「で、どうするつもりなんだ、剣崎?」
夜のネルフとはいえ、人の数が変わるわけではない。技術部の休みは三交代制だし、作戦部も常に稼動している。食堂など、ネルフ内部の店などは二十四時間営業だ。それでも人数が減ったように感じるのは、適格者たちがまったく活動していないからだろう。昼間のにぎやかな子供の声がどこにも聞こえないのは寂しさを醸し出す。
「どうする、とは?」
「あいつらのドイツ行の最中に動くのかってことさ」
尋ねてきたのは傭兵、武藤ヨウ。
剣崎とは異なる行動原理で活動する男だ。
「命令があればそうする」
「じゃあ聞き方を変えるぜ。命令はもう来てるのか?」
「まだだ。あるかどうか、俺にはわからん」
二人の間に緊張した空気が流れる。
「武藤。一つ、警告をしておこう」
「なんだ」
「CIAの工作員が小松空港から入ってきた」
「石川か。地方空港まではネルフでもおさえられなかったってことか」
「ああ。おそらく狙いは、今日の飛行機だろう。碇シンジを殺したければ空の上が一番やりやすい」
「ま、その情報はありがたくもらっておくぜ。俺の任務は碇シンジを守ることだからな。他はどうなってもかまわないが」
いつの間にか、ヨウの手に拳銃が握られていて、それが剣崎の額にセットされていた。
(見えなかった)
ずっと対峙していたはずなのに、何故こうなってしまったのか。
「碇シンジが守りたいと思ってるものも守ってやるのが、サービスってやつだろ?」
ヨウがにやりと笑ってまた拳銃を収める。
「どうせやるなら俺がいるときにしてくれ。それなら止められる」
そしてヨウはその場を去っていった。さすがに本場の傭兵は一味違う。だが、剣崎も諜報部員として鍛えられてきた。舞台が異なれば勝ち目は充分にある。
(もっとも、敵にならないならそれにこしたことはないが)
これからくる任務がどのようなものなのか。それによっては今まで守ってきた適格者たちとも敵対関係となる。
つくづくこの仕事は報われない。だが、それをこなすことにプロ意識を感じてしまう自分は、輪をかけて報われない。
珍しく剣崎は苦笑した。
第伍拾弐話
見せた笑顔のその裏で
四月三日(金)。
午前一時。ランクA適格者たちは出発組、居残組を問わず、全員がロビーに集合していた。
出発組は全員がネルフの制服とプラグスーツを持参しているが、誰も着てきた者はいない。これから十一時間四十分というフライト時間があるのだ。そんな中、ずっと堅苦しい格好では疲れきってしまう。空の上で寝ていくのだから。
最初に到着したのはシンジ、エン、カナメ、ヨシノの四人だ。エンがシンジの部屋にやってきて、そのまま四人でロビーまで来ることになった。それからトウジにケンスケ、ヤヨイにマイ、レミにリオナと、出発組が先に到着。そして居残組のタクヤとジン、カズマとダイチ、コウキとカスミの順に到着する。
さすがに出発ともなると、全員のスーツケースだけで大変な量だ。カナメが驚いたように言う。
「たくさん荷物あるんだね」
運搬は全部ネルフ側でやってくれるとはいえ、それを用意するのは当然自分で行わなければならない。面倒ではあるが仕方のないことだ。
「たいていのものは向こうにあるから、絶対に必要なものはプラグスーツくらいなんだけど」
「身分はネルフが保証してくれるから、パスポートやビザの申請なんかも僕たちはしてないしね」
シンジとエンが説明するが、色とりどりのスーツケースにカナメが興味を示す。
その中でもとりわけ奇妙なのはヤヨイの風呂敷だったが、これにはもう誰も突っ込みは入れない。
「おみやげ頼むぜ、シンジ」
コウキが笑いながら言う。
「仕事で行くんだけど」
「仕事だからって海外は海外だろ。だいたい時間がまったくないわけじゃないんだろうし」
「そりゃまあ」
「全員分だぞ。忘れてきたらただじゃおかねえからな」
「はいはい」
コウキの軽口にため息をつく。
「あまりエンから離れないようにしろ」
さらには珍しくカズマも近づいてきて忠告する。
「どうして?」
「狙われている自覚があるのか? エンの傍にいればたいていの問題はどうにかなるだろう」
「評価されると緊張するな」
隣にいるエンが苦笑する。
「敵はどこにいるか分からない。気をつけていけ」
「ありがとう」
カズマが能面のまま離れていく。能面のダイチが一緒に行動している。面白いペアだ。
「あ、そろってるわねん」
そうして最後に葛城ミサトが、レイとコモモを伴って現れた。
「綾波。体は」
「大丈夫」
レイは車椅子だった。コモモがそれを押している。シンジが出発するというので何とか見送りたいという気持ちで来たのだろう。まだ体は完全に回復していないのに。
「あまり無理しないでよ」
「分かってる」
