ランクA適格者の死亡。それは全世界的にも非常に大きな問題だった。世界を救う力を持つ三十人弱のランクA適格者。一人欠ければそれだけ世界の滅亡に近づいてしまうのだから。
 当然、葛城ミサトへの処分は大きなものになるだろうし、ガードを務めていた染井ヨシノもその地位を剥奪されることになっても仕方がない。世界中からネルフ本部への風当たりは強くなるし、何ごとも全てがやりづらくなる。
「本当にこれでいいのかね」
 冬月は総司令碇ゲンドウが渡してきた書類を見て顔をしかめた。
「老人たちが黙っていないぞ」
「かまわん。美綴カナメがサードチルドレンに悪影響を与えていたことは事実。こちらで手を回して処分したことにする。問題ない。さらに裏で手を引いていた使徒教に対して動きを取らせる」
「事故でも事件でもなく、処分か……」
 冬月は剣崎キョウヤからのレポートに全て目を通している。
 何者かが二ノ宮セラに対して、カナメを殺害するよう誘導していたことは明らかだ。それを防げなかったとしたら、それはやはりネルフ本部のミスだ。
 だが、それをあえて自分の手として使うとは。
「救われんな、お前も、私も」
「人類が生き延びるためだ。犠牲はやむをえん」
「十代の子供だぞ」
「老人だろうが子供だろうが、犠牲に変わりはない。美坂シオリを生贄としたことを忘れたわけではないだろうな」
「むう」
 冬月は呻く。確かにあれはやむなき処置だった。碇シンジか、美坂シオリ。どちらかしか助けられないのなら、より健康で生き残る確率が高い方を選ぶしかなかった。
「だが、今回は助けられる例だっただろう」
「助けた結果、サードチルドレンは美綴カナメに命を狙われることになる。もしそれで暗殺に成功したらどうなる」
 碇ゲンドウもレポートは全て目を通した。それゆえ、今回のカナメの事件を『処分』にしてしまうことに切り替えているのだ。
「追放でも監禁でも何とでもなるだろう」
「何がきっかけで自由を手にするか分からん。それならばいなくなってくれた方が、我々が生き延びる確率が上がる」
 危険なものは排除する──その考え方が、冬月には好きになれない。確かにゲンドウの言っていることはいろいろ誤りもあるが、基本的には正しい。世界を、人類を守らなければならないというときに、その切り札を危険にさらさず、安全を図るのは当然のことなのだから。
「シンジくんが心を閉ざしたらどうするつもりだ」
「六月までに立ち直っていればそれでいい」
「やれやれ。それでも父親のつもりか」
「父親?」
 ゲンドウは苦笑する。
「私に息子はいませんよ、冬月先生」
「お前、都合の悪いときだけ先生と呼ぶのはやめろ」
 碇ゲンドウはそれきり、何も言わなくなった。それ以上この件では何も話したくないのだろう。やれやれ、と冬月はため息をつき、改めて書類を見る。
 そこには、今回の処分が書かれてあった。

 葛城ミサト:減給十%(三ヶ月)
 染井ヨシノ:減給二十%(三ヶ月)、自室謹慎五日(四月八日〜十二日)












第捌拾漆話
















 ネルフ本部では美綴カナメの葬儀の準備が着々と進んでいた。
 その日、トレーニングは一切ストップ。明後日の四月十日(金)がたまたま昇格試験であることをふまえ、水・木と完全休暇とし、金曜日に昇格試験となった。
 ジンたちにできることはもう何もなかった。せいぜい、これから傷心を抱えてやってくるシンジをどう慰めればいいのかというのを考える程度だ。
 だが、そんな彼らの心配はひとまず先送りとなった。到着したネルフバスから、エンが意識のないシンジを抱えて下りてきたからだ。
「シンジ、エン」
 仲間たちが一斉に近づいてくる。
「大丈夫。寝かせただけだから」
「寝かせたって」
「薬で。万が一を考えて医者に同行してもらっててよかったよ。シンジくんはあと三時間は目覚めないはずだよ」
