綾波レイ、起動実験結果。

 起動に関するトラブルは一切なし。パイロットの精神状況も安定。
 シンクロ率は最大三四.四九〇、最低二八.五一四。
 零号機の動作に関する問題点は別表を参照。

 特記。
 起動ラインを超える際に、シンクログラフに乱れが発生。












第肆拾壱話



A period of growth












 三月二四日(火)。

 学習を終えて四時間目。今日も格闘訓練の時間がやってきた。
 だが、この日のシンジはいつもと違っていた。いや、ここ最近変わりつつあった、というべきだろうか。
 何をもって彼をそうさせたのかは分からない。ただ、確実に変化しつつあることは間違いなかった。
「朱童くん」
 近づいていった相手におそるおそる尋ねる。
「なんだ」
「僕を鍛えてほしいんだけど……」
 最後の方は声が小さくなっていったが、以前とは違う心構えのようなものは確かにあった。
「わかった」
 カズマは特別何を言うわけでもなく了承した。
 そうして組み手に入る。
 シンジの技量ではどうあがいてもカズマにかなうはずがない。それでも果敢に攻める。
 だが、踏み込んだ足を払われ、倒れたシンジの目前で拳が止まる。
「踏み込みが甘い!」
 さっさと立て、と視線が言っている。シンジは立ち上がるとまた戦闘体勢を取る。
「もっと相手の動きを見ろ。次にどう動いてくるかを頭で考えろ」
 シンジは頷くと、今度は少しずつ近づく。そしてスピードを上げて襲い掛かった。
 だが、振り切った腕を逆につかまれ、その勢いで空中を投げ飛ばされた。背中から床に落ちる。
「動きが筒抜けだ。最小の動作ですませるんだ」
 今度はカズマがシンジを起き上がらせると、実際に実演してみせる。
 近づいてから一瞬で相手を投げ飛ばす技。打撃にしても振りかぶるのではなく小刻みに拳を繰り出す技術。足捌き。さまざまな技術が惜しげもなくシンジに伝達されていく。
「あそこまで指導熱心だとはねえ」
 それを見ていたコウキが感心するように言った。
「朱童くんはもともと弱い者に優しい性格だよ」
 タクヤが苦笑して答える。
「なかなか素直になれないけど、あれで碇くんのことを心配しているんだよ」
「守れなかったものを、今度こそ守りたいってことか」
 コウキは苦笑した。
「俺には無理だな」
「誰にだって、きっとできるよ」
 タクヤが笑って言う。
「だといいがな」






