ひどく、暑い日だった。
 幼かった目に映ったのは、青い空。
 その空に一条の光。
 それが、徐々に、大きくなり──

 惨劇は、起きた。

 火の海。
 焼けた人間と、崩壊した街。

 そして。

 巨人が、そこに、立っていた。












第肆拾陸話



The truth will out












「どう思いますか、桜井さん」
 シンジの部屋の前。シンジとレイが話している間、ガードの二人はその部屋の前で待機していた。
「どうって、何がだ?」
「ドイツ行きの話です。同期の中でドイツに行くのは僕だけ。わざと、という気がしてならない」
「それは思ったけど、決まったことを覆すのは無理だろ?」
「まあ、そうですけど。シンジくんは僕が守るつもりでいたから、それはいいんですけどね。どうしてわざわざ皆さんを全員残したりしたんだろうかと考えると」
「私たち同期をシンジの傍にいさせないようにってことか?」
「もう一つ。美綴さんの件があります」
 確かに、カナメの問題は大きい。既に二人ともコウキから話は聞いている。碇ゲンドウが狙う可能性。それは否定できない。
「剣崎さんが敵になるとしたら、手強いですよ」
「分かってる。私たちはむしろカナメを守らなければいけないっていうことだよな」
「ええ。取り越し苦労に終わればいいんですけど。剣崎さんは任務優先の人ですから、もし美綴さんの抹殺指令が出たなら、僕たちに教えてくれることはないでしょう」
「シンジのために、シンジの一番大切なものを奪うってのか」
「正確には違います」
 エンは険しい表情で言う。
「初号機を操ることができるものを、確実に作り上げるためです」
「シンジ個人はどうだっていいっていうのか? 仮にも総司令にしてみれば実の息子だろ?」
「たとえ自分の子供であっても、総司令は自分以外の人間に価値を持っていませんよ。そうでなければ、あのとき──」
 エンは顔をしかめて首を振った。
「少し、話しすぎましたね」
「いや。私たちがそれぞれ抱えているものがあるっていうのは分かってる。気にするな」
「桜井さんの割り切りのよさ、僕は好きですよ」
「私もエンは大好きだぞ。同期のメンバーがみんな優しい奴でよかったと本当に思っている」
「同感です。ただ──」
 二人の間に、少しの沈黙。
「野坂くんだけは別なのかもしれませんね」
「そうだな。ダイチやカスミだって、ああ見えて結構本気でシンジのこと心配してる。でも、コウキだけは底を見せないよな」
「それだけ、野坂くんが一番重い荷物を背負っているんでしょうけど、話してくれないと僕たちがかわりに持つこともできません」
「そうだよな。あいつ、シンジ以上に水くさいぜ」
 同期のメンバーは、お互いを助けるために存在する。そうコモモは信じて疑っていない。
 もっとも、自分とて同期のメンバーに隠し事をしている。それはエンにしても同じなのだろう。そんな自分たちがコウキを非難できるはずがない。
「シンジのこと、よろしく頼むぜ」
「はい。美綴さんのことも、お願いします」
「ああ、分かった」






 さて、室内では二人の沈黙の時間が続いていた。
 レイは特別何かを話すというわけではなかったし、シンジの方から特別話があるわけでもない。
 以前であれば、何も話さなくても一緒にいられるだけで心地よかったものだが、今は何故かプレッシャーを受けている。
 二人の間に置かれた二つのコーヒーカップ。既に冷めてしまっている。
「コーヒー、入れなおすね」
 間がもたなくなって、シンジが立ち上がる。そしてコーヒーを入れなおす。コーヒーメーカーで作ったものを保温しておいたので、すぐに入れなおすことができる。
 そしてまたコーヒーカップを置く。だが、二人ともそれに手をつけることはない。
「どうしたの、綾波」
 シンジから切り出した。おそらくレイもどう話し出していいのか分かっていないのだろう。そうした心の動きはよく分かる。
「……玖号機パイロット」
 玖号機の搭乗者をすぐに思い浮かべる。初めての恋人である美綴カナメ。すぐに彼女の笑顔が浮かんで消えた。
「どうして、つきあっているの」
「どうしてって……お互い、好きになったから、だけど」
 何故か語尾が弱まる。レイのプレッシャーがまた重くなった。
「……そう」
「どうしたの、綾波。そんなことを気にするなんて」
「気になるわ。だって、碇くんのことだもの」
 ずっと一緒にいた、無口で、無表情な女の子。
 確かにレイのことが好きだったのかもしれない。ずっとそう思ってきた。だが、レイはそうではない。自分にとってかけがえのない家族。ゲンドウがいなかった分、自分にはレイ一人だけだった。そして、レイにとっても──
(ああ、そうか)
 そうしてようやく、レイの悩みに行き当たる。
(たった一人の家族だと思っていた相手が、突然知らない人を好きになったら……確かに、嫌だよな)
 自分も、もしレイに恋人ができたと知ったら嫌な気分になるだろう。それと同じだ。
「ごめん、綾波」
「どうして謝るの」
「綾波には、きちんと伝えておくべきだったから。ないがしろにしてしまって、ごめん」
「……違うわ」
 そうではない、とレイは言う。シンジが戸惑うと、レイは立ち上がる。
「……もういい」
「綾波?」
「ごめんなさい。こういうとき、どういう顔をしていいのか分からないの」
 完全な能面で、レイは出ていった。
 シンジは追うことができなかった。
 レイの言いたいことが何なのか、全く分からなかった。






