美綴カナメ殺害に関する被疑者の証言。
「名前を答えよ」
「二ノ宮セラです」
「動機は」
「憎かったからです」
「何故憎いのか」
「シンジ──碇シンジと一緒にいて幸せなはずなのに、彼のことを信用しないで、あまつさえ殺そうとしていたからです」
「ずっと病室にいたはずだが、どうしてそのことを知ったのか」
「誰かが教えてくれました」
「それは誰か?」
「……覚えていません」
(中略)
「ナイフはどうした」
「病室に置いてありました」
「何故タイミングよく美綴カナメの前に出てきたのか」
「そこで待っていれば来ると教えられたからです」
「それは誰か?」
「……覚えていません」
(中略)
「美綴カナメを殺したらどうなると思ったのか」
「何も。私はもうシンジに合わせる顔もありません」
「その覚悟があって殺したのか」
「はい」
「ランクA適格者の殺害は、いかなり理由であれ、罪状は死刑となることが分かっていたか」
「はい」
「それでも殺さなければいけない理由があったのか」
「私の気持ちの問題です。そうしなければおさまりがつきませんでした」
「よかろう。これで尋問を終了する」
第捌拾陸話
震
剣崎キョウヤは二ノ宮セラに関するレポートをまとめていた。
二ノ宮セラを煽動した者の正体は結局判明していない。セラが覚えていないのだから仕方がない。
病室への入室記録についても一切それらしい人影はない。過去二十四時間にわたって、病棟関係者以外の人間がこの部屋に入った様子はない。
それも二ノ宮セラが午前七時前後に犯行を行った以上、接触はそれから一時間以内。その時間帯は一切誰も入室していない。
それなのに、二ノ宮セラはベッドから起き上がり、ナイフを握り、ふらつく足で部屋を出ていった。
そして、美綴カナメを刺した。
カナメの方はそれほど難しいことではない。誰にも見つかりたくなかったカナメは、人のいない方、いない方へと逃げていったのだろう。それを誘導することは難しいことではない。ただ、一人では難しい。何人かのグループで行われたと考えるのがいいだろう。
(どのような結果になっても、十字架は俺が負う。そう決めた)
だからこの結果になったことも、自分は後悔していない。罪は罪として受け入れ、そのかわりに使徒だけは必ず倒す。そのための土壌を作り上げる。
完成したレポートを冬月副司令に送信する。ものの数分で返信が来た。
書いてあるのはたった一言。
『ご苦労だった』
自分が何をしたのか、だいたい分かっているのだろう。それを否定するつもりはない。
だが、問題はこれからだ。
(ガードたちと距離ができてしまったな)
碇シンジを守るメンバー。彼ら七人の協力は絶対に必要だ。
(使徒教について調べておいた方がいいか。いや、不要か)
使徒教のことは調べがついている。というよりも、使徒教のことなら『聞けばだいたい分かる』はずだ。
(もう、ドイツからの便が到着するな)
武藤ヨウは自分をどう思うだろうか。
やるなら自分がいるときにしろ、と言ったヨウ。
(まあ、こうなってしまった以上はやむをえない)
キョウヤは立ち上がった。これからまた工作だ。
(気の休まる暇もない。だが、これも贖罪だな)
こうして、ドイツと日本の時間が交錯する。
二ノ宮セラによる、美綴カナメの殺害。
ネルフ本部から、到着直後を狙ったかのような電話。
そして、動揺した葛城ミサトがもらした言葉。
シンジはミサトの言っている意味が全く理解できなかった。
呆然とした頭が、今の情報を聞き流そうとしている。
だが、頭は理解しなくても、全身の細胞は理解してしまった。
汗が噴出してくる。
そして、今、何を言われたのかが、全身から教えられる。
「葛城さん!」
エンが叫ぶ。だが、遅い。
既に彼は聞いた。聞いてしまった。
その、圧倒的な悪意に満ちたその言葉を。
美綴カナメが、死んだ。
何故。
いったい何が起こっているというのか。
「嘘だ」
シンジがミサトにつかみかかる。
「なんでそんな嘘をつくんだ!」
「シンジくん、落ち着け!」
そのシンジをエンが抱きついて組みとめる。ミサトもうかつに口にしてしまった言葉に顔を背ける。
だが、事実は事実。
彼女の携帯電話にかかってきたその内容が、誤りであろうはずがない。
「とにかく、戻りましょう。何が起こっているのかを確かめないといけないわ」
ミサトの言葉に一同があわただしく移動を始めた。
(いったい、何が起こっているんだ?)
