適格者番号:130300020
 氏名:榎木 タクヤ
 筋力 −B
 持久力−D
 知力 −B
 判断力−A
 分析力−A
 体力 −C
 協調性−S
 総合評価 −A
 最大シンクロ率 24.518%
 ハーモニクス値 53.22
 パルスパターン All Green
 シンクログラフ 正常

 補足
 射撃訓練−C
 格闘訓練−C
 特記:母はエヴァンゲリオンの実験中の事故で死亡。












第参拾肆話



Please smile anytime












 三月二十日(金)。

「えーと、それじゃあ、手元の資料を見てください」
 司会進行の班長、タクヤが一つずつ説明を始めていく。
 明日、明後日と、ランクAの八人はちょっとした小旅行に出かける。もちろん旅行といってもネルフがらみだ。松代の実験場まで行き、エヴァンゲリオンの零号機の最終調整を見学することになっているのだ。
 もちろんそこは若い中学生たちの群れ。せっかく本部から出ていけるのだから、自由行動の時間だって取りたいのは山々だ。
 しかしパイロットたちに完全な自由は与えられない。ランクAともなれば人類の命運がかかっているのだ。テロリストたちがいつ襲ってくるとも限らない。自由行動を取るにもガードマンたちが裏できちんと警備してくれるのだ。
「集合は朝八時にネルフ入口。そこからネルフ特別バスで駅まで移動し、こちらもネルフ特別急行で松代までノンストップ。到着予定時刻が十一時二八分。そこからネルフ特設バスで移動して松代の実験場へ。午後一時から三時まで実験の見学。それから移動して戸隠神社の参拝。そして温泉に一泊。翌日は朝八時から二班に分かれて行動。A班は長野オリンピックスタジアム方面、B班は茶臼山動物園方面。で、ここで好きな方を選んでいい。十二時には松代に戻ってきて、ここで買い物。午後二時の特別急行で第三に戻る。こんな日程になってる。何かここまでで質問があったら」
「質問はないが、今のうちに自由行動でどっちに行くのか決めておいた方がいいんだろ?」
「うん。その方が保安部の人たちも動きやすいと思うから。じゃあ、挙手でお願い」
 これは難しい問題である。茶臼山動物園といえば、セカンドインパクトすら乗り切った天然記念物の動物がたくさん見られるのだ。レッサーパンダやニホンカモシカ、それらを映像以外で見る機会がそうそうあるわけではない。
 一方長野オリンピックといえば、二十世紀最後の冬季オリンピックで、船木、原田といった有名選手がジャンプラージヒル団体で金メダルをとっている。その開閉会式場が見られる。また、近くには真田家の博物館もあり、戦国時代の美術品や文化財も見られるのだ。
「えっと、じゃあまず長野オリンピックスタジアムの方は」
 コウキとトウジが手を上げる。それから少し考えてカズマも手を上げた。おそらくオリンピックはどうでもいいのだろうが、真田家博物館が気になるのだろう。
「じゃあ、茶臼山」
 レミとカナメが手を上げる。それから少し考えてヤヨイも手を上げた。この一風変わった少女が何を考えて手を上げたかは不明だ。
「シンジくんは?」
「えっと」
「そりゃもちろんこっち来るよな、シンジ。男だったらスポーツに憧れるもんな」
 コウキが客引きを始める。だが一方、
「何言ってるのよ。シンジくんは動物園だよね。一緒にレッサーパンダ見るんだから」
 カナメが、シンジは譲らない、と牽制する。それを見ていたヤヨイが「アライグマ、見たい」とぼそりと呟いた。何故アライグマなのかは不明だ。
「じゃあ、どっちにしようか。ちょうど今三対三だから、碇くん次第で僕も決めるけど」
「僕はどっちでもいいんだけど、榎木くんは?」
「僕もどっちでもいいかな。いっそのこと、僕たち二人で温泉に残っていようか」
 何言ってやがる、それはだめ、とただちにコウキ、カナメから反対意見が出る。
「こっちだろ、こっちだよな、シンジ」
「シンジくん、一緒に動物園に行こう」
 二人からの執拗な誘いに、どちらをとっても禍根が残るだろうな、と冷静に考えていた。
「じゃあ、クジにしようか」
 助け舟はタクヤが出してくれた。紙を切って二つのクジを作る。
「はい。片方には〇、もう片方は×って書いておいた。〇が出たらオリンピックスタジアム、×が出たら茶臼山動物園だからね」
 ああもうどうにでもなれ、とシンジは適当に右を引いた。結果、×と記入されていた。
「じゃあシンジくんは動物園、僕はオリンピックスタジアムっていうことで」
 やったぁ! と喜ぶカナメに、また負けた、と落ち込むコウキ。そういえばこの間、ヨシノと料理ジャンケンでも負けてたんだっけ、とコウキに少しだけ同情する。
「じゃ、各自今日はこの後明日の準備をしておいて。忘れてはいけないのはプラグスーツ必須。松代の実験場ではプラグスーツで行動してもらうから」
「移動時は?」
「私服でかまわないよ。僕は支給されているネルフの制服で行くけど」
「おやつは?」
 ずずい、と手を上げて聞いたのはもちろんヤヨイ。タクヤは苦笑して答える。
「いや別に、修学旅行っていうわけじゃないから、好きにしていいよ」
 ──これが後で、悲劇を生むことになろうとは、このときはまだ誰も知らない。






