エヴァンゲリオン零号機の暴走における報告書

 原因:ファーストチルドレン、綾波レイの心理的問題。
 対応:本人のメンタルケア、及び操縦時におけるメンタルコントロールの訓練。技術部にはシンクログラフが低下した場合における暴走抑止のためのプログラム開発を依頼。四月五日の弐号機起動実験までに準備。
 実験データ、問題点と今後の改善点は以下の通り。












第肆拾玖話



the day before the ceremony












 三月三一日(火)。

 榎木タクヤと倉田ジンは、両名とも自他共に認めるリーダータイプである。
 榎木タクヤは常に仲間全員に気を配り、全員からの信頼を集める学級委員長タイプだ。母親的存在ということもできる。
 一方倉田ジンはカリスマのようなものを備え、他者に逆らうことをさせない、威厳のある態度で全員を引っ張る父親的存在だ。
 全くタイプの違う二人だが、この二人は妙に気が合うものらしい。特に組織体系について考えると二人ともいくらでも話が止まらなくなる。
 それは四時限目の格闘訓練前の時間だった。春期休業中のため、適格者たちは一時限目から三時限目までは自由に行動ができる。もっとも昨日からはランクA適格者には必ずガードがつくようになっているが、それだけのことだ。
「現在のネルフの適格者の人数についてはどう思う」
 切り出したのはジンの方だ。もちろんこれについてはタクヤにもいろいろと考えはある。
「正直、多いかな。ずっと続けてきて見込みのない適格者には申し訳ないけど、適格者をやめてもらうように勧めるべきだと思う。そうしないといつまでも使えない適格者ばかりが増える。ネルフのお金は無限じゃない」
「同意見だな。二年たってもランクBになれないようじゃ、それは見込みが無いどころか無駄飯食らいだ。上もさっさと首を切ればいい」
「ネルフの都合で集めておいて、都合が悪くなればさよならっていうわけにはいかないと思うよ。それに例をあげるなら、十二年の九月に適格者登録されて、十五年二月にランクBに上がってきた人もいる」
「確かにな。だが今さら新しく人員を募っても仕方がないのも確かだろう。ランクAになった八人のうち、適格者登録されたのが遅くてカナメの十三年十一月。一年でランクAまで来るのはかなり早い方だ。一番早くランクAになったのはコウキの十ヶ月。だがこれは本当に例外だな。カナメが十二ヶ月」
「うん。この間調べてみたんだけど、ランクAになった八人がランクBを何ヶ月で抜けてきたかの平均が、ぴったり五ヶ月。一番長くて鈴原くんの九ヶ月。短ければ碇くんの一ヶ月、館風さんの二ヶ月」
「やはりランクBになってから一年経ってもランクAになれなければ見込みはないってことだな」
「それも調べてみた。十四年二月の時点でランクBになっていて、今もまだランクBなのは現在十三人。ちなみに、清田さんと谷山さんもそのメンバーに入っている」
「二人がガードを引き受けたのは、自分に才能がないということを分かっているということか?」
「それもあるだろうね。僕らもそうだけど、シンクロ率っていうのは自分でどうにかできるものじゃない」
「それをたったの一ヶ月で、それも総合ランクがBとはいえ、内実が伴っていないシンジにしてみれば、何の冗談かと思うだろうな、やっぱ」
「僕らにしてみれば碇くんのシンクロ率はずば抜けているように見えるけど、碇くんにしてみれば騙されてると思っても仕方がないだろうね」
「俺たちがどれだけフォローするかの勝負か。ランクAの方でシンジの件について知っているのは?」
 シンジの件というのは無論、全員でシンジを守り、導くということだ。タクヤもそのことについてはコウキから直接聞いている。
「僕と朱童くんの二人だけ。ガード組は?」
「同期の六人だけだ。リオナ、マイ、ケンスケには知らせていない」
「ということは、次のドイツ行きだけど」
「ああ。シンジを積極的に守ることができるのはガードのエンだけだ」
「心配かい?」
「少しな。格闘ランクSのエンだから大丈夫だとは思っているが。それに、リオナもいるしな」
「清田さん?」
 意外な名前が出てくる。どうしてここでリオナなのだろうか。
「まあ次の時間を見てみろよ。面白いものが見られるかもしれないぜ」
 そこでだいたい時間となった。タクヤとジンはこうしてお互いの情報を交換しあい、ランクA適格者、そしてネルフがいかに効率よく動けるかを既に何度かこうして話し合っている。
 そして格闘訓練の時間となった。