誰もが混乱していた。何かを口にすれば、一気にそれがパニックに陥ってしまうほどの。
「嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ」
エンに強引に引っ張られてバスに乗り込んだシンジは、ただ同じ言葉だけを繰り返している。
(まずいな)
エンはその様子を見て、大きな不安にかられる。
これはマリーのときの比ではない。いや、マリーで一度失った悲しみを知り、それが癒える間も与えられないうちに次の悲劇が来てしまった。
このままだと、シンジは耐えられずに壊れてしまうかもしれない。
(それにしても、いったい何が)
エンは携帯からコウキにメールを打つ。
『美綴さんが死んだと聞いた。何があった?』
簡潔な内容。返信はすぐにあった。
『何故知った?』
説明するより先に確認とはコウキらしい。いや、カスミの指示だろうか。
『葛城さんの携帯に連絡が入った』
メールを返すと今度はしばらく間があった。
『詳しいことはここに着いてから伝える。シンジにはまだ伏せておいてほしかった』
『もう手遅れだよ』
バスの中、それもすぐ近くにシンジがいる以上、電話で話すわけにはいかない。
『シンジくんはもう心を閉ざし始めている。できるだけ正確な情報がほしい』
『駄目だ。事はそう単純じゃねえ』
『アメリカなのかい?』
『違う』
違う。
自分たちの身に起こることは全てアメリカが引き金になると思っていたのに。
『とにかくシンジくんを少しでも安心させられるような言葉がほしい』
『無理だ』
たった一言。
つまり、その言葉の裏にあることは。
(……美綴さんが死んだこと以上に、何かまだ衝撃があるっていうことか?)
恐ろしい。
これから先、いったいシンジをどれだけ苦しめるつもりなのか。
(僕だってマリーを助けることはできなかった)
だとしたら日本にいるコウキやヨシノばかりを責めることもできない。
(でも、いったい何があったのか。僕の方には心の準備をさせてほしい)
それとも、自分が知ることすらもよくない、とコウキが判断したのか。
(何が起こったんだ、いったい)
今まで、自分は積極的に人を好きになったことがない。
もちろん、小学生ともなれば好きな相手の一人や二人、できて当然だ。こちらの女の子が可愛い、あちらの女の子が綺麗だ、そんなことが毎日繰り返される。
ただ、不思議なくらい自分はそういうことに興味がなかった。意識したことがなかった。綾波レイという存在があったこともその原因だったかもしれない。
そんな自分に、真正面から思いをぶつけてきたのはカナメが初めてだった。
『でも私、本気になったときはシンジくんにきちんとそう言うから』
それが最初。
出会って二日。彼女は自分に興味を持つようになり、後から追いかけるようにして自分も彼女のことを気にし始めた。
『私、シンジくんのことが、本当に好きみたい』
自分はどう応えればよかったのだろう。
その時点で、美綴カナメという人物のことが好きだったかというと、決してそうではない。ただ、自分のことが好きでいてくれるし、一緒にいて気持ちのいい人だった。だから自分も一緒にいたいと思った。
それが、何度も会話を重ねていくうちにどんどん惹かれていった。
今では、間違いなく自分がカナメのことを好きだと分かる。
時間が経つにつれ、少しずつ彼女のことが大切になっていくこの感覚。
『好きな人が私のことをそんなに思ってくれてるんだもん。私、すごい嬉しかった』
好き。
そう、自分は、美綴カナメが、好き。
帰国の間、ずっと別のことばかりが頭にあったが、でも現実は違う。
自分が本当に会いたかったのは。
言葉を交わしたかったのは。
そして、誰よりも好きだったのは。
(カナメ……!)
そうだ。
最後の二日、全くメールを確認していない。
毎日、きちんとカナメに連絡すると言ったのに。
(カナメ)
携帯電話を取り出す。ドイツで事件があってからここまで、まったく一度も触れていなかった。
そこに。
カナメの、狂気があった。
【メール新着件数:381件】
頭がふらつく。
誰からなどと聞くまでもない。
カナメからのものに決まっている。
(いったい、何が)
新着メールを開こうとする。そのときだ。
「待つんだ、シンジくん」
その手を、隣に座っていたエンが止める。
「どうして」
「今、正確な情報もなしに、それを見ない方がいいと思う」
「正確な情報?」
エンがシンジが余計なショックを受けないようにした行為も、今のシンジには無駄だった。
「カナメが、僕にくれたメールほど正確なものはないよ」
震える手で、携帯電話を操作する。
最新の、メールが開かれる。
『シンジ。
ごめんね。』
たった、それだけ。
いったい何を謝られているのか分からない。
着信履歴は、今日の午前四時。
「カナメ……」
急いで、未開封メールの最初の一件を開く。
『シンジは、私がいることでシンクロ率が上がらなかったことを、知っていたの?』
「なんでだよ」
体ががくがくと震え始める。
「シンジくん」
「なんでカナメが、そんなこと知ってるんだよ!」
「落ち着いて、シンジくん」
「いったい何があったんだよ、日本で何があったんだよ! 教えてよ!」
だが。
今のメンバーの中に、シンジの質問に答えられる者はいなかった。
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