「そうか、ひとまずはそれでいいな」
 同期の仲間たちは一様に疲れた顔をしている。
「それで、何があったのかを教えてくれるかい?」
「ああ。だが、シンジを病室に運んでからにしよう。話はそれからでも遅くない」
「うん。でも、誰かがシンジくんについていてあげないと、目が覚めたときに誰もいなかったら、また」
「私が一緒にいる」
 コモモが手を上げた。
「事情が説明できる人間の方がいいから、私たちの中の誰かが一番適役だろう」
「でも、シンジくんが暴れたりしたら」
「大丈夫。私は、シンジを慰めるためにここにいるようなものだから」
 コモモが顔を翳らせる。それを見たコウキとエンは視線を交わして頷く。
「分かった。頼むぞ、コモモ」
「ああ。それから、エンだけじゃなくて他のみんなもきっと状況が知りたがってるだろうから、みんなまとめて説明してやれよな」
 バスから降りてきた適格者たちが説明を求める顔つきだ。当然のことだが。
「ああ。そうだな、広いとこの方がいいな。いつもの会議室に行くか」
 そしてコモモだけがシンジに連れ添い、残ったメンバーは会議室へと向かった。
「そういえば葛城サンは?」
「空港から一足先に出たよ。三十分は先に戻ってきてるはずだ」
「そうか、見逃したな」
 まあミサトはミサトでやることがいくらでもあるだろう。事務的な問題はそちらに任せる。
 だが、シンジの問題は自分たちでなければどうしようもない。
 重苦しい空気の中、ランクAとそのガードたちが全員集まって、話し合いとなった。
 ネルフ本部で何があったのか。それを伝えられた一同は、あまりの内容に驚きを隠せないでいる。
「美綴さんが、使徒教の信者で、シンジくんを暗殺しようとしていた……」
 まとめても、とても実感がわいてこない。だが、カナメは現実に亡くなっていて、今夜にはすぐに葬儀が開かれるのだ。
「カナメがなあ……そない、全然想像つかへんわ」
 トウジの言葉が、全員の気持ちを代弁している。というより、日本でその現場を見てきたメンバーですら信じられないという状況だろう。
「本当にもう、カナメちゃんに、会えないの?」
 バスからずっと泣きとおしなのはレミ。リオナがその肩を優しく抱きしめている。
「すまない。全部、俺の責任だ」
 ジンが頭を下げる。
「俺がもっと注意して動いていればこんなことにはならなかった」
「いや、せっついたのは俺らだからな」
 カスミがきまり悪そうに言う。
「誰のせいでもないよ」
 タクヤが優しい表情を消して、珍しく厳しい表情を見せる。
「ドイツに行っていたみんなには申し訳ないけど、誰かのせいなんていうことじゃない。もちろん、謹慎になった染井さんも含めて、みんなが美綴さんのために何かしようって思った。何日か時間を戻せるのなら、きっと同じ結果にはならないと思う。でも、結果を覆すことはできない。それに、美綴さんが碇くんを殺すために派遣された暗殺者だっていうのは明らかなんだ」
「カナメちゃんが……洗脳されていたと聞いても、とても信じられない」
 マイが頭を振る。ヤヨイはただ黙ってじっと話を聞いている。
「そもそも、使徒教ってのはいったいなんや?」
 トウジの質問は至極もっともだ。いくら適格者とはいえ、世界のテロ組織に詳しかろうはずがない。
「今世紀に入ってから勃興した新新興宗教だ」
 ジンが説明する。
「しんしんこー?」
「新新興。新興宗教っていうのは主に戦前までに勃興した宗教のことで、新新興宗教ってのは世紀末ごろからカルト的に流行りだした宗教団体のことだ。まあ、詳しいことは端折るが、もともとはキリスト教系の新興宗教に悪魔教会ってのがあるんだが、犯罪に関与してるんじゃないかとかって世紀末には結構騒がれたところだ。セカンドインパクト後、そこから分離独立してできたのが使徒教ってやつなんだが、これは冗談抜きの犯罪集団だ」