 昨日からランクA適格者とガードは同時に訓練を受けるようにしている。格闘訓練もしかりだ。
 レイとコモモは相変わらず来ることができないが、残り十六人が揃うなり武藤ヨウ教官の立会いで訓練が始まった。
 シンジはまたカズマに教えを請い、格闘ランクSのエンの相手がいなくなってしまう。
「じゃ、私とやろうか」
 そんなエンに声をかけたのはリオナだった。眼鏡っ娘&ドジっ娘のリオナがエンと戦うのは無謀だと誰もが思ったが、エンは顔をしかめて頷いた。
「清田さんが相手だと、手加減はできませんね」
「あら、こう見えても私、女の子よ?」
「分かってますよ。ただの女の子じゃないっていうことは」
 その一種異様な雰囲気に、思わず他のメンバーたちが手を止めてその二人を見る。
 瞬時に、攻防が始まった。
 軽やかなステップからリオナがハイキックを打つ。だが片腕でガードしたエンは接近して肘を打ち込んだ。無論リオナも最初の一撃は様子見だ。すぐに引いてその攻撃をかわす。
 かがんで足払い。エンも素直に受けるわけにはいかない。後ろに跳んでかわすと、そこへリオナが突進してきた。
「女の子だからって、手加減はいらないわよ?」
 右の拳を繰り出す。エンはそれを払うが、リオナの長い足がエンの足を小外に払う。しまった、と思うが遅い。バランスの崩れたエンを床に組み伏せたリオナの一本勝ちだ。
「久しぶりでどうかと思ったけど、これで私の十一勝十敗ね」
「相変わらず強いですね、清田さん。油断も手加減もしてないのに」
 ほとんど一瞬の攻防。気付けば試合終了まで全員が呆然と見ていた。
「リオナさん、すごいね」
 ガードされているレミが感心したように言う。
「あら、知らなかった? こう見えても私、格闘ランクSなの」
「ランク、S!」
 どうやら結構知らない者が多かったらしく、半分以上の適格者が動揺していた。それを知っていたのは彼女と同班になったことがある者だけだろう。
 人は見かけによらないとはこのことだ。リオナは究極のドジっ娘でありながらも、本部に四人(マキオが抜けたため現在は三人)しかいない格闘ランクS、それも女性唯一の格闘ランクSなのだ。
「へえ〜。格闘ランクって公開されてないから誰なんだろうって思ってたけど、リオナさんだったなんて意外」
「そうなのよねえ。みんなそう言うのよ。私は普通にしているだけなのに」
「お前の場合、普通にしているから余計にランクSに見えないだけだろう」
「うるさいわよ不破くん!」
 そんなリオナに平然と話しかけられるのはダイチ。以前から仲がいいという話は聞いていたが、確かにダイチから誰かに声をかけるシーンというのは珍しい。
「うう〜、そんなに筋肉とかついてるわけじゃないのになあ」
 レミがリオナの二の腕とかを触りながら言う。
「まあ、筋肉は人並みに。レミも筋力Bでしょ。同じくらいよ。あとは瞬発力と集中力の差かな」
 うー、と唸るレミ。
「私にもそのコツ、教えて」
「いいわよ。でも、私、厳しいわよ?」
 ふふん、といい気になってリオナは眼鏡を上げる。
「普段の様子とは全然違うな」
「ふーわーくーんー? いい加減にしないとシメるわよ?」
 ダイチは肩を竦めた。彼のガードするカズマはシンジの相手で忙しい。
「じゃ、僕とやろうか。シンジくんはカズマくんに習うみたいだし」
「俺とエンとでは勝負にならない」
「鍛えてあげるよ」
「……わかった」
 しぶしぶ、という様子でダイチが答えた。






