もちろん、ネルフの警備は厳重だ。その厳重な警備の中で狙うとしても、成功する可能性は低い。標的には常にガードが張り付いているし、等間隔に黒服が配備されている。この状況で襲い掛かっても無理だ。一流のヒットマンでなければ成功しないだろう。
 だとしたらどうするか。警備が厳重なら、その警備を少なくしてしまえばいい。一番警備の少ないところをめがけて襲う。一撃でしとめられる位置で狙う。
 それがもっとも、確実。












第漆拾肆話



山の息吹に差す光












「すごい試合だったね」
 ネルフ一行が警備員にガードされて、特別観戦席から移動する。いくら貸切状態だといっても観戦席から移動する通路までは貸切にはならないので、どこから沸いて出てきたのか、観客たちがちらほらとこちら側にもやってきている。
 中には『ネルフのランクAだ!』と声を上げる者もいたが、そこはヨーロッパの適格者たちは慣れたもので、軽く手を振って応えている。
 そんな中、遠くからアルトに向かって声をかけてきた相手がいた。
「アルト!」
 明らかにドイツ人だ。ぺらぺらとドイツ語を話してくる相手に適格者たちが緊張する。同年代の少年で、気さくな感じのする相手だった。シンジとあまり背も変わらない。アルトも遠慮なく話している様子だ。軽く会話をしてからアルトが紹介をする。
「こちらはルドルフ・シュミット。ドイツのランクB適格者です」
 ルドルフと呼ばれた少年が一番近くにいたシンジに手を出す。シンジはあまり深く考えずに手を取って握手する。
 そのままルドルフがなにやらドイツ語で話しかけてくる。当然、何を言われているのか分からないので、アルトが通訳する。
「サードチルドレンのことはドイツ支部でもすごい話題になっています、これからもがんばってください、ですって」
「ありがとう。期待に応えられるよう、がんばるよ」
 こういうときにはあまり余計なことを言って波風を立てない方がいいのだということを学んだシンジは、当たり障りのない表現で対応する。
「ルドルフは、次のランクA昇格者じゃないかって言われてるんです。シンクロ率だけクリアラインに来てなくて、今一九.八八九%。あと少しなんですけどね」
 アルトが説明してから同じことをルドルフに言う。すると少し照れたように苦笑してなにやら答えた。
「サードチルドレンの前では恥ずかしい記録ですけど、ですって」
「そんなことないよ。みんな努力してるんだから、すごいと思う」
 シンジにとっては掛け値なしの台詞だったが、それを聞いたルドルフがまた嬉しそうな顔をした。
「ダンケシェーン」
「ええと、ビッテシェーン」
 ドイツに来たばかりのときに国連軍の中将との会話を思い出して、なんとか答える。するとまたルドルフが嬉しそうにアルトに話しかけて、アルトもドイツ語で答えた。
「何?」
「いや、シンジくんがいい人だって。日本のチルドレンは素直なんだなって言ってます」
 どうやらアスカと比べているのだろう。なるほど、と納得する。
「これから僕たちはネルフに戻るけど、ルドルフくんも一緒に行ったら駄目なのかな」
 バスも座席は空いているしどうせなら、というつもりでシンジは提案した。まあ、部外者ならばともかく同じ適格者なのだ。さほどの問題はないだろう。
「ええ、問題ないです。かまいませんよね?」
 アルトが近くの黒服に尋ねる。既に身分照会が終わっているらしく、黒服は小さく頷く。その旨、アルトがルドルフに話す。するとルドルフは少し困ったような顔をして答えた。
「この後、友人と会う約束があるんですって」
「そっか。せっかく会えたのに、残念だね」
「でも、出口まではせっかくだから一緒に行かせてほしいって」
「全然かまわないよ。じゃあ、一緒に行こうか」
 そうして通訳のアルトを真ん中に、ルドルフとシンジがそれを挟むようにして歩き出した。
「どう思う?」
 マイが他の誰にも分からないようにエンに近づいて尋ねる。何しろマリーが危険な目に遭うと予測しているのは他ならぬマイ自身だ。
「ネルフの適格者なら問題はないと思う。油断はしないけどね。それよりも、増えた人に注意を払うことでその周りへの注意だけは怠らないようにしないと」
 今日はガードの仕事がオフだとはいえ、最悪シンジの身代わりになるのは自分の役目なのだ。どこからアメリカの刺客が現れても自分が対応する。その覚悟はある。
 そしてマリーだ。すっかりルドルフとの会話に夢中になってしまったシンジは、完全にマリーのことまで頭が回っていないようで、少し寂しそうにしている。
(女心が分からないんだな、シンジくんは。あまり本気になられても困るけど)
 どのみちマリーとは今日一日の付き合い。日本に戻ればシンジには恋人がいるのだ。
(さて、まずはネルフまでの帰り道。何も起こさないように集中しないと)
 そうして一行がスタジアムを出た、まさにそのときだった。
「シンジくん!」
 エンが動く。と同時に、建物の陰に隠れていた男がナイフで襲い掛かってきた。
 だがエンがその男の腕を取り、ナイフを放させると、男は一斉に黒服に取り押さえられる。
「何をやってるの! 近隣に危険人物がいないか確認するのを怠るなんて!」
 アルトが黒服たちに叱責する。責任者らしい男が頭を下げてそれを聞いている。
「とにかく、何もなくてよかった」
 シンジがそう言った瞬間だった。
 ルドルフが、シンジに襲い掛かってきた。
 え、と思う暇もない。ルドルフがシンジの体を押さえ込む。直後、

