もうお分かりだと思うが、この物語は決して全てが予定調和のように幸福になるものではない。
 さまざまな思惑がからみあい、さらには未知なる恐怖『使徒』との命をかけた戦いをくぐりぬけ、百の犠牲と千の不幸を礎に人類が生き残れるかどうかの物語。
 その中でも、四月。この月は主人公である碇シンジにとってもっとも苦しい一ヶ月。
 初めて心を開くことができたマリー・ゲインズブール。
 心の支えにもなっていた美綴カナメ。
 二人の死が、彼の精神を蝕む。
 死月。
 ここから先の物語をつむぐ前に、まずはこの二人の死について正確に知っておいてもらいたい。

『何故』を。












第漆拾漆話
















 四月六日(月)。

 日本の物語はここから始めることとしよう。
 その日、早朝に緊急会議が開かれた。会議といってもチルドレンたちの会議ではない。
 碇シンジ・プリンセスナイツの緊急会議だ。
 時間は午前六時ちょうど。場所はコウキの部屋。参加者は碇シンジの同期メンバーが六人と、さらにはランクAから協力を申し出た二人。合計八人。改めてここで紹介をしなおしておこう。
 倉田ジン。このパーティのリーダー格。全員をまとめあげる指揮、統率能力と信頼度の高さが誰より高い。誰よりも頼りになる人物だ。
 野坂コウキ。シンジの兄貴分とした態度を取る。が、彼には本気でシンジを守ろうとしているかどうかの疑いあり。
 真道カスミ。情報担当。特殊訓練でも受けてきたのか、MAGIへのハッキング能力まで持つ。彼の持ってくる情報を元に行動指針が決まる。
 不破ダイチ。冷静沈着、常に自分と周りを客観的に見て、総合的に分析する。ゆえに、積極的に会議に発言はしないが、間違っているときには必ずストップをかける役割。
 染井ヨシノ。現在ターゲットの『美綴カナメ』のガード。同期メンバーの間では本性で話をするが、他の場面では猫皮を十枚ほど被る。
 桜井コモモ。ファーストチルドレン『綾波レイ』のガード。メンバーの元気担当で、メンバー間の結束を高めるためのキーパーソンとなる。
 朱童カズマ。ランクA適格者として日本では綾波レイに継ぐ経歴を持つ。かつてレイプ殺人された姉に関するトラウマあり。
 榎木タクヤ。こちらもランクA適格者でリーダー格。ジンが厳しい父性的なリーダーだとすればタクヤは優しい母性的なリーダー。
 まとめると、現在日本に残っているランクAとガードのうち、カナメとレイを除いた全員がここに集合していたのだ。
「さて、今日集まってもらったのには二つ理由がある」
 シンジたちが旅立ってから、この八人会議は三回目。ほぼ二日に一回のペースだ。
「まずイギリスの件の続報。それから美綴カナメの調査結果だ」
 全員が厳しい表情になる。
「まずはイギリスの件から行こう。コウキ、説明」
「ラジャー。まず前に送った暗号文は、どうやらエンには正確に伝わった様子」
 シンジたちが旅立った初日、コウキたちはヨーロッパに集まるランクA適格者の情報を収集。その際、サラ・セイクリッドハートという人物の情報を入手した。
 イギリス諜報部所属経験あり。そんな人物がなんとランクAまで順調出世している。
 経歴だけみれば危険人物認定しても何の不思議もない。だからシンジとエンに警告文を送った。それがコウキからの謎のメールの正体だ。

件名:ドイツ人はどいつだ?
いよっ! 愛と勇気の配達人、野坂っす。
ぎりぎり寝る前にメールを書いてるんだぜ。
理科の授業の宿題が大変でなあ(笑)。
すいみん時間が取れないっつーの。
にしても、お前がドイツに行って一日。
気になるっつーか、からかう相手がいないっつーか。
お土産、期待してるからな。
つかれてるかもしれないけど、メールはきちんと寄越せ。
ケガだけはしないようにな。
ろ!←おやすみの挨拶(笑)。

