「納得いかないわ」
 惣流・アスカ・ラングレーはご立腹だった。
 日本から来たサードチルドレン。彼はどこまでチルドレンとしての責任を感じているのだろうか。チルドレンたるもの、世界を救うための使命を最も強く感じなければならないというのに、彼からはそれが微塵も感じられない。
 ただシンクロ率が高ければチルドレンになれるのか。だとしたら自分がこれまで努力してきたことはいったい何だったというのか。
 まだ適格者などのシステムが整う前から、自分はいつかエヴァンゲリオンに乗るために訓練を積んできた。ファーストチルドレンの座は取られてしまったが、それは最初にシンクロしたというだけの話。今のファーストチルドレンよりもシンクロ率の高い者は何人もいる。
 そして自分は、適格者試験を受けてチルドレンとなった最初の人間。名目こそセカンドチルドレンだが、それは誰よりも早くチルドレンとしての資格を手に入れた証なのだ。
(それが、何。あんな何も考えてない奴がサードチルドレンだなんて)
 サードチルドレンのことは、いや、碇シンジという少年のことは、彼がランクBでとんでもないシンクロ率をたたき出したときから注目していた。
 能力は低い。だが、シンクロ率・ハーモニクスともに尋常ならざる数値だ。自分とて一回目から四〇%もの数値を出していたわけではない。起動ぎりぎりの十八%。それが惣流・アスカ・ラングレーの初回数値。彼の半分に満たない。
 ランクBで足踏みの危険すらあった彼女にとって、シンジの初回シンクロ率は嫉妬以上の何ものも生まなかった。
 何故ネルフに入る前から訓練してきた自分が十八%で、訓練結果が高くない少年が四〇%。納得いくはずがない。
 だからこそ少年への想いは募った。きっとこの少年は、今まで能力的な問題でランクBまで来ることはかなわなかったが、その分世界を救うための思いは強いのだろう、そして高いシンクロ率を世界の平和のために使ってくれるのだろう!
 それが、何なのだ、いったい。
 自分が挑発しても、クラインに決闘を申し込まれても、全く何とも思っていない。
 あまつさえ大事なミーティングをすっぽかすという始末。
 この少年は本気で世界を救う気があるのか。
 碇シンジは、チルドレンという身分をどう考えているのか。
「直談判しかないわね」
 納得がいかないままでいるような惣流・アスカ・ラングレーではない。
 彼女の美学は、常に完璧であることだ。完璧ではないチルドレンなど、必要ない。












第陸拾弐話



消せない疵が傷むから。












 いい汗をかいた四人は笑顔でヴィリー、メッツァと別れた。二人とも言葉は通じなかったが、やはり笑顔で応えてくれた。
「いい人たちだね」
 シンジが言うと、アルトが嬉しそうに「ええ」と答える。
「自慢の友人ですから」
「ふうん。男女の間で友情だけってありえるのかしらね」
 リオナが野暮なことを聞く。
「私と二人の間にですか? そうですね、私がもし好きになるとしても、二人ともカッコイイですから優劣決められないですし」
「あらあら」
「それに、二人とも別に彼女がいますから」
「そうなの?」
「ええ。それはもう、溺愛ぶりではいい勝負です」
 なるほど、他に彼女がいるのに別の女性に手を出すようなことは普通ありえない。
「それにしても、けっこう遅くなっちゃいましたね」
 部屋の近くまで来て言う。明日も朝からミーティングだ。
「うん。今日は朝からずっと動いてたし──」
 と、言いかけて言葉が止まる。
 その部屋の前にいた、赤い髪の少女と目があったからだ。
「遅かったじゃないの、サード」
 いい気分だったのが途端に台無しになる。どうしてこうも敵意満面なのか。
「どうしたんですか、アスカさん」
「サードに用があって来たのよ。ちょっと借りてくわよ」
 近づいてシンジの胸の辺りをつかもうとするアスカ。だがエンがその二人の間に割って入る。
「何よ」
「僕はシンジ君のガードですから」
「アタシがサードを痛めつけるとでも言うつもり?」
「今の様子では、そうとしか取れませんね」
 エンも敵意むき出しで対峙する。
「ランクBなんておよびじゃないのよ。どいてなさい」
「僕はシンジ君を守るのが任務です。相手がランクAだろうがチルドレンだろうが関係ありません」
「うるさいわね。アタシはアンタじゃなくて、サードに用があるの。いいから黙ってなさい」
「アスカさん」
 苦笑してアルトが間に入る。
「目的を言わないのでは、相手も警戒するだけですよ」
「何よ、アルト。アンタもこいつらの仲間ってわけ」
「そういうわけじゃ」
「遠慮しなくたっていいわよ。アタシのお目付け役だなんて迷惑だって思ってるんでしょ? そりゃ日本の仲間と一緒にいた方がいいわよね」
「やめろよ!」
 だが、その言葉をシンジがさえぎる。