 午後からのハーモニクステストが終了し、カズマはガードのダイチを連れて部屋に戻る。
 ここまで三日、二人はほとんど会話らしい会話をしていない。二人とも寡黙なため、余計なことを話そうとしないというのが理由だ。
 ただ、どちらかといえば他人に対して無関心なダイチに対し、カズマは決して無関心というわけではない。基本的に面倒見がよく、世話焼きで、他人を守ることを使命とするカズマにとって、何も話さないまま一緒にいられるのは精神的によくなかった。
「一つ聞きたい」
 ダイチを部屋に入れてカズマが尋ねる。
「俺は格闘ランクS。俺にガードをつける意味があるのか?」
 カズマにしてみれば、自分こそが守る側であって、守られる側ではない。シンジの盾になるくらいの覚悟はある。それは相手も同じはず。
「ランクAのガードが名目上のものだというのは知っているはずだ。それに、俺はコウキから直接カズマのガードを頼むと言われた」
「野坂から?」
「そうだ。朱童はすぐ頭に血がのぼって周りが見えなくなるから、誰かが見張っていないと駄目だと。それには一番冷静で客観的に物事を見られる俺が一番適任だと」
「あの野郎……」
 拳が強く握られる。またその場にコウキがいたら、椅子か机が飛んでいるところだった。
「それにしても、お前たちはよく碇シンジのために、一人残らず命をかける気になったな」
 カズマの言葉にダイチが「どういうことだ?」と聞き返す。
「碇の話は聞いた。過剰シンクロを防ぐために犠牲になった人間のこと。そして、何故碇がエヴァとそこまでシンクロできるのかも。お前たちは世界を救うために全員で碇のバックアップを行っているのだろう?」
「いや」
 さらりとダイチが答える。思っていたものとは別の反応をされたカズマは逆に戸惑った。
「俺は碇がどうしてエヴァとそこまでシンクロできるのかは知らない」
「なんだと?」
「俺はただ、同期の仲間だから碇を助けようという、野坂や倉田の言葉に同意しただけだ。過剰シンクロの件は聞いているが、俺は野坂ほど詳しく知っているわけではない」
 同期メンバーの中でも情報には差異があるということか。
「碇のことで一番詳しいのはやはり、野坂か?」
「おそらく。それから真道も」
「なるほどな。一番詳しい二人がランクAとガードか。情報を外に漏らさないためだとしたら、うまくできているな。不破、お前は知らないことがあっても気にならないのか」
「ならない」
 あっさりと答える。この辺りの精神状況がよく分からない。
「何故だ?」
「俺の任務は碇とお前を守ること。そう決まった以上、それを実行するだけだ」
「納得ができなくてもか?」
「納得はしている。仲間を守るのは当然のことだし、一番狙われる可能性が高いのが碇であるのも間違いない。そして、碇を守れるのがランクA適格者であることも。だとしたら俺の任務は碇を守ることであり、同時にランクA適格者を守ることだ」
「……変わった奴だな、お前は」
「そうか?」
 あまり自覚していないのだろうか。それとも分析力Sともなるとこれくらい理屈中心の人間になるものか。
「俺はただ、あの八人で一緒にいるのが楽しいと思っているだけだ」
 この台詞こそが、ダイチの本心。
「なるほどな。お前もみんなを守りたいって思っている口か」
「朱童は違うのか?」
「俺は──俺の守りたいと思っているものを守りたいだけだ」
「それなら碇を守ればいい。それが一番の早道だ」
 そうした理屈のもとにダイチは動いている。
「分かった。今日はもう外出するつもりはないから、部屋に戻っていい」
「分かった。もし出るつもりなら連絡を」
「分かっている」
 そうしてダイチが出ていく。一人になったカズマはベッドに身を投げ出した。
「碇シンジか。あいつ、かわいそうな奴だな」
 自分もかわいそうな人間だと思っていた。
 姉を陵辱されて殺され、復讐して、少年院に入れられた。
 もはや生きる望みなど何もなかったが、ネルフに入ることを条件に院を出ることになった。
 世界のために戦うことが贖罪になる、そんなことを言われても自分にはどうでもよかった。自分は、自分のために復讐をしたのだ。世界を救うとか、そんなことは自分には関係ない。
 だが、そこで出会った。
 姉と瓜二つの少女を。
「俺は、碇シンジを守るための駒」
 それだけのシンクロ率を持っているから。
「綾波レイ。お前も、碇シンジを守るための駒なのか……?」
 シンジの周辺にいる人間が、全てそのための駒であるような気がしてならない。
 自分はどうなのか。タクヤは。ヤヨイ。トウジ。レミ。そして──
「美綴カナメ……」
 この時期にシンジと付き合うことになった女性。会ってからまだ二週間しか経っていないというのに、そんなにも人は誰かに惹かれるものだろうか。
(美綴が誰かから碇を好きになるように命令された──うがちすぎか?)
 だが、自分の知らないところでこれだけの動きがあったのだ。もしかしたら、という疑念は拭えない。
(直接話しても何も言わないだろう。それより、どうにかして調べてみる方がいいかもしれないな)
 だが、こういうときに頼りになる相手をもたないカズマにとっては、どうすればいいのかが分からない。
(野坂と真道が、情報を把握しているということだったが)
 自分ではどうにもならないことならば、誰かに下駄を預けてしまってもいいのかもしれない。コウキは信用ならないが、シンジの命を守っているという一点に置いては絶大の信頼を置くことができる。
 室内フォンを取ってコウキの部屋にかける。
『こちらコウキ』
「朱童だ。一つ、話がある」
 珍しい相手からかかってきた、と驚いているのか次の言葉がない。かまわずカズマは話し始めた。
「美綴カナメの件だ」






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