「馬鹿な、Xの力を利用した兵器だと!?」
「空想にもほどがあるよ」
「そのXによってどれだけの死者を出したか分かっているのかね」
「生き残るために敵の力を利用するというのか」
「Xがどれほど恐ろしいものか、よく分かっているだろうに」
「だいたいどうやって利用するというのだ」
「全く、冗談にもほどがある」

 だが。
 それら全ての罵倒を、特務機関ネルフの長となったばかりの日本人はかるく一蹴してみせた。

「では何か、代案はありますか」

 ──こうして、コードネーム“another X”の開発が始まった。












第伍拾話



another X












 四月一日(水)。

 本日はエヴァンゲリオンの正式支給日である。
 シンジ以外の七人は既に松代で一度見てはいるものの、本部で自分の機体となるのはまた別格である。
 そしてシンジにとってはエヴァンゲリオン初号機との初の顔合わせとなる。
 八人のランクA適格者とそのガードたちは本来なら一時間目のある時間帯に第七ケイジに集合となった。そこで正式支給となる。
 作戦本部長の葛城ミサト。技術部長の赤木リツコ。この二人の前で二列横隊となって適格者たちが並ぶ。
「いよいよ、今日はみんなにエヴァンゲリオンを支給します」
 ミサトの後ろには、立ち並ぶエヴァンゲリオンの列。
「自分の機体はもう分かっていると思うけど、改めて確認します。初号機、碇シンジくん」
「はい」
「参号機、鈴原トウジくん。肆号機、館風レミさん。伍号機、野坂コウキくん。陸号機、榎木タクヤくん。漆号機、朱童カズマくん。捌号機、神楽ヤヨイさん。玖号機、美綴カナメさん」
 随時返事をしていく。自分の機体を見た適格者たちに、責任感が覆いかぶさってくる。
「それから、本日はまだ入院中なのでここにはいないけれど、零号機は綾波レイさんが専属となります。みんなはこれからエヴァとシンクロ実験を続けてもらいますけど、最初の起動実験を四月二六日(日)に行います」
「いよいよか。腕がなるぜ」
 コウキが言う。それぞれに思うところがあるようだが、コウキが一番早く乗りたくてうずうずしているように見えた。
「本日はエントリープラグに搭乗して、実際にLCLを体験してもらうわ」
「起動実験をそこまで遅らせることに何か意味はあるんですか?」
 タクヤが尋ねる。ミサトが肩を竦めると隣のリツコが答えた。
「準備が整っていないだけよ。この間の零号機の事故もあって、準備には万全を期したいの。それに、日曜日ごとに世界各地で起動実験を行わなければいけないから」
「日曜日ごと?」
「ええ。今週はドイツで弐号機だけ。次がアメリカの第一支部、第二支部で五体同時。その次がオーストラリア。それから日本の順番ね。その次の週に残っているイギリス、ロシア、ドイツ、ギリシャのヨーロッパ組と中国で実施することになるわ」
 ランクA適格者はロシアのイリヤ、そしてイギリスに一人、ギリシャに二人、中国に一人。あとはドイツにセカンドチルドレンの惣流・アスカ・ラングレーとランクA適格者が四人。
「そして、本日より正式に、碇シンジくん」
 はい、と突然指名されて返事をする。
「あなたをサードチルドレンとして登録します」
「僕が、サードチルドレン?」
「ええ。チルドレンの役目はそれぞれにあるけど、シンジくんに期待するのはこの本部のエースパイロットとなって、使徒迎撃の旗印になることよ」
「僕が、使徒迎撃?」
「責任重大よ。がんばってね」
 簡単に言ってくれるが、だからといって自分が何をすればいいのかは分からない。ただ、他のランクA適格者たちがそれに反対するという様子はない。むしろ、当然、という様子だ。
「結局オーストラリアの奴、センセに抜かされたっちゅうことやな」
「まあ、たった一ヶ月でシンクロ率を五〇%に乗せられたのは碇くん一人だけだからね」
 トウジとタクヤが笑顔で言う。やはり自分たちの仲間からチルドレン登録されればそれは嬉しいものだ。
「じゃあ、全員自機の前に。LCL注入は一人ずつになるから、そのつもりで」
 そして駆け足で十六人がそれぞれの機体の前に移動する。
「これが初号機」
 紫色の巨人。人造人間、エヴァンゲリオン。
「シンジくん。このエヴァンゲリオンの別名、コードネームを知っているかい?」
 ガードのエンが尋ねる。いや、とシンジは首を振る。
「コードネームは“Another X”……もう一つの“X”ってことだね」
「もう一つの?」
「うん。つまり、二千年に現れた使徒のことを、当初はみんな“物体X”と呼んでいたんだ。その“X”に対抗できる人造人間だから、“Another X”というわけ」
「詳しいね、エンくん」
「まあね。“X”についてはかなり調べたから」
「どうして?」
「見たことがあるからね。“X”を」
 使徒を。
 その言葉に、どう反応していいか分からない。
 いつ?
 どこで?
 どうやって?
「……って、言ったら驚く?」
 ほっ、と一息ついた。何だ、冗談か。
「趣味が悪いよ、エンくん」
「ごめんごめん。まあ、エイプリルフールにちなんで許してよ。でも、自分が乗ることになるかもしれないものの情報だ。気になるのは当然だろう?」
「僕はエヴァに乗るなんて、つい最近まで思ったこともなかったから」
「そうだったね。でも大丈夫。ほら、初号機はシンジくんを待ってるよ」
 エントリープラグが開かれる。シンジは頷いて、タラップを上がっていった。
(そう、僕は)
 下からそのシンジを見上げるエンの顔からは、笑顔が消えていた。
(見たんだ、あの日──“X”を)






