「大統領」
 アメリカ、ホワイトハウス。
 ニコラス・J・ベネット大統領は明日の上院会議に向けて最後の調整中だった。
「どうかしたかね」
「準備、整いました」
「そうか」
 ベネットは資料を机の上に投げ捨てる。
「いよいよAOCの力を見せてもらえるのかな」
「イエス」
「まあ、失敗してもこれが終わりじゃない。我々に手駒はいくらでもある」
「来週は我が国のエヴァンゲリオンの起動実験が行われます」
「ああ、十二日だったかな」
「イエス。第一、第二支部の両方で五機とも」
「まあいい。いずれにしても使徒を倒すのはエヴァンゲリオンではない。我が国の軍隊だ」
 ニコラスの目が光る。
「そのためにも象徴的存在、シンジ・イカリは必ず抹殺せよ」
「イエス」












第陸拾玖話



雲に潜むは暗き業












 実験が終わって昼食。
 ドイツメンバーの中で、アスカとクラインは『気に入らない』とのことで参加せず。ヴィリーとメッツァは明日のサッカーの試合に備えてすぐに移動しなければならないとのことだったが、食事だけは一緒に取ることになった。
「ま、実験も終わったことだし、本当はみんなすぐに戻らないといけないんだけどね」
 食事中、イリヤがシンジに伝える。
「みんなって」
「私もそうだし、ルーカスやエレニも、マリーもそうじゃないかな。あと、セイクリッドハートもね」
 イリヤはサラが嫌いなのか、絶対に彼女だけはファーストネームで呼ばない。まあ、サラもイリヤのことをアインツベルンと呼んでるのだからお互い様だが。
「僕らは明日一日、自由行動だけど」
「日本から来て、実験見て、すぐにサヨナラってのは大変でしょ? そりゃ一日くらい自由行動くれたってバチは当たらないわよ」
 イリヤはぷんとむくれる。
「私だって、お兄ちゃんと一緒にいたいんだから」
「あ、いや、でも、国で待ってる人だっているんだし」
「……あそこには、お母さん以外に『私』を待ってくれてる人はいないもん」
 イリヤが悲しげな表情を見せる。
「みんな同じ。国に帰れば私たちは『私』じゃなくなる。みんな国の兵士になって、自由意思は奪われる。セイクリッドハートがドイツに来て逃亡したって言ってたけど、あれだってたまには自由を満喫したいからだよ、きっと」
「そうなんだ」
「だからせめて明日一日、ゆっくりできればいいのになー。私は今日の午後四時に迎えが来て終わりだもん」
 昼食は座席が指定されていて、四人がけのテーブルにそれぞれついて食事が行われていた。シンジの隣には当然エン。それから向かいにアルトとイリヤが座っていた。
 隣のテーブルを見ると、レミとリオナ、それにルーカスとエレニ。その向こうにトウジ、ケンスケ、サラ、マリー。反対側の隣に座っていたのがヤヨイ、マイ、メッツァ、ヴィリーといった布陣だ。最後のテーブルは会話があるのか謎だ。
「あれ、でもさっき確認したんですけど」
 アルトがその二人の会話に入り込んでくる。
「明日のメッツァとヴィリーの試合、ルーカスとエレニ、それからサラは見にいくという話でしたが」
「なにそれ?」
 イリヤの目が細まる。
「どういうこと? メッツァとヴィリーの試合? ハンブルクユースの?」
「ええ。一応私から、各国の責任者の方に打診したんですが、ギリシャとイギリスからは参加の旨、連絡が来ましたが」
「なにそれ! 私ひとっことも聞いてない!」
 むぅぅぅぅ〜、とイリヤがおもいっきりむくれる。
「マリーさんは?」
 名前の挙がらなかったマリーについて尋ねると、
「マリーは食事がすんだらすぐにフランスに戻ってトレーニングをする、ということでした」
「そうなんだ」
 残念そうな声で言うシンジ。
「マリーが気になりますか?」
 アルトが尋ねると、シンジは素直に「うん」と答える。
「シンジくん。本当に浮気するつもり?」
 エンがちょっとからかうように言うと、シンジは真っ赤になって否定する。
「違うよ。せっかく仲良くなれたんだから、イリヤもマリーも、もう少し一緒にいれたらなって思っただけ」
「じゃあ、シンジは私と一緒にいてほしいんだ!」
 ぱあっ、とイリヤの顔が輝く。
「それじゃあ、一肌ぬぎましょうか」
 アルトがくすりと笑って立ち上がる。
「アルト?」
