『碇シンジです。
今日、エヴァンゲリオン弐号機の起動実験が終わりました。
詳しいことは書けないけど、僕もそこで模擬プラグに乗ってシンクロテストをしたら、六三%も出ていました。
どうしてこんなに数値が高くなるのかは分からないけど、日本の代表として嬉しかったです。
明日はハンブルク市内を観光する予定です。
お土産も買っていくつもりです。
七日には日本に帰ります。
僕も、早くカナメに会いたいです。
それでは、また。』
それを読んだカナメは、くすっと笑った。
「私も早く会いたいよ、シンジくん」
愛する人から毎日届くメール。それがカナメにとって一番のなぐさめとなっていた。
第漆拾捌話
任
八人会議の終了後、ヨシノは午前八時を見計らってカナメの部屋にやってきた。
今週いっぱいはまだ春期休業中。したがって午前十一時四十分からの訓練まではのんびりとした時間を過ごすことができる。
それでもガードたちはランクA適格者を守るという理由で、それぞれの担当と行動を一緒にしなければならない。
コウキとカスミ、タクヤとジン、カズマとダイチ。ここまではいい。お互い情報を共有しあうのだから、気楽なものだ。
だが、自分は違う。
ヨシノだけは、カナメからあらん限りの情報を引き出さなければならない。
月曜日は午前が射撃訓練、午後はシンクロテストだ。
テスト後でもかまわないが、できるだけ早めに捜索はしてしまいたい。
「はろはろー」
インタフォンを押して、カナメに扉を開けてもらう。そして中に入る。相変わらず少女チックな内装だ。
「今日は何か予定とか考えてた?」
「ううん。昨日もヨシノさんと一緒に遊んできたし、時間までゆっくりしてようかなーって。ヨシノさんもたまには一人で行動したいでしょ?」
「お、それは『あなたがいっつも一緒にいたら一人Hもできないから出ていって!』ってことかしら?」
「ちょ、ち、違うよ!」
カナメが分かりやすいくらい顔を真っ赤にする。
「もー、ヨシノさんってそういうところ嫌いー」
「ごめんごめん。カナメちゃんがあんまり可愛いもんだから、ついからいかたくなっちゃうのよねー」
ぷんとむくれるカナメに後ろから抱き着いて謝るヨシノ。
「もー、そうやってご機嫌取れば許されると思って」
「許してくれるわよね? 優しいカナメちゃん」
「ヨシノさんだけですよ、本当にもう」
そして二人で吹き出す。
(こんな可愛い子が、謀略の駒だなんて、信じられないわよね)
ジンたちはカナメと一緒にいる時間が少ない。だからこそカナメを信頼できないのだろう。
(これでもしも私を騙しているようだったら、この子、演技の天才よね)
そう、本人はこれほど純粋で無邪気。それなのに彼女の経歴は完全なクロ。
「じゃ、可愛いカナメちゃんのために、私がおいしいコーヒーでも淹れてしんぜよう」
「ありがとー!」
そしてキッチンへ移動し、すっかり手馴れた様子でコーヒーを淹れる。カナメはテレビを見出した。こちらの様子には気づかない。
コーヒーをカップに注ぐときに、カナメを観察する。こちらを全く気にしていない。
手に持っていた睡眠導入剤を、カナメのカップに入れる。
「砂糖は一つだったっけ」
「うん。ミルクたっぷり」
「はいはい。ミルクたっぷり、と」
砂糖とミルク、それに睡眠薬が入ったコーヒーをスプーンでくるくると回す。
「はい、ヨシノ特製、スペシャルブレンドをどうぞ」
「わあ、いっただきまーす」
ふうふう、と冷ましながらカナメが何も疑わずに一口飲む。
「ヨシノさんはブラック派?」
「その日の気分ね。あまりブラックばかり飲んでると胃に悪いし。今日はちょっと眠いから眠気覚ましに」
「そうなんだ。良かったら寝てく?」
「いいわよ。いざとなったらあなたの目を盗んでこっそり仮眠を取るから」
「そんなことできるの?」
「椅子に座ってれば簡単」
「え、やってみせて」
「さすがにギャラリーがいると無理ね」
くすくすと笑う。
「シンちゃん、ようやく明日ね」
話題を変えると、またカナメが顔を赤らめる。
「うん。早く会いたい」
「ちゃんとシンちゃんからメールは来てる?」
「もちろん! 今朝もちゃんと届いてた。ある意味、時差のおかげできちんと返信しあってる。私は朝メールを見て、すぐにシンジくんに返信。シンジくんは朝メールを見てくれるんだろうけど、きちんと夜には返信をくれる。だから私は毎朝シンジくんのメールから一日が始まる。すごく嬉しい」
