「ターゲット確認」
彼はスタンドの中に自分が狙うべき標的を見つけた。
エヴァンゲリオン初号機専属パイロット、碇シンジ。
「これより、標的を削除する」
彼の目が怪しく輝いた。
第漆拾参話
火の揺らめきに霞む罠
午後三時、キックオフ。
ユースチームの試合は大歓声の中で始まった。シンジたちは特別招待席で観戦することとなった。相手はケルンユース。こちらも古豪のチームだ。
「ユースの試合なのに、こんなに人が入るんだね」
シンジは満員のスタンドを見て驚く。
「まあ、日本とは違うっていうのもありますけど、やっぱりハンブルガーＳＶは地元で大人気ですから、ユースチームにかかる期待も大きいんですよ」
アルトが説明する。とはいえ平日の午後、まだ仕事もあるだろうに、よく集まったものだ。
「あ、メッツァくんにボールが渡った」
シンジの目の先、グラウンド中央でメッツァがボールをコントロールする。首を振って周囲を見回してから、横に流す。
「知り合いが出てるっていうのはドキドキするね」
「でしょう？」
アルトが嬉しそうに頷く。
「私もあまりサッカーは詳しくなかったんですけど、ジークとヴィリーが出てるから、地元でやるときはほとんど毎回見に来てるし、そのうちに興味が出てきてしまって」
「二人は本当にいい選手だからな。将来のドイツ代表は当確と見られている」
後ろから声をかけたのはルーカスだった。
「ルーカスくんもサッカーをするの？」
「自分でやるというほどではないが、やはり地元のチームは応援するな」
「ルーカスくんの地元って？」
「アエク」
「？」
知らない言葉が出てきて、シンジは首をかしげる。レミがくすくすと笑って助け舟を出した。
「あはは、アエクっていうのはね、首都アテネをホームにしているチーム名だよ。ＡＥＫアテネ、愛称アエクっていうんだ」
「ふうん」
あまり欧州サッカーに詳しくないシンジには、それがどれくらい有名なのか分からない。
「それにしても、ハンブルクはいいチームだな。誰も足が止まっていない」
ルーカスが真剣に分析する。
「メッツァも前までは自分から動くようなタイプではなかったが、どうやら成長したようだな。前後半フルに走り回る体力がついたようだ」
「それって、見たら分かるものなの？」
「そうだな。あのペースで走り続けていたら、たいてい後半の半分を残すくらいでバテる。それが分からないメッツァではないだろう。したがって、それだけ体力に自信をもって動き回っているということだ」
「へえ」
フィールドの真ん中で指揮を取るメッツァの姿が、途端に頼もしいものに見えてくる。
「お、攻め込まれるか」
相手のカウンターが綺麗に通り、三対二の不利になる。
「まずいな」
ケルンのツートップがパス交換を決めて、先制。
「ああっ」
ハンブルクを応援しにきていた適格者たちが一様にため息をつく。
「油断だったな」
「あれじゃ駄目ねー。ディフェンダー、完全においていかれたじゃない」
ルーカスとエレニが文句を言う。が、シンジの隣に座っていたマリーがフィールドを見て微笑む。
「マリー？」
「ダイジョウブ、デス」
「え、何が」
「メッツァ、ヴィリー。フタリトモ、スゴイメヲシテマス」
喜びに沸くケルンユースたちを冷ややかに見つめるヴィリーとメッツァ。
「力の差ははっきりしているからな。二人を本気にさせちゃったら、ケルンユースじゃ止められないんじゃない？」
サラも余裕の表情で笑う。
「アルトはどう思う？」
「私ですか？」
にっこり、とアルトが笑う。
「私、目の前で二人が負けたところ、一度も見たことがないですから」
それはつまり、この後ちゃんと逆転するに決まっていると信じきった言葉だった。
「前に言われたことがあるんですよ。私はハンブルクユースの勝利の女神だって」
「じゃあ、今日は間違いなく勝てるんだね」
「ええ。私たちが来ていること、二人はよく分かってますから」
そして、アルトの予言どおり、ハンブルクユースは先制点さえ許したものの、その後は一方的な展開となる。
試合再開後、センターサークル内でボールをキープするメッツァにマークが二人ついたが、相手にボールを渡すことなくキープし続ける。
そして、一瞬の隙をついて前線に鋭くロビング。
「トップスピンパスだ」
ルーカスの解説が入る。
「トップスピン？」
「そう。ドライブ回転をかけたボールはペナルティエリア直前で急激に落ちる。そして──」