二人が視線をかわすと、近くにいたカナメが少しむくれる。この少年はそうしたところの気配りが完全に抜けている。すぐ後ろにいたエンとヨシノが苦笑した。
「さて、準備はいいわね。もう出発するけど、何かある?」
今まで充分準備してきたのだから、これ以上何もあるはずがない。
「んじゃ、外のバスに乗ってちょうだい。大きな荷物は全部置いていってかまわないわ。飛行機の中でも使う手荷物だけ持って」
そうしてぞろぞろと全員が移動する。居残組はそこから先へはついていかない。見送りはここまでだ。
「シンジ」
カナメが最後に呼びかける。振り向いたシンジが笑顔を見せた。
「いってきます」
甘く、溶けるほどの笑顔。
「うん、いってらっしゃい」
だから、カナメもまた笑顔で応えた。
第三新東京内に空港は存在しない。バスでJRまで移動し、そこから第三新東京専用ともいえる郊外の空港まで移動する。空港到着が午前一時五十五分。そして空港からの出発時刻が午前二時三十分。
今回のフライトはネルフの適格者のために用意された専用機を使う。したがって全員が到着しだいすぐに出発することができるのだが、その前後の時間を調整しているため、結局待ち時間が発生するのは避けられない。
国際線のホールはネルフの貸切となっており、彼らの他には誰も見当たらない。ミサトと保安部の黒服が六名。そして適格者が八名。リツコは先に準備があるということで半日前にドイツへ先行している。ちょうど今ごろ到着している頃か。
子供たちはジュースなど飲みながら談笑したり、カメラマンのケンスケによって集合写真を撮ったりという様子だった。
そして機体の最終チェックが完了し、いよいよ乗り込もうというときのことだった。
外。
暗闇にまぎれて一人の男が飛行機に近づく。
その足の部分まで近づいてから、そこに触れようとした。
「おやおや、整備の目を逃れてこんなところまでやってくるとは、見上げたプロ根性だな」
背後から声が聞こえて男は振り向く。
同時に男の右手が懐の中に伸びて銃を抜くが、先に放たれた銃弾によって弾かれる。
「おいおい、こんなところでドンパチとはやり方が雑になったねえ、CIAってところは」
「何者だ」
「日本語も達者か。もうアメリカ軍には知れ渡ってるんだろ、俺のことは」
「──ヨウ・ムトー」
「飛行機ごと爆破、ってのを狙ったわけか。ま、一番確実な手ではあるけどな。もっともお前は警備の目を盗んだつもりだったんだろうが、それはこっちの罠でね。警備に抜け穴を作っておいておびき寄せるっていう作戦さ」
「shit」
CIAの男が両手を挙げる。
もちろん諜報員はどれだけ情報が大切なものかということがよく分かっている。もし敵に捕らえられたら自分の情報を渡さないために死を選ぶ。その覚悟はできている。
だがこのとき、男は生き延びることを選んだ。逆にヨウから情報を引き出すことができないかと考えたのだ。
「アメリカは本気か。ま、そっちがその気ならこっちにも考えがあるけどな」
「何?」
「そっちが適格者を消しにかかるってんなら、こっちもそれなりの対応をするってことだ」
「日本はアメリカに戦争を仕掛けるつもりか」
「アホか。先に仕掛けてきてんのはそっちだろ。何もしなけりゃこっちだって何もしねえよ」
だがヨウは銃をしまうと顎で「行け」と指示した。
「見逃すというのか?」
「こっちにもこっちの思惑があるからな」
ヨウは肩をすくめた。実際、この男を殺したところで変わることは何もない。むしろ尋問しようとして逃げられ、その際に本部の情報を盗まれる方が怖い。
殺した方が楽ではあるのだが、死体を処理するのも面倒だ。自分の足で帰ってもらった方がありがたい。
(使徒よりずっとやっかいだな、人間ってやつは)
CIA職員の姿が見えなくなってから、ヨウはその場を離れた。
そうして定刻二時三十分に、何事もなかったかのように飛行機は飛び立つ。
特別専用機は一人ずつファーストクラスの席があてられている。レザーシートの上からシーツがかぶせられており、足を伸ばしてゆっくりと座ることができるようになっている。寝るときは他の乗客から見られないですむようにブラインドまで完備している。
そのかわり自分のシートにいるときは他のみんなと話すことができない。そのため個人のシートは窓側に、中央部にまた別の席を用意している。そのシートもすべてレザー製。もっともそれは朝まで使うことはないだろう。これから全員、深い眠りに落ちるのは間違いない。何しろこの日はもう丸一日起きているのだから、いい加減眠気が全快だ。
そうしてようやく加速Gの後、上から押されるような感覚と、相反する浮遊感。
(さすがに第三新東京は見えないか)
浮上する飛行機の窓から外を覗く。だが、第三新東京がどちらの方角なのかも分からない。
(カナメはもう寝たかな……もう夜遅いし、当たり前か。しばらく会えなくなるんだな)