 先週末からネルフで一番忙しい人間は誰かと答えれば、神の視点からすれば絶対に赤木リツコだと答えることだろう。ここ数日、彼女は眠っていない。移動の時間に軽く仮眠をとっただけで、後はずっと起きっぱなしだ。
 松代でのエヴァンゲリオンの整備の立会いのあと、本部に戻ってきて零号機の起動実験。そしてそれをフィードバックし、来週からの各地のエヴァンゲリオンの起動実験の準備を行う。
 体がいくつあっても足りないのに、仕事だけが山のように積まれていく。
 それに比例して、自分の部下であるマヤ、ヒトミ、シズカらの業務量も膨大になっていく。彼女たちも不満一つ言わずに働いてくれているが、この辺りで少し休暇を与えないといけないと思っている。
(エヴァンゲリオン、弐号機起動実験)
 ドイツで行われる起動実験には本部からも当然立会いが行くことになる。
 ドイツにはセカンドチルドレンの他、ランクA適格者が四人。彼らも後に起動実験を行うことになるが、まずは弐号機だ。
 惣流・アスカ・ラングレー。
 世界で唯一シンクロ率七〇%を達成し、名実ともにネルフのエースとして君臨する天才少女。
 綾波レイと違って、高シンクロ下におけるエヴァの性能を確かめるまたとないチャンスだ。
(問題は随行者ね)
 本部から何人かのランクA適格者を同伴、ということになっている。全員を連れていく必要はないが、誰を連れていけばよいものか。
 もっとも、一人は確定しているが。
(碇シンジ。『上』が指定してきた人物。総司令の息子)
 もちろんゲンドウは息子だからということで特別扱いしているわけではない。ただ彼のシンクロ率が高いのが理由だ。
 後は誰を連れていくべきだろうか。当然『護衛』も必要だし、全員を連れていくには少々人数が多すぎる。
「やほー。リツコ、いるー?」
 そこに入ってきたのは悪友、葛木ミサト。手には何らかの書類を持っている。
「はいこれ。例の『護衛』の件。剣崎くんから上がってきたわよ」
「そう。ありがとう」
 ミサトが持ってきた資料は自分の考えていたことと関係がある。ちょうどいい、とリツコは直接その資料を受け取った。
 ファーストチルドレン、及びランクA適格者の護衛に関する件。
 保安部からは『同年代である適格者が護衛になった方が本人たちの精神的な負担も軽い』『ランクB適格者が護衛を行えばいざというときにエヴァを搬送するためにシンクロすることも可能』ともっともな理由をつけられ、了承せざるをえなかった。この件について誰の、どんな意思が働いたのかはリツコには分からない。だが、この話が出たのが昨日で、今日にはこれだけ具体的なものができているということは、ゲンドウか冬月の意思が働いている可能性が大きい。
「随分と偏りがあるわね」
 そのリストを確認して呟く。
「偏り?」
「あなた、気付かなかったの?」
「剣崎くんが持ってきたものをつきかえす理由はなかったけれど」
「護衛のメンバーよ。九人中六人の適格者ナンバー、見た?」
「ナンバー?」
 言われてミサトが覗き込む。
 適格者ナンバーは九桁の数字からなる。
 最初の二桁は登録年、次の二桁が登録月だ。そして次の二桁は所属エリア。本部を〇〇とし、第一支部から第十二支部まで順に〇一から一二まで割り振られる。最後の三桁がその月、そのエリアで登録されたナンバー、ということになる。
 たとえば碇シンジの場合だと130900001。二〇一三年九月の登録で、エリアが本部、その一番目の適格者、ということになる。
 一三年九月組は人数が少なく、さらに優秀な『チーム』である。他の月は毎月二〇人近くが登録されるのだが、このときだけはたったの八人だった。そのうち二人が碇シンジと野坂コウキ。残り六人も全員がランクB適格者となっている。
 その六人が、全員今回の『護衛』に選ばれているのだ。
「あらホントだ。どういう理由かしらね」
「まあ、だいたい理由は想像つくけど」
「どういうこと?」
「つまり、ランクA適格者の護衛っていうのは名目で、実質はシンジくんの護衛ということよ」
「シンジくんの? どうして?」
「日曜日の件、聞いてるんでしょ? 狙われているからよ。だからシンジくんにとって気心の知れた相手がいた方がいいっていうこと」
「でも狙われているのはシンジくんばかりじゃないでしょ」
「じゃあ何故、アメリカは今回『シンジくん』を狙ったんだと思う?」
「そりゃ、シンクロ率が高いから──」
 言いかけて止まる。つまり、アメリカはシンクロ率の高いシンジを邪魔に思っている、ということだ。
「これは日曜日にイリヤから聞いた話だけれど、アメリカはシンジくんを殺害する方向に、ロシアはシンジくんを取り込む方向に動いているみたいね」
「使徒戦も終わってないのに?」
「アメリカにそんな理屈が通用するはずがないでしょ? 世界のリーダーシップを取ることに情熱をかけるあのアメリカが」
「シンジくんを殺しておいて、主導権を握るつもりか」
「そういうこと。その点、ロシアが一時的に協力してくれるのはありがたいというところね。各支部の色分けもだいたい終わってきたところよ」
「色分け?」
「つまり、本部に協力する姿勢が高いか低いか、ということ。高いのはロシア、オーストラリア、南アフリカ、ギリシャというところね。反対に敵対しているのはアメリカ第一、第二、中国。どちらともいえないのがイギリス、フランス、ブラジル、サウジアラビア。ドイツは協力も敵対もしない、というところね。あそこにはアスカがいるから独力でもやっていけるし」
 そこで会話が途切れる。ネルフも案外一枚岩ではない。ついでに各国政府と各ネルフ支部は密接に結びついている。確かにネルフの横のつながりよりも、国との縦のつながりの方が重視されるのはやむをえない。本部と日本政府ですらつながりがあるのだから。
「ドイツの弐号機起動実験、私とあなたの他、何人かのランクAを連れていくからそのつもりでいて」
「はいはい。で、誰を連れていくつもり?」
「シンジくんと、あと数名というところね」
「シンジくんは確定か。護衛も?」
「ええ。この資料でいうと、古城くんね」
 そしてそれを見ながらリツコは『やはり』と納得する。古城エン。格闘ランクS。護衛として一番腕の立つ人物をシンジにつけてきた、ということだ。
「レイは?」
「あの子は毎週日曜日に起動実験を入れているから駄目よ。こっちの起動実験はマヤに任せていくわ」
「ふーん。じゃあ後は」
「そうね、あと三人、あなたの方で選んでおいてくれる? 明日まで」
「了解。で、護衛の件についてはいつから?」
「今週土曜のシンクロテスト後に。ちょうどイリヤがシンクロテストを見学した後で帰国になるから、イリヤを送り出した後で紹介することにするわ」
「なに、警戒してるの?」
「こちらの情報が相手に多く渡らないようにするのは当然でしょ?」
 ロシア政府とて日本に協力するという姿勢は見せているものの、それは一時的なものだ。アメリカのリーダーシップを阻めば、あとは国連が動くしかない。綱引きの段階でロシアに全てを持っていかれるのだけは防がなければならない。
「なんか大変ねー。使徒戦にだけ集中させてくれればいいのに」
「全くね。使徒を倒さなければ、どんな工作も無駄に終わるのに」
「ま、やれることからやりますか。んじゃリツコ、また後で」
 そうしてミサトが出ていくと、リツコは背もたれに体を預けた。
(少し仮眠を取りたいわね)
 五分くらいなら許されるだろうか、と頭の中で判断したリツコは素早くスリープモードに移行した。そしてきちんと五分で起きることができるのが、彼女の彼女たる由縁である。