「ちょっとかけあってみます。フランスの責任者は私も知っている人ですから、事情を話せば一日くらい延長できるかもしれません」
「でも」
「適格者同士、交流を深めることも大切だと思いませんか?」
「アルト」
 シンジはそうした気遣いが非常にありがたかった。
「ありがとう」
「どういたしまして。あと、イリヤの分も一緒にお願いしてくるから」
「ありがとー! だからアルト大好き!」
 現金なものだ。アルトは笑顔で手を振ると、食堂を先に抜ける。
「アルトさん」
 と、そのとき、後ろから声がかかった。
「あれ、マイさん」
「ちょっと、話、いいかな」
 アルトが頷くと、マイは食堂の方を気にしてから、少し距離を詰めた。
「内緒の話なら、もう少し向こうに行きましょうか?」
「いえ。ちょっと、話が聞こえたから。あの……マリーさんを、引き止めるつもり?」
「明日までということですか? はい、その予定ですけど」
「こういう言い方がよくないのは分かってるんだけど」
 マイは珍しく口ごもる。
「どうぞ、はっきりと言ってくださっていいですよ」
「できれば、やめてくれると」
「どうしてですか?」
 さすがのマイも、自分が何を言っているのかは分かっている。
「シンジくんの希望で、マリーさんとイリヤさんをあと一日ここにいてもらうようにする。たったそれだけのことですよ? まさかシンジくんが本当に、故郷の彼女を忘れて浮気すると思って──」
「違うの」
 マイは困ったように視線を逸らす。
「では、どうして」
「こんなこと言って馬鹿げてるのはわかってる。でも、あの子、ここにいると、絶対よくないことが起こる」
「は?」
「危ないの。あの子、もしドイツにとどまっていたら、死ぬかもしれない」
 さすがにアルトもその言葉に対してはどうしたらいいものかと判断に困った。
「根拠はありますか?」
「まったくない。私の勘」
「そんなの」
 全くアテにならない。そんなことは言っているマイが一番よく分かっている。
「無茶なこと言ってるのはわかってる。でも、あの子、いい子なのが分かるから、死んでほしくない」
「不謹慎じゃないですか。ドイツに居残ったら亡くなるなんて。それも何の理由もなく」
「理由がないのはわかってる。私が思い込んでるだけっていうのもすごいよく分かってる。でも、私、ずっと昔から悪いこととか感じたら、外れたことがない。だから、どうかこのまま、帰してあげてほしい」
 話にならない、とアルトは思う。
 だがマイの本心がどこにあるにせよ、本気でマリーを帰したがっているのは分かる。
「マリーが嫌い、ですか」
「そんなんじゃない」
「でしょうね。谷山さんは、人を嫌いになるようなタイプには見えませんから」
 だから困るのだ。アルトとしてはシンジの言うとおりにマリーをこの場に残してあげたい。特にマリーはシンジのことを気に入っているようだ。今までそんなことがなかっただけに、せめて一日くらい、恋人の真似事をさせてあげてもいいと思っている。
 だが、そんなふうに不吉なことを言われてはさすがにためらう。彼女の言うことがもし本当で、それを聞かずに自分が強引にマリーを引きとどめ、その結果彼女が死んだとしたら。
 それは、マイの言うことを聞かなかった自分の責任だ。
(マリーには諦めてもらうしかないかな。どちらにしても、報われない恋なんだし)
 はあ、とアルトはため息をついた。
「分かりました。どのみちフランスの責任者からはもともと帰ると言われていたわけですから、それに対して引きとめるようなことはしません。イリヤの方は──」
「あ、大丈夫。不吉な気配がするのはマリーさんだけだから」
「それでは席に戻ってください。いつまでも二人でいないと、変に見られても困りますから」
「うん。ごめんなさい、ありがとうアルト」
 マイは本当に申し訳なさそうにお辞儀をすると、ぱたぱたと音を立てて戻っていく。
(こんな話を信用するなんてね)
 アルトは自虐的に笑う。だが、自分にとってマリーは仲のいい友人だ。何度かしか会ったことがなくても、彼女と自分は比較的よく話す方だと思っているし、彼女もきっとそう思ってくれていると思う。
(ごめんね、マリー。埋め合わせは必ずするから)
 そうしてアルトはロシアの責任者のところまで行くことにした。

