起動実験スケジュール（第四修正版）
3/22 日本 零号機
3/29 日本 零号機（二回目）
4/ 5 ドイツ 弐号機
4/12 アメリカ 拾〜拾肆号機
4/19 オーストラリア 弐拾壱号機
4/26 日本 初号機、参〜玖号機
5/ 3 ドイツ 拾伍〜拾捌号機
ロシア 拾玖号機
イギリス 弐拾号機
ギリシャ 弐拾弐、弐拾参号機
中国 弐拾肆号機
第肆拾肆話
See you again!
三月二八日（土）。
イリヤスフィールが帰国するこの日、ランクＡになってから初めてのシンクロテストが行われることとなった。
ランクＡの場合はシンクロテストもＬＣＬを使って行われる。エントリープラグはもちろん模擬プラグなのだが、ランクＡ適格者は今後エヴァンゲリオンに乗ることが決められているのだから、早いうちからＬＣＬに慣れさせておくのが目的だ。
次々に行われていくシンクロテスト。順番はランクＡに昇格した順。
すなわち、シンジの順番は最後ということになる。
朱童カズマ：３０．３１３％（記録更新：＋０．１６７）
神楽ヤヨイ：２７．２２１％（記録更新：＋０．２１２）
野坂コウキ：２９．１１４％（最大値差：−０．２２８）
館風レミ ：２９．３９４％（記録更新：＋０．８４９）
榎木タクヤ：２６．５１０％（記録更新：＋１．９９２）
美綴カナメ：２９．４９４％（記録更新：＋２．１８１）
鈴原トウジ：２２．８１９％（記録更新：＋１．５０３）
碇シンジ ：４９．９１８％（最大値差：−０．２６５）
作戦部的には嬉しい誤算が一つ。八人中六人までが過去最高の記録を出したことに加え、レミとカナメがついに二九％台に乗せてきたのだ。本部四人目の三〇％達成者がついに見えてきたというところだ。
特にカナメは二％以上の上昇を見せた。これほど上がることは滅多にない。このペースが維持できれば、六月に入る頃には三五％を出すことも不可能ではない。タクヤにトウジも一％以上の上昇率だが、今回のカナメは上出来をはるかに超える。
一方、ついにシンジの上昇が止まった。もちろん微減なので大きな問題とはいえない。というより、ここまでずっと上がり続けてきたのが異常だったのだ。それに相変わらず五〇％前後の高シンクロ率はマークしている。一見問題はないように見える。
だが、見方を変えるとこの二週間の間にシンジの身に何か特別な変化があって、それが理由となって下がっているということもできる。そして上層部はその事実をほぼ完全な形で分かっている。
（シンジくんと美綴さんが付き合うことで、美綴さんは上昇し、シンジくんは下降した）
つまり恋愛というものがシンクロ率に大きな影響を与えると推定しているのだ。
（でも、今回は野坂くん以外のみんなが数値を伸ばした。これはシンジくんが入ったことによる影響と考えていいのかしらね）
いまだにシンクロ率の仕組みというものはよく分からない。あれほど綾波レイで実験を重ねてきたというのに、こちらの想像をはるかに超えてやっかいだ。
「お兄ちゃん、今日は調子悪いの？」
イリヤがシンクロテストを終えたシンジに尋ねてくる。本日は全員がプラグスーツ姿だ。イリヤは白と紫のグラデーションとなっているプラグスーツを着ている。
「そんなことはないと思うけど」
「でも、シンクロ率は精神的なものが表れるから、何かあると思うけど」
イリヤがまた小悪魔の笑みを見せる。この分だと既に何か勘づかれている可能性が高い。
「あ、じゃあ、私もやっていい？」
シンクロテストが終わった後でイリヤが挙手した。
「かまわないわよ。パーソナルデータを入力する間、ちょっと待っててね」
「はーい」
イリヤの数値が高いのは承知している。四〇％を目前にしているということだから、世界でも上から数えた方が早いのは当然のことだ。
「今日に限ってどうしてみんながシンクロ率が上がったのか、お兄ちゃんは分かる？」
「今日に限って？」
「うん。お兄ちゃんはもう少し、自分が周りに与える影響っていうものを考えた方がいいと思う。それに、どうしてカナメが二％も上がったのか。それは、お兄ちゃんに一番近いところにいたから上がってるんだよ」
