適格者の義務教育における指導については、主要五科目のみ三単位で実施。
 定期試験、内申評価は実施せず、実力評価テストのみ実施。ただし成績に反映することはしない。












第肆拾弐話



Shall we swim ?












 三月二六日(木)。

 学業については本日より四月七日(火)まで春期休業となる。普通の学校と違い、定期試験がないのは助かる。それに向けて勉強する必要がないからだ。もっともその分、学力がつくわけではないので、この春期休業中に『実力評価テスト』なるものが行われる。もし適格者をやめたとしても、どのくらいの成績がつくのかを判定するということだ。ただ、これによって何らかの利益、不利益は一切存在せず、あくまでも適格者たちが自分で学力を確認するために行うテスト、という位置づけとなっている。
 適格者として登録されていれば、中学校の卒業資格と高校の受験資格が与えられる。たとえどれだけレベルの高い高校であっても受験することも編入することも可能だ。その場合は学力試験一回で判定がつけられることになる。
 シンジも当然、いつ適格者をやめても大丈夫ないようにこのテストに向けて勉強し、評価をするようにしている。このテストは休業中の一日目と二日目、つまり二六日(木)と二七日(金)で行われる。
 試験会場となる講堂でランクA、ランクB適格者が一斉に試験を受けることになる。
「よ、シンジ。調子はどうだ?」
 真道カスミが声をかけてくる。まあまあ、と答えると「そっか」と肩をすくめた。
「そう言いながらも碇は点数を取ってくるからあなどれない」
 続いて会話に入ってきたのは不破ダイチ。そうだよなあ、とカスミも頷く。
「冬期試験、お前、何番だった?」
 本部には七百人もの適格者が存在するが、そのうち四百人が中学一年生に相当する。すなわち、これから中学二年生に進学ということだ。現在の中学二年生が百人弱。残り二百人が小四〜小六相当ということになる。
 適格者になるには資格があって、二〇〇〇年の九月、すなわちセカンドインパクト以前に生まれた者はエヴァンゲリオンを操縦することができない。だから現在の中学二年生、二〇〇〇年九月から二〇〇一年三月までに生まれた人数が次の学年に比べて少ないのは当然のことであり、次の学年である中学一年生が一番人数が多いのも当然のことであった。
 なお、シンジたち同期生では、コウキとカスミ、ジンが二年生、シンジ、ダイチ、ヨシノ、エン、コモモが一年生だ。ランクAの中ではコウキとヤヨイが二年生で、他が一年生となっている。
「えっと、中一の中では二三番」
「うわ、四百人いてそれか。さすがだな。それなのに知力Cってどういうことだよ」
「知らないよ。そういう真道くんは?」
「俺は百人いて四八番」
「……それで知力Aってどういうこと」
「俺に聞くなよ。学力=知力、ってわけじゃないんだろ。そういやダイチ、お前は?」
「一六三位」
「へー。お前はもっとできそうに見えるけどな」
「一科目名前を書き忘れて零点だった」
 さらりと爆弾発言。一科目が零点でも半分以上の位置にいるということだ。カスミは滝の涙を流した。
「よーし、シンジ、ここまで一勝一敗、今日こそ決着をつけてやる!」
 その会話に混じってきたのが桜井コモモ。ちなみに前回の冬期試験ではシンジの二三位に対してコモモは二五位だった。その前の夏期試験ではコモモ一八位でシンジが二〇位。肉薄している。
「決着って、別に勝ち負けを競ってるわけじゃないし」
「甘い、甘いぞシンジ! こと、全てのテストは勝ち負けを明確にして、さらに自分を高めることを目的とするんだ!」
 コモモの背後に炎が燃え上がる。カスミとダイチが「おー」と拍手をしている。
「あらみなさん、おそろいのようですわね」
 流暢な丁寧語で話しかけてきたのは染井ヨシノ。
「おー、不動の一位の登場か」
「あら、テストの結果は順位が全てではありませんわ。そのテストに向けて準備し、できなかったところをできるようにしておくことが大切ですのよ」
「やー、学年一位の秀才に言われると説得力あるわー。さすが知力ランクS」
「真道くんだってやれば成績は伸びるのに、もったいないですわね」
 はあ、と演技ぶったため息をつく。まあ、ここにいるメンバーはよく分かっているが、彼女のその仕草は一から十まで全て演技だ。
 そうして時間になる。各々指定された席につく。
 座席は公平を期すため、適格者ナンバーやランク、班に関わらずランダムに最初から指定されている。シンジがついた席の隣には少し小柄な女の子が座っていた。
「こんにちは」
 見たことがない子だった。いや、どこかで見たことがあるかもしれない。最近何故かこういうことが多い。
「こんにちは」
「碇シンジくん、だよね」
「う、うん」
「私、谷山マイ。よろしく」
 ぱっ、と手を出してくる。うん、と頷いてその手を取った。
「また今度、改めて挨拶することになると思うけど」
「どうして?」
「そのときまで秘密にしてなさいって言われたから、秘密」
 にこにこと笑う少女。どこで会ったのか、いまだに思い出せない。
「ちなみに、前に何回か顔合わせしてるよ。ランクBのときに」
「ランクB……あ、Bの一班にいた」
「うん。今は三班だけどね。一、二班合同のハーモニクステストで何回か会ってたよ。思い出してくれた?」
「うん」
「最後の方、シンジくんは随分元気なさそうだったけど、元気になったみたいでよかった」
 満面の笑顔がまぶしい。ありがとう、と素直に答えた。
「それじゃ、今日のテスト、がんばろうか」
「うん」
 いったいこの後、この少女が自分にどう関係してくるのかシンジには分からない。ただ、間違いなくまた会うことだけは理解した。






