「ときに、ターナー。もうすぐアメリカでもエヴァンゲリオンの起動実験があったはずだな」
 アメリカ大統領、ニコラス・J・ベネットが尋ねると、いつものように補佐官のターナーは「イエス」と答える。
「どういうスケジュールだったかな」
「マサチューセッツ第一支部で三機、ネバダ第二支部で二機、あわせて五機の同時起動実験です。タイムスケジュールは東部標準時間で、四月十二日の日曜日、午後一時です」
「ネバダは午前十時か。まあ、無事に終わることを願っているよ」
 エヴァンゲリオンの適格者競争では日本に劣っているアメリカではあるが、決してエヴァンゲリオンを軽視するつもりはない。なにしろ国連が認める『唯一の』対使徒決戦兵器なのだから。
「日本から管理責任者が来るらしいな」
「イエス。リツコ・アカギ博士。実験のときはマサチューセッツの指揮を取ります」
「そうか。アメリカの軍事機密など奪われることのないようにな」
「イエス」
 エヴァンゲリオンの開発競争は、使徒戦後の国家競争に関わる。ベネットはそれを過小評価はしない。
 だからこそ、日本の『エース』はつぶさなければならない。
「その後、AOCはどうしているかね」
「イエス。バット、日本には現状、AOCがおりませんので、手の出しようがありません」
「そうだったな。御剣レイジの暗殺に失敗したときに、全員抹殺されたのだったな」
「イエス」
「ならば、こちらから送り込むしかあるまい」
 ベネットの目が光る。
「フレッドに急がせろ。日本のエースをこのままのさばらせておくな、とな」
「イエス、プレジデント」












第捌拾玖話
















 四月九日(木)。

 美綴カナメの本葬は盛大に行われることになった。
 昨日の通夜も大変な人だったが、本葬もまた多くの人が訪れていた。
 ただ一つおかしなことがあった。
 カナメの両親が来なかったのだ。
 ネルフからすぐにカナメの両親には連絡が行った。そして両親がすぐに駆けつけるはずだった。
 だが、両親が名古屋の家を出てから現地に到着するまでにロスト。つまり、行方不明となってしまった。もちろん、ネルフは何もしていない。
 何かしたのはおそらく、カナメの『入れ替え』を行った使徒教の人間たちだろう。
 いずれにしてもネルフ主導で行われる本葬は、家族の有無を問わず厳粛に、滞りなく行われた。
 そしてシンジは、カナメの死に顔をようやく見ることができた。

 彼女は、かすかに微笑んでいるように見えた。






「一つ、お願いがあるんです」
 葬儀が終わって、シンジは執務室にいたミサトを訪ねた。
「シンジくんのお願いならだいたいのことは聞けるけど、どうしたの?」
「セラに会わせてほしいんです」
 だが、さすがにその頼みだけはミサトでは如何ともしがたいものだった。この件の管轄は保安部。そして剣崎がその担当。
「それは許可がいるわね。ただ、シンジくん。先に確認しておきたいのだけれど」
「はい」
「二ノ宮さんに会って、何をしたいの?」
「何を?」
 シンジは言われて戸惑う。
 自分は何をしたいのだろう。セラに会って、恨みでも言うのか。それともただ相手を問い詰めるのか。
 どちらにしても、お互い気まずいものが残るのは違いない。
 ただ。
「何も知らないままで、カナメのことをうやむやに終わらせたくないんです」
「そう」
 シンジが真剣な表情であるのを確認する。少なくともカナメの死を知らされたときのような混乱は見られない。
「少し待ってて」
 ミサトはすぐに電話を取り上げて短縮番号を押す。
「あ、剣崎くん? ちょっとお願いがあるんだけど、二ノ宮さんの件で……え、何ですって?」
 ミサトの声が低くなる。表情も険しい。
「ええ……そう、分かったわ。あとで報告書、お願い。ええ、それじゃ」
 そして電話が切られる。
「ど、どうしたんですか」
 よほどのことが起こったのは間違いない。
 ミサトはゲンドウのように手を組んで言った。
「シンジくん。落ち着いて聞いてね」
「は、はい」
「二ノ宮さんは、今朝、自殺を図ったわ」
「自殺!?」
 シンジが詰め寄る。
「それで、セラは──」
「なんとか一命は取り留めたそうよ。でも、昏睡状態になってしまっていつ目が覚めるかは分からないわ」
「そんな」
「命が助かっただけでもありがたいと思わなきゃね」
 だが、ミサトもシンジもよく分かっている。たとえ今助かったとしても、それはセラの命が助かるわけではないということを。
 何故ならば、ランクA適格者の殺害は、いかなる場合であれ、死刑。これは適格者制度が出来上がったときに新たに国際法に追加された項目だ。もはやセラの助かる望みはどこにもない。ただ、自殺を防いだのは、その裏の組織がまだ明らかになっていないからだ。
(もしかすると、自殺ではなくて、自殺に見せかけた他殺の可能性もあるわよね)
 電話口では剣崎も自殺未遂に不審の点があるような口ぶりだった。
(いずれにしても油断はならない、か)