そこにまっすぐ走りこんでいくのは無論、ヴィリー・ラインハルト。
後ろから飛んでくるボールを、振り返りもせずにノートラップで、蹴りこむ。
ボールはそのまま、敵のゴールへと吸い込まれていった。試合再開後、わずか一分の出来事だった。
「高速、ピンポイントでパスを送るジークフリード・メッツァと、強烈なスピンのかかったボールをノートラップで叩き込むことができるヴィリー・ラインハルト。この世代ではヨーロッパ最強のコンビプレイだな」
「難しいの？」
「代表チームでもあれだけ綺麗に決められるコンビはないだろう。あの二人は体さえできあがればすぐにでも代表で戦える力を持っているからな」
さすがにまだ十四歳では体格が違いすぎる。だが、現状で既に代表レベルの技術があるなら、この先どれだけ伸びていくのかが楽しみな選手たちだ。
手を叩きあって喜ぶメッツァとヴィリーが、観客席の自分たちの方を見て親指を立てる。
「今の、僕たちだよね」
「ええ。二人とも、私たちの前だからっていつもよりはりきってるみたい」
「そうなの？」
「いくら二人がすごいといっても、今のプレイは何回かに一回しか成功しないわよ。そんな大技を持ってくるなんて、どうかしてるわ」
だがそう言うアルトは嬉しそうだった。
それからも二人の快進撃は続く。
メッツァは決してヴィリーとだけコンビネーションが取れているわけではない。チーム全員と息のあったプレイをする。右サイド、左サイドへの的確なパス。さらには自らが左ウイングとなって駆け上がり、ピンポイントでセンタリングを上げる。
得点を上げたヴィリーにマークがつくのは当然のこと。ヴィリーが囮となって空いたスペースに飛び込んできた二列目の選手が豪快にゴールネットを揺らし、逆転。
さらにはペナルティエリア外で反則を取り、フリーキックとなったときは自ら鋭いカーブをかけたバナナシュートで追加の三点目を決めた。
「メッツァ、いつになくはりきってるわね」
彼は完全にフィールドを支配していた。敵味方二十二人がすべて彼の意のままに動いているかのようだった。
「メッツァダケジャナイデス」
マリーが冷静に言う。
「ヴィリーガ、ウゴキマス」
メッツァが単独ドリブルで敵軍に切り込んでいく。そこに密集するディフェンダーたち。
そこでメッツァは軽く後ろにボールを叩く。そこにポジションチェンジしたヴィリー。
密集したディフェンダーたちをあざ笑うかのように、強烈なドライブ回転をかけたシュートが右隅に決まる。これで四点目。
「前半で四対一」
「強い」
ハーフタイムとなってもその強さだけが会場を支配していた。
「ハンブルクユースはもう優勝が決まってるけど、誰一人手を抜いてないわね」
「優勝が決まってる？」
「ええ。日本と違ってこっちのシーズンは秋から春でしょ？ 三月上旬にはもうハンブルクの優勝は決まってたから」
「そうなんだ」
「今年は公式戦負けなし。引き分け三つを挟んで快進撃が続いているから」
強いはずだ。とはいえ、確かにメッツァとヴィリーの力が目だってはいるが、他の九人の力量も決して低くはない。
キーパーとディフェンスの連携が上手いので、序盤の一点以外はピンチらしいピンチにすらなっていない。一度だけあったコーナーキックはキーパーの好判断で軽くクリアできていた。
そして中盤がとにかく厚い。ヴィリーをトップにおいた１−６−３のシステムだが、六人がゾーンを組んでよく動いている。それがうまく機能しているのは、メッツァが二人分駆け回って敵に有利なスペースをすべて潰しているからだ。
「ポジションチェンジが激しいこのシステムを、ハンブルクはよくこなしているな」
「体力的には厳しいでしょ。後半バテてきたらケルンに攻め込まれるかもよ」
ルーカスとサラが後半戦の予測をしている。
と、そこにアルトの携帯電話が鳴る。
「ジーク？」
かかってきた相手はどうやらメッツァだったらしい。ドイツ語での会話になる。アルトも嬉しそうに話している。
すぐに通話が終わると、アルトは笑顔でシンジに言った。
「ちゃんと後半戦も見ててくれって」
「え、そりゃ、もちろん」
「そうじゃなくて、ジークとヴィリー、ちょっとムキになってるみたい」
意味が分からず、シンジが首をかしげる。
「昨日、シンジくんがすごいシンクロ出したでしょ？ そのお礼なのか見返したいのか分からないけど、最後まで全力でプレイして、記憶に残るような試合にしてみせるって」
