「ふう」
 シンジはシャワーから出てきていきなりため息をつく。
 それをベッドに腰かけて座っていたエンが苦笑しながら尋ねた。
「どうしたの、シンジくん」
「いや、なんでもないよ」
「さっきの、惣流さんの話だろ?」
 シンジはうつむく。そんなに分かりやすかっただろうか。
「あまり気にすることはないと思うよ。チルドレンっていっても、惣流さんとシンジくんとの立場は全然違うものだし」
「違う?」
「チルドレンとしての教育をどれだけ受けているかっていうこと。綾波さんはエヴァのテスト生っていう立場、惣流さんはエースパイロットとしての立場。それぞれチルドレンには自分の役割が与えられているけど、今のところシンジくんにはそうしたものはないだろ?」
「でも、僕だってシンクロ率を認められてチルドレンになったわけだし。
「惣流さん以上のスピードでね。つまり、上層部はシンジくんにそういう期待をしているっていうことだよ。言われてないことまで背負う必要はないよ」
「まずはシンクロ率を上げろっていうこと?」
「そういうことかな。惣流さんはもう実戦に出られるレベルまでシンクロ率が高まっている。だからこそチルドレンとしての教育はもっと高度なものになる」
 つまりシンジはまだそこまでのレベルに達していないということだ。
「早く追いつかないと」
「そういう気持ちになれるのはいいことだよ」
 エンの言葉にシンジは小さく頷く。
「それはそうとさ」
 エンは笑顔で尋ねた。
「もう日本は深夜になると思うけど、美綴さんからメールが届いているんじゃない?」












第陸拾参話



遠い異国の彼の人は












 言われてシンジはすぐに端末を起動させる。
 IDとパスワードさえ入れれば誰でもメーラーを使うことができるのはありがたい。しかも適格者のメールはMAGI直轄のため外部に漏れ出る心配がない。
(カナメ)
 期待してメールを見ると、そこには新着二件の表示。
(カナメと、それから──)
 コウキからのメールだった。少し考えてからコウキのメールを開く。


[from Kouki Nosaka]
件名:ドイツ人はどいつだ?
いよっ! 愛と勇気の配達人、野坂っす。
ぎりぎり寝る前にメールを書いてるんだぜ。
理科の授業の宿題が大変でなあ(笑)。
すいみん時間が取れないっつーの。
にしても、お前がドイツに行って一日。
気になるっつーか、からかう相手がいないっつーか。
お土産、期待してるからな。
つかれてるかもしれないけど、メールはきちんと寄越せ。
ケガだけはしないようにな。
ろ!←おやすみの挨拶(笑)。


 特別何ということはないメール。
 が、何か変な感じがする。
 伝えたいことがあるというわけではない。
 このメールを送ることでいったい何がしたかったのだろう。
「どうかした?」
「なんか変なの。コウキのメールなんだけど」
「見てもいいのかい?」
「うん」
 それを見てエンは首をかしげていたが、やがて真剣な表情に変わる。
「どうかした?」
「いや、確かにこれならハッキングされても分からないな、と思って」
「ハッキング?」
「警告文、ていうことかな。向こうで何か調べがついているのかもしれない」
「でもメールで送ると誰かに見られるかもしれないっていうこと?」
「そう。だからメールに細工した」
「細工?」
「シンジくんは知らなくても大丈夫。これはガードの僕がわかっていればいいことだから。逆にシンジくんはメールの意味が分かると、相手を警戒するかもしれないし」
 それは確かにそうかもしれない。
「じゃあ、僕は何も知らなくていいの?」
「うん。シンジくんは僕が守るよ」
「ありがとう、エンくん」
 そしてシンジはこのメールについては考えないことにして、続けてカナメのメールを開いた。


[from Kaname Mitsuzuri]
件名:さびしいよ
こんばんは、シンジくん。
毎日顔を合わせていたからかな、一日会えないっていうのが寂しいね。
今日は訓練中にもぼーっとしていて、教官に怒られました。
こんなこと言っても仕方のないことだってわかってるけど。
会いたいね。
シンジくんが帰ってくるのを、首を長くして待ってます。
カナメより。


 今度は熱烈ラブコールだった。読んで思わず顔を赤くする。
 シンジは少し考えてからすぐにメールの返信を打ち始めた。
 今日あったこと、いろんな人との出会い、そして──カナメに会いたいという気持ち。
 全てを載せたメールは明日の朝にはカナメが読むだろう。
 カナメは次に何と答えてくれるだろうか。
 楽しみだ。






