適格者番号:120803015
 氏名:惣流・アスカ・ラングレー
 筋力 −B
 持久力−B
 知力 −A
 判断力−S
 分析力−A
 体力 −A
 協調性−B
 総合評価 −S
 最大シンクロ率 71.559%
 ハーモニクス値 91.52
 パルスパターン All Green
 シンクログラフ 正常

 補足
 射撃訓練−B
 格闘訓練−A
 特記:エヴァンゲリオン弐号機専属パイロット。












第陸拾捌話



霧に映るは黒き影












 準備は整った。
 ドイツに到着するなり、リツコは弐号機の状態をチェックし、零号機の実験で確認したいくつかの問題に対処、暴走の危険を可能な限り排除し、ようやく作業が終わったのが午前三時。
 ここまで一睡もしていない。二日連続の徹夜だ。実験開始は午前十時。ミーティングは午前八時半。食事や準備も考えると、今から四時間は眠れる。
 久しぶりの睡眠だ。
 リツコは近くのソファにそのままの姿で横になる。自分に与えられた部屋に戻る時間すらもったいない。
(これで期待通りの成果が出なかったら承知しないわよ、アスカ)
 思うと同時に、彼女は夢を見る間もなく深い眠りに落ちていった。






 四月五日(日)。

 いよいよ弐号機の実験が始まる。零号機の『一回目』の実験が失敗していることもあり、世界中がこの実験に注目している。
 アスカだけがプラグスーツに着替え、他の適格者たちは全員ネルフの制服。
「行くわよ、アスカ」
 本番を前にしたアスカはもう誰の姿も目に入っていない。目の前の実験に全神経を集中させている。
 それもそうだろう。もしもこの実験に失敗し、弐号機が暴走するようなことがあれば、危険なのはアスカ自身だ。
 零号機の起動実験が失敗したのは、搭乗者の精神的なものによる面が一番大きいと聞いている。ならば、自分が冷静にしていれば暴走はしない。そういうことだ。
 エントリープラグに入る前に、ブースから自分を見つめている適格者たちの姿を視界にとらえる。
 その中でも一人だけ誰より存在感を持っていたのは、碇シンジだった。
 十何人もの中で、自分の目に映る特別な存在。
(しっかり見てなさいよ)
 表情には出さず、心の中で語りかける。
(アンタじゃ、私には絶対かなわないってことをね)
 口端をわずかに上げると、エントリープラグの中に消えていく。
「おい、惣流、いまセンセのこと見とらんかったか?」
 トウジが目ざとく尋ねてくる。
「そうかな。そう見えただけだと思うけど」
「いや、分からんで。同じチルドレン同士、何か考えがあるのかもしれんで」
「おい、トウジ」
 そこにケンスケが小声で割り込む。
「ミサトさん、見てるぞ。私語はやめろよ」
「おっと」
 そうしてまたブースは静寂が保たれる。ミサトは少し息をついてからもう一度ケイジの様子を見る。
(まあ、アスカに限って失敗はないでしょうけどね)
 それだけ『世界のエース』に対する信頼度は高い。
 アスカがいままで極端に成績を下げたことはないし、適格者たちのリーダーとして常に上だけを向いて行動する彼女の態度は、まさに模範もいいところだ。確かに他者に対する厳しさは目につくが、それ以上に彼女は自分に対して厳しい。
 その厳しさが、自分を傷つけることにならないかと思うこともあるが、今のところはそうした不安もない。
『準備いいわよ。いつでも!』
 アスカが元気よく言う。
「では、実験を始めます」
 リツコが淡々と開始を宣言する。
「アスカ。分かっているとは思うけど、とにかくリラックスしてて」
『耳にタコができるほど聞いたわよ』
「OK。それでは、LCL、注水!」
 そしてプラグにLCLが満たされていく。わずかな間に完全に満たされると、アスカは口を開いて肺の中の空気を出す。
 その代わりに流れ込んでくるLCLが肺を満たし、直接酸素を取り込む。気持ちは悪いが、なれるとその方が効率がよいのがよく分かる。
「具合悪いとかない、アスカ?」
『平気よ。もう慣れたわ』
「じゃあいくわよ。シンクロ、スタート!」
 アスカの表情が強張り、技術部が一斉に動き出す。
 シンクログラフが次々にグリーンを示し、パルスパターンが一定値を超える。ハーモニクスが高まる。
「シンクロ率、出ます!」
 弐号機との初シンクロ。その最初の値は。
「シンクロ率、な、七六.六〇二%! やりやがった! セカンドチルドレン、今までの最高記録を五%以上も更新しやがった!」
 おおっ、とケイジが湧く。確かにこの数値は尋常ではない。弐号機に乗ったというだけでこんなにも数値が上がるものなのか。
(一つ可能性として考えられることは)