たった五日間。それでも若い恋人たちには長い時間だ。
(ランクAになってから、僕はかなり充実してる)
射撃訓練では的中することが多くなっているし、シミュレーションでも二回に一回は勝てるくらいになってきた。そして格闘訓練ではカズマに叩きのめされているが、自分の力がついていることは分かる。
『この度は、ネルフ特別専用機をご利用くださいまして、まことにありがとうございます』
飛行機が安定したころを見計らって機内放送がかかる。
『当機は現在、第三新東京市上空を、北西、ドイツに向けて飛行中です』
(じゃあ、ちょうどいまこの下に、カナメが)
そんなことを頭の片隅に思い浮かべる。
『現在の時刻は四月三日、午前二時四八分。現地、ドイツは三月二九日からサマータイムが適用されており、時差、七時間となりますので、現在四月二日、午後七時四八分となります。みなさま、時計などお持ちでしたら、どうぞ時刻を調整なさってください』
携帯電話の電源は切っているが、その調整の仕方をそういえば覚えていなかった。後で誰かに聞いておかなければ。
『これより当機はドイツ、ハノーファー空港まで十一時間四十分飛行いたします。現地、到着時間は四月三日、午前六時十分到着となります。これよりみなさまの睡眠を導く軽食とお飲み物をお持ちします。その後はゆっくりとお休みください。目が覚めたときにはもうヨーロッパです。朝四時四十分に朝食をお持ちします』
時間計算がしっかりはかられているんだな、と感心した。そうしている間にも軽食が運ばれてきた。ブロッコリーなどの野菜が入ったパスタと、飲料はミルクのようだが少しとろみのある液体。
「これ、なんですか?」
「バナナシェイクです。ハチミツと卵黄で味付けしています。バナナに含まれている成分が穏やかな眠りを導いてくれます。美味しいですよ」
美人の乗務員が笑顔で言うので、信用して一口飲む。甘くて美味しい。
「どうですか?」
「美味しいです。どうやって作ってるんですか?」
料理人の血が騒いだか、シンジは興味津々で尋ねる。
「たいして難しくないですよ。ミキサーにミルクとバナナ、あとは味付けに使うものを入れるだけですから」
「ふうん、今度作ってみようかな」
カナメに出したら喜んでくれるだろうか、などと思いつつ。
「そうですね。ガールフレンドに出してあげたら喜ばれるかもしれませんね」
その考えを読んだのか、乗務員の言葉にシンジは顔を赤くした。
そうして、うとうとしかけたのが午前三時十分ころ。機内放送で『五分後に消灯いたします』というアナウンスが流れ、そろそろ眠ろうかと思ったときのことだった。突然自分の顔を覗き込んできた美人の女性。
「……神楽さん?」
横になっているシンジを上から見下ろしてくる女性。だが見ているだけでそれから何をするというわけでもない。
「どうかしたの?」
「……」
何も答がない。と思いきや、くー、という寝息。
(ね、寝てるー!?)
まさか寝たまま動くことができる人がいるとは。一種の夢遊病というやつだろうか。
(どうすればいいんだよ)
放っておくわけにもいかないが、誰かを呼ぶのも変な気がする。しかも寝てるのに目が開いてて、それが微妙に三白眼で怖い。
「えっと、神楽さーん」
弱弱しく呼んでも反応がない。完全に意識が飛んでいる。
「ありゃ、お二人さん、何してるの? 密談? 逢引?」
と、そこに立ち上がってきたのはリオナ。
「そ、そんなわけないよ」
「あ、ヤヨイさん、また寝歩いてるんだ」
また、という表現が気になった。
「前にも?」
「うん、ヤヨイさんの奇行は知る人は知ってるからね。泊りがけだとたいていこういう現象が見られて面白いって」
リオナが眼鏡を直しながら言う。
「じゃ、連れてくね」
「あ、うん。ありがとう」
「どういたしまして。早く寝た方がいいよ。たくさん寝ておかないと、朝早くから動くことになりそうだし」
「うん。清田さんも」
そうしてヤヨイが引っ張られていくのを見送って、シンジはブラインドを下げる。
だいたい回りも食事が終わっているらしく、ブラインドが次々に下がっていく。もう少ししたら照明も消えるだろう。
(ドイツか)
そう思っている間にも明かりが消える。完全な暗闇というわけではないが、突然だと目が慣れない。
(ここ二ヶ月、慌しいよなあ)
特別何の目的もなく、ただ毎日勉強と訓練だけを続けていた。それなのに気づけば本部一番のシンクロ率だとか、サードチルドレンだとか騒がれる立場に変わっている。
(これからはどうなっていくんだろう)
このドイツ行で自分は何か変わることがあるのだろうか。
そう考えている間にも、睡魔が訪れてシンジの意識は闇の底に落ちていった。
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