『お前の任務は何か、分かっているか』
「はい。日本から来ているサードチルドレンの監視、そして彼を我が国へ招くことです」
『そうだ。そのために障害になる者は多い。心せよ』
「はっ」
『何人か、頼りになるものを連れていくがいい。最低限、サードに不審を抱かれないようにせよ。お前ならばそれができるはずだ』
「かしこまりました」
『では、行け』
「はっ!」
第陸拾肆話
閃光のように輝いて
あっさりと勝負がついた格闘場から、一行は食事を取りにハンブルク市内へとやってくる。
もちろんネルフのガード付き、さらにはアルトの案内付きだ。
「ハンブルク市内ならだいたい安全だとは思いますけど」
アルトが説明するが、核心的なことは言わない。何しろ昨日シンジが誘拐された件は一部の人間しか知らないことだ。
「そうは言うたかて、まさかネルフ支部のまん前で誘拐とか襲撃もないやろ」
(あったんだけどね)
トウジの言葉に、シンジとエンは顔を見合わせて苦笑する。それもまん前どころかど真ん中だ。
「で、いったいどこへ連れてってくれるんだ?」
ケンスケが尋ねると、ネルフ専用バスが出発する。
「ハンブルク・ミッテ区はネルフができたおかげですごい再開発されたんです。アルスター川南にネルフ支部、川の北にはたくさんのレストランがあって、ネルフ職員はよくそこに食事に行くんです。食堂だけじゃやっぱり飽きますから」
「じゃあ美味い店とかもたくさんあるわけや」
「はい。今日は日本人の私でも口に合うところへお連れします」
「あ、それ嬉しい。ボクもう一日で日本食が恋しくて恋しくて」
「館風は色気より食い気やな」
「その言葉そっくりそのまま返してあげる」
バスはとても和やかな雰囲気だった。アルトに対する最初の反応は既になくなっていて、同じ仲間のように振舞っている。
とはいえ、昨夜アスカに言われている四人にとっては、決して仲間ではないということがわかっている。アルトは今は自分たちと一緒に行動してくれているが、あくまでもアスカの味方なのだ。
川を越えて、バスは少し大きめの停留所に止まる。ネルフ以外のバスも止まる一般の停留所だ。
「ここから少し歩きます。ハンブルクの町並みを少し楽しんでくださいね」
直接店まで行かなかったのはアルトの心遣いだったらしい。見知らぬ街を引き回されるのではなく、少しは自分で歩いた方が風情を感じる。もっとも、
「早う食事にしてほしいのう」
「やっぱり鈴原くんは色気より食い気ね」
トウジの言葉にリオナが言うと、全員が笑う。そういう役回りなのだろう。
「さ、こちらです」
アルトが案内すると、すぐ隣に並んだのはシンジだった。
「高いビルが多いね」
「はい。第三新東京ほどではありませんけど、ビルのいくつかは兵装ビルになっていて、エヴァンゲリオンによる市街戦も想定された街づくりにしてあります」
「さっき、再開発したって言ってたけど」
「はい。あの第一、第二使徒の攻撃でハンブルクも全壊に近かったそうです。で、ネルフ支部を作るのと一緒に、一気に再開発することになりました」
「でもミュンヘンの方がずっとひどいんだよね」
「あそこは今でも、草一本生えません」
アルトが顔をしかめる。
「無人偵察機であの辺りの様子をよく見ますけど、ただの荒野です。その真ん中にぽつんと立っているのが【ミュンヘンの石碑】です」
もちろんその内容はシンジたちもよく知っている。十五年後に十五体の使徒を送り込むという内容が古代ヘブライ文字で描かれているものだ。
「いよいよ今年、ですからね」
そう。第一、第二使徒が消えて、ミュンヘンの石碑が現れてから、今年が十五年目。否応なしに世界中で緊張が高まっている。
そのときだ。
「キャアアアアアアアアッ!」
悲鳴。全員が、はっ、とお互いの顔を見合わせる。どこからだ。
「そっちだ!」
エンが指をさした建物の間。そこにトウジとリオナ、そしてシンジにアルトが次々に飛び込んでいった。
「Help me!」
昼の街中でいったい何が行われているのか。
路地裏にやってきた一同が見たのは、黒い服を着た男たちに追われている一人の金髪の女の子だった。
「何だ!?」
女の子は迷わずシンジに飛びついてきた。
「Help, help me!」
「あ、だ、大丈夫。大丈夫だよ」
そして、追ってきた男たちがシンジたちの前に立ちはだかる。その数、四人。
「古城くん、やれる?」
リオナが尋ねる。
「もちろん。清田さんこそ油断しないで」