「犯罪集団?」
「一見、ただの宗教団体に見えるんだが、蓋を開けてみると単なるテロ組織なんだよ。悪魔教会が自分の欲望を制限しないという自己中心主義なのに対し、この使徒教は違う。いつか来る使徒を待ち、使徒に帰依することによって自分たちだけが助かろうっていう考え方だ」
「他の人間たちを捨て駒にして自分たちだけ助かろうっちゅう腹かい」
 トウジが嫌そうな顔をする。
「分かりやすく言うとそういうことだ。まあ、本当に使徒が来たときに、使徒がそんなもので区別するはずがないんだけどな。これに入信する奴は、よっぽど藁にでもすがる気持ちなんだろうさ。で、その使徒教の支部が現在世界に十七箇所。もしかしたら今はもう少し増えているかもしれないが、それだけある。日本にもあるが、内閣情報調査室が完全にマークしている」
「内調が動いてんのか。だとしたら本気でヤバイ連中だな」
 情報通のカスミが言う。
「本気どころじゃない。この組織によるテロ活動は大小あわせて十や二十ではすまない」
「二桁!?」
「まさか、そんな」
 さすがに誰もが声を上げる。そんな事件が起こっているなど聞いたことがないのだから当然だ。
「もちろん日本でそんな簡単に起こるはずがないさ。世界中をあわせればってことだ。特に使徒教が狙っているのはセカンドインパクト前から資本を蓄えていて、現在ネルフの資金源となっているユダヤ系企業。もっとも、ネルフに資金提供しているのはそこが多いっていうのが理由で、使徒教が狙っているのは要するに、使徒に敵対するもの全てだ」
「ということは、ネルフは」
「最大のターゲットということになる。だが、使徒教の構成員は内調が全てマークしているし、構成員の名簿は全て抑えている。ネルフにもその情報は流されていて、今までも使徒教の人間がここにもぐりこもうと子供を送り込んできていたようだが、誰一人として成功したものはいなかった」
 ジンの言葉が過去形になる。つまり、唯一の成功例がいたということになる。
「カナメが、その成功例……?」
 コウキが尋ねると、ジンが頷いた。
「質問」
 カズマが手を上げて尋ねる。
「なんだ」
「使徒教の構成員名簿が手に入っているのに、どうして美綴カナメがもぐりこむことができたんだ?」
 もともとカナメが怪しいと最初に睨んだのはカズマだった。そこから調査が始まり、カナメが黒であることが分かり、今回の事件へと発展した。その意味で、カズマも責任を感じていた。
「それについてはカスミ」
「おう。コウキとジンと相談の上、この間の日曜に美綴の実家に行ってきた。そこまでは日本在留メンバーには話したけど、ドイツ遠征メンバーは初耳だよな」
 エンをはじめ、各々が頷く。
「で、美綴の家に行って、昔の写真を見せてもらったんだが、これが似ても似つかない、全然違う顔だった。だが美綴の両親は自分の娘がランクA適格者だって信じてやがる」
「全く違う顔なのに?」
 エンが尋ねる。
「ああ。つまり、美綴カナメは入れ替わっていた、ってことだ。本物の美綴カナメは使徒教とは何の関係もない一般人。だが、使徒教の誰かが、本物と入れ替わってネルフに潜入した。それが俺たちの知っているカナメだ」
「じゃあ、カナメちゃんがボクたちを騙してたっていうの!?」
 レミが声を荒げる。だがタクヤが「それは違います」と答えた。
「美綴さんは、使徒教から洗脳されていたんです。そして自分が美綴カナメだと思い込んでいたんです」
「洗脳!?」
「美綴さんには複数の洗脳がかけられていました。一つ目は、自分が美綴カナメであるということ。二つ目は、碇くんを愛するということ」
 その言葉にドイツメンバーが愕然とする。
 カナメの、あの健気なまでの愛情は、全て、植えつけられたもの。
「そして三つ目は、その愛する者を殺せ、というもの」
「なんじゃそりゃあ!」