「あ、榎木くん」
 打ち合わせが終わってみんなが出ていく中、シンジはタクヤを呼び止めた。
「何?」
「明日の旅行だけど、綾波は来ないのかなと思って」
「綾波さん? あ、うん。来ないみたいだよ。今回は僕たち八人だけっていうことになってる」
 確かに、後日エヴァを動かすことになる八人を呼び出すということは、単にエヴァを見せるだけというわけでもないのだろう。だとすれば現在一番エヴァに近い存在であるレイを連れていくのは自然なことのはずだ。
「まあ、上が考えていることなんて分からないけど」
「うん」
「碇くんは、綾波さんと一緒にいたかったの?」
 邪気もなく尋ねてくる。おかげでうろたえるということはなかったが、真剣になって考えてみる。
「そうかもしれない」
「ふうん。碇くんは綾波さんのファンだったんだ」
「そういうわけじゃないよ。綾波は昔、僕と一緒に暮らしてたから」
「え?」
 意外な接点を見た、という様子で驚く。確かに名字も違って、しかもランクA適格者とチルドレンという組み合わせ、そんな偶然があるものだろうかと普通ならば考えるだろう。
「家族だったの?」
「うん。僕の父さんと、綾波の保護者の人が仲良くて、それで綾波を僕の家で預かってたんだ」
「保護者って」
「冬月副司令」
 そういえばシンジは傍目からはすぐに思い出せなくなるが、こう見えてもネルフ総司令の息子だ。そしてレイの身元引受人が冬月であるのは周知の事実となっている。
「子供の頃は綾波と一緒に本を読んだりしてたよ。トウジたちと一緒に遊ぶこともあったけど」
「ふうん。碇くんの意外な事実発覚って感じ」
 何時の間にやら、二人は普通の友人同士という感じで話ができるようになっていた。無駄にテンションの高いトウジや、自分をからかってばかりいるコウキと比べても、タクヤのような人当たりのいい相手はシンジにとっても安心して話せる相手だ。
「じゃあ、恋愛っていうよりも」
「うん。妹を見てる感じ。もっとも、今は僕の方が全然つりあわないけどね」
 昔はいじめられていたレイをかばうのはシンジの役割だった。叩かれても泣かない子供。そしてあの外見だ。小学校のときはクラスの生徒からもよくいじめられていた。トウジとケンスケと、三人でレイをよくかばったものだ。
(トウジとケンスケは、綾波に気があるみたいだったけど)
 子供の『好きな人』というのは態度で分かるものだ。そういうシンジにしたところで、レイとは別に片想いをした相手だっている。
「お父さんは総司令で、今は世界三番目のシンクロ率を誇る本部のエースパイロット候補。お似合いの兄妹だと思うけど」
 そう言われるのにはだんだん慣れてきたものの、いまだに実感として感じることができない。このランクA適格者たちの中の誰よりも自分のレベルは低い。射撃、格闘、シミュレーション。何もかなわない。確かにシンクロ率はいいのかもしれないが、このままでは自分が全員の足を引くことになりかねない。
「そういえば、碇くんのお母さんは何をしてるの?」
 あまり触れられたくない話題になった。だが、タクヤが相手だからまだ普通に話すことができた。
「お母さんは、僕が子供の頃にエヴァの実験で亡くなったんだ」
「え?」
 それは、聞いてはいけないことを聞いた、という反応ではない。意外な事実に驚いた、という様子だった。
「そう、なんだ」
「うん」
「実は、僕も、なんだ」
「え?」
 そう言われて、シンジはタクヤが驚いた理由を察した。つまり、自分と同じ境遇であるということに驚いたのだ。
「ただ、僕はそんなに昔の話じゃない。二年くらい前のことだけど」
「二年って、もしかして」
 ランクAにいる以上、少なくとも一年以上はこのネルフで鍛えられているということになる。つまり、
「うん。僕が適格者になったのはそれがきっかけ。といっても、母さんと一緒にネルフに来て、そこでたまたま適格者適性試験を受けたら適性があっただけだったんだけどね。ちょうどその日だった。母さんの事故が起こったのは」