 四月十日(金)。

 赤木リツコ、武藤ヨウ、そして剣崎キョウヤがアメリカへ出発した。いよいよアメリカでの起動実験が始まる。
 今回は適格者たちの同行はなし。当然、敵の本拠地に行くようなものだ。適格者など連れていけるはずがない。
 もしかしたらリツコすら狙われるかもしれないという事態に、ヨウがボディガードを兼ねてアメリカへ同行することになった。
 そして、この日は世界共通の第二金曜日。すなわち、四月の適格者昇格試験が行われる日でもあった。
 普段、ランクAと共に行動しているガードたちも、この日ばかりは昇格試験を受けることになる。従ってランクA適格者たちはこの日、完全休暇となっていた。ただ、ガードがいないため出歩くのは厳禁。適格者は自主的に一箇所に集まっていた。
 だからといって、特別トレーニングや何かをするというわけではない。というより、そんな余裕はなかった。
 カナメ・ショックは確実にランクA適格者たちに衝撃を与えていた。シンジはそれでも立ち直ろうとしていたが、無理をしているのは誰の目にも明らかだった。そのため、みんなで休憩室でのんびりとしているくらいがちょうどいい、というタクヤの判断に従い、本当に何もせずにのんびりとしていた。
「誰か受かる奴が出るかな」
 コウキがタクヤに尋ねる。
「さあ、どうだろうね。できることなら、一人でも多くのランクA適格者がいた方がいいのは違いないけど」
「でも、シンジくんみたいに簡単にランクAにはなれないよねー」
 レミがその話に乗ってくる。
「少なくとも、ガードたちは昇格できないだろう」
 カズマが冷静に答える。
「そのココロは?」
「ガードも俺たちと一緒にトレーニングをしてきたが、数値を見れば明らかだ。あの中でシンクロ率、ハーモニクス、シンクログラフ、パルスパターン、全部規定値をクリアしたものは誰もいない」
「そうだよなあ」
 コウキが頷く。こういう話になるとすぐに入ってきそうなトウジはすっかり眠り込んでいた。
「ま、リアルタイムで結果が分かるのはありがたいけどな」
 コウキが携帯端末で、ランクB一班のテスト結果を確認する。
「B一班ってことは──」
「リオナさんだっ☆」
 レミが端末に見入る。だが──
「パルスパターンとシンクログラフは見事にいいんだけどな」
「シンクロ率が12.225%、ハーモニクスが25.5か。どっちも自己ベストなんだけどな」
 リオナの結果は確かに成長は見えるものの、ランクAにふさわしいというほどでもなかった。
「次はランクBだね」
「てことは、ガード組は?」
「染井さん、古城くん、倉田くん。でも、染井さんは謹慎中でテストも受けられないから」
 ランクBの試験は班ごとに呼ばれ、一人ずつ試験を実施していく。知っている人の順番が来るまでが楽しみになっている。