 トウジがテーブルを叩く。
「そないな洗脳して、美綴はなんとも思わへんのか!」
「美綴さんは自分が洗脳されているということも知らなかった。碇くんを好きになったことだって、洗脳されたからだなんて思いもしなかったはずだよ」
「だからって、好きな奴を殺すなんてこと、あの美綴がするはずあらへんやろ!」
「それを確実に実行させるのが使徒教だ」
 ジンが断言する。
「その人間の上辺の気持ちなんか吹き飛ぶくらい、魂にその洗脳内容を刻み込む。時が来ればカナメは確実にシンジを殺しただろう。それが使徒教の洗脳の仕方だ。それこそセカンドインパクト後に生まれている子供たちなんかはみんなそうだ。幼い頃から執拗に刷り込まれ、最後の目的を達成するために日々を過ごす。それが使徒教の生き方だ」
「最後の目的?」
「テロだよ」
 ジンの言葉に全員が顔をしかめる。
「使徒教のやり方は色々ある。だが、そのオーソドックスなものは『ある時期になったら、規定の行動をとらせる』ものだ。それが魂に刻み込まれたとき、使徒教の構成員は初めて自由になれる。だが、その自由は肉体的な自由であって、精神的には使徒教の『導師』によって完全に捕らわれた状態だ。そんなのは人間じゃない。家畜だ」
 汚らわしい、というようにジンが吐き捨てる。
「カナメちゃんがそうだっていうの」
 マイが睨む。
「厳しいことを言えばそういうことになる。カナメは初めから使徒教の家畜として飼われていた。そして碇シンジを殺すという準備ができたから首輪を外された。外しても後は、目的を達成するために自分で動いていくからな。それは見えない首輪があるのと同じだ」
「ひどいよ、ジンくん!」
「だが、それが事実だ」
 ジンの言葉に「確かにな」とカスミが続ける。
「ジンが言っているのは、言葉は悪いが間違っちゃいない。結局カナメは使徒教の手先としてしか生きることができなかった可哀相な奴、ってことになる。でもな」
 カスミが少し息を整えて言う。
「確かにカナメは洗脳されてシンジを好きになったんだろうさ。そして好きになればなるほど、カナメはシンジを殺そうとした。それも間違いないんだろう。だったら少なくとも、カナメはシンジのことが好きだった。たとえ洗脳されていたにしても、だ。その気持ちを否定するつもりはない。どうだい、この中に、カナメがシンジのことを上辺で好きだったように見えた奴はいるかい?」
 誰も手が上がらない。
「そういうことさ。たとえ経緯がどうあれ、カナメは本気でシンジのことが好きだった。せめて、それくらいのことがなけりゃ、やってられない」
 カスミがため息をつく。
「いずれにしても、俺たちはアメリカだけじゃない、別の敵を視野に入れなければならない」
 ジンがまとめに入る。
「使徒教については俺が直接情報を集める、かまわないか、カスミ」
「その方がいいと思うぜ。お前、使徒教のことについて詳しいしな」
 ジンが頷く。そして、問題がもう一つ。
「カナメが死んだ経緯がまた問題なんだ」
「いきさつ?」
 もちろん、まだドイツ遠征組は知らない。
 美綴カナメが、どうやって死んだのか、など。
「美綴カナメを殺したのはアメリカの諜報員とかでもなければ、ネルフが殺したわけでもない」
「アメリカじゃない?」
 誰もが、少なくともエン以外のすべてのメンバーが、その情報に気づく。
 考えてみれば、カナメが洗脳されてここにやってきたのなら、別に死ぬ必要はない。それこそ、シンジを殺したくないから自殺をした、というのでもない限り。
「自殺?」
「それも違う。れっきとした殺人だ」
「じゃあ、誰が」
 エンの問いにジンが答える。

「二ノ宮セラ。ランクB適格者……まあ、知らない奴はいないな」






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