 イリヤスフィール・アインツベルンが来日したのは碇シンジに会うことが目的であったが、それ以外にもロシア政府からさまざまな命令を受けてきている。
 この三日間、なかなかシンジと一緒にいる機会がなかったのはその使命を果たすためであり、ネルフ総司令の碇ゲンドウや、ファーストチルドレン綾波レイ、そして日本国総理大臣の御剣レイジなどと会話を重ね、ロシアと日本の距離を縮めるために毎日会談を重ねていた。
 あまりの過密スケジュールでなかなかシンジに会えないと思っていた折、ふっとわいた幸運、昼食の後の移動中に、たまたま食堂から出てきたシンジとすれ違った。瞬間、イリヤは飛びついていた。
「お兄ちゃん!」
「い、イリヤ!?」
 突然現れた自称妹にシンジも戸惑う。このとき一緒にいたのは同期メンバーだった。
「お、噂の少女」
 カスミが楽しそうに言う。シンジがほとほと困ったという顔をしていたが、周りのメンバーは助ける様子もなくそのほのぼのした光景に見入っていた。
「もー、お兄ちゃんてばいつも訓練とか何とかでかまってくれなくてつまんなーい」
「仕方ないだろ、僕の時間が空いてるときはイリヤがいないんだから」
「だったら今日のハーモニクステストの後、遊んでくれるの?」
「それは……あいてるけど」
 ぱあっ、とイリヤの顔が輝く。
「じゃあ遊園地とプールと動物園!」
「さすがに全部行く時間はないよ」
「じゃあじゃあ、えっと」
「プールなら、地下に温水プールがあって、適格者は使用自由だったと思うけど」
 助け舟を出したのは倉田ジン。もっともこの場合、どちらにとって助け舟となったのかは分からないが。
「やったー! プール、プール!」
「ちょ、ちょっと……」
「いいじゃねえか。せっかくなんだから兄妹水入らず、たっぷり遊んでこい」
 コウキが突き放す。誰もここにシンジの味方はいないのか。
「それじゃ決まりね。テスト後一七〇〇にプール前集合! それから──」
 ふふん、といじめっ子イリヤはシンジの周りにいる同期生たち全員を見回した。
「お兄ちゃんの友人たちにも是非挨拶しないといけないもんね。ここにいる八人全員来てよね!」
『な、なんだってー!?』
 突然のイリヤの爆弾発言に全員が驚愕する。
「あ、なんだったらランクAの人たちとかも連れてきていいよ?」
「これ以上混沌となる前にやめてよね、頼むから」
 シンジが泣きそうな顔になっていた。明日もまだテストが残っているのに。






