「剣崎キョウヤ。新しい任務を与える」
 ネルフ司令室へとやってきたキョウヤは直立不動でその任務を受ける。
「美綴カナメをこの第三新東京から出ていかせろ。方法は任せる」
 碇ゲンドウの口から出る言葉は重い。その内容は正確に受け取らなければならない。
「復唱。美綴カナメを第三新東京から出ていかせます。方法は一任されました」
「質問は」
「生きたままですか」
「生死は問わない」
「了解しました。もう一つよろしいですか」
「許可する」
「美綴カナメの正体を教えていただいてもよろしいですか」
「その質問に答えることはできない」
 もちろん、全ての情報を得られるとは思っていない。キョウヤもその点は理解している。それに、自分と先ほどのジンとを置き換えてみれば、意外な事実に思い至るかもしれない。
 ジンは、自分がカナメの正体を知っていると思っていた。が、自分はそんなことは全く知らない。
 同時に、自分はゲンドウがカナメの正体を知っていると思っている。が、もしかするとゲンドウも知らないところでの動きなのかもしれない。
 だとしたら、下手につついて蛇を出すことは禁じた方がいい。
「他には」
「死亡した場合の処理は」
「それも任せる」
「一任されました。期間は」
「四月一杯で行え」
「四月一杯で行います。質問は以上です」
「頼んだぞ」
 キョウヤが退出する。やれやれ、どうやら今度こそ本気のようだ。
(ジンたちと戦うか……あまり楽しい任務にはなりそうにないな)
 キョウヤは表情に出さず、そんなことを考えていた。












第漆拾玖話
















 射撃訓練開始。ここのところ確実に調子を上げてきているカナメだったが、上には上がいる。射撃で決して的を外さないのは一人や二人ではない。
 その中で、ようやく怪我の様子がよくなって、今週から訓練を再開している綾波レイがいる。
 レイは機械のように忠実で、教官から言われた通りに行動する。もちろん行動が機械のように正確か、ということになるとそうはならない。彼女もまた人間。人間は自分の体を完全に理解することはできない。一射目と二射目が全く同じようにはならない。そのブレをなくすための訓練なのだ。
 じっとレイを見つめる。上手な人は見ているだけでも参考になる。が、レイを見ているのはそれだけではない。
 表情を全く変えず、淡々と訓練を積むその姿が、やけに神秘的に見えるのだ。
 カナメは決してさぼっているわけではない。上手な人の姿勢や打ち方を真似するのは大切なこと。だからこそ教官もカナメを注意することはない。もちろん、誰かと話してたりのんびりしているようならすぐに叱責されるが。
「……なに?」
 レイは振り返らずにカナメに声をかけてきた。
「あ、いや、射撃上手だな、って思って、見てたの」
 ファーストチルドレン、綾波レイ。
 ランクAの中に入ってきても、それはある意味特殊だ。コモモに対しては若干壁が薄くなったような気はするが、依然として他のメンバーに対する壁は厚く、高い。
「そう」
 レイは一度も視線を合わせずにまたライフルを構える。
「後で、シンジの話がしたい」
 が、カナメがそう言った直後、レイが標的を外した。動揺したのだ。
「……どういうつもり」
 振り返ったレイが険しい表情になっている。
 怒っている。間違いない。
「言葉通り。レイさんと一度、ゆっくり話をさせてほしいって思ってた。できればシンジが帰ってくる前に」
「そう」
 レイは少し考えてから答える。
「いいわ。シンクロテストの後で、休憩室」
「うん、ありがとう」
 だがそれだけでレイはまたすぐに訓練に戻る。これ以上の私語は許されないだろう。
 カナメも訓練に戻った。
(レイさんは、シンジと昔から仲が良かった。そして、多分、レイさんはシンジが好き)
 だからこそ、自分は嫌われる。当然のことだ。
(でも、話をしないといつまでも同じだもんね。ちょっとずつ、レイさんと仲良くならないと)
 狙って、撃つ。今度はきちんと真ん中。
(よし、大丈夫)
 少しずつでも、自分が行動しない限り変わらないし、変えられない。勝手に周りの状況が良くなることを願うなんて、自分らしくない。
 真っ向勝負だ。