その惚気を目の前であてられるヨシノとしてはたまったものではないが、それでも彼女が幸せだというのならそれでいい。
疑われているこの子が、できれば何でもないただの普通の子であってほしい。
そのためにも、捜索には全力を尽くす。
「ふあ」
カナメがあくびをかみ殺す。そろそろか。
「なんか、眠くなってきちゃった。コーヒー飲んだのに」
「少し寝た方がいいんじゃない? まだ後四時間近くもあるんだし」
「うん……でも」
「私なら気にしなくていいわよ。カナメの寝顔を肴に、コーヒー全部飲んだら出ていくから」
「も、もう! ヨシノさんってば、本当に嫌いになるからね!」
だが、睡眠薬を完全に飲みきったカナメにとってはもう我慢の限界を超えていた。
「ベッドはあっちよ」
「うん……なんか、本当に眠いや。ごめんなさい、ヨシノさん」
「いいわよ、気にしないで」
そしてカナメは、ころん、とベッドの上に倒れる。
(あなたが眠っている間に、この部屋を完全捜索させてもらうから)
早くも寝息が聞こえてきた。だが、ここでヨシノは油断したりはしない。
睡眠薬の量は、コーヒーを飲みきればきっかり三時間は眠り続けるようにセットした。だが、体質によっては効果が出にくい人もいる。だからこそ五分間は何もしない。
その間にトイレに行って、戻ってくる。カナメはぴくりともしない。
「大丈夫かしらね」
いくつか反応を見る。
「カナメ、シンちゃんから電話来てるよ」
反応無し。
「えいっ」
頬をつねる。反応なし。
「こちょこちょ」
足の裏をくすぐる。んー、と足が引っ込むが、寝たまま。OK、問題なし。
「さて、始めますか」
もちろん捜索といっても、本人の了承を得ずにやること。少しでも後で不審に思われるようなことがあってはいけない。調べた場所を元通りに直す。その前提条件があってこそだ。
こうした『宝探し』は得意中の得意。カスミとどちらが上か、一度勝負してみたいところだ。
狙いどころは既に決まっている。箪笥やクローゼット、そうしたところも調べるのは当然だが。
「まずはPCを立ち上げてっと」
そして回線でコウキの部屋とつなげる。ここまでは打ち合わせ通り。コウキとカスミでMAGIの協力を得て、カナメのPC内部を大捜索する。おそらく記録に残るようなものをカナメがPCに入れるとは思わないが。
「次にこれか」
勉強道具。ノート類を一冊ずつ流し見ていく。勉強ノートを装った指示書になっている可能性を探る。が、何も発見できず。
続けて引き出しを見ていく。小物や服、下着などいろいろと出てくるが、それらしいものは何もなし。二重底になっているということもない。
ドレッサーの引き出しも調べる。だがやはり何もない。
さらにはカバンの中。あれこれと中身を探るが、それらしきものは何も発見されない。
机の裏、キッチン、クローゼット。全て調べた結果、出てきたものは何もない。
そこに内線がかかってきた。ここまで調べたものは全て片付けてあることをチェックしてから出る。
「こちら美綴カナメの部屋です」
『よっ。何か見つかったか?』
カスミの声だった。
「何も」
『てことは、やっぱりここに証拠になるものは持ってきてないってことだな』
「でしょうね」
万が一、カナメが起きて話を聞く可能性を考慮してできるだけ言葉を少なめにする。
『カナメは寝てるのか?』
「今のところは」
『そうか。PCにも何もなかった。だが、もしもカナメがどこかの駒だとしたら、絶対に何度も指示が来ているはずなんだ』
「そうね」
『もう十一時になる。ある程度捜索が終了したと思ったら、カナメを起こして射撃訓練に向かってくれ。俺もそっちとの回線はもう切ってある』
「分かった」
通話を切る。ふう、と一息ついた。
「誰?」
心臓を握られたかと思った。振り返ると、ベッドの上に起き上がったカナメがあくびをしている。どうやら今起きたらしい。
「ん、カスミから」
「ふうん。ここに直接?」
「そ。まあ私と連絡取りたかったらカナメのところに連絡するのが確実だからね」
特にそれ以上は何も言わない。たいしたことではないのなら、あえてこちらから内容を話すこともない。
「ん。なんか頭痛い」
「コーヒー飲む?」
「牛乳がいい」
「はいはい、お姫様」
冷蔵庫を開けて冷たい牛乳をコップに一杯。
「どうぞ」
「ありがと。あ、パソコン使ってたんだ」
「うん。暇だったから」
「ごめんなさい、寝ちゃって」
「眠いのは仕方ないわよ。私だって少し仮眠してたし」
