「どう考え立って今回の人事はおかしいだろ。俺たちをシンジから引き離すためにわざと組まれたとしか思えねえ」
 少し話を戻して三月二八日(土)のこと。
 イリヤスフィールが去り、ガードたちが全員紹介され、ドイツ行きのメンバーが決定された直後の、コウキとカスミの会話だ。
 苛立っているのはコウキ。シンジをガードするために組んだ案のはずが、ドイツ行きのメンバーに加わったのはエン一人。これでは何のためのガードか分からない。
「まあ膨れるな。ガードだけならエン一人でも充分大丈夫だろ。あいつは強いからな」
「強いのは分かってるが、各国諜報部が出てきたらさすがにどうしようもないだろ。ネルフ適格者の格闘ランクSだといっても、諜報部の選りすぐりが出てきたらさすがにエンでも勝てねえ。この間だってマキオに勝てなかったしな」
「そりゃポーズだろ」
 カスミはあっさりと言う。
「あいつは普段は自分の力を抑えてるだけだ。本気になったあいつを止められる奴はそうそういない。そうだな、ヨウ教官あたりならいい勝負かもな」
 武藤ヨウは傭兵の中の傭兵だ。その人物と格闘で五分といったら、まさしく全人類の頂点のレベルにいると考えていい。
「まさか」
「いや、エンは実際『そういう』奴だ。だからシンジのことは心配するな。それよりこっちでできることをやってやろうぜ」
 カスミが笑って言うとコウキが顔をしかめる。
「エンは何者だ?」
 カスミは肩をすくめた。
「仲間だろ、俺たちの」
 この男は確実に答を知っている。おそらくは同期メンバーの隠された過去の全てを知っているのだろう。だが決して口を割らない。
 それだけ情報の流出ということに対する危機意識が強いのだ。その相手がたとえコウキであっても必要ない情報は決して流さない。
「確かに仲間だな」
 エンがシンジを守ろうとする意識は仲間の中でも高い。少なくとも自分などよりはずっと。
「あんまり深く考えるなよ、コウキ。お前はお前で、やることやってんだからよ」
 カスミが言うが、それも癇に障る。
(俺はそんなんじゃない)
 コウキは悟られないように、歯をかみしめた。












第陸拾話



軋む心に残された












「ヨウ教官? いらっしゃってたんですか」
 さすがにエンもこの人物の登場に驚いていた。今回の同行メンバーの中には加わっていなかったはずだ。
「ま、俺の方もいろいろあってな。まあ起動実験とは別件だ。あまり気にするな」
「ですがここにいるということは、シンジくんは」
「ああ。誘拐された」
 あっさりと言う。エンとアルトの顔が青ざめた。
「誰が!」
「さあな。多分ドイツに入り込んでいたアメリカの連中だろうが。今、加持の奴に極秘調査させてる。ちょっと待て」
 言い終わるなり、ヨウの携帯のアラームがなる。
「こちら、ヨウ」
『思ったとおりだ。アメリカの傭兵が三人。現在Cの五一ブロックに潜伏中』
「了解。すぐに向かう」
 簡単に連絡を取り合った後、すぐに二人に向かって言う。
「C−五一だ。すぐに向かうぞ」
「そこにシンジくんがいるんですね?」
「そうだ。そこのドイツの。案内しろ」
「紀瀬木アルトです。こちらへ」
 ドイツの、と呼ばれたアルトはすぐに先頭に立って走る。
 が、すぐに今の言葉がはらむ問題に気づいていた。
 アルトは無論日本人で、ハーフやクォーターというわけでもない。それなのにどうしてドイツの人間だと分かったのか。
 だが今はその疑問を解決している場合ではない。まずは碇シンジの救出が先だ。
 長いエスカレーターを駆け下り、廊下を駆け抜けた先がCブロック。その複雑な道を三人は全速で進む。
『こちらリョウジ』
「こちらヨウ。もうすぐC−五一だが」
『三人とも空き部屋の中だ。突入するときに気をつけろよ』
「了解」
 三人がその部屋の前に到着する。ヨウは部屋の中にいる人物の場所を確定するためにサーモグラフィがついている望遠メガネを装着する。
 ベッドの上で横になっているのがおそらく碇シンジ。そして一人が座り、二人が立っている。だが外の自分たちには気づいていないようだ。おそらく座っている男がリーダー格。
(手前の二人は任せる。確実に殺せ)
 ヨウが二人に指示を出す。だがその指示にエンは何も表情を変えなかったが、アルトの顔色が変わる。
 どれだけ実戦訓練を重ねても、実際に人を殺したことなどないだろう。いきなり殺せと言われても抵抗があるのだ。
(僕が二人とも殺ります)
(分かった。躊躇するなよ、使え)
 一丁の拳銃を手渡してくる。
(ベレッタM92FS。オーソドックスですね。もう一丁ありますか?)