「何よ、突然」
「アルトさんに謝れよ」
「はあ?」
「アルトさんは惣流のことすごい考えてくれてるのに、その言い方はないだろ。謝れよ!」
 アルトがどんな思いでここにいるのかなど、シンジに推測できるはずもない。だが、彼女はジークやメッツァという仲間と一緒にいるのが楽しいだろうし、また孤立しがちになるチルドレンのために行動するのが自分の任務だと考えているだろう。
 それなのに、当のチルドレンがそれを真っ向から否定するようなことを言うのではアルトがあまりにかわいそうだ。
「なに、アンタ、この子に惚れたの?」
「そういうことじゃない。惣流はアルトさんがどういう思いで一緒にいてくれるのか、考えたことはあるのかよ」
「いいんです、シンジくん」
 アルトが逆にシンジをなだめる。
「アスカさんから見れば私はいらいらするようなことをしてますから」
「そうよ。分かってればいいのよ」
 が、その『自分に従うのが当然』という態度がさらにシンジを怒らせる。
「いい加減にしろよ」
 シンジの目が据わっている。本気だ。
「何でも自分の思うとおりになると思っているなら大間違いだ」
「何よ。やろうっていうの?」
 が、アスカは逆に冷静になって目の前のサードチルドレンを観察する。
 今まで何を言っても反応しなかった少年が、アルトを攻撃された瞬間に態度が変わった。
 つまりこの少年は、自分のことなどどうでもよくて、自分と親しい人間への攻撃を許さない、他者を優先するタイプなのだ。
 まあ、アルトやエンの態度にムキになってしまったのは認めるが。
「話聞いてると、すごいいらいらしてくるのよね」
 その話題に今度はリオナも混じってきた。
「自分が世界の中心だとでも思ってるのかしら? 馬鹿みたい。たとえチルドレンだろうと適格者だろうと、代わりなんていくらでもいるのにね」
「馬鹿なこと言ってるんじゃないわよ。私は世界で一番エヴァを操れる人間よ? アタシの代わりがどこにいるっていうのよ」
「ここにいるじゃない」
 リオナがシンジの肩をぽんと叩く。
「初期シンクロ値が一番高いのが誰かなんて、全世界のランクB以上の適格者なら誰でも知っていることでしょう?」
「そうね。でもランクAになってからのシンクロ率が下がったのはランクBの人間は知らないでしょ?」
 ランクAの数値はランクB以下の適格者には原則非公開となる。無論、当事者同士で教えあえば話は別だが。
「問題はそいつが、使徒戦までにアタシと同じレベルにたどりつくのか。たどりついたとしてもアタシは幼いときから訓練を積んできたプロよ。同じシンクロ率ならどちらが強いか、火を見るより明らかよね」
「そんな言葉でごまかしても駄目だ」
 シンジはなおも睨みつける。
「アルトさんが惣流のことを思ってくれているのに、そんな態度を取るのは人として間違ってる」
「何馬鹿なこと言ってんのよ。アンタ、チルドレンとしての自覚あるわけ?」
 突然話題を変えられ、シンジは戸惑う。
「あのね、使徒戦っていうのは生死をかけた勝負よ。その中で一番危険なのは誰だかわかってる?」
「僕たちだろ」
「そうよ。ランクBでもAでもない。チルドレンが最前線に立って戦う。つまり、一番使徒に接する機会が多いのはアタシとアンタよ」
「それが何の関係があるっていうんだよ」
「大ありよ。使徒にとどめをさすのはアタシかアンタってことでしょ。ランクBもAもみんなそのためのサポートにすぎない」
「だからって苛めていいっていうのかよ!」
「違うわ。本当に分かってないのね」
 はあ、とアスカはため息をついた。
「多分、他の三人の方が分かってそうね。そこのガード」
 エンが指名される。少し気分が悪かったが答えた。
「なんでしょう」
「アンタ、サードが危険な目にあったらどうする?」
「助けます」
「その結果、自分が命を落とすことになっても?」
「当然です。それが僕の任務ですし、僕自身がそう願っています。僕はシンジ君が使徒を倒すための盾になるのが役割です」
「ほら、周りの人間の方がずっとよく分かってる。でもアンタは分かっていない」
「何が」
「ランクBやAの人間は死ぬ覚悟があればそれでいい。でもアタシたちは違う。死ぬ覚悟でやるのは当然だけど、アタシたちは生き残って使徒にとどめをささなければならないのよ。もし使徒を倒すのに犠牲が必要だったら、アンタ、それを冷静に命令できる?『今から使徒を倒すまで組み付いて動きを封じておいてくれ。お前ごと使徒を殲滅する』ってアンタの仲間に向かって言えるの?」
「何言ってるんだよ。そんなの」
「アタシは言えるわ」
 堂々とアスカは言い切る。
「ひどいよ、そんなの」