「そうなの?」
「そうなの。カナメの寝顔を見てると、すうーって」
「ええ!? 私、なんか変な顔してなかった?」
「全然。子供みたいで可愛かったわよ」
くすくすと意味ありげに笑う。それだけでカナメは真っ赤になった。
「な、何があったか教えてくれたってー」
「だから何もなかったってば。くすくす」
「うう〜」
カナメがむくれたように顔を背ける。まったく、この子は可愛い。
(これが演技なはず、ない)
そう信じたい。
それなのにどうして、彼女の経歴だけが真っ黒なのだろう。
「一つ、美綴カナメのことで聞きたいことがあるんです」
射撃訓練が始まる前に、ジンとタクヤは剣崎キョウヤのところへ立ち寄っていた。
「何だい」
「知っていることがあるなら素直に教えてくれ。美綴カナメの正体について」
「と、言うと」
「俺たちは、美綴カナメがネルフに来る前と後とで完全に別人であることを突き止めた。キョウヤさんならそんなこととっくに知っていたはずだ」
「ふむ」
キョウヤが少し考えたようなのを見て、さらに尋ねる。
「上は美綴カナメをどう考えてるんだ?」
「前にも話したと思うが、美綴カナメの存在は上層部にとってあまり好ましいものではない」
「それは、カナメの出身に関わることか?」
「いや、むしろシンクロ率の問題が大きいように思う。先ほど赤木博士から連絡が届いたが、碇シンジは向こうでシンクロテストを行って六〇%を突破したらしい」
「六〇!?」
「すごい」
ジンとタクヤが衝撃を隠せずにいる。
「だが、それはドイツだから出せた数値。日本ではこれ以上の数値の伸びはない」
「何故?」
「美綴カナメがいるからだ。彼女の存在は碇シンジに悪影響を及ぼしている。理由は知らないが、赤木博士はそう考えている」
「カナメをどうするつもりだ?」
「難しいことではない。シンクロ率六〇%を超える少年と、三〇%に満たない少女。どちらが優先されるかは火を見るより明らかだ」
「殺す気か」
ジンが迫る。だが、キョウヤは毅然としたままだ。
「命令があれば殺す。だが、そんなことをしなくても適格者をやめてもらえればそれで充分だ。要するに彼女が碇シンジの傍にいなければいい」
なるほど、とジンが頷く。確かにキョウヤは命令があれば殺すだろうが、確かに今回の件は殺さなければいけない理由はない。
だが、もしも。
「美綴さんの正体によっては殺す理由も生まれるんじゃないんですか」
「私は駒だから何とも答えようがない。命令があれば殺すだけだ」
「俺を助けてくれたのも、命令だったからか」
ジンが尋ねる。
(倉田くんを助けた?)
その話は初耳だ。いったい何のことなのか。
「違うとでも思っていたのか?」
キョウヤの平然とした答に、ジンは一瞬顔をくもらせる。
「俺は、キョウヤさんだけは信頼ができると思っていた」
「それは買いかぶりだ。私は自分の職務に精励しているにすぎない」
「いや、悪かった。それならキョウヤさんはいざというときは俺たちの敵になるということだな」
「場合によっては」
「キョウヤさんはそれでいいのか。俺たちを敵にするって」
「それが任務なら、自分の私情を挟むものではない。それがプロというものだ。そして倉田ジン、覚えておけ」
キョウヤはサングラスを外した。そこに、精悍な男の顔が生まれる。
「お前に課せられている任務は重い。いかなる場合も、碇シンジを守り、導け」
「言われなくても分かってる。シンジは俺の仲間だ」
「なら、けっこう」
再びサングラスをかけたキョウヤはもうそれ以上話すことはないという態度を取った。
二人は部屋を出る。声をかけづらい雰囲気だったが、タクヤはそれでもためらわなかった。
「倉田くん」
「悪い。その話は保留にしてくれ」
「そう」
タクヤは少しうつむく。
「みんな、僕には想像もつかないくらい大変だったんだね」
ジンは答えない。
「僕で力になれることは少ないかもしれないけど、何かあったら頼ってほしい」
「お前はいい奴だな、本当に」
タクヤの言葉にジンが笑う。
「笑うところかなあ」
「すまない。だが、万が一のときは頼む。俺なんかよりも、シンジを」
「倉田くんも、野坂くんと同じことを言うんだね」
タクヤが苦笑した。
「もちろん僕だってシンジくんが大好きだからね。喜んで」
「すまない」
ジンはそこで言葉を区切る。これ以上は彼の考えを妨げるので何も言わない。
(おかしな雲行きになってきたな)
タクヤは内心でため息をついていた。
次へ
もどる