 リツコは喜びに湧く適格者たちを見つめる。
(シンジくんに出会ったから、かしらね)
 シンジが他者のシンクロ率に良い影響を与えるというのは既に本部でも検討されている事柄だった。何しろ、今までシンジと接触のなかった適格者の全てが最大シンクロ率を更新していくのだから、疑わない方がおかしい。
 ましてや今回、アスカまでが上がった。それも、シンジと出会った直後だ。
(そういえば、レイ)
 時折、レイは数%の伸びを突然達成することがあった。
(全部シンジくんが関わっていたから……ということもありうるわね)
 検証はしていない。その前に調査が必要になる。だが、これはシンクロ率に伸び悩むメンバーにとってはある意味朗報かもしれない。
「気分はどう、アスカ?」
『数値、どうなったの?』
「予想以上よ。七六.六〇二%。最大値を五%以上更新」
『ふうん』
「あら、気のない返事ね」
『上がってるのはシンクロした瞬間に分かったから。ただ、八〇%くらいいってるのかな、と思って』
 なるほど。その程度の上昇ではこの天才少女は満足できなかったということか。
「でも立派よ。普段のトレーニングがものを言うわけね」
『当然ね。今日のためにメンタルトレーニングだって欠かしてなかったもの』
「じゃあ聞くけど、模擬体と比べて本物の違いは何?」」
『そうねえ』
 少し考えてからアスカが答える。
『安心感、かな』
「安心?」
『ええ。なんか不思議なんだけど、ここにいると、エヴァに守られているっていう感じが強いわ。それが自分の心を安定させているのが分かる』
「そう……何が原因か、ちょっと洗い出すからそのまま待っててね」
『いいわよ』
 そうしている間にも、シンクロ率やハーモニクスは上下動を繰り返している。ハーモニクスにいたっては数値一〇〇を超えそうなほどだ。
「圧力、かけてみますか?」
 技術者の一人が尋ねてくる。
「いいえ。今はこのまま様子をみましょう。性急にせず、ゆっくりと。その間に取れるだけのデータを取って」
「了解」
 そう言っている間も技術者たちの手は止まらない。ドイツ支部の技術者も、マヤたちのように優秀なメンバーが多い。
「それにしても、アスカさんはすごいね」
 エンが言うとシンジも頷く。
「これがドイツのセカンドチルドレンの力さ」
 クラインが、ふん、と気障な様子で話しかけてくる。
「分かったかい、サードチルドレン。君がどれだけシンクロ率を上げてもフロイライン・アスカにはかなわないということが」
「お前が出した数字ではないだろう、クライン」
 その会話に割り込んできたのはルーカスだった。
「文句をつけるつもりかい?」
「これはアスカが出した結果であって、お前が出した結果ではない。他人の功績を自分の功績のように話すのは感心できないな」
「お前だって、僕とたいしたかわらないシンクロ率だろう」
「そうだ。そしてここにいるシンジは、お前の倍近くのシンクロ率を持っている。その相手に対して敬意が感じられないな」
「ふん」
 クラインはそっぽを向く。つくづく相手の方が正論で、言葉がないのだろう。
「でもさ、シンジが今テストしたら、きっとまた数値を上げてくれるよね」
 にこにこと笑ってサラが言う。
「そうだね。今ならシンジお兄ちゃんも、いい数値が出せると思うよ」
 にやりと笑ってイリヤが言う。何を企んでいるのか。
「ふん。他の国まで来て、そんな準備ができてるわけないだろう」
「あら、準備ならとっくに終わってるわよ」
 さらりとミサトがその会話に入る。
「え?」
「今日まで教えてなかったんだけどね。シンジくん、準備なさい。今日はあなたも模擬体でテストをしてもらうわ」
「えええええええ!?」
 突然言われても気持ちの整理ができない。
「と、突然すぎます!」
「リツコが教えるなって口止めするからねえ」
 ミサトは肩をすくめた。
「大丈夫よん。二週間前より絶対シンクロ率は高まってるから」
「何を根拠に」
「いいからいいから。ほら、エンくん、準備ができるまで同行して」
「はい」
 そうしてシンジは半ば連行されるようにしてケイジに向かう。
「シンジ」
 そのシンジに向かって、おずおずとマリーが呼び止めた。
「ガンバッテ」
 ちょっと困ったような、それでいて相手を信頼しているような、そんな表情。
「──うん」
 素直にシンジは頷く。
(期待されてるんだな)
 改めて回りを見ると、トウジにケンスケ、ヤヨイにマイ、レミにリオナと、日本人メンバーからの視線が熱い。さらにはアルトやマリー、そして隣にいるエン。みんなが自分に期待してくれている。
(裏切るわけにはいかないよな)
 シンジの表情が変わる。
(よし)
 そうしてシンジはケイジの模擬体へ向かった。