 銃声がした。

 何が起こったのか、確認する余裕もない。
 だが、自分を組み敷いているルドルフが、苦痛に顔をゆがめている。
 その左肩から、ぼたぼたと血が零れ落ちてきた。
「もう一人だ! あそこにいるぞ!」
 ケンスケの声が響く。さきほど捕らえた男とは反対側に、短銃を持った男がいた。
「早く捕まえなさい!」
 アルトの命令で黒服が一斉に動く。
「大丈夫か!」
 ルーカスがルドルフを抱える。だが、ルドルフは苦痛に顔をゆがめて、必死に悲鳴を上げるのをこらえている。
「すぐに病院だ!」
「いいえ、ここからならネルフの方が早いし、確実に治療を受けられるわ。バスで移送します! みんな、早く乗り込んで!」
 アルトの指示で適格者たちが急いでバスに乗り込む。そして黒服たちに抱えられてルドルフがバスに担ぎこまれる。
 現場のことは黒服に任せ、バスはすぐに出発する。その場で応急手当が行われた。
「こんなことになるなんてな」
「ああ。またアメリカか。ほんま腹立つわ!」
 ケンスケとトウジが愚痴を言うが、今はそれを言っても仕方がない。
 シンジの身代わりになって撃たれたルドルフが無事かどうか、という問題なのだ。
「ダイジョウブ、デス」
 ルドルフを食い入るように見つめているシンジの手をマリーが取る。
「ウタレタトコロ、キケンナトコロジャナイ。チ、スクナイ。ダカラ、ダイジョウブ」
「うん。ありがとう、マリー」
 だがシンジはその手を壊れるくらいに強く握る。マリーは正直痛かったが、それを言うのはためらわれた。
 彼のせいで、誰かが傷つく。
 その痛みを少しでも分かち合えたらいい。こんなときなのに、そんなことを思っていた。
 バスは高速で走り、事件発生からものの五分でネルフに到着する。
 既に連絡はしてあったので、バスの停車場に医師団が待機していた。その場ですぐに処置が取られて、台車に乗せられて運ばれていく。
「あの様子なら、ルドルフは大丈夫です」
 アルトが全員に、主にシンジに向かって言う。
「怪我も見た目ほどではありませんでしたから」
 アルトはルドルフの応急処置を手伝っていたせいか、せっかくの外着が血で汚れていた。もちろんそれはシンジやルーカスなどもそうだったのだが、そんなことはまったく気にならなかった。
「本当に大丈夫なのかな」
「危険なときはそう言われますから。絶対に大丈夫です」
 アルトの念押しで、小さく頷いたシンジはようやく少し安心する。
「手術室の近くで待たせてもらったら駄目かな」
「それはかまわないと思います」
「あまり大人数で行くのもどうかと思うが」
 ルーカスが言うと、アルトも「そうですね」と答える。
「じゃあ、私とシンジくん、エン。この三人だけでかまいませんか?」
 無難な組み合わせだ。だが、一つ問題がある。
(マリーさんの件はこれで終わったんだろうか)
 エンが考える。ちらりとマイを見ると、彼女も同じことを考えていたらしく、険しい表情をしている。
「マリーさんにも来てもらってかまわないかな」
 一人にしておくのは危険、と判断した。それならエンが守れるところにいた方がいい。
「ワタシハ、カマイマセン」
「なら四人で行きましょう。あ、でもちょっと先に体を洗いたいですね。シンジくんも血がついちゃってますから、一度着替えてからの方がいいと思います」
 さすがに手術室の近くに血で汚れた二人が行くのはよくないだろう。
「分かった。じゃあ、急いで部屋に戻ろう」
「ええ。マリーも一緒に来て」
「ハイ」
 そうして一同が一斉に動き出す。
 シンジはすぐに部屋に戻るとシャワーを浴びて血を洗い流し、ネルフの制服に着替える。バスルームから出てくると、当然エンがネルフの制服に着替え終わって待っていた。
「まだアルトは時間がかかると思うよ、女の子だし。準備ができたら連絡をくれるってさっきマリーさんから電話があった」
「あ、そうか。うん、分かった」
 だがシンジはそれでも落ち着かない様子で、座ったり立って歩き回ったりを繰り返す。手術がどうなったのか、無事なのか、それが気になって仕方がない。
「ルドルフくんは、僕をかばってくれたんだ」
「そうだね。初対面の相手をかばうなんて、なかなかできることじゃないと思う」
「僕が注意していれば、ルドルフくんは撃たれなかった」