 エンが尋ねるとヨウが少し考え、懐からさらにもう一丁取り出した。
(M9000sですか。操作性が悪いっていうことで使う人がいないっていう話ですけど)
(俺にはちょうどいいのさ)
 要するに使いこなす人次第、と言いたいのだろう。
(使わせていただきます)
(OK。シンジにあてるなよ)
 そうして二人は位置を確認しあう。
(よし、アルトが開けろ。そしてすぐに下がれ)
 指示を出したヨウに、すぐに動く二人。
(GO!)
 そしてすぐに動く。開いた扉の向こうへ突入し、エンが両手に持った拳銃をそれぞれ一人ずつ照準を定め、二発ずつ打ち抜く。
 ヨウも一丁の拳銃で座っていた男の両肩を打ち抜く。
 これで制圧は完了した。
「おやおや、ここがバレてないとでも思ってたのかね」
 ヨウが椅子に座っていた男を床に転がし、縄でくくる。
「こいつは後で尋問にかけるとして、後の二人は?」
「戦闘不能です。処置しなければあと数分」
「とどめをさせ」
 ヨウが言う。エンは一瞬ためらい、後ろを振り返る。
「アルト、見ないで」
 ドアの外にいたアルトは目を瞑って背を向ける。
 直後、二発の銃声がした。
 彼女の体は震えていた。
 目の前で起こった実戦。今、確かに自分の半径十メートル以内で二人の男が死に、一人の男が重傷を負った。
 それが戦い。
 一歩間違えば、自分が倒れている男たちのようになる。
(エンはその覚悟を持っているっていうの?)
 少なくとも今の自分にその覚悟はない。
 エンは幼い頃からずっと人を殺してきた。だからその意味での覚悟はしっかりと持っている。しかも彼は真実を見つけるためならばどんなことでもすると決めて臨んでいる。
(私より、ずっと強いじゃない)
 確かに自分も真実を見つけようと思った。
 だが、まだ自分は甘い。人を殺さずにいられる世界ではない。
「終わったよ」
 そのアルトにエンが声をかけた。
「行こうか」
 エンは背中にシンジを背負っていた。
「エン、あの」
「どうやらアメリカの仕業らしいよ」
 アルトが何を言えばいいのか分からないでいると、エンの方が先に話題を提示してきた。
「アメリカ?」
「シンジくんを誘拐した連中。ヨウ教官の言うところだと、ここに来る途中にも何回か僕たちは狙われていたらしい。それを影から援護してくれていたのが教官なんだって」
「シンジくんを誘拐? アメリカが? どうして?」
「僕も詳しいことは分からないけど、どうやらシンジくんが邪魔みたいだね。可能なら誘拐、最悪の場合は殺害も許可されていたらしい」
「シンジくんが」
「まあ、アメリカが日本を目の敵にする理由は分からなくもないけど。同じ意味でドイツもね」
「ドイツが日本を? そんなこと」
「ああ、説明が足りなかったね。逆。アメリカがドイツを、っていうこと」
 アメリカの考えは、対使徒戦をエヴァンゲリオンなどという限られた武装兵器に頼るのではなく、N2を中心とした熱量兵器に頼って行うつもりなのだ。そのためにはエヴァのシンボル的存在であるチルドレンは抹殺の対象となっても仕方がない。
「結局アメリカは一番油断ならないってことかな」
「エンの中ではドイツはどうなの?」
「僕はそういうところまで考える立場じゃないけど、ドイツと日本は協力できると思っているし、協力したいと思っているよ。アルトがいるしね」
 そこでアルトは顔をしかめる。
「エン。あなたが──」
 言いかけて止まる。そしてやはり、先にその言葉の続きを言ったのはエンだった。