 四月四日(土)。

 食事を終えたチルドレンたちが行うのはミーティングだ。明日の起動実験、さらには今後想定される使徒戦に対する意見交換。本部とドイツ支部との間での誤差を少しでもなくすことが目的だ。
 その点、ドイツの適格者たちの意識は高いと言わざるを得ない。五人ともが自分の役割をはっきりと分かっていて、アスカ以外の四人はいざというときに盾になって死ぬこともためらう様子はない。
 無論、ガードの四人は初めからその意識が高い。ただ、レミやトウジについてはそこまでの意識というわけではない。自分たちがどう動けばいいか、何をすればいいのかということは考えたこともなかった。
 一矢報いたとすればヤヨイだ。
「犠牲をためらわないのは、あまり上策ではないわ」
 ヤヨイの考えはドイツ支部と真っ向から反発するものだった。
「最初の使徒で犠牲が出たら、次は少ないエヴァで立ち向かわなければならない。碇くんや惣流さんを助けるために犠牲が必要なら仕方ないことだけれど、使徒を倒すために誰かが犠牲になるという考えは持たない方がいい」
「でも使徒を倒さなかったら未来はないのよ、わかってる?」
「犠牲を払わずに倒す方法を見つけるのが作戦部の仕事。私たちは作戦部の言いなりになって戦う兵士。犠牲になる覚悟はもちろん持っておく必要がある。でも、命を粗末にすることは間違っているわ」
 ヤヨイもこんな真剣な話ができるのかとシンジは正直驚く。昨日は自分もレミも完全にアスカに言いくるめられたが、ヤヨイはそんなものは関係ないとばかりに自論で立ち向かう。
「僕も同意見です」
 シンジが手を上げる。
「というより、僕の役目は使徒を倒すことかもしれませんが、もし惣流が攻撃役に立ってくれるなら僕が防御役に回ればいい。犠牲を出さないために戦う兵士がいた方が、その次の使徒戦で有利に戦えます」
「あんたバカァ!? 一気に敵を叩きのめした方が犠牲が少ないに決まってるでしょ!」
 が、アスカの意見を制止するように発言したのはメッツァだ。ドイツ語であれこれと話すとアルトが翻訳する。
「メッツァは序盤に犠牲者を出せば、後で強い使徒が出てきたら不利になる。序盤は慎重策の方がいい、と言っています」
 なるほど、ドイツ適格者たちも盲目的にアスカのためというわけではなさそうだ。そのあたりの状況把握力は高いということだろう。
「でも、シンクロ率の低い僕らは使徒と直接戦うことはできない。それこそ足手まといになる」
 流暢な日本語で話すのはクライン。
「だから盾になると言っている。もちろんフロイライン・アスカは僕らの命を粗末に使うようなことはしないだろう。人類の未来のために、僕らの命一つのかわりに必ず使徒を一体、倒してくれる」
「万が一の盾役と、サポート役とをある程度分けておいた方がいいよね」
 レミが続けて発言する。
「なるほど、どのみち後方支援しかできないのでしたらそれもいい考えですね」
 アルトが頷いて答える。
 こうして適格者たちが戦術的なことを話し合うのは有意義なことだ。それは戦術を理解することによって、作戦部からの指示が確実に伝わることになるからだ。
 そうして昼前までミーティングを行い、終了したところでクラインが言った。
「さて、昨日も言ったとおり、決闘を受けてもらおうか」
「なんやお前、まだ言っとんのか」
「お前には聞いてない。さあ、碇シンジ。決闘を──」
「何度も言わせないでもらえるかな」
 だが、クラインとシンジの間にエンが割り込む。
「先に僕を倒さないと、シンジくんと戦うことはできないんだよ」
 だがクラインは「ふん」と笑った。
「というわけですが『訓練』を認めていただけますか、フロイライン・ミサト」
「ええ。『訓練』なら構わないわよ。で、場所は?」
「もちろん、ちゃんとしたところでつけましょう」
 そうして、ドイツと日本の格闘ランクS同士の決闘が行われることとなった。
 場所は格闘訓練場。チルドレンや適格者ランクAたちが一斉にやってきたこともあって、ドイツのランクB適格者だろうか、彼らの動きが完全に止まる。
 訓練なので、きちんとグローブとメットをつける。
「ルールは?」
「無制限一本勝負。急所攻撃はなし」
「オーケイ」
 無論使徒相手に急所攻撃なしなどというルールは存在しないのだが、さすがに人間同士で戦いあうときはそれが致命傷になることもありうる。
「さ、始めようか」
 クラインが小柄な体の割に引き締まった肉体で構える。
「言っておくけど、クラインは強いわよ。アタシなんかじゃ全然勝負にならないくらいにはね」
 それを見学している適格者たち。アスカはクラインの実力を褒めたが、反論は意外にも身内から来た。
「でも、クラインよりエンの方が強いと思います」
 アルトがはっきりと答える。
「何よ、肩持つわけ」
「そういうわけじゃないんですけど」
 アルトは少し悲しげに言う。
「エンはもっと子供のときから、とっくにクラインよりずっと強かったと思います。それからさらに訓練がされているんだったら、今のエンは常人離れしているはず」
 だが、今までエンはリオナやマキオなどの同じ格闘ランクSの相手に敗れている。
 エンが強いのは分かるのだが、アルトが言うほどの絶対的な強さがあるのだろうか。
「僕は」
 エンは構えない。
「戦うことがもともとあまり好きじゃない。だからかな、こんなに技術が鍛えられたのは」
 ノーガードで一歩クラインに近づく。
「なんだ、勝負を諦めたのか?」
「そう思う?」
「ふん!」
 クラインがダッシュで駆け寄ると、手、足と次々に攻撃を繰り出す。が、クラインの攻撃をあっさりとエンは回避していく。
「これなら!」
 相手の腕を極めようとしたのかつかみかかりに行くが、それもするりとかわされる。
「動きだけは一人前──」
 言いかけたそのクラインの顔面に、高速のジャブが入った。
「え?」
 見えなかった。
 観客たちの誰も、その一瞬の攻撃を見逃した。
 そして、エンの体が翻る。大きく振り上げられた足が、クラインのメットをしたたかに打った。
 脳震盪を起こしたクラインはその場に膝をつき、脂汗を流して荒く呼吸する。
「本当に鍛えるっていうのは、こういうことだよ」
 エンの息は少しも上がっていない。
 これがエンの『本気』。今まで日本では見せたことのない姿。
「すごい」
 同じランクSのリオナが体を震わせる。
「今のエンくんだと、私はまるで勝てる気がしないわ」
「当然です」
 リオナの独白にアルトが答える。
「エンはあれでもまだ、力をセーブしています」
「あれで!?」
「ええ。だって、エンが本気を出したら、クラインは一撃で死んでます。エンはそれだけの訓練を積んでいる人ですから」
 改めて全員がエンの方を見る。
 だが当の本人はいつもの笑顔でシンジに手を振った。






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