 だが、シンクロテストの結果は振るわなかった。あと少しで三〇%というところまで来ていたのに、そこから下降線。今日は二七%台でストップ。
(どうして上がらないんだろう)
 シンジがランクAにやってきたときは違った。シンジに引っ張り上げられるようにしてみるみる数値が伸びた。それなのに今はどうだろう。
(何が悪いのかな。やっぱり、シンジが傍にいてくれないとダメなのかな)
 今の心の支えは彼だけだ。自分が悩んでいたとき、自分を少しだけ勇気づけてくれた人。あのときから自分はきっと、シンジのことが好きになっていたのだ。
 一方で、綾波レイは記録を更新。ついに三八%。四〇%が目前に迫ってきた。
 テストを終えたレイがこちらを見る。だが、視線が合った瞬間にそっぽを向かれる。よほど嫌われているようだ。
「大丈夫?」
 状況を把握しているヨシノが尋ねてくる。
「うん。話はしてくれるって言ってたし」
「でも、綾波さん、ちょっと機嫌悪そうだし」
「それは私がシンジのことで話があるって言ったからだよ」
 カナメはその点では迷わない。シンジが好き。だからそのためにできることは何でもする。
「私、がんばる。だからヨシノさんも応援して」
「うん、がんばりなさい」
 ヨシノは自分より背の高いカナメの頭を撫でる。
(この子に、少しでも運が向きますように)
 ヨシノはすっかりカナメのことを気に入っていた。
 一方、レイの方となると、こちらは見かけはツンとしていても、その心の中はうじうじとしたものになっていた。
 傍にいるコモモには分かる。レイは表情には出さないが、心の中ではとてもいろいろなことを考えている。考えていないことの方が少ないだろう。ぼうっとすることがなく、常に思考している。それも、思考すればするほど悪い方へ傾く。よくない傾向だ。
「別に、カナメだってレイさんを取って喰おうとしてるわけじゃないんだから、大丈夫」
 コモモが傍で応援する。こく、と頷くレイ。
「不安なら一緒にいようか?」
「大丈夫。これは、私の問題」
 レイもそこで引くつもりはない。シンジがカナメを選んだのは事実だとしても、自分はずっと幼い頃からシンジを見てきた。そしてシンジがいつかこのネルフでもトップの人間になることを見越して、先にネルフのチルドレンとなることを了承した。
 すべてはシンジのために。
 その想いを踏みにじられたのは、絶対に許せない。
「でも、私はレイさんにも分かってほしい」
「何を?」
「カナメが、シンジのことを本気で好きなんだっていうことを。それに、カナメだけじゃない。私やヨシノだって、シンジのことが好きだ。世界でシンジのことを好きなのは、レイさんだけじゃない。そのことだけでも分かってほしい」
 シンジは素敵な男性だ。少なくともレイの視点では。素敵な男性は多くの女性から言い寄られるということなのだろうか。
「私はどうすることもできないの?」
「レイさんは思っていることを言わないのがよくない。どれだけ心の中でシンジのことが好きだったとしても、それを相手に伝えなければ見てはくれない。言葉にしなくても分かるなんて嘘。言葉にしなければ分からないことの方が多いんだから」
「言葉に……」
 レイは考える。
 なるほど、確かにそうだ。今だってシンジが何を考えているのか分からない。
 自分のことならシンジは何だって分かってくれている。そう過信していたからこそ、こんな事態になってしまった。
「分かった」
「うん、良かった」
 だが、コモモはまだ自分の間違いに気づいていない。
 本人にとっては些細なアドバイスだったかもしれない。ただ、レイは何も疑わずにそのまま実行に移す。