「シンジくん、入るよ」
 エンが中に入ると、シンジはテーブルについてじっと考え込んでいた。
「大丈夫かい。綾波さん、まだ機嫌が治ってないみたいだったね」
「うん……どうしたんだろう、綾波」
「シンジくんは、綾波さんの不機嫌の理由、分からないんだ」
 シンジは驚いてエンの顔を見る。
「エンくんは分かるの?」
「まあ、それなりに。好きな相手に恋人ができて、不機嫌にならない人はいないから」
「好きな相手?」
「綾波さんはシンジくんのことが好きなんだよ。気付かなかったのかい?」
 全く思いもよらないことだった。確かに頼られているという感覚、信頼されているという感覚はある。だが、それは家族に対する情愛であって、男女の恋愛ではない。
「まさか」
「やっぱり、シンジくんはそういうところ、少し鈍いよね」
「ごめん」
「責めてないよ。綾波さんだって、シンジくんを取られる前に行動しなかったのが悪いんだし。まあ、美綴さん相手だと積極性で負けてるけどね」
「綾波のことはもちろん嫌いじゃないよ。でも、僕にとっては妹と同じようなものなんだ」
「でも、綾波さんはそう思っていなかった。それだけだよ。あとでもう一回謝ってあげるといいんじゃないかな。はっきりと。ただ、一度完全にその気がない態度を取られているのに、もう一度謝られるっていうのは相手のプライドを傷つけることにもなるから、注意がいるけどね」
「気をつけるよ」
「さて。それじゃ、気を取り直して美綴さんを呼んであげたらどうかな。美綴さんもきっと今頃やきもきしてるだろうから」
「あ、うん。ありがとう」
 そうしてシンジはすぐに室内フォンに向かった。
(やれやれ。僕の方こそ、弟ができたような気分だな)
 だが、こういう立場も悪くない。家族のいない自分にとっては、シンジや同期の仲間たちは大切な家族だ。