 初号機のエントリープラグに乗り込んだシンジは、模擬プラグと全く同じつくりであることに安心感を覚えた。
 操縦桿なども細部まで同じ。まったく、ネルフの技術力というのはすごい。
『シンジくん、聞こえる?』
「はい」
『それじゃ、シンジくんから始めるわよ。LCL注入します』
 既に模擬プラグでのシミュレーションや試験のときはLCLまでは使わなかった。それだけ高価なものだということだ。
 肺がLCLで満たされることによって、呼吸をする必要がなく肺が直接酸素を吸入する。どこの誰が考えたのか知らないが、おそろしく意地悪に違いない。
 徐々にLCLがプラグを満たし、頭がすっぽりと入ってから口を開ける。一斉に肺に流れ込むLCL。気持ちが悪い。だが、最初の一回を過ぎれば後は大丈夫。
『大丈夫? 気持ち悪くない?』
「気持ち悪いです」
 きちんと言葉も出せる。なかなか面白いつくりだ。それに、肺にLCLが満たされるのはいいとして、食堂に流れ込まないようになっているのも面白い。
『今日はそれに慣れてもらうのが目的だから、十分したら上がってもらうわ』
「分かりました」
 シンジの方が順調とみたのか、通信が切れる。次の機体に取りかかったのだろう。
(そういや、イリヤが言ってたっけ)
 初号機に乗ることがあったら、美坂シオリの魂を探せと。
(シオリさん、か。美坂さんの妹さん。どんな娘だったんだろう)
 シンジは目を瞑る。そして、初号機の中に神経を張り巡らせる。
(君はここにいるの? そして、僕を守ってくれてるの?)
 起動しなければ彼女の魂を感じることはできないのだろうか。
(僕のために、犠牲にしてしまってごめんなさい)
 シンジは聞こえないはずの相手に話しかける。
(そして、僕を守ってくれて、ありがとう)

 ほんの一瞬、シンジは背後に風が通り抜けたような感じがした。






 一通りのLCL体験が終わると、時間もほぼ四時間目のシミュレーションが始まる頃になっていた。
 適格者たちはその前にLCL漬けになった体をシャワーで洗い流さないといけない。それぞれ個室のシャワールームに入ってLCLを流す。
 ただ、体についたLCLは流せても、口の中に残る血の味は消えない。何度うがいをしても、肺の中からにおってくる血の匂いは消せない。
(慣れるまで時間がかかりそうだな)
 せめて肺洗浄までしてくれればいいのに、と思う。
 そうしてシャワーを止めて体を拭き、ネルフの制服を着なおしてから、シャワールームを出る。
 そこに待ち構えていたのはガードのエンと、ヨシノだった。
「あれ、ヨシノはカナメをガードしなくていいの?」
「今はね。適格者もいるし、他のガードもいるから。ちょっとシンちゃんに用事があって」
「用事?」
「ええ。その、カナメと付き合うことになったときのことだけど、彼女、何か特別なこと言ってなかったかなって」
「特別って言われても」
 何も心当たりは無い。一緒にショッピングをして、ケーキを食べて、告白されて、バスの中で返事をしただけだ。
「そう……うん、ならいいの。気にしないで」
「気にしないでって、気になるよ。何なの、いったい」
「ただの確認よ。本当に何でもないから」
 するとヨシノはすぐに立ち去っていく。何だろうとエンを見るが、エンも分からないという様子で肩を竦めた。