 最初の失敗はもしかすると、この時だったのかもしれない。






 そして二人が休憩室に入っていく。
 その外で待っているのはコモモとヨシノ。お互い貧乏くじを引いた、という顔をしている。
「正直言うとね」
 ヨシノは他に誰もいないことをいいことにコモモに言い訳した。
「私、カナメにはがんばってほしい。シンちゃんとうまくいってほしい。そう願ってる」
「それって」
「カナメがシロであってほしい……そういう期待。ごめんね、みんなが結束しないといけないときに」
「そんなの、誰だって同じだ。私はずっとレイさんと一緒にいた。レイさんはシンジと幸せになってほしいと私だって思ってる。でもそうしたら、カナメさんには引いてもらわないといけなくなる。誰だって自分勝手なことばかり思ってるんだ。でも、自分が本気でそう思ってるなら、誰にも恥じることはない。私はレイさんに幸せになってほしいと思ってる自分を誇りに思う」
 きっぱりと言い切るコモモ。この辺り、決して迷わないのがコモモだ。ヨシノは「そうね」と頷く。
「私ね、世界で二人だけ、かなわないなって思う相手がいるの」
「へえ?」
「一人はサラ・セイクリッドハート。あの子はちょっと異常。何をやってもかなわないわ」
「朝にも言ってたよね」
「そう。そして、もう一人はあなた」
 コモモはきょとんとする。
「私?」
「そうよ。あなたはいつだって正しい。正論をきちんと言って、でもその正論が間違っていると思ったらそれを曲げることも厭わない。そして何より自分に信念があるから、その言葉が重い」
「そんなこと」
「あるのよ。私やカスミみたいに、日の当たらないようなところで活動してきた人間にとって、あなたみたいなまっすぐな人は神様みたいに思えるわ。それも、嫌わなくていい神様」
 コモモは照れるわけでもなく、まっすぐヨシノを見つめる。
「私はヨシノじゃないからよく分からないけど、でも、誰だっていろんな過去を持って、悩んで生きている。私は自分だけが苦しいわけじゃないと思っているだけだと思う」
「私はダメ。私くらい辛いことがあった人間がいるなんて思えない。でも、そうなのよね。私たち同期のメンバーで、辛い過去を持たなかった人なんているのかしら」
 コモモは答えない。
 今朝の話では、ヨシノはイギリス諜報部に捕らえられたと聞く。そこで何が行われたのか。そこにいたるまでに何があったのか。
 自分だってそうだ。今は着色しているこの髪。このせいでどれほど苦しめられたか。だが、きっと同じように苦しんでいる人がいる。だからこそ仲間には優しくありたい。
「ヨシノも辛かったんだな」
 コモモはヨシノをぐっと抱きしめた。
「でも大丈夫だ。辛いときは私や仲間がいる。私は仲間を守るためならどんなことだってする。それが一番正しいことだと思ってる」
「……だから、あなたにはかなわないのよ、コモモ」
 どんなことがあっても逆らえない相手。それは、相手の精神が気高いということを自分が悟ってしまっているからだ。






 そして、問題の休憩室内。
 カナメは一生懸命に説明した。
 シンジと出会ってから、どんな会話をしたのか、シンジのどこが好きなのか、自分にとってどれだけ必要な相手なのか。
 だが、逆にレイからの言葉は冷たいものだった。
「あなたの気持ちなんて、私には関係ない」
 長く説明してきたことを一蹴される。
「あなたなんて、私がいなかったら碇くんと会うこともなかった」
「な、なによ」
「ネルフという組織はもともと、碇くんをパイロットにすることが決まっていた。パイロットとして少しでも碇くんの負担を減らすため、そして碇くんの傍にいるため、私はネルフのファーストチルドレンになった」
「え」
「碇くんはランクBになったら後は一気にランクAまで上がってくる。すぐにチルドレンとして登録される。それから私が追いかけても、絶対に追いつかない。だから先にネルフに入った。私がファーストチルドレンとしていろいろな実験をやってきたから、碇くんはその実験成果をもとに、余計な苦労をしないですんでいる」
 静かな口調だが、それはレイの魂の叫びだ。
 自分は、自分の人生の全てをシンジのために捧げたのだと。
「適格者という制度ができたのも、私がチルドレンとして認定されたため。だから、私がいなかったら世界中の適格者は、今頃適格者じゃなかった」
「そんな」
「私の願いはたった一つだけ。碇くんと一緒にいること。そのためにネルフに入り、ファーストチルドレンとなった。それなのに、どうしてあなたは邪魔をするの」
 攻撃が始まる。
「適格者になって、たまたま近くに碇くんがいただけのことで、どうして私から碇くんを奪おうとするの」
「でも、好きになったんだもん。好きになってしまったんだから──」
「私から碇くんを取り上げないで。私には、他に何もないのだから」
 凍りつく。言い返せない。
 好きなのだと。シンジのことが誰よりも好きで、もうどうにもならないのだと。
 だが、思い知らされた。
 シンジのために、自らの身を犠牲にしてまで尽くしている女性の存在を。
「話がないなら、もう行くわ」
 レイは立ち上がると、もうカナメには見向きもしなかった。






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