「でも二人ともシンクロ率を規定数値まで出したことないよな」
「古城くんが十七で最高値かな」
 そして試験が実施されていく。エン、17.694%で記録更新。ジン、16.221%で記録更新。ジンは最高値より1%以上の上昇だ。
「たいしたものだな。ガード組の代表として、そして俺たちの代表として何とかしようという気迫がそのまま数字に出たな」
 カズマはジンをそう評価する。シンクロ率は搭乗者の精神状況に左右されるというが、ガードをしたことによってジンは今までよりも強い精神力を持つようになったのかもしれない。
「B三班は誰だ?」
「谷山さんと真道くん」
 ヤヨイが突然割り込んでくる。
「お、ヤヨイも自分のガードは気になるか?」
「谷山さんではシンクロ率は出せないけど、真道くんは」
 そう。ネルフ七不思議といってもいいだろう。真道カスミのシンクロ率は高い。実に27%もある。シンクログラフもパルスパターンも問題ない。ただ、カスミの一番の問題はハーモニクス。これが10を下回る。これではエヴァを起動させることができない。
「さて、あいつの数値がどうなるかな」
 コウキがニヤニヤと笑う。結果、マイはシンクロ率12.303%で記録更新。こちらも2%近くの上昇。やはりシンジと初めて交流を持った者はシンクロ率が上がるのか。
 そしてカスミはシンクロ率27.112%と自己ベストは出せなかったものの、ハーモニクスが9.5と自己ベスト。まあ、喜べる数値ではないのだが。
「はい残念」
「野坂くん、嬉しそうに言ったら駄目だよ」
 タクヤが叱るように言う。はいはい、とコウキが肩をすくめた。
 それからB4班の不破ダイチ、B5班の相田ケンスケとあえなく沈没。そしてB6班。
「これが最後か」
「結局、ランクAは出なさそうだね。最後は?」
「コモモだ」
 シンジが表示された端末の名前を見る。
 コモモはハーモニクスは32.5と規定数値を超える。だがシンクロ率がイマイチで、10%を何とか超える程度。これではなかなか難しい。
 だが。
「え」
「お」
「こりゃ、すごい」
 ランクA適格者たちが一斉に声を上げる。
 シンクロ率、15.338%。
「おしいな。ハーモニクスもシンクログラフもパルスパターンも問題なし。シンクロ率があと5%あればな」
「それじゃあ、コモモは5%も一気に上昇させたっていうこと?」
「なかなかありえないことを普通にやってくれるぜ、あの元気娘」
 カズマ、シンジ、コウキと次々に感想が出る。タクヤが「この伸びはすごかったね」と締めくくる。
「というわけで、碇シンジくんに引き続いて今月も、とはなりませんでしたー☆」
 レミが言う。だが、まだ何人か残っている。
「一応、最後まで見ておこうぜ」
 とコウキが言う。
 そこに表示されていたのは、見たことがない名前。