 今から二年前。エヴァの実験。当然、帰結するものは一つ。
「何月何日だったか、覚えてる?」
「もちろん命日だからね。二月一日」
 美坂シオリの実験の日だ。
 偶然と片付けられることではない。タクヤの母もまた、シオリの実験に関わっていたということだ。
 責任者であったのは桐島という医者。マキオの父親だ。マキオの言い分では口封じによって亡くなったそうだが、どれだけのメンバーがその実験にかかわり、命を落としたのかは分からない。
 何しろその実験のことは、赤木リツコや葛城ミサトといった第一線の責任者たちですら知らされていないものなのだ。全貌を知っているのは碇ゲンドウ総司令と、冬月コウゾウ副司令だけだろう。
 関係者はおそらくごく少数。ただ、総司令、副司令ではMAGIやその他の機械の操作が万全なはずがない。きっと、別の協力者がいるのだ。それもMAGIを預かる赤木リツコ以上の科学者が。
「その事故がどうかしたの?」
 どうも何も、自分とは無関係だったはずなのに深く関係している事故なのだ。どう説明していいのかシンジには分からない。
「その事故で亡くなった人を知っているんだ」
「シンジくんも?」
「正確には、その亡くなった人のお姉さん、だけど」
 美坂カオリ。
 あの事故は意外に尾を引いているらしい。こんなに自分に関わることになるとは思いもしなかった。
 だが、考えてみればその事故があり、シオリの犠牲があったからこそ自分のシンクロ率は高い水準で安定できるのだ。もしもそうでなければ、自分はエヴァに『取り込まれる』状態になるらしい。それこそシオリと同じように。
(そういえば)
 美坂シオリは、体が徐々に衰弱する病気だったと聞いている。しかもカオリの妹ということはセカンドインパクト後に生まれたということ。
 つまり、シオリもトウジの妹と同じ、セカンドインパクト症候群だった、ということだろうか。
(考えすぎかな)
 仮にそうだったとしても、既にシオリは取り込まれ、実験は終わっているのだ。実験そのものは失敗だったかもしれないが、そのシオリの犠牲のおかげで自分はシンクロができるようになっている。
(美坂さんが言ってたのは、こういうことだったのか)
 改めて実感する。自分が安穏としていられるのはシオリの犠牲、そしてその実験に立ち合った人たちのおかげだということだ。失ったカオリから見て、煮え切らない自分をどう思っていたのかというのは、想像に難くない。よほどいらいらしたのが分かる。
 以前のシンジであれば、そんなことを僕に言われても困る、と思っただろう。
 だが、この一ヶ月でシンジもまた成長していた。
(僕は、みんなの想いに応えないといけない)
 たとえ望んだものではなかったとしても、自分のためにたくさんの命が消費されたのだ。だとしたら、それを知っていて応えないのは不誠実だ。
 もちろん、全てを捨てて逃げ出すという手段はある。だが、それをするにはシンジはまだ幼かった。純粋だったと言ってもよい。
「いい表情だね、碇くん」
「え?」
 突然話をふられて、シンジは戸惑う。
「最初、ランクBの頃の碇くんは、何も目的もなく訓練をしているように見えた。自分に自信を持てないでいるようにも見えた。でも、今の碇くんは何か目標を見つけたような目をしているよ」
「そ、そうかな」
「僕の母さんの話が、そんなに影響するとは思えないけど。何があったのか、そのうち教えてくれると嬉しいな」
 タクヤは今は聞かないでくれている。それは優しさであり、包容力の差だ。
「うん。もう少し落ち着いて整理できるようになったら話すよ」
「ありがとう」
 タクヤの笑顔は、同性のシンジから見ても充分に可愛かった。






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