シンジとしてはそんなつもりでシンクロテストをしたわけではなかったのだが、自分の行動が二人に刺激を与えたなら、それはそれで良いことなのかもしれない。
「……」
後半が始まる。
両チームの選手が徐々に出てくる。その中にもう見慣れた二人の姿も。
シンジは立ち上がった。
「ヴィリーくん！ メッツァくん！」
大きな声で叫ぶ。それに気づいたか、二人がシンジの方を振り返る。
「がんばれ！」
ドイツ語が分からないので日本語の声援。だが、二人は少し微笑むと、シンジに向かって親指を立てる。
「あらら、碇くんらしくないことしてるわね」
リオナがからかうように言う。
「うん。でも、応援したくなったんだ」
立ったまま二人を見つめる。二人は何か口を動かしているからどうやら何か話しているようだが、いったい何の話なのか。
「多分、シンジくんのことだと思うよ」
アルトが言う。
「後半六点取って、二桁にしようって言ってるんじゃないかな」
「サッカーで？ まさか」
「いや、今の二人ならやりかねないわね」
アルトがくすくすと笑う。
「シンジくんは、あの二人にも随分気に入られたみたいね」
喜んでいいのかどうなのか。ただ、一緒にサッカーをやってから、確かにわだかまりのようなものはなくなっていたが。
「さ、始まるわよ、後半」
そうして、怒涛の後半戦が始まった。
開始早々、ボールを持ったメッツァがヴィリーとパス交換をしながら敵陣を駆け上がる。これほど綺麗にパスが決まるのはこのレベルでは珍しいことだ。それだけ二人のパスが正確で、なおかつ鋭いのだ。
完全に二人でゴール前まで運び、右サイドのメッツァからラストパスが出る。ヴィリーにはマークが一枚とキーパー。
その三人の上を通りぬけて、反対側のサイドにボールが落ちる。そこにフリーのミッドフィールダーが駆け込んできて無人のゴールへシュート。これで五点目。
「すごい」
「完全に手玉に取ってるわね。相手が少しかわいそうかも」
さすがに五対一では相手チームにも覇気がなくなるかと思いきや、ケルンユースはそれでもなお、全力で立ち向かおうとしていた。
だが、左サイドでメッツァがタックルをかけてボールを奪うと、すぐさまゴール前にボールを運ぶ。それが、ピンポイントでヴィリーの足元に吸い込まれた。
鋭く振りぬかれる左足。利き足ではない、反対側の足だというのに、その鋭いシュートはゴールキーパーの手を弾いてサイドネットに突き刺さった。
「ハットトリック！」
「さすが」
会場から大きな拍手が起こる。その観客にヴィリーが応える。そしてもう一度彼は、シンジの方を見て親指を立てた。
「ヴィリー、いい顔してる」
アルトが嬉しそうに手を組む。
「今日の二人は集中力が違うな」
ルーカスが言うとエレニも頷く。
「いつもネルフのせいで練習不足だって言ってたもんね」
「ああ。だが、今回はチームにはあまり合流できなかったが、ネルフで練習を繰り返してたそうだし、その成果もあるんだろうな」
「最初からこの試合のために調整してたのよ」
アルトが嬉しそうに答える。
「日本から来る適格者の前で、無様な試合だけはできないって二週間前から息巻いてたから」
その間に別の試合もあるというのに、すべては今日の試合のために調整を繰り返していたというのだ。
「でも、これだけ力の差があると、相手チームが少しかわいそうだね」
シンジが言うとアルトも頷く。
「そうね。でも、ハンブルクもケルンも、最後まで集中を切らさずにゲームを続けてるよね。すごいことだと思う」
無論、そこには次年度への契約更新とか、より条件のいいチームへの移籍とか、さまざまな思惑がそれぞれにある。だが、今日のこの試合に限っていえば、特にメッツァとヴィリーに限っていえば、そんなことはどうでもいい話だった。
自分の最高のプレイをする。それしか今の二人の頭の中にはない。
「まだ、追加点が入るわね」
サラが言う。そうね、とアルトも答えた。
「ケルンが全力で来てくれるから、二人も全力を出すことができる。戦意喪失した相手じゃ、全力で戦うことはできないから。二人とも、全力でやりたくて仕方がないのよ」
それから、ヴィリーとメッツァがさらに一点ずつ得点し、試合は八対一で終了。
ハンブルクは今期最大得点を取り、ヴィリーは今日の四得点で一躍得点王争いのトップの躍り出ることとなった。
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