 脈絡も何もないメール。だが、すべてのメール送受信は履歴に残る。したがってこのメールも監査の目に止まる。
 日本の監査部ならメッセージがもれても問題ない。だが、こちらが警戒しているということをイギリスに伝わってほしくない。
 ヒントは縦書き。各行の一文字目を縦に読ませることで『イギリスに気をつけろ』という警告になるように細工した。
 エンはそれを正しく読み取り、了解した旨の返信が来ていた。
「その後、エンの方でどういう調査をしたかは分からないが、どうやらイギリス諜報部の人間がネルフ本部に入り込んでるらしいんだ」
 さすがにその内容には全員が驚く。
「ランクA、Bに入り込んでるということか」
 カズマが慎重に尋ねる。
「分からん。一応、めぼしい奴はリストアップしたが、ランクBに一人、ランクCからEまでに四人だ」
「何が決め手になったの?」
 タクヤが穏やかな笑顔のまま尋ねる。
「ああ、名前だ。エンが下の名前だけ分かったってメールを送ってきた。ついさっき」
「何て?」
「ああ、サクラ、って──」
 ガタガタッ。
 そのコウキの言葉に、ヨシノが思いっきり机につんのめった。
「ど……どうした、ヨシノ」
「いやー……ははは、まさかその名前がそんなところで出てくるとは思わなかったわー」
 ヨシノは美少女と言っていいその顔を奇妙に歪ませて笑う。
「どういうことだ?」
「あー、えっと、とりあえず誰が『サクラ』かっていうその調査はいらない」
「知ってるのか?」
「知ってるも何も、予想つかなかったの?」
 ヨシノが答える。
「あー、そういうことか。そりゃそうだ。何で思いつかなかったんだ」
 コウキが頭をかく。
「え、え、私はまだわかってないぞ」
「僕もです。説明がほしいところですね」
 コモモとタクヤが尋ねると、答えたのはダイチ。
「つまり今の話から推測するに、イギリス諜報部の『サクラ』というのはヨシノのことか」
 染井ヨシノ=ソメイヨシノ。それは桜の花の種類名。
「せーかい」
 ヨシノがその沈黙を破った。だが案外あっけらかんとしているので全員が安心する。
 別に、ヨシノがイギリスの回し者というわけではない。それが今の態度ではっきりしたからだ。
「一つ聞きたいんだけど、どうして私がイギリス諜報部の人間だっていう話になったわけ?」
「いや、お前がイギリスの人間だなんて思ってたわけじゃないんだが。エンは向こうでサラと直接話したらしい。で、サクラというイギリスの人間が紛れ込んでるっていう話だった」
「まあ確かにイギリスにはいたし、サラとも面識あるけど。でも私は諜報部なんか一回も入ったことはないし、むしろ敵? みたいな」
「敵?」
 コウキが尋ねる。
「まあね。私、イギリス諜報部に単独潜入して捕まったから」
 あっさりとのたまう。
「うわ、すげえ。イギリス諜報部ってまさかあのヴォクスホールの?」
「ええ、そうよ」
「勇気あるな、お前。さすがの俺だってペンタゴンとヴォクスホールだけはやらないぜ」
 カスミが手を上げる。
「仕方ないでしょ。そのときは理由があったんだから」
「ってお前、そのとき何歳?」
「レディに歳を聞くなんてどういうつもり? だいたいあなただって、子供のときからヤバイ橋たくさん渡ってるんでしょ」
「まあまあ」
 カスミとヨシノの言い合いをタクヤがなだめる。
「いずれにしてもサクラ、ヨシノは敵ではないということだな」
 カズマが腕を組んだまま言う。そういうことだな、とジンが頷く。
「じゃあヨシノはイギリスのことは何か知らないのか?」
「この間も言ったけど、何も知らないわよ。だいたい私は捕まってただけだもの。ただ、そうね。サラのことなら少しは」
「イギリスのランクAか。どういう奴なんだ?」
「自己中心的で、性格最悪」
「お前に言われるんだから相当すごいんだろうな」
 コウキが苦笑して言った。
「ええ。性格の悪さとレベルって比例関係にあるんじゃないかって思うくらい」
「レベル?」
「私、サラにだけは何をやっても勝てる気がしないもの」
 その言葉の意味は重い。
 自己中心的という意味ではおそらくヨシノがこの中では誰より一番だろう。だからこそ彼女は誰よりも優秀であることを自分に課している。シンクロ率は適正の問題で、体力的にもやはり男子にはかなわない。だが、頭の良さなら負けるつもりはない。努力でカバーできるのならいくらでも努力する。だからこそ彼女は実力評価テストでは一位を取っているのだ。
 その彼女が、かなわない、と言う。事実以外を口にせず、言ったことは実行してきた彼女にとって、その言葉の意味は、重い。
「なるほど。危険人物というわけか」
「イギリスの思惑が分からないとどうしようもないけど。でも、それは切羽詰ってる問題じゃないと思う」
「ヨシノに同感だな。俺たちの当面の相手はアメリカだ」
 カズマが言う。全員が頷く。
「まあ、そのアメリカだってどういう手を使ってくるかは分からないけどな」
 ジンが締めくくると、もう一つの話題に切り替える。
「それなら本題と行こう。美綴カナメの件、結果が出た。カスミ、頼む」
「了解」
 他に誰もいないはずのコウキの部屋。それなのに心無し、声が小さくなる。