 ドイツの模擬体も日本の模擬体も変わるところは何もない。あるとすれば、自分に対する注目度。それくらいのものだ。
 だが気負ったところで何が変わるというわけでもない。いつも通りやればいいだけのことだ。
『シンジくん、準備はいい?』
「はい。いつでも大丈夫です」
 弐号機と違い、模擬体にLCLは注入しない。注入する場合もあるが、高価なものなのでそうそう何度も使うわけにもいかない。
 パーソナルパターンは昨日までに入力済みなのだそうだ。まったく、いつの間にそんなことをしていたのやら。
『サード。大恥かかないうちに、やめた方がいいんじゃないの?』
 模擬体のディスプレイにアスカが映る。
「そうかもしれない」
『はあ?』
「でも、挑戦できることなら挑戦するって決めたんだ。アスカみたいに、もっと努力をしたいと思う」
 素直に相手を賞賛すると、う、とアスカは詰まった。
『とにかく、やるからには結果を出さないと承知しないわよ!』
 そして一方的に通信が切れる。
(よし)
 シンジは集中を始める。
 以前、初号機に乗ったときに感じた風は、どこにもない。
 だが、シンクロすること自体には何の違いもない。
「シンクロ、スタート」
 落ち着いた声で言う。
 MAGIが演算を始め、数値が表示されていく。
 無論、パルスパターンもシンクログラフも一切乱れることはない。
 そしてハーモニクス値が先に出される。
「なんだって!?」
 クラインの叫び。それは叫びたくもなる。
 ハーモニクス値九一.三。アスカとほんのわずかの差だ。
「馬鹿な! ありえない!」
「落ち着きなさい! 現実の数値よ!」
 リツコが騒ぐ適格者たちを一喝する。
 そしてシンクロ率が表示される。
『おおっ!』
 シンクロ率──六三.二三三%。今までの最大値を十%以上も更新させてきた。
『六三%!? 冗談でしょ!?』
 アスカが驚いた目でプラグ内のディスプレイを見る。
 もちろんアスカのたたき出した七六%には及ばない。及ばないが、今まで最大シンクロ率の差が二〇%以上もあったのが、あっというまに十三%まで縮まった。
 自分も伸びたのに、それ以上にシンジが伸びている。
(冗談じゃない)
 ぎりっ、とアスカは歯を食いしばる。
(血のにじむような努力をしてきた私が、あんなひょろっとした奴に負けるなんて、許せない!)
 アスカが親の仇を見るかのようにディスプレイを凝視する。
「予想以上ね」
 リツコが顔をしかめて言う。
「アンタ、数値が上がるのは分かってたっていうの?」
「ええ」
「何故?」
「そうね。話すと長くなるけど、ここにはシンジくんにとっての『足枷』がないから」
「は?」
「また今度、ゆっくり話すわ」
 そう。
 リツコにはわかっていた。何故ここでシンジが急激に伸びたのか。
(この結果を見れば、総司令も副司令も、決断せざるを得ないわね)
 それはリツコにとっては苦渋の決断ともいえる。
 既に何度もゲンドウや冬月と話し合ってきた結果なのだから。

(シンジくんにとって、美綴カナメはシンクロ率を下げる元凶、ということね)






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