショートカットのレミは小さい。セラも小さかったが、同じくらい小さい。一五〇に達していないのは間違いない。
「シンジくん、なんか失礼なこと考えてるね!?」
「考えてない考えてない!」
 大慌てで否定する。だといいけど、と少し疑いのまなざしで見られた。
 いや、確かに考えていないのだ。ただ最初のは、誘導でつい考えてしまっただけだ。
「私の番」
 ヤヨイが凛とした声で言う。
「神楽ヤヨイ。よろしく」
「ヤヨイちゃんはこー見えても、カズマくんにつぐランクAの古株なんだよ!」
 レミが言うと、ヤヨイを挟んで反対側にいたカナメも言う。
「ちょっと変わってるけど、可愛い人だから」
(ちょっと?)
 既にシンジの中では『ちょっと』どころか『大幅に』変わっているという印象だった。まあ、今までの奇行を考えれば当然ともいえるが。
「おい、大将。出番だぜ」
 そして最後に残ったカズマにコウキが振った。
「朱童カズマだ」
 名前だけ言った彼に、よろしくお願いします、とシンジは頭を下げた。
「カズマはああ見えても、身長が低いこと気にしてるから、あまり追及するなよ」
 コウキが言った瞬間、カズマから強烈な殺気を感じる。
「いい度胸だな、野坂」
「おいおいカズマ、そんなに怒るなよ。いいじゃねえか、シンジの方がまだ少し低いんだから」
 何がいいのか分からないが、とにかくカズマに身長の話はご法度らしい。
「じゃ、最後にシンジの方から、ランクAにやってきた感想と豊富を一言」
「き、聞いてないよ、そんなこと」
「そりゃ教えてないからな。どうせ仲間内なんだから気にすんなよ」
「え、う、うん」
 突然のご指名で、何を言えばいいのかも分からない。
 ただ、少し考えてから、ゆっくりと口を開く。
「碇シンジです。今日は、僕のために歓迎会を開いてくれてありがとうございました。ここは」
 と、一回話を区切る。ふと、今までいたランクBの環境を思い出す。
「みんながすごい仲良くて、驚きました」
 うんうん、とみんなが頷く。特に最近ランクAになったばかりのトウジやカナメなどは大きく首を振っている。
「僕が仲間になれるのか不安ですけど、がんばりますのでよろしくお願いします」
「お、はっきり言えたやないけ、センセ」
「お前は少しはしゃぎすぎだな」
 コウキがトウジに向かって言う。
「なんやて。せっかくセンセと一緒の班になれたんや。少しくらいハメ外したってええやろ」
「まあ、構わないぜ。ただ言っておくが、シンジを渡すつもりはないからな。覚悟しろ」
「はっ! 言うつもりはなかったけど、ワシもはっきり言っとくで。シンジはワシの幼なじみや。お前とは付き合っとる年季が違うんや!」
 と、シンジを放ったらかしで突然始まるシンジ争奪戦。
「大人気だね、碇くん」
 タクヤが言うと、困ったようにシンジは首をかしげた。






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