「ええ。ほら、相田くんも、谷山さんも、出番よ!」
「ああ、ガードの役目ってこういうときのためにあるんだからな」
「ランクAのみんなには指一本触れさせないわよ」
ガード四人がそろって前に出る。黒い服の男たちはお互いに顔を見合わせて何事か話し合うと、身を翻して駆け去っていった。
「逃げたか」
「子供とはいえ、さすがに人数が多いと悟ってくれたかな」
「それにしてもいったい何が」
「Oh, thank you!」
金髪の少女は笑顔で再びシンジに抱きつく。
「ちょ、シンジばっかり何で役得やねん。追い払ったのは古城や清田やろ」
「そうですね。どうも英語で話されているようですが──!」
アルトが言うと、その目の前で、金髪少女はシンジに口づけていた。
「な、な、な、何しとんねんー!」
シンジは突然のことに目を白黒させている。
「ちょ、ちょっと!」
「アハハ」
ぺろっ、と金髪少女は舌を出した。
「Thank you, Third!」
サード? と全員の頭に疑問符が浮かぶ。最初に気づいたのはアルトだった。
「あなた、イギリスの」
「ハーイ、Nice to meet you, Everyone!」
今まで追われていたのが嘘のように、明るい笑顔だった。
「私、サラ。サラ・セイクリッドハート」
「サラ・セイクリッドハート」
もちろん、適格者たちのほとんどは、つまりシンジ以外全員は、その名前を知っていた。
「イギリスの、ランクA適格者」
「はじめまして。日本語、ちょっと分からないけど、かんべんね」
いや、充分上手だ。アクセントがたまに変なところはあるが、全然問題なく聞こえる。
「でも、感激。助けてくれたの、Third children。こんなところで会えると思ってなかった」
「あ、えーと」
「サラでいいわ。よろしく」
「あ、うん。僕は碇シンジ」
「よろしく、シンジ!」
サラは強引にシンジの手を取っておもいきり振る。
「そのあたりにしてください。シンジくんが困っていますから」
エンがその間に入り込んで、サラとシンジを離す。
「Sorry、それと、あなたも助けてくれてありがとう。well...」
「古城エン。エンでいいですよ」
「Thank you, En」
「どういたしまして。それより今の男たちは何者ですか。追われていたようですけど」
「さあ? どこの国のかは知らないけど、私を消してしまいたいヤツがいるってことでしょ」
シンジもエンも、すぐに頭の中に【アメリカ】という国が浮かぶ。だが、アメリカはイギリスを相手にするだろうか。アメリカが現在最も敵対意識を燃やしているのは日本のはず。
(それとも、全ての国のランクA適格者を対象に攻撃を開始したか)
シンジがそう考えてエンを見るが、彼は軽く首を振った。
(違うの?)
エンはあいまいに笑うだけだ。いったいどういうことなのか、シンジには分からない。
「でも、本当に助かったわ。ガードが一緒だとどうしても羽根を伸ばせないから、ガードを撒いてきたんだけど」
「は?」
「やっぱり一人で行動した途端に襲われるんだもん。ネルフの保安部がいかに優秀か、分かるわね」
「ちょっと待ってください。サラさんはガードを」
「うん。やっぱり知らない街はのんびりと見て回りたいじゃない。だから」
だから、じゃない。
この少女は適格者としての自覚があるのだろうか。自分たちですら、ランクA適格者のガードに何人もついていて、現状でさえ黒服が始終自分たちに目をつけているというのに。
「イギリスのプリンセスとして名高いサラさんが、こんなお転婆姫だったなんて」
アルトがため息をつく。どういう意味、とサラが頬を膨らませる。
「お転婆ってほどじゃないわよ。ただもっと自由にやらせてほしいって思ってるだけよ」
「それで自分の命を危険にさらすのは、適格者としての自覚が足りないと思います」
さすがにその辺りは厳しいアルトだ。セカンドチルドレンの覚悟が高すぎるということもいえるだろうが。
「でも、ネルフはいろいろと制限が厳しいから、気持ちは分かるよ」
と、シンジが助け舟を出す。
「やっぱり! シンジは分かってくれるわよね!」
サラが勢いよく抱きついてくる。
「ちょっとちょっとサラさん。碇くんが困るから、それ以上はやめてくれないかなあ」
リオナが言ってシンジを引き剥がす。
「あら? もしかしてシンジの彼女さん?」
「そうじゃないけど、碇くんは日本に彼女がいるから」