「というわけでやってきました、ネルフ地下プール前!」
 無駄に元気なのはカスミで、その声に合わせて「おー!」と声を上げているのはコモモとイリヤ。他のメンバーは明らかに乗り気ではなかった。シンジもここまできたら『もうどうでもいいや』といういつもの投げやりムードに入っていた。
「まあ、遊園地のプールみたいに流れる水のプールや波のプール、ウォータースライダーがあるわけじゃないが、それなりに広いし楽しいぜ?」
「僕泳げないから」
 シンジの発言に全員の表情が固まる。
「お前、泳げないの?」
「人間は泳げるようにはできてないんだよ」
「……人間の表面積と浮力との関係を導いたとき、今の碇の泳げるようにできていないという意見は誤っていると考えられる」
 ぼそり、とダイチが呟く。余計な突っ込みは本当にいらない。
「それじゃ、着替えたらプール集合ってことで」
 とにもかくにも、ジンが全員をまとめて移動を始める。それにしても全員、水着などよく持っていたものだ。まあ、なければ『何でもあります』がキャッチフレーズのネルフ売店で売っていたりもするが。
(そういや冷凍ミカンも売っているんだっけ)
 本当に何でもあるんだな、とほとほと感心する。
 さっさと着替えてプールに行く。どうやらシンジが一番乗りらしく、まだ誰も来ていない。
「お、早いなシンジ」
 続けてやってきたのがコウキとカスミ。色白のシンジと違い、たくましい体つきをしている。
「カスミは嬉しそうだね」
「そりゃま、ヨシノとコモモの水着姿が見られるんだから、健康な男子としては嬉しいもんだろ?」
「ま、否定はしないがな。あの二人なら十分、目の保養になる」
 コウキも肩を竦めて同意する。続けてエンとジン、それにダイチもやってきた。男子集合だ。
 エンも結構色白の方だが、ジンやダイチはどちらかといえば体格がいい方だ。それなのにこの中で一番格闘が強いのがエンだというのはどういうことなのだろう。人は見かけによらないということか。
「お、女子チームの登場だ」
 そうして三人が並んでやってくる。
 ヨシノはツーピースのビキニにパレオを装着。白と桜色のグラデーションで、(一見)清楚なヨシノにはその名前の効果もあってかとても似合って見えた。
 一方コモモも刺激的な水着で登場した。白一色のバンドゥブラ。むしろこうしてみるとヨシノよりもコモモの方が清楚という言葉が似合う。ある意味神秘的ですらあった。
 そして最後のイリヤ。想像に漏れず、彼女の水着は紺色スクール水着だ。
「お兄ちゃん、どう?」
 どうも何もない。スクール水着を褒められたら嬉しいものなのだろうか。女心は分からない。
「似合ってるよ、イリヤ」
 それ以外の形容詞を持たないシンジだった。
「それにしてもお前、きわどい水着だなー」
 コウキがじろじろと見ながらヨシノに言う。
「スケベ」
 既に仲間内しかいないため、ヨシノの口調もすっかりいつもの通りだ。
「いやでも、似合ってるよ、ヨシノさん」
 エンが和やかなムードで言う。“Thank you.”とヨシノは英語で答えた。エンもそれにのって“You're welcome.”と答える。
「おーいそこの英国人コンビ、あんまりムード作ってんじゃねーぞー」
 カスミがぶつくさと言う。もっとも本人たちにはそんなつもりはあまりなかったのだろうが。
「そして誰も私のことなんてかまってくれないんだな。はは、いや、いーんだけどさ」
 コモモが寂しそうに影をつけている。