「どうしてノアを殺したのかって?」
 ここに来てからもう何度も尋ねられたこと。もちろん答えられるようなものではない。ノアは今も彼女の中で眠っている。
 劣化種であるアルトが、もし自分の中のノアを知ってしまったら、存在すら危ぶまれるかもしれない。それだけは避けたい。
 一つの体の中に、二つの人格が備わるように教育を受けてきた彼女。しかも薬品によってその人格が完全に固定化され、双子のもう一つの体と情報を共有することすらできた。
 この事実を知ったら、アルトはどうなってしまうのだろう。
「理由はいわなくてもいい」
 だがアルトも譲歩した。だが、続ける。
「でも、これだけは教えて。お姉ちゃんを殺したのは、もしかして、私のためなの?」
 アルトもまた、自分の言葉の意味がよく分かっていなかった。
 エンはとても自分や姉を殺そうなどと考える人間ではない。ただ敵か味方かの区別だけがあって、その中で自分はエンにとって守られるべき存在と位置づけられている。
「私を殺そうとしていたのは、お姉ちゃん──」
「ノアは殺そうとなんかしていないよ」
 何を、とは言わない。
 確かにノアは殺そうとしたわけではない。アルトの意識を消滅させようとしただけだ。
「だからアルトは僕を憎んでいいんだ。ノアを殺したのは僕なんだから」
「もう、そんな風に言うのはやめて」
 アルトはシンジを背負って歩くエンの前に立つ。
「私を助けようとしてくれた。ヤー? ナイン?」
 二択。その質問はエンにとって何より答えづらい。
 確かにアルトを助けようとしたのは間違いない。だからといって真実を語るわけにもいかない。
 嘘をつくのも嫌だ。本当なら嘘をついてでも嫌われ役にならなければいけないのに、それすらできない。
「答えられないよ。だからアルトは、結果だけで僕を憎んでくれていいんだ」
「もしエンが私の命の恩人だとしたら、私は恩人を憎むことになる。それは嫌よ」
「恩人なんかじゃない」
 エンは声を低くする。
「だから、憎んでくれていい」
 ぎりっ、とアルトは歯をくいしばる。
「エンにとって、私は何?」
「何があっても守るべき女の子」
 だがその答はあっさりと帰ってきた。
「今の僕はシンジくんを守ることが一番だ。他のことは全て後回しにしないといけない。でも、シンジくんのことがなければ、僕はいつだって君を守るよ」
 この説明で。
 この説明で、いったい何を分かれというのだろう。
「馬鹿」
 アルトは手を振りかぶる。
「馬鹿!」
 平手の音は高い。エンはそれを避けもしない。
 アルトはそのまま振り返ると「先、行く」と言い残して走り去っていった。
 後に残されたエンはゆっくりとまた歩き出した。
「起きてるんだろ、シンジくん?」
 背中に背負ったシンジがびくんと跳ねた。
「いいよ、気にしないで。それに、アルトはともかく僕の方はなんとか踏ん切りがついたから」
「あ、うん。ごめん、なんか立ち入ったことを聞いちゃって」
 もう歩けるよ、と言うがエンはかまわずにそのまま歩く。
「日本に帰ったら、ゆっくりと話をしてもいいかな」
「え」
「シンジくんに、聞いてほしいんだ」
 エンの中で何が起こったかは分からない。だが、心を開いてくれているのは間違いない。
「僕でよければ」
「ありがとう」
 そうして、エンはそのままシンジを部屋まで背負っていった。






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