「僕に？」
「うん。その理屈が分かれば、もっと簡単にシンクロ率を上げることだってできる。最初に言ったよね、私、お兄ちゃんに会うために来たんだって。お兄ちゃん自身にも興味があったのは間違いないんだけど、もう一つ。私のシンクロ率を上げることも目的の一つだったから」
「イリヤのシンクロ率が上がる？ 僕と一緒にいることで？」
「うん。実証してみせるね」
イリヤが笑ってエントリープラグに入り、少ししてからテストがスタートした。
そしてシンクロ率が表示される。
イリヤスフィール・アインツベルン：４５．３３０％（記録更新：＋６．１０２）
「すごいんだね、イリヤは」
テストが終わったイリヤに話しかけるが、それを聞いた少女は一度驚いてからふふんと笑った。
「お兄ちゃん、それ、嫌味？」
「え？ ち、違うよ！」
「じゃ、無自覚か無神経かのどちらね。お兄ちゃんは私よりも数字が高いんだから、もっと堂々としてていいんだから」
堂々、というのが彼の辞書にはない。少なくとも自分で行動するときの態度としては登録されていない。
「もう一度言うけど、私が今日これだけ数値を伸ばして、世界で四番目の四〇％入りしたのは、お兄ちゃんとこうやって会うことができたからだよ」
「僕と？」
「うん。お兄ちゃんは特別なんだから。誰よりもエヴァを操るのが上手なお兄ちゃんと心を通わせることができれば、それだけでエヴァとのシンクロはしやすくなるの」
「誰よりもって、言いすぎだよ、イリヤ」
「どうして？ シオリの事故のこと、お兄ちゃん知らないの？」
──また、その話か。
いい加減その話が出てくるのはうんざりする。様々な人間がそれに関わり、命をなくしたり、不幸になっていったりした。
「碇シンジ。美坂シオリ。シンクロ率を無限に高めることができる二人。シオリはお兄ちゃんのシンクロ率を上げすぎないようにするためにエヴァに取り込まれることになった。知ってるよね？」
「どうしてイリヤがそれを」
「私のお母さんがネルフロシア支部のＭＡＧＩ主任で、例の実験に関わってるから」
平然と答えた。なるほど、だからこそイリヤは自分のことをよく知っているというわけだ。
「お母さんは？」
「今もロシアでＭＡＧＩを動かしてるわよ。私が今回日本に来ることができたのだって、お兄ちゃんがランクＡになった瞬間を見計らって、お母さんが上層部に提案してくれたおかげなんだから」
ということは、一連のイリヤ騒動の火付け役は、その母親ということか。
見るとイリヤは、んー、と少し考えた風になってきょろきょろと回りを見る。
「この後、休憩だよね」
「あ、うん。昼食をとって、午後からミーティングってことだったけど」
「私はここでお別れになるんだけど、まだ時間はあるんだ。良かったら、お兄ちゃんとこの件でもう少し、お話できないかな？」
それは他の人間に聞かれたくない話、ということなのだろう。シンジは頷く。
「じゃあ、お兄ちゃんの部屋に行ってもいい？」
別に何か目的があるというわけではないのだろう。つまり、盗聴の心配がないということだ。
「分かった」
じゃ、また後で、と言ってイリヤはとてとてと擬音語をつけてリツコのところへ向かった。
（……美坂シオリ、か）
シンジが聞かされている実験の内容は、表層的なものにすぎない。
エヴァンゲリオンの『起動実験』が行われ、その際起動パイロットとして搭乗した美坂シオリがエヴァンゲリオンに『取り込まれた』というものだ。
その『取り込まれた』というのがどういうことかよく分からない。彼女はどうなったのか。そして自分とどういう関係があるのか。
今まではその事件から離れたところにいたが、いよいよその事件と向き合うときが来たのかもしれない。カオリの件もある。知らないでのうのうと過ごせる日々はもう終わったのだろうか。
イリヤのお別れの挨拶の後、シンジが部屋で待っているとイリヤが訪ねてきた。
この後すぐに移動しなければいけないということで、それほど長い時間はいられないと言われた。でもそんなことはどうでもいい。必要なことを聞ければいいのだから。
