適格者番号:130200014
 氏名:鈴原 トウジ
 筋力 −B
 持久力−C
 知力 −D
 判断力−C
 分析力−C
 体力 −B
 協調性−B
 総合評価 −A
 最大シンクロ率 21.316%
 ハーモニクス値 32.55
 パルスパターン All Green
 シンクログラフ 正常

 補足
 射撃訓練−D
 格闘訓練−B
 特記:二歳年下の妹がネルフ病院にて継続治療中。












第参拾弐話



Something is better than nothing












 三月十八日(水)。

 水曜日が午後休なのは変わらない。四時間目のシミュレーションの時間で同期メンバーにあれこれ言われたシンジは、食事を取った後にネルフ病院へと足を運んだ。
 あの事件以来、セラとは一度も会話ができずにいる。こうして何度か花束を持って来てはいるものの、シンジも勇気を持てず、病室の前に置いておくだけでそれ以上のことをしてはいない。
 いつかはもう一度きちんと話したいとは思う。だが、今はまだ早いのだろう。セラはまだ病室から一歩も出ず、ここに出入りできる人間も見知ったごく一部の看護師だけだという。
 解決できない問題。それでも、時間が経てば傷口は小さくなることもできる。
(僕に何ができるんだ)
 何もできないのは分かっている。そして自分が傍にいれば彼女を苦しませるだけだということも。
(くそっ)
 自分にできることなら何でもしたいのに、そうすることができないというジレンマ。ここしばらくシンジはずっと同じ悩みを抱き続けていた。
 花を置いて、また病室から立ち去る。誰が持ってきたのか分からないようにしてほしいと看護師には伝えている。ただ、花を見ることで少しでも彼女の心が慰められれば、と思うのだ。
 そうしてシンジが歩いてエレベーターのところまで行くと、ちょうどその扉が開いた。
「えっ?」
「おっ?」
 その扉から出てきたジャージ姿は、誰あろうランクA適格者の鈴原トウジであった。
「なんやセンセ、こんなところに何の用や?」
「トウジだって、いったいどうしたんだよ、こんなところで」
 お互い特別具合が悪いわけではない。というより、入院病棟に来た以上、お互いお見舞いが理由に決まっているのだが。
 場所変えようや、とトウジは近くの休憩所にシンジを連れていく。そしてコーヒーを二つ購入した。
「ほれ。こんなところで何やけど」
「ありがと、トウジ」
「気にせんでええで。ま、センセの淹れてくれるコーヒーに比べたらたいしたことないんやろうけどな」
「別にコーヒーとかまで淹れるわけじゃ」
 律儀に答えてしまうあたりがシンジだろうか。トウジはいつもになく落ち着いた表情でそのホットコーヒーを飲む。
「そか、シンジはその、二ノ宮のトコかいな」
 そのことに思い当たったらしくトウジが尋ねてくる。
「あ、うん。会ってきたわけじゃないんだけど」
「ま、会いづらいのは分かるけどな。でも、二ノ宮もお前が来てくれたら嬉しいんとちゃうか」
「どうかな。分からない」
 このことについては慎重に慎重を重ねるくらいがちょうどいいのだ。まだ刺激するには早すぎる。何しろ前の事件からまだ一ヶ月も経っていないのだ。傷が塞がるようなことがあるはずもない。
「そういうトウジはどうしたのさ」
「ああ、妹に会いにな」
「ナツメちゃん?」
 意外な答だった。
 もちろんシンジもトウジの妹のことはよく知っている。小学校時代、自分とトウジとケンスケはいつもよく遊んでいた。当然、お互いの家に行くこともあった。トウジの家で妹のナツメと会うのはごく自然な成り行きだった。
「なんで病院なんかに」
「あいつ、もともと体はよくないからのう」
「でも、トウジがネルフに入る前までは、あんなに」
 そう、確かに病弱だというのは何度も聞いていた。だが、トウジの家に行けばいつも元気良く迎えてくれたのだ。時には自分たちに混ざって遊んだりもした。
「ま、センセに隠し事してもしゃあないからな。ナツメ、もう治らんのや」
 諦めたような笑みに、シンジは言葉を失う。
「あいつの病弱は昔からやったけど、小三のときにとうとう発作起こしてな」
「な、なんの」
 治らない、不治の病といえば、この医学の発展した二十一世紀で出てくる答など決まっている。
「予想、ついとるんやろ?」
 そう。こればかりは現代医学ではどうにもならない、まさに神の領域。あの二千年の九月から世界で蔓延し、今なお毎日何人もの患者が息を引き取る、最低最悪の病気。
「セカンドインパクト症候群や」