「そうね。でも一人の犠牲で世界が救われるのよ。少なくとも適格者はその覚悟があって入ってきたものだと思ってるわ。だからアタシは使徒を殲滅するために味方の犠牲が必要だというのなら、その命を捨てる覚悟を持って臨んでる。アルト、アタシの前に出て盾になって。ヴィリー、アタシが行くまで使徒をそこから動かさないで。メッツァ、A.T.フィールド全開で持ちこたえて。クライン、敵の攻撃をアタシの代わりに受けて。アタシはその犠牲に応えてでも使徒を殲滅する。それが役割よ」
「そんなの、そんなのを平然と受け入れるなんておかしいよ!」
「世間一般の常識が通用するところじゃないもの。アタシも含めて、ネルフに所属している人間全てが代わりのきく存在よ。そしてアタシは、その中で犠牲を少なくするために日夜努力しているわ。はっきり言うけど、アタシはこのドイツ支部の誰よりも訓練し、誰よりも使徒殲滅に命をかけている自信がある。だから犠牲が必要だと判断したら、ためらわずにそう命令するわ」
 ふう、とアスカが言い切る。
「それが、覚悟、というものよ」
「そんな覚悟なら僕はいらない。仲間を犠牲にして世界を平和にするなんて、間違ってる!」
「だったらその貧弱な体をなんとかなさい!」
 一喝。
 シンジもアルトも、そしてエン、レミ、リオナとも、誰もアスカに反論ができなかった。
「いい? アンタが今言っているのは単なる理想、綺麗事よ。戦いがあれば大なり小なり犠牲は出る。それを最小限に抑えるのが指揮官の役割。でも、一人ずつの力が強ければその犠牲は少なくすむわ。アタシはそう考えて、誰にも負けないだけ訓練をしている。アタシがこの性格で、どうしてアルトやメッツァ、ヴィリーが背かないか、考えたことないでしょう。アタシも自分の性格なんか重々承知よ。でもね、アタシは適格者として、チルドレンとしてその覚悟と使命を真正面から受け止めて逃げない。だからみんなアタシに協力してくれる。その命を捧げてくれる。アタシはそれに応える必要がある。でもね」
 アスカが顔をしかめた。
「アンタ、友達に『自分のために死んでくれ』って言いたい?」
 その顔が、どこか泣きそうに見えた。
「自分の命令で相手を殺さなきゃいけない相手と友達になんかなれない。なりたくない。いくらアタシに覚悟があるからって、アタシはそこまで強くない」
「アスカさん」
「アルト。アタシはアンタを殺すわよ。これから始まる使徒戦の中で、アタシは絶対にアンタたち四人の命をもらう。でもそのかわり、必ず使徒は殲滅する。それがチルドレンに課せられた使命なの。それが嫌なら、そのお優しいサードのところにさっさと行くことね。日本国籍なんだから、日本に行けばランクA適格者として仲良くできるでしょ?」
 冷たい口調で言う。だが、そこにはもう、先ほどまでアスカに対してもっていた偏見はない。
 この姿勢は、ただのプロテクトだ。プロテクトをはずせば、いざというときに躊躇いが生じる。仲間を殺すことで悲しまなければならなくなる。
 だから彼女は、誰からも孤立することを選んだ。
「分かってます」
 アルトは頷いた。
「メッツァもヴィリーも、分かってます。二人ともアスカさんのことを『ドイツの誇り』だと言ってます。私たちはみんな、アスカさんのサポートをするためにいるんですから」
「そういうこと……分かった、サード?」
 そして、睨みつける。
「ヌルい考えでチルドレンなんてやられたんならたまんないって言ってんのよ。本気で世界を救うっていう考えがないなら、さっさとチルドレンなんかやめなさい。いざというときにアンタに足を引っ張られたんじゃかなわないもの」
 シンジには何も言葉がない。
 確かに今までの自分は表面的だった。アスカのように深く考えて行動したことなどない。いつも流されるままで、こんな立場、いつでも投げ捨てたかった。
「でも僕は、仲間を殺したりはしない」
 そんなシンジが唯一言えることがあるとすれば。
「僕は仲間が殺されるくらいなら、自分が死んだ方がマシだ」
 アスカの顔から表情が消える。
 そしてゆっくりため息をついた。
「甘いわね」
「わかってるつもりだよ」
「分かってないわね。それはアンタが今までずっとぬるま湯に浸かってたせいよ。保護者のせいかもしれないけど、よくそんな考えでやってこられたわね」
 父親はただ命令するだけだった。自分のことなど考えても──いや。
(……父さんも、同じ、だったりするのかな)
 今まで、自分のことを見向きもしなかった父。
 だが、アスカと同じように、やがてチルドレンとなる自分の子供を可愛がってしまうと、死地に送り出すことができなくなるというのだとしたら。
「ま、いいわ。そんな論争をやっても無意味そうだから。ま、明後日の実験を楽しみにしてなさい。面白いものを見せてあげるわ」
 アスカはつまらなくなったというように踵を返した。






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