「へー。やっぱり。シンジ、モテそうだもんね」
シンジは目を丸くする。そんなことは一度も考えたことがない。
「そんなことないよ。僕はそんなに好かれる人間じゃないし」
「何言うてんねん。センセの良さは誰よりもワシらがよく分かっとるで」
「そうそう。シンジはすぐに自分を卑下するのがよくないところだよな」
トウジとケンスケが言って、エンも頷く。さらには、
「ボクもシンジが大好きだよ」
「私も碇くんのことは気に入っています」
「私もシンジくん大好き」
「……モテモテ」
レミ、リオナ、マイ、ヤヨイとさらに援護射撃。
「これだから美綴さんもライバルが多くて大変だね」
エンが苦笑して言う。アルトも破顔する。
「私も日本にいたらシンジくんに惹かれてただろうなあ」
「紀瀬木は古城一筋やろ」
また地雷。トウジは何故か自分から地雷を踏みに行きたがる。部分的なツンドラがトウジを凍らせる。
「へー、本当にシンジって、みんなに愛されてるんだ」
にこにこ笑って、サラはまたシンジの腕を組もうとする。
「あ、そうだ!」
と、その間に割り込むようにしてレミが話しかける。
「サラさんが無事だっていうこと、ネルフに連絡しないといけないですね!」
「んー、別にかまわ」
「そうですね。私から連絡をしておきます」
アルトが言うとサラは「ぷう」と不満をもらした。
「せっかく羽根を伸ばせると思ったのに」
「でも、みんなに心配させるのはよくないよ」
シンジが言うと、サラも小首をかしげて「OK」と言う。
「確かにみんなを困らせるのはよくないもんね。分かった、連絡していいよ」
ちょっと悲しそうな表情を見せて言う。そういう態度に来ると、逆に悪いことをしている気になる。
「ええとさ、僕たちと一緒にいるから大丈夫っていうことにしておけばいいんじゃないかな。一緒にネルフに戻ればいいわけだし」
「まあ、そうですけど」
アルトが少し不満そうにしてから「分かりました」と答えた。
「シンジ、優しい!」
「だって監視付きだけど、僕らも羽を伸ばしてるわけだし」
「全く、シンジくんは余計に優しいんだから。ちょっといい?」
レミは少し険しい顔で、シンジをサラから引き剥がして、みんなと距離を置く。
「な、なに、レミ?」
「アポロンの逆位置の話、覚えてる?」
小柄なレミが、少し背伸びするようにしてシンジの耳元にささやく。
「え、あ、うん」
「初めて会った人が仲良くしてくるのは、あまりよくない前触れだから、気をつけて」
「え、それって」
「イギリスのランクA適格者が、サードチルドレン限定で気に入るって、何か裏があると思わない?」
「そんな、サラさんが何か企んでるっていうの? あんなに元気なのに」
「分からない。でも、シンジくんは、初めて会う人をそんなに簡単に好きになれる?」
確かに、自分がいくらおくてだからといっても、それはあまりに出来すぎな気がしてくる。
「とにかく、気をつけてくれていればいいから。エンくんも何かおかしいと思ってるみたいだから大丈夫だと思うけど」
「分かった。ありがとう、教えてくれて」
「ううん、シンジくんが余計なことで悩んだりするの見たくないし、もしサラさんが本気でシンジくんのことが好きなんだとしたら、今度はカナメちゃんがかわいそうだし」
「大丈夫だよ。僕はカナメ一筋だから」
そう言うと、逆にレミの方が顔を赤らめた。
「シンジくん、言うときは言うんだなあ」
さすがにこれだけいろいろなことが重なると、多少は耐性もできるというものだ。
「それじゃ、戻ろうか。おなかも空いたし」
「そうだね。ボクもぺこぺこ」
そうして二人はみんなのところに戻る。
「サラさんのことはネルフに連絡しておきました」
戻ってきた二人にアルトが告げる。
「ありがとう。やっぱりアルトは頼りになるね」
「そう言ってくれると嬉しいです」
アルトがにっこりと微笑んだ。
「じゃ、その美味しい店に向かってしゅっぱーつ!」
サラが先頭に立つ。
「おー!」
レミがその隣につく。そして振り返り、シンジに視線を送る。
(もしかして)
サラの監視をしてくれる、ということだろうか。
(まったく、みんなには迷惑かけてばかりだな)
だが、そうやってみんなが自分のことを気にしてくれるのは嬉しい。
あとは。
(僕自身がもっとしっかりしないとな)
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