【赤井 サナエ】

 その数値を見て、全員が目を見張った。

 シンクロ率:24.350%
 ハーモニクス:34.3
 パルスパターン:OK
 シンクログラフ:OK

「おい……」
 コウキが驚愕の言葉を口にする。
「これは……決まり、ですね」
 タクヤも頷く。
「まいったな。まさか二ヶ月連続とは」
 カズマもさすがに驚きを隠せない。
「ということは、お仲間誕生!?」
 レミが顔をほころばせる。
「……引越し蕎麦の準備」
 ヤヨイが不穏な発言を飛ばす。
「赤井、サナエさん」
 シンジがその名前を呟く。
「ちょっと、データを見てみるか」
 コウキが端末を操作して、赤井サナエのデータを引き出す。
「おい、マジかよ」
 その目が真剣味を帯びていく。
「どうした」
「ありえねえ。目の前で、とんでもないもん見ちまったぞ、俺たちは」
「どういうこと?」
「こいつ、これでランクAになったとしたら、ランクAまで順調出世だ」
 全員が驚愕する。
「順調出世? それは世界でも数が少ないと聞いていたが」
「ランクBまでなら結構いるんだけどな。そこのカズマみたいに」
「体を鍛えればランクBまでは誰でも来れる」
 カズマが答える。だが、と当然その次が続く。
「シンクロ率だけはそうはいかない。これは本人の資質によるところが大きい」
「つまり、さすがのカズマもシンクロ率だけはどうにもならない、と」
 それは誰もが同じ悩みだ。シンクロ率が20%を超えるかどうか。そこで適格者が完全に振り分けられる。そして20%を超え、なおかつハーモニクスその他の条件もクリアしているのは三十人に満たない。それが現実だ。
「二〇一四年十二月にランクE……本当に順調出世だな。こんな奴がいたとはな、見落としていてた」
「パーソナルデータ、出たぜ」
 コウキが苦笑しながら言う。
「学年が今年度で中二だ。つまり、シンジたちの同世代だな」
「同い年?」
「それなら気兼ねなくできそうだね☆」
 レミが言う。
「そうだな。ちょうどエヴァンゲリオンも玖号機があることだし──」
 と、コウキが言いかけて全員がびくっと震える。
「あ、悪い、シンジ」
「ううん、いいよ。悪気があったわけじゃないのは分かってる」
 その玖号機はもともと、カナメが専属で乗るはずの機体だった。
「このまま玖号機をそのままにしておくわけにもいかないし、実際にカナメが乗ったのは一回限り。エヴァはあくまで道具でしかないから。カナメの気持ちはエヴァじゃない、別のところにあると思ってる」
 シンジが言うと、コウキが息をついて、その首に腕を回す。
「ちょっと、コウキ!」
「お前もまったく、随分カッコイイこと言うようになったじゃねえか、ああ?」
「ちょ、痛い痛い痛い!」
「気にすんな。ちょっとしたスキンシップだ」
「これは暴力だよ!」
 そうしてようやくコウキが離れる。全く、ふざけるときはどこまでもふざけてくる。
「いったい、どんな子なんだろうね」
 タクヤが興味ありげに言う。
「ま、明日には会えるんだろ。楽しみにしてようぜ」
「碇くんのときと違って、誰も知ってる人はいないよね」
「そうだな。順調出世ということは、ネルフに入ってから日が浅いという意味でもある。まあ、シミュレーションのときに顔を合わせている可能性はあるが、ランクBのメンバーを全員覚えているわけでもないからな」
「引越し蕎麦」
 ヤヨイが拗ねている。おそらく今からでは手渡すこともできないと嘆いているのだろう。
「じゃあ、僕が変わりに作ろうか」
「おおおおおおっ!」
「賛成、賛成、大賛成っ☆」
 コウキとレミが一気にヒートアップする。そしてヤヨイはシンジの前にひざまずく。
「君は我が剣の王にして唯一の主君なり。我が忠誠を試さん時はその御手にて、いつでも我が胸を突き給え」
(け、剣の誓いー!?)
 たかが蕎麦で人の忠誠が得られるのか。ヤヨイの忠誠はどこまで安いのか。
「いや、別にそんな忠誠いらないから」
「でも、大変だよ。ガードもいれると、全部で何人分必要かな」
「麺ならいくらでもある」
 ヤヨイはどこから取り出したのか、既に麺が机の上に山のように詰まれていく。
「じゃあ、明日の朝に全部ゆがして、つゆも作ってから行くよ」
「手伝うよ。朝、碇くんの部屋に行くから。今度一緒に料理しようって言ったしね」
 そういえばそんなこともあった。
「うん、じゃあ榎木くん、お願い」
「オーケー。まあ、古城くんと倉田くんも巻き込むことになるけど、まあ仕方ないよね」
 ランクA適格者が勝手に身動きできないのなら、当然ガードも巻き込むことになる。当然のことだ。






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