(あの様子だと、シンちゃんでは全く分からないわね)
 昨日の深夜。突然部屋にやってきたカスミに何事かと思ったが、その話の内容はかなり重たいものだった。
 美綴カナメがシンジに接触したのは恋愛ではないという可能性。
 それは朱童カズマがふと疑問に思った些細なものにすぎない。ただ、イリヤのときのように別の国からの引き抜きの可能性であったり、逆に『特別な子供』であるシンジを探るために接触した可能性だってある。
 美綴カナメはランクAの中でもお荷物的存在となっている。使徒と戦うという意識が弱く、何かというと失敗が多い。
 だが、才能は高い。たった一年でランクAになったというのはコウキやカズマに次ぐ。世界的に見てもそれほど多いわけではない。
 ランクAの中でシンジより後に適格者になっているのは彼女だけ。つまり、シンジに接触するために送り込まれたスパイだという可能性は否定できない。
 もちろん全ては憶測だ。これから情報を集めなければならない。
 カスミの能力をもってすれば、ほんの数日で白か黒かは分かるはず。タクヤやカズマの情報ですら正確に掴んでいるのだ。変哲もないカナメの情報を手に入れるなど朝飯前のはず。
(ただ)
 シャワールームの前に戻ってくると、既に着替え終わっていたカナメが他のガードたちと話をしていた。
「あ、ヨシノさん!」
 天真爛漫な笑顔をヨシノに向けてくる。邪気のない、澄んだ笑顔。
(これが作り物にはどうしても見えないのよね)
 取り越し苦労に過ぎないのだろう、とヨシノはあまり深く考えないようにした。全てはカスミの情報次第。それが分かるまでには二、三日かかるだろう。
(そうなると、シンちゃんたちがドイツに行っている間にいろいろ起こりそうよね)
 アメリカもこの情報を掴めばカナメを狙ってくるだろうし、ゲンドウがこのまま放置しておくとは思えない。予想どおりこの間のシンジのシンクロ率は下がっていた。そうなればカナメをそのままにしておくはずがない。
(守られたり疑われたり、大変な子よね、この子も)
 同い年なのだが、何故か妹のような感覚だ。何かあったのか、と笑顔で尋ねてくる。
「何でもないわよ」
 思わずこの可愛い妹分を抱きしめていた。






 午後になって、シンジは今週もセラの病室へ向かった。
 今日はガードのエンも一緒だ。もちろん中に入ることはない。また扉の前に花束を置くだけ。
 今週からはリオナも来られなくなる。何しろ彼女はレミのガード。レミを放置して自分勝手に行動することなどできない。
(今度こそ、セラは一人ぼっちになってしまう)
 おそらくリオナのことだから、今週から来られなくなるということは伝えてあるのだろう。だが、待っているだけのセラにしてみればそれがどれほど悲しく、辛いことなのか。ただ会いに行くだけの人間には分からない。
「会わないのかい?」
 花束を置いたシンジにエンが尋ねる。うん、と頷いて病室を見つめる。
「今までも会ってないし、セラからは二度と会ってほしくないって言われてるから」
「でも、シンジくんは毎週ここに来ている」
「うん。やっぱり、放っておけないし。でも、そういった優しさは逆にセラを追い詰めることにもなるっていうのは分かっているんだけど……」
「だから会わないのか。シンジくんらしいね」
「そんなこと」
「いつか、二ノ宮さんの方からシンジくんに会おうとする日が来るよ。それまでは毎週、花を届けるだけだとしてもね」
 そうだといい。
 年下なのに、どこかお姉さんぶるあの小さな女の子と、もう一度ゆっくりと話したい。
「セラと一緒にいると、安心できたんだ」
「うん」
「一つ年下なのに、何でも分かってるっていう感じで。あんなことさえなかったら……」
「今ごろシンジくんは美綴さんじゃなくて、二ノ宮さんとつきあっていたのかもしれないね」
「うん。そうかもしれない」
 正直、セラのことは嫌いではなかった。もしかしたらそういう現実もあったのかもしれない。
 ただ、今の現実はこうして二度と会うことがかなわず、自分には別の女性ができた。今の自分が会ってもどうすることもできない。
「じゃ、また来週……といっても、無理か。ドイツから帰ってきた次の日だからね。
「うん。でも大丈夫だと思うよ。日程的には、七日の夜にこっちに着くみたいだから、すぐに眠れば八日はきちんと動けると思う」
「時差を甘くみたら駄目だよ。だからスケジュールもすごい変則的なんだから」
「分かってるけど、でも気にしても仕方がないし。駄目なら別に水曜日じゃなくてもいいから」
 それくらいシンジがこだわらなければ問題はない。エンは頷いて「そういうことなら」と了承した。
「それじゃ、ドイツに行く準備をしないとね。シンジくんも買い物とかあるんだよね。一緒に行こうか」
「あ、うん。それなんだけど、カナメも誘っていいかな」
「もちろん。五日間は会えないんだから、一緒にいてあげるといいよ。彼女も喜ぶだろうし」
「ありがとう」
 そうして二人は病室から立ち去る。






 少しして。
 病室の扉が開いて、そこからやせ細った手が伸び、花束を掴んだ。
「シンジ」
 すっかり外見の変わってしまったセラが、その花束を抱きしめる。
「シンジ。シンジ。シンジ……」
 彼を求めるその声は、怨嗟のようであった。






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