 三月二五日(水)。

 この日、碇シンジは初めてシミュレーションで勝利した。
 相手はランクBの坂内マリナ。どこかで聞いたことがある名前だったが、あいにくシンジには思い出すことはできなかった。
 射撃といい格闘といい戦術といい、ここ一週間でシンジは一気に力をつけてきた。眠れる才能が開花し始めたのかもしれない。もっとも、それはまだシンジ自身が気付いていることではない。彼を注意深く見ている回りの評価だ。
 そんなことも知らないシンジは今日も花を片手に病棟までやってきた。毎週水曜日はこうして花を届けるのが習慣になっている。
 二ノ宮セラ。まだ彼女の心の傷は癒えていないのだろうか。
 ため息をついて花を病室の前に置く。
 そうして出ていこうとしたとき、彼の目に適格者の服装をした人物が映った。やはり手に花を持っている。少し大きめの眼鏡をかけた女の子だった。
 軽く会釈して通り過ぎると、その女の子もまたセラの部屋に向かっていった。セラにも友達がいたのか、と少し安心する。
 と突然、ぐるりとその女の子が向きを変えて自分を見つめてきた。そして扉の前に置かれている花と、シンジの顔を交互に見つめて、花束を持っているのにも関わらず手をぽんと打った。おかげで彼女の持っている花束が少しつぶれた。
「あなた、ランクAの碇シン──」
 と女の子は言いかけて一歩踏み出し、何の表紙か滑って転んだ。漫画のようにお尻から見事に落ちた。綺麗な転び方だった。転び方に綺麗も何もないが。
「だ、大丈夫?」
「いたたた……ああ、もう、またやっちゃったぁ〜」
 うう、と涙目になっている女の子に手を差し出す。ありがとう、と女の子は手を取って起き上がった。そして転んだ拍子に少しずれた眼鏡を直す。
「碇シンジくんね?」
「は、はい」
 何故か丁寧語になるシンジ。それを見て女の子は笑った。
「そっかそっか。水曜日に必ず花を持ってきてくれてたのって、碇くんだったんだ」
「え、あ、はい」
「花は毎週、ちゃんと飾ってるよ。大丈夫。碇くんのだって分からなかったし。やっぱり、セラには会いにくいの?」
「えっと……」
 どう答えればいいのか困る。セラの件はいろいろなところに筒抜けではあるが、それでも自分とセラの二人しか知らないこともある。
「セラもね、寂しがってる。ずっと好きだった碇くんに、もう来ないでって言ったんだよね」
「どうして」
「そりゃ、私はセラの唯一の友達だから」
 えへっ、と嬉しそうに顔が歪む。
「えっと……」
「あ、自己紹介まだだったね。私、清田リオナ。セラとは二月に同じ班になって……で、あんなことになっちゃったんだけど、いろいろあってすごい仲良くなって。セラのコイバナ相談に乗ったりとかね。だから碇くんのことも聞いてるよ」
「そうだったんだ」
 その名前に、どこか聞き覚えがあるのを感じたが、すぐには思い出せなかった。
「そっか、碇くんはそれでも毎週来てたんだぁ……それ伝えたら喜ぶかなあ、セラ」
「でも、僕は」
「あ、うん。別にセラのことは好きとかじゃないっていうんだよね。分かってる。同情になるなら会わないでいるっていう碇くんの判断も間違ってないと思うよ。伝えるつもりもないから安心して」
「う、うん」
「それにセラには悪いけど」
 ふふふ、と含み笑いをする。何か怪しい。
「これから碇くんとは、顔を合わせる機会も多いと思うし」
「え?」
「それは土曜日のお楽しみ。じゃ、またね、碇くん」
 言うだけ言って、リオナは二つになった花束を持って病室の扉を開けて入っていった。その際、しきりにつまづいて正面から倒れるように転んでいた。
(……ドジっ娘?)
 シンジは呆然と彼女を見送ってから、自分の部屋に戻っていった。






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