 セカンドインパクト症候群。
 二千年の大災害は多くの人命を奪ったが、その後、年を追うごとに衰弱死する人が世界の各地で発生している。
 原因は一切不明。ただ、人体が徐々に衰弱を始めていく。衰弱の進行は個人差があり、数年かけて徐々に衰えていくもの、一年も経たずに一気に衰えるもの、それは人によるとしかいえない。
 いまや一年で四桁もの人命を奪うこの病気は、有効な治療方法もないまま、徐々に世界中に広まっている。
 決して感染する病気ではない。それだけは確認がされている。
 この症候群の死亡平均年齢は九.六歳と、非常に若い。
 それもそのはず、この症候群にかかるのは、セカンドインパクト後に生まれた子供たちにしか発症しないという特異点を備えていた。
 いまだにこの症候群に対する有効な治療方法は開発されていない。何しろ、何故衰弱が起こるのか、その原因が分析できないでいるのだから仕方がない。
 既に医学界では千人以上もの死亡者のデータを分析しているのだが、全くその原因がつかめない。これほど厄介な病気はかつてないものだった。






「ネルフのおかげで妹の病気の進行はだいぶおさまっとる。でも、時間の問題には違いあらへん」
 淡々と話すトウジ。そしてようやく立ち直ったシンジがかすれた声で尋ねる。
「確か、有効な治療法はないって話だったけど」
「ああ。ただ、衰弱するっていう現象はあるわけやから、衰弱させないくらいの栄養を取らせればいいってことで、点滴に栄養剤を入れてもらってるんや。おかげで入院してからの二年は進行が遅うなっとる。ありがたいと思ってるで」
「もしかして、トウジがネルフに入ったのって」
「ああ。妹のためや。ただでさえ金の必要な治療してもらうんやから、せめて適格者にでもなって稼がなアカン思て適格者試験受けてみたけど、見事に適性があったみたいでな。妹をネルフ病院に入院させてもろて、ワシは適格者として登録されたわけや」
「そうだったんだ……トウジ、突然適格者になるって言ったから、あのときは僕も驚いたよ」
「でもケンスケの方が先やったろ。ならワシでも何とかなる思うてな」
「ケンスケは、そういう問題とは無縁だと思うよ」
 ケンスケの場合、エヴァンゲリオンや世界の平和を守るといったヒロイズムが先行している。だが、ランクA適格者を見るかぎり、そうしたヒロイズムに関係がありそうなのはカナメだけで、それ以外はそれぞれ別の理由があって適格者になっているように見える。
 昨日揉め事を起こしたカズマにしてもそうだし、幼なじみだと思っていたトウジだって裏にはこんな事情があったのだ。
「でもな、綾波がチルドレンとしてがんばっとるやろ。だったら男としてやれることはやらんとアカン、そう思ったのも事実や」
「トウジは綾波のことが好きだったよね」
「昔の話やけどな。綾波とは話が合わへんから、付き合ったりするっちゅうのは難しいやろ」
 やっぱり自分と趣味が合わないといけないというトウジに、シンジは『格闘ゲームをやる女の子は少ないと思うよ』と苦笑して答えた。
「じゃ、センセ。ワシはナツメんとこ行くけど、センセも来るか」
「いいの?」
「ああ。ナツメはシンジやケンスケのこと気に入っとるからのう。いっつも二人を連れてきてくれってせがまれとったわ」
 そうして二人は並んでナツメの病室へ向かう。
 ただ、セカンドインパクト症候群による衰弱は、本当に見た目が変わっていく。衰弱が始まると体も小さくなるし、肉が落ちて頬がこける。あまり人目にさらしたくないという本人の意思もある。そのため面会者は極端に少ない。
 売店でお見舞いになりそうなお菓子を買い、病室に着く。だが、そうした不安は病室に入るなり一蹴された。
「よ、ナツメ。元気しとるか」
「あ、お兄ちゃん。来てくれたんだ」
 どうやら点滴中だったらしく、ナツメは寝台に乗ってぼうっと天井を見上げていた。そこにトウジが入ってきたものだから慌てて体を起こそうとする。
「ああ、ええから寝とけ。無理してもしゃあないやろ」
「うん、ごめんね、お兄ちゃ……」
 そして、その後ろから出てきた顔に、ナツメの顔が驚きに変わる。
「し、シンちゃん!? うそっ!?」
 それこそ、がばっ、という勢いで起き上がりかけたナツメを、トウジは慌てて寝台に戻す。
「こら、ナツメ。あんまり世話やかすな」
「うそ、だって、お兄ちゃん、どうしてシンちゃんが」
「お前のこと言ったらお見舞いくらいしたいって言うてな。ほれ、シンジからの差し入れや」
 シンジが何かを言うより早く、トウジは手にしていた紙袋を枕元に置いた。
「本当? ありがとう、シンちゃん」
 にっこりと笑ったナツメに「どういたしまして」と答えた。
 二年ぶりに見たナツメは、思ったほど衰弱していないようだった。顔艶も悪くないし、体中に元気がみなぎっている。本当に衰弱がおさえられているようだ。その点ではほっとした。
「今度ケンスケも連れてきたる。お前がいい子にしてたらな」