 やがてカナメとヨシノが現れる。彼女はシンジを見ると、すぐに笑顔を見せた。確かにやきもきしていたのかもしれないが、シンジの顔が見られるというだけで幸せになれるようだった。
「それじゃ、ご飯作ろうか。エンくんとヨシノも食べていくつもりなんだろ?」
「ご相伴に預かれるのなら。シンジくんの料理は美味しいから嬉しいよ」
「ありがとうございます。碇くんが作ってくれるのなら、喜んで」
 まだ猫皮を被っているヨシノ。カナメがいてもその様子なのはさすがに凄い。
「ヨシノさんって、本当に凛々しいですよね。私と違って、言葉遣い丁寧ですし」
 カナメが隣にいたヨシノに話しかける。それを聞いてエンが苦笑した。
「美綴さん。あまりヨシノさんをそういう目で見ない方がいいですよ。ヨシノさんも、美綴さんくらいその仮面をとってもいいんじゃないですか」
「うん。僕も、ここにヨシノがいるのにそんな話し方されるのは落ち着かない」
 猫皮を剥ぎにかかる二人。ヨシノは腕を組んで、ふむ、と考え込んだ。
「ま、カナメならいっか」
 突然くだけた。へ? とカナメの顔が変わる。
「改めてよろしく、カナメ。ちなみにさっきまでの私は外向け用。普段はこんな、ざっくばらんな感じだから」
「ヨシノの場合、ざっくばらんっていうより、凶暴だよ」
「あ〜ら、シンちゃんも言うようになったわねえ。それはどうやって苛めてほしいっていう意思表示?」
 ふふふふふ、と邪笑を浮かべるヨシノに「勘弁してよ」とシンジは答えた。
「え、え、えええっ?」
「美綴さん。ヨシノさんは裏と表の顔を使い分けてるんです。裏の顔は僕たち同期のメンバーにしか見せてないんですよ」
「そういうこと。だから、あまり緊張しなくてもいいわよ。仲良くやりましょ」
 と、ヨシノはカナメの肩を抱きかかえた。はあ、といまだにそのギャップについていけないカナメがぼんやりと頷く。
「ヨシノは誰からもおしとやかに見られるように振舞ってるけど、本当はものすごいいじめっこなんだよ」
 シンジがため息をつく。過去何度、彼女にいじめられたことか。まあ、悪意のあるものではなかったから気にはしていないが。
「どういう意味かなあ、シンちゃん?」
「言葉通りだよ」
 どこかの誰かの言葉をそのまま使う。いい度胸ねえ、とヨシノが悪意のある笑みを浮かべた。
「僕に何かしたら、食事がどうなるか分かってるだろうね」
「うっ! 卑怯者! 生命の源を盾にして兵糧攻めとは、それでも人間か!」
「その前にヨシノが何もしなければいいだけだと思うよ。さ、カナメさん。作ろうか」
 そうして二人がキッチンへ向かう。その姿を見送ったエンが苦笑した。
「一本取られましたね」
「むー、シンちゃんにやられるなんて納得いかない」
「美綴さんの前ですからね。やられっぱなしは格好がつかないと思っているんでしょう」
 そういうところは今後シンジにとってプラスにつながるだろう。心の支えになる人がいるというのは、その人物に力を与えることになるのだ。
「そうね。ま、今日のところは勘弁しておいてあげるとするか」
「そうしてください。シンジくんの機嫌がいいと、僕も嬉しいですし」
「エンくんは完全にシンちゃんの味方よねー」
「ヨシノさんもでしょう?」
「否定はしないわ。コウキくらいでしょ、本心からシンちゃんの味方じゃないのって」
 やはり、ヨシノも同じことを感じているのか。エンが少し声を潜めた。
「そう思いますか」
「ってことはエンくんもそう思ってたってことか。他にそう思ってるのは?」
「桜井さんも同意見です」
「残り三人は微妙よね。カスミくんやダイちゃんはどことなくシンちゃんを守ろうとしている様子だし、ジンくんは」
「あの人は凄いですね。『仲間』に対する責任感が強い」
「そう思う。根っからのリーダータイプよね。でも、思うんだけど」
 ヨシノの声を潜める。キッチンの二人に聞かれないように。
「全員、無事に生き残れる保証なんて、ないのよね」
「ええ。だからシンクロ率の高いシンジくんは絶対に守らないと」
「そうね。それに、カナメも」
「そうです。この後、美綴さんは必ず狙われる。もし手遅れになれば、シンジくんにどんな影響が出るか分からない」
「私が一番責任重大よね」
「僕より、ですか?」
「エンくんには負けるわよ。ただ、私がカナメを守るようになったいきさつ、聞いた?」
「いえ」
「直接コウキから言われたのよ。カナメを守れるのは私しかいないって」
「まあ、桜井さんでは無理でしょうね」
「どうして?」
「美綴さんより、シンジくんを優先しそうですから」
「なるほど」
 確かに彼女の性格からすれば、優先順位を間違える可能性がある。もちろんカナメとシンジの二択となればシンジを優先することになるのだが、カナメのガードをしている限りはカナメを優先に考えなければならないのだ。それは他のガードたちも同じだ。
「それから、僕たち以外のガードですけど」
「カスミが調査して白黒つけてるわ。特別シンちゃんに何かするっていうタイプじゃないし、問題はないって。気になる?」
「ええ。今回のドイツ行き、同期からは僕だけですからね。慎重にならないと」
「カスミの情報なら問題ないわよ。あいつ、私より情報収集に長けてるんだから。まったく、いまいましい」
 同じトレジャーハンターを目指す二人はライバルといってもいい関係だ。ただ、その実力はカスミの方がはるかに上らしい。詳しいことは分からないが。
「ねえ、エンくん」
「はい?」
「私たちみんな、いつか、本音で話し合えるときって、来るのかな」
 だが、エンは答えられない。いや、答えたくない。
 誰もが心の中に傷を負っている。それを見せたくないのはヨシノも自分も同じはずだ。
「ごめん、今のなし」
「ええ。聞かなかったことにしておきます」
 ヨシノも少し不安になっているようだ。少しフォローがいるかもしれない、とエンは片隅で思った。

 さて、調理中の二人。
 シンジがあれこれと指示をしてカナメが動く。普段やらない料理なので、すっかりシンジの小間使いだ。
「そういえば、シンジくん」
「なに?」
「ヨシノさんは呼び捨てにするんだね」
「あ、うん。ヨシノは初めからそうだったかな」
「私のときは最初、美綴さんなんて、すごい他人行儀で」
「そ、それは、その……緊張してたから」
「どうして?」
 無垢な瞳で尋ねてくる。そんなのは決まっている。
「か、カナメさんが、すごい、綺麗だったから」
 顔を真っ赤にして言うシンジに、言われたカナメも照れる。
「好きな人ほど、他人行儀になるってことなのかな。あ、だからレイさんも名字なのか」
「あれは……昔からずっとそう呼んでたから」
 名字、名前、さんづけ。シンジの呼び方には統一性はない。ただその人に会う呼び方をしているにすぎない。
「じゃあさ。彼女にはなんて呼ぶのが普通?」
「え」
 そして理解する。
 最初からカナメはずっとそうだった。名前で呼んでほしいと、そう訴えてきていた。
「か、カナメ……」
「シンジ」
 二人が、互いの名前を呼び合う。
「カナメ」
「シンジ」
「カナメ──好きだ」
 呼び捨てにすると、何故か自信を持って言えた。
「私も、シンジが好き」
 そっと、二人の手が触れ合う。
 その感触が心地よかった。






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