早速話を始めようとしたイリヤに対し、シンジはあらかじめ作っておいたチャーハンを差し出す。
「でも、話は」
「イリヤだって、お腹空いただろ？ 僕もお腹空いてるし、先に食べてからにしよう」
「でも、そうしたら全部話してる時間、なくなっちゃうよ」
「それは残念だけど……イリヤだって、最後にそんな話ばかりでお別れするの、嫌だろう？」
せめて食事でもして、幸せな気持ちで帰ってもらいたい。そんなことを考えての提案だった。イリヤは思わず抱きついていた。
「ありがとう、お兄ちゃん」
「どういたしまして。さ、冷めないうちに食べようか」
テーブルについて「いただきます」と手を合わせる。そしてイリヤは元気良く食べ始めた。
「美味しい！」
「ありがとう。料理は趣味みたいなものだから、気に入ってくれると嬉しいよ」
「お兄ちゃんがロシアに来てくれたら、毎日こんな美味しいのが食べられるのに」
「普段は食事、どうしてるの？」
「固形ブロックとか、栄養ドリンクとか」
「……それは食事とは言わないよ」
「そう思う。でもお母さんだって忙しいし、私は料理なんかさせてもらえないし、専属のコックだってつけてもらえないし、日本のコンビニみたいな便利なお店は近くにないし、そうしたら買い置きできるものなんてそれくらいしかないんだもん」
「お父さんは？」
一度イリヤは、きょとんとした丸い目を見せた。そしてにや〜り、と最大級の笑みを浮かべる。
「知りたい？」
「……何か嫌な予感がする」
「大丈夫。別に死んだりとかはしてないし。ただ、一緒には暮らしてないんだ」
「そうなんだ」
「お母さんは家に帰ってくることがほとんどないから、家でもずっと一人ぼっちだし」
「寂しいね」
「うん。だから、ロシアに来ない？ お兄ちゃんと一緒に暮らせたら、こんなに嬉しいことはないんだけどな」
だが、イリヤははっきりと『ロシアがシンジを取り込もうとしている』と言っている。つまり、その言葉が彼女自身のものであるのと同時に、その裏にロシア政府の意図も込められていると判断しなければならない。
まあ、国の問題などたいしたことではないのだが、自分はこの日本に恋人や友人を置いているのだから、そう簡単に頷けるものではない。
「ごめん」
「うん、別に本気で言ってるわけじゃないし。でも、料理は自分でやらせてもらえるようにしようかな。こっちで美味しいものばかり食べてたから、もう固形ブロックとかの生活には戻れないし」
「栄養は足りてるみたいだけどさ、でもちゃんと量を食べないからイリヤは細すぎるんだよ」
「でも美人でしょ？」
「自分で言わない」
「ごめんなさーい」
ぺろっと舌を出す。こういうところは本当に子供っぽくて可愛い。
「ごちそうさまでしたー」
「おそまつさまでした」
「さてと、それじゃ……もうあまり時間がないから、手短に話すね」
いよいよ本題だ。シンジも覚悟は決まっている。頷いてイリヤの話を促す。
「お兄ちゃん『取り込み』って意味、分かる？」
「今ひとつ分からないけど、つまりどういう状態になっているの？」
「エントリープラグって、ＬＣＬで満たされてるでしょ。『取り込み』っていうのは、搭乗者がＬＣＬと同化しちゃうの」
「同化？」
「溶ける、って言ってもいいよ。つまり、肉体がなくなるの。精神だけの存在になる」
「精神だけって、それじゃあ、シオリさんは肉体がないだけで」
「そう。心は生き残ってる。エヴァンゲリオン初号機の中で」
「初号機？」
「うん。だって、初号機はお兄ちゃんのために作られた機体だもん。あの初号機の中には美坂シオリの魂があるんだよ」
「魂……すごい概念的だね」
美坂シオリという人物を詳しくは知らないが、カオリの話を思い出すと、優しい少女であったのは間違いない。
「初号機は貪欲で、搭乗者を全て食べようとするの」
「食べる？」
「そう。誰でも取り込もうとする。でも、お兄ちゃんとシオリだけは別。無限にシンクロできる二人だけは、取り込まれてからも精神を残しておける可能性が高いことが分かった。とはいえ、肉体を残したまま制御できなければエヴァンゲリオンが暴走してしまう。だから、片方を犠牲にすることにした。片方を取り込ませて、精神を残させることで、もう一人がシンクロしたときに初号機が取り込むのを防ぐ。それがシオリの実験の目的」