 だが、物語は意外な方向へと展開する。

 アルトのいなくなったパーティルームにやってきたのはフランス責任者の男性だった。それが笑顔でマリーの耳元にささやく。
 それを聞いたマリーの顔が一気に輝いた。
「メルシー、メルシーボク!」
 マリーは思わずその責任者に抱きついていた。いきなりのことで周りが驚く。
「マリー、どうしたの?」
 隣のサラが尋ねる。マリーは喜びで目に涙を浮かべていた。
「アシタマデ、ワタシモ、イッショ」
「え、じゃあ」
「ウィ。ワタシモ、アシタ、サッカーミニイク」
「そりゃめでたいな」
「いやあ、こんな美少女と一緒に行動できるなんて幸せだなあ」
 トウジとケンスケが大いに盛り上がる。マリーは立ち上がってシンジのところまで来る。
「シンジ」
 声をかけると、イリヤとの会話に熱中していたシンジが振り返る。
「マリー?」
「ワタシ、アシタ、イッショニ、イキマス」
「え、じゃあ──」
 シンジが顔を輝かせる。アルトが早速掛け合ってくれたのだと判断した。
「良かった。できれば一緒にいられたらと思ってたんだ」
「ワタシモ、デス。シンジトイッショ、ウレシイ、デス」
 その表情を見れば心から喜んでいるのが分かる。
 それなのに。
 彼女の笑顔を見て、表情を翳らせていたのは、戻ってきたばかりのマイだった。
(どうして)
 アルトは何もしていない。というより、アルトが何かをしようとしても、この短時間ですぐに決められるはずがない。
 ということは、これは確定事項。
 マリーがこのドイツに残ったのは、運命か、それとも誰かの作為か。
 彼女の肩がたたかれる。振り返ると立っていたのはヤヨイだった。
「ヤヨイさん」
「大丈夫」
 ヤヨイはいつになく真剣な表情だ。
「私たちで彼女を守ってあげましょう」
 ヤヨイが言うとマイが大きく頷いた。
「私たちじゃないとできないことだもんね」
 シンジと話して、本当に喜びを満面に見せるマリーの笑顔は、今までにないほど素敵だった。
(あの顔を見てると、今からフランスに帰れなんて言えないよね)
 だが、マリーがもしも危険な目にあったら自分は彼女を助けることができるか。
(みんなに打ち明けた方がいいかな)
 いや、そうしたらみんなが自分を疑ったりするかもしれない。
(エンくんと、それからリオナさん。格闘ランクSの二人なら)
 万が一のときだって対処してもらえる。その方がいい。一人では何もできないのだから。
(できるだけ急ぐよね。ええと、でも、そうするとどうやって二人と話せばいいんだろう)
 頭の中でぐるぐると回る。だがよい考えが浮かばない。
「どうするつもり?」
 ヤヨイが尋ねてくる。
「エンくんとリオナさんに協力してもらう」
「それがいいわね。私じゃ力不足だし」
「そんなことない。ヤヨイさんはヤヨイさんにしかできないことがあるから」
 そう。ランクB適格者のマリーを助けるために、ランクA適格者のヤヨイを危険な目に遭わせるというのは本末転倒だ。
 それに、まだマリーの何が危険なのかも分かっていないのだ。
(でも、危険なのは絶対)
 マイは自分のその『嫌な予感』には絶対の信頼をしている。今までに外れたことがない。人に話せば話すほど自分は孤立するから誰にも話さないようにしていたのだが。
(そういえば、ドイツに来る前、飛行機で嫌な夢を見たけど)
 ここまで何も問題らしい問題は起きていない。
(あんなに可愛い子、死なせるわけにはいかない)
 ぐっ、とマイは拳を握った。






 その日。
 ドイツ国内の、ある場所にて。
 一人の男が、手紙を受け取った。
 その手紙にはあて先も何も書かれていない。
 ただ、その中身を見たとき、彼は『このときが来た』と思った。
 今まで何もなかったことの方がおかしかったのだ。
 彼がこれまでに築いてきたものの全ては、このときのためにある。
 短い人生だった。
 この結果、自分が死ぬことは全くいとわない。
 自分はただ、任務を果たすだけだ。

『AOC構成員ナンバーG01へ。サードチルドレン碇シンジを抹殺せよ。方法は任せる』

 男はその手紙を丸めると、ためらわずに飲み込んだ。






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