「美綴カナメの調査結果は、クロだ」
 全員の顔に、それぞれ別の表情が浮かぶ。
「嘘だろ」
 コモモが拳を握り締めて言う。
「事実だ。これを見てくれ」
 カスミが全員に見せたのは一枚の写真。小学校低学年の女の子のものだ。
「これが美綴カナメだ」
 全員がじっと写真を見る。だが、これはあまりに──
「まるで面影がねえな」
「それどころじゃない。こっちの学級写真と比べたら一目瞭然だ」
 以前、データで拾い上げてきた美綴カナメの小学校低学年の写真と比べる。こちらは間違いなく、カナメをそのまま小さくしたもの。
「この写真が美綴カナメである証拠は?」
「昨日、直接美綴カナメの自宅まで行ってきた」
 全員が目を丸くする。
「カナメの家って、この近くなの?」
「いや、名古屋」
「第三新東京を出たの? なんて無茶な」
「たいして問題じゃないぜ? MAGIが味方ならたいていのことは何とかなるもんだ」
 あっさりとカスミが言う。
「まあ、これが東北とか九州っていうんだったら簡単じゃなかったんだろうけど、案外近くて助かったよ。金さえあって第三から外に出られさえすれば、あとは目的地まで障害なんてないようなもんだ」
「昨日の日曜日、一日中いないと思ったら」
 はあ、とコモモがため息をつく。
「コウキに聞いても『ちょっとヤボ用だ』としか教えてくれないし」
「無駄足になる可能性も大きかったからな。だとしたらあまり大手を振って出歩けるわけじゃない。それにガードの仕事があるから、コウキには一日中部屋にいてもらわなきゃいけなかった」
「食事にも行けないからな。大変だったぜ」
 ランクA適格者はガードなしに自分の部屋から出歩くことを禁止されている。特にドイツではエンがガードについていたにも関わらず、一度シンジが誘拐されかけたというのだ。内部だからといえど油断はできない。
「それで、本物は?」
「わからねえ。本物の『美綴カナメ』がどうしたかは全く不明だ。何しろ両親は自分の子供がランクAの適格者になってると信じきってたからな。写真を見せてもらって、小型カメラで盗撮するので限界だった」
「だが、写真に映る姿はこの通り、か」
「全くの別人だな。つまり、両親は自分の娘が入れ替わっているってことを知らされてねえ」
 子供の入れ替え。本来の美綴カナメは消息不明となり、そのかわりに別の女の子がネルフに入ってきた。
「危険だな」
「ああ。何の目的かは分からないが、危険度MAXだぜ。しかもそれがうちの姫にくっついてるんだ。何かは分からないが、間違いなく謀略の類だぜ、これ」
 シンジが適格者となった二ヵ月後に適格者になった女の子。それも、全くの正体不明。
「カナメの正体は?」
 つまり、それが分からなければ意味がない。ダイチの質問は誰もが気になるところだった。
「それが分かっていれば苦労はないんだろう」
 だがカズマが答を先に言う。その通り。今分かったのは、ここにいる『カナメ』が『美綴カナメ』という人物ではないというその一点のみ。では『カナメ』は『誰』なのか。それは全く不明だ。
「当然だが、こんなことをカナメ一人でできるはずがない」
 リーダーのジンがまとめに入る。
「今はカナメの正体を暴くことが優先だ。特に、黒幕がいったい誰なのか。それもできればシンジが帰ってくる前にしたかったが」
「難しいな。明日の午後には到着予定だぜ」
 何も事件が起こらない限り、シンジたちは四月七日(火)の午後六時までにはネルフに到着する予定だ。
「最大、あと二日。正確には三六時間。この時間で正体を突き止めるには、今日一日を無駄にするわけにはいかない」
 ジンの言葉にコウキが続ける。
「なら部屋の捜索がいるな。後は、本人に直接聞くのが一番だろうが」
「じゃ、捜索は私がやるわ。さすがに女の子の部屋を女の子以外に触らせるのは問題あるでしょうし、コモモっちは綾波さんのガードがあるから」
「本人にいきなり聞くより、捜索の結果を待った方がよくはないか?」
「そうだな。そして、尋問はジンとタクヤのペアが一番いいと思うぜ」
 リーダー格の二人。厳しいジンと、優しいタクヤ。確かにカナメの心を開かせるにはいいコンビかもしれない。
「私もいいと思う。あと、カナメのことなんだけど」
 コモモが手を上げて発言する。
「カナメはシンジのことをどう思ってるんだろう」
「そりゃあ……謀略で近づいたんだったら」
 全く、何とも思っていない。それが真実。
「でも私、カナメは本当にシンジのことが好きなんだと思う。そんな感じがする」
「それは私も同感ね。カナメって、恋する乙女〜って感じで本当に朝から晩までシンちゃんのことばっかり考えてるし」
「それについては、推測で判断はできないな」
 ジンが答を出すことを否定した。
「調べればカナメが何を考えているかが分かってくるだろう。それまでは何も判断しない方がいい。すべてはヨシノ、お前が何を見つけてくるか次第だ」
「分かった」
 ヨシノが頷く。もちろん彼女の性分からしても、中途半端にすませるつもりはない。
「今日の夜にもう一度集合だ。時間は二三時。遅れるなよ」






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