「一番悪いのは僕だけどね。あの男を捕らえたところで終わりだと勝手に思っていた。なんとかガードの仕事を果たせたと思っていたのにな。シンジくんの身代わりになる役割まで取られちゃったよ」
「そんなことないよ。エンくんは僕を守ってくれたじゃないか」
「一人が陽動で、本命はもう一人。よくある暗殺の仕方なんだ。そんなことにも気づかなかったんだから、ガード失格だな」
 まあ、今日に限って言えばガードの任務はない、完全なオフのはずだ。だからエンがとがめられることは少しもない。責められるのはネルフの警備だろう。スタジアムの外とはいえ、武器を持った人間を近づけるなんて、不注意ですむ問題ではない。ガードが甘すぎる。
 と、そこに電話が鳴った。
「アルト!?」
 シンジが電話に飛びつく。が、返ってきたのは男の声だった。
『悪いな、ご要望に応えられなくて』
 その声はヨウのものだった。
「えっと、なんでしょうか」
『いやいや。今日の件は悪かったな。俺がお前のガードに出てりゃこんなことにはならなかったんだろうが』
「いえ」
『一応、現地の連中が相手の口を割ったから教えておこうと思ってな。やっぱりアメリカだ』
「そうですか。僕を狙って?」
『そういうことだな。日本よりも狙いやすいと思ったんだろ』
「どうして」
『それはアメリカの事情だから分からんが、日本にネルフのエースがいるのが気に入らないんだろ。まあ、それはお前さんのせいじゃないからあまり気にしても仕方がないことだ。国同士の戦いに巻き込んじまってすまないな』
 ヨウ自身が国とは関係のないところで動いているのに、そうやって謝るのも変な感じだ。
「いえ」
『ただな、さすがに今回の件は何かがおかしい』
 ヨウの口調が変わった。
「おかしい?」
『ああ。いくらネルフの警備がザルだからって、ナイフや銃持った相手にそこまで接近を許すと思うか?』
「いえ」
『誰かが手引きしてんだよ。敵は内部だな』
 ぞくり、とシンジの背中が震えた。
「本当に、そんなことがあるんですか」
『それをこれから洗い出す。黒服の経歴を全部洗いなおさせてるところさ。アメリカと少しでも接触がありそうな奴は、お前さんたちの警備から外す。少なくとも今日の夜にはな。とはいえ、明日には帰国するんだから、これ以上問題は出ないだろうけどな。このこと、エンにも伝えておいてくれ』
 分かりました、と応えてシンジが頷く。
「ヨウ教官?」
「うん。エンくんにも伝えておいてくれって」
 シンジは今説明されたことをそのままエンに伝える。
「なるほどね、内部犯か。そうなるとさすがにドイツ支部のことまでは僕らには分からないな。早く解決してくれるといいけど」
 その直後に電話がなった。
「はい」
『シンジくん? 今、電話してたみたいでしたけど』
 アルトだった。
「うん、教官と少し。もう大丈夫?」
『ええ。準備できたから、こっちから行きます』
「でも」
『すぐですよ。それに、ネルフの内部でそんな危険なことなんて起こりません』
 そうして電話が切れる。本当に大丈夫なんだろうか、と思いながら一分。部屋がノックされる。
「お待たせしました。では、行きましょう」
 アルトとマリーが扉の前にいる。シンジとエンは頷いて通路に出た。
「さきほど、手術室から連絡があって、もう処置は終わったそうです」
「もう?」
「はい。特別問題はないそうですよ。麻酔もあと三十分くらいで切れるそうですから、話もできると思います」
「良かった」
 心から安心しているシンジを見て、ようやくエンやアルト、マリーも安心したような顔を見せた。
「でも、一つ問題があって」
 アルトが険しい表情で言う。
「来週の昇格試験、受けられるかどうかが微妙みたいです」
 昇格試験は毎月第二金曜日。これは本部・支部を問わず全て同じだ。
「そっか。あと五日だね」
「はい。うまく受けられるといいんですけど。今度こそランクAだって気合入ってましたから」
 シンジはまた『自分のせいで』と思い始めたが、そのシンジの手をマリーが握った。
「シンジノセイジャ、アリマセン」
 マリーの真剣な瞳に、シンジが小さく頷く。
「うん。ありがとう、マリー」
 そして四人は、手術室までやってきた。






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