 確かに似合っている。似合っているのだが、決定的に彼女には胸がない。
「コモモは似合いすぎてて誰も言葉にできないだけだと思う」
 ダイチがフォローを入れる。彼の評価は客観的で、それだけに信頼性は高い。
「フォローありがと。嬉しくって涙が出るぜ」
 コモモが右手で目じりを押さえる。
「さ、それじゃあんまり時間も長くないことだし、泳ごうか」
 やはりリーダー格のジンが言うと、カスミとコウキが準備体操もしないうちにプールに飛び込んだ。子供だ。
「あー、あー、コウキくん、カスミくん、準備体操しないと……」
 エンが困ったように苦笑する。だがああなってはもう仕方がない。
「じゃ、私も少し泳いでこようかな」
 ヨシノが梯子からゆっくりとプールに下りて、すい、と泳ぎだす。平泳ぎだ。
「私もー!」
 イリヤがざぶーんと飛び込む。そしてエン、ジン、ダイチと次々にプールに入る。
 だが、いつまでたってもシンジとコモモだけがプールに入らなかった。
「コモモは行かないの?」
「あ、うん。あんまり水に浸かるの嫌なんだ」
 右手でくるくるとショートカットの髪をいじりながら言う。間が持たなくなったシンジが「座ろうか」と勧めた。
 二人でチェアに座り、みんなが泳いでいるところを眺める。時折イリヤがぶんぶんと手を振ってくるのでシンジが手を振り返す。
(何か、間がもたないなあ)
 さっきまではすごい楽しそうにしていたのに、いざこうしてプールを目の前にしたコモモは少し寂しそうにみんなのことを見ている。
「コモモは泳げるの?」
「ん? ああ、もちろん泳げるぞ。海で素もぐりとかして貝とか獲ってたからな」
 それは密漁というのではありませんか。
「じゃあ泳いでくればいいのに」
「シンジは私が傍にいると嫌なのか?」
「そ、そんなことはないよ」
「……みんなには内緒な」
 そう言うとコモモは自分の髪の毛を一本抜いてシンジに手渡してくる。
「何?」
「それ、よく見てみろよ」
 よく見るといっても、何の変哲もない、ただの髪──
「あれ、何か」
 ただ単に髪の色が薄いというだけではない。これはまるで。
「着色してるんだ。本当はもっと金色に近い」
「ブロンド?」
「ともちょっと違う。先祖がえりに近いかな。アルビノとかじゃないぞ? それに、本当は目の色も違うんだ。今はカラーコンタクト入れてる」
 突然の告白に何を言えばいいのか分からない。
「昔、この色のせいでいろいろあったからな。水に浸かったくらいで色落ちするわけじゃないけど、でも少し不安だから」
「そうだったんだ」
「一応みんなにも内緒にしてるから、誰にも言うなよ」
「う、うん。でも、どうして僕に」
 コモモはうーんと考えてから答えた。
「シンジなら教えてもいいかなと思ったんだ。誰かに言うわけでもないだろうし、私のこと知ったとしても嫌ったりするわけでもないし。だろ?」
「もちろん」
「他の連中じゃ、相談に乗ってもらうことはできないからなー」
 そう言ってプールを見つめるコモモは、どこか別の世界の人間のような感じが出ていて。
「でも、みんな、コモモのことが好きだし、何かあったら心配するよ」
 思わず、口にしていた。
「シンジもか?」
「当たり前だろ」
「ありがと」
 笑ったコモモは手を差し出してきた。
「というわけで、これからもヨロシク」
「う、うん」
 差し出された手は小さくて、とても暖かかった。






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