話の外郭は聞いていたが、本当にシオリの実験が自分のためだけに行われていたということを聞くと、正直おそろしくもなる。
だとしたら、自分がネルフに入って、初号機に乗ることになったのは、全て規定の路線だったということか。
「もうすぐ、お兄ちゃんも起動実験をするでしょ」
「いや、詳しいことは分からないけど」
「多分四月中だと思う。先週の零号機を初めに、来週がドイツ、その次がアメリカって聞いてるし」
「……何だって？」
「来週がドイツ、次がアメリカ」
「そうじゃない。先週が何だって？」
「あれ、お兄ちゃん知らなかったの？」
本当に驚いた様子でイリヤが言う。
「先週の日曜日。お兄ちゃんと動物園で会った日。あの日に零号機の起動実験があったんだよ。もしかして、知らなかった？」
「……初耳だよ」
誰もそんなことを自分に教えてはくれなかった。
だからあの日、レイは自分たちと一緒に行動しなかったのだ。
では何故わざわざその日を狙って自分達を零号機から遠ざけたのか。ここまでくれば誰だって分かる。
零号機が暴走したら危険だから、遠ざけておいたのだ。つまり、綾波はその起動実験に失敗する可能性があった。命の危険があったのだ。
（誰も僕に教えてくれなかった）
ゲンドウや冬月は無論、ミサトやリツコだって何も言わなかった。
そして、レイ。
（綾波は不安とかなかったんだろうか）
あったに決まっている。レイは感情を表に出すのは苦手だが、心の中ではいろいろなことを考えるのだ。それなのに、傍にいることすらできなかった。
彼女を守ると誓っていたのに。
一番大事なときに、傍にすらいられなかったなんて。それを知りもしなかったなんて。
「僕は何て馬鹿なんだ」
「知らされてなかったものは仕方ないよ。それより、大事なことが二つ」
時間は残り少ない。イリヤは急いでまとめにかかる。
「一つは初号機の起動実験。お兄ちゃんは初号機とシンクロしたとき、必ずシオリを探して」
「シオリを探す？」
「そう。シオリがあの中にいることは間違いない。シオリと協力すれば、初号機をうまく動かせるはずだから」
「分かった」
「それからもう一つ。これは嫉妬でも何でもないんだけど」
少し困った顔を見せてから言う。
「カナメとは、別れた方がいいと思う」
またその話だ。それは昨日、コウキとヨシノからさんざん聞いた。
「どうしてだい？」
「そうしないと、お兄ちゃんのシンクロ率が落ちてしまうから。それに、もしもそのことがアメリカに知られたとしたら、アメリカはどうすると思う？」
「どうするって」
「単純に、カナメを人質にして、かわりにシンジを差し出せって言ってくるかもしれないでしょ」
「まさか」
「お兄ちゃん、自分が狙われてるって自覚、ある？」
いや、確かにそうなのだ。狙われているのは自分。狙っているのはアメリカ。確かに釘を差されたことではある。
だが、何の関係もない人間を巻き込むようなことを国のトップが許すのだろうか。
「カナメとは、使徒戦が終わってからでも付き合うことはできるよ。でも、使徒戦が終わったときにカナメがいなかったらそうすることもできない」
「……」
「今すぐじゃなくてもいいけど、できるだけ早いうちに決めておいた方がいいと思う」
「……考えてみるよ」
そう答えるとイリヤは少し安心したのか笑顔になる。
「よかった。私もカナメのこと、結構気に入ってるから」
「いつも口喧嘩ばかりしてるみたいだったけど」
「あれはカナメに付き合ってあげてるの。お兄ちゃんにべたべたしたらすぐに怒るんだもん」
わざとだったのか。なかなかこの少女は年の割りにませているというか。
「使徒戦が始まるまで、しばらく会えなくなると思うけど、殺されないように気をつけてね、お兄ちゃん」
「ああ。また一緒に動物園に行けるといいね」
ぱっと花が開いたように喜ぶ。
「うんっ、約束！」
イリヤはシンジに抱きついていた。
次へ
もどる