「本当? ありがとう、お兄ちゃん。シンちゃんも、わざわざ来てくれてありがとう」
「ナツメちゃんのためだからね。でも、元気そうで安心したよ。トウジってば、今日までナツメちゃんが入院してたの教えてくれなかったんだから」
「うん、この病気、どうしても見た目がよくなくなってくから。お兄ちゃんをあまり責めないであげてね」
 ナツメも自分がセカンドインパクト症候群だということが分かっている台詞だった。内心の動揺を悟られないように、シンジは間をおかずに答えた。
「もちろん。僕とトウジが仲のいいのはナツメちゃんも知ってるだろ?」
「うん。久しぶりにシンちゃんに会えて嬉しい」
「あ、碇。ちょっとナツメの相手してくれへんか。ワシ、何か飲み物でも買ってくるわ」
「僕なら別にいいよ。さっき」
「ワシが飲みたいんや。ま、センセが飲みたいっていうなら買ったるで。ナツメ、お前は?」
「私、オレンジジュース」
「よっしゃ。じゃ、ちょっとひとっ走り行ってくるわ」
 そしてトウジは病室を出ていく。止める暇もなかった。
「トウジもさっき、コーヒー飲んだばっかりじゃないか」
「お兄ちゃん、気を使ってくれたんだと思う」
「気を?」
「うん。私がシンちゃんとゆっくり話ができるようにって」
「そっか。トウジ、妹にはいつも優しかったからなあ」
「だから、けっこう時間が経ってから戻ってくるんだと思う。そして『オレンジジュースが売り切れてて探し回った』とか理由をつけるんだ、きっと」
「はは、トウジらしいや」
「私にとっては、優しくて、頼りになる、本当にいいお兄ちゃんだから。でも、そのせいで迷惑をかけてるのも分かってるんだ」
 ナツメは少し表情を曇らせた。
「ねえ、シンちゃん。お兄ちゃんって適格者としてどれくらいなの。エヴァンゲリオンに乗る可能性とかあるの?」
 一瞬、言葉に詰まった。
「まさかトウジ、ナツメちゃんに何も話してないの?」
「うん。お兄ちゃんは、危ないことはしないから安心しろって言ってるけど、でも適格者っていうことは使徒と戦うってことだよね。負けたら死んじゃうんだよね」
 どこから説明していいものか。それに、トウジが説明していないことを自分が説明してもいいのだろうか。
「大丈夫。トウジは適格者としてはすごい優秀なんだ。これは本当。本部にいる七百人の中でも十番以内に入ってるんだよ」
「お兄ちゃんが? 本当に?」
「ああ。僕も実はその十番以内にはいるんだけどね。トウジの方が先輩だから、いつも助けてもらってるよ」
「あのお兄ちゃんが……信じられないなあ」
 いったいこの妹の目には兄がどのように映っているのだろうか。
「でも、もしトウジに危ないようなことがあったとしたら」
 ナツメの顔に緊張が走る。
「僕がトウジを守るよ。だから、ナツメちゃんは安心していて」
「約束?」
「ああ、約束する」
「よかった。シンちゃんは約束破ったこと、一度もないもんね」
 にっこりと笑ったナツメは安心して息をついた。
「でも、お兄ちゃんにあまり迷惑はかけたくないんだ」
「ナツメちゃんのことを、トウジは迷惑だなんて思ってないよ」
「それは分かるんだけど、お兄ちゃんが適格者になったのは私のせいだし、ここだけの話、お兄ちゃん、女の人からの告白も断ってるの」
「トウジが?」
 意外な情報だった。確かにトウジは優しくて頼りがいがあるが。
「お兄ちゃん、妹がこんな状態なのに他の女と付き合ってられるかいって、笑ってた。でも、もし私が病気じゃなかったら、お兄ちゃんももっと自由に生きられるんじゃないかな」
「そうかもしれないけど、でもそれはトウジが他の女の子よりナツメちゃんの方が大事だっていうだけのことだよ。トウジは確かに義理も大事にするやつだけど、ナツメちゃんのことはそういうのとは違って、本当に大切にしてるんだから」
「うん。分かってるから余計に、お兄ちゃんにはもっと自由に生きてほしいんだ。彼女の一人や二人、作ろうと思えばすぐに作れるのに」
「すぐにって、極端だね、随分」
「うん。だって、アテがあるし」
「アテ?」
「お兄ちゃんやシンちゃんが小学校のとき、学級委員長だった洞木ヒカリさん」
「委員長が?」
「うん。ヒカリさん、私のお見舞いに何度も来てくれてる。お兄ちゃんには秘密だけど」
「そうだったんだ」
「ヒカリさん、お兄ちゃんのことが好きだって言ってくれた。だから、お兄ちゃんが大切にしている私のことが心配なのは当然だって言ってくれた。私もヒカリさんが好き。後はお兄ちゃんだけなんだけどなあ」
「うまくいくといいね」
「うん。本当に」
 それからも二人は他愛もないことを延々と話し続けた。そうして二十分くらい経って、ようやくトウジが戻ってきた。
「遅くなってすまへんな。オレンジジュースが売店に売っとらんくて、あちこち探し回ったんや」
 予想通りの言葉に、二人はおもいきり吹き出していた。






次へ

もどる