飛行機が、日本へ向けて飛ぶ。
 久しぶりの故郷だが、まさかこういう形で帰国することになるとは思わなかった。
 というよりも、帰ってくること自体を考えたことがなかった。
(また、もうすぐシンジくんに会えるんだ)
 そしてもう一人。彼のすぐ傍にいる人物。
(それに、あなたにもね、エン)
 紀瀬木アルトは、はやる気持ちを抑えるのが大変だった。












第佰壱話



「元気そうで良かった」












 四月二十四日(金)。

 ここから物語はまた大きな動きを見せることになる。
 混沌の四月はまだ終わらない。最後にこの最も大きなイベントが控えている。
 初号機。起動実験。
 全世界が無事に終わるようにこの実験に注目している。
 もちろん、ネルフ本部の技術部、保安部もいつにない緊張をもって動いている。
 今日、明日で世界中から要人がネルフ本部を訪れることになる。
 特に問題は──
「アメリカだ」
 対策本部を取り仕切っているのは武藤ヨウ。そして作戦部からは葛城ミサト。保安部からは剣崎キョウヤ。さらにはヨウの部下に収まった南雲エリ。そして──
「あと、中国もですよ。警備兵と称して工作員を送り込むのはあの国の伝統的なやり口ですから」
 答えたのは若い男。ヨウも傭兵にしては若いが、それよりももっと若い。だが、雰囲気はどこか似ている。ヨウほど煮ても焼いても食えないというほどではなさそうだが。
 門倉コウ。かつてアメリカ戦線で武藤ヨウ、南雲エリらと共に最前線を生きぬいた逸材である。単独行動に長けつつ、上官からの作戦遂行能力がダントツに高い。ヨウにとってもっとも信頼のおける部下の一人である。
「イギリスも碇さんを取り込もうとしていましたよね。注意しておく必要があります」
 エリも続ける。この三カ国は最重要マークの国といってもいい。
「剣崎には各国人員の管理、頼むぜ」
「はい」
「葛城サンは現場指揮になるから特別なことはないだろうけど、逆に言えば俺らの手の届かないところでは葛城サンにしか頼れない」
「ええ。任せておいて」
 とはいえ、五人の共通認識はただ一つ。
 アメリカ、ベネット大統領がこの機会にどう動いてくるか、ということだ。






 この日は特別に午前の格闘訓練までで終了となった。
 明日には最終打ち合わせがある。それまでは各自自由時間となる。が、もちろんただの自由時間ではない。それにかこつけた、各国適格者のお出迎えの仕事があるのだ。
「で、来るのはいったい誰なんだ?」
 格闘訓練終了後、コウキがようやく興味を持ったという様子で尋ねる。とはいえ、その情報を正確に知っている者は多くない。何人かは個人的にやり取りをしていることもあるだろうが、正確にリスト化されているわけではない。
「あー、まあちょっと待て。ここに極秘資料がな」
「さすがカスミ。ハッキングとクラッキングならお手の物だな」
「よせやい、てれるぜ」
 コウキとカスミのベタなやり取りに突っ込む者は誰もいない。それよりも日本に来るメンバーの方が気になる。
「ぽちっとな。あいよー、全員にリスト送ったぜ」
 腕輪式の携帯端末に送られてきたメールを一斉に開いた。

 アイズ・ラザフォード(アメリカ)
 マリィ・ビンセンス(アメリカ)
 キャシィ・ハミルトン(アメリカ)
 紀瀬木アルト(ドイツ)
 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン(ロシア)
 エリーヌ・シュレマン(フランス)
 ムサシ・リー・ストラスバーグ(中国)
 サラ・セイクリッドハート(イギリス)
 ルーカス・ストラノス(ギリシャ)
 エレニ・ストラノス(ギリシャ)

「うお、十人か。すげえな、こりゃほとんどオールスターじゃねえか」
 だいたいは見知った名前だが、アメリカの三人と中国の適格者にはまだ会ったことがない。それから噂になっているオーストラリアの錐生ゼロは不参加のようだった。
 そして、シンジにとってもう一人、目を引いた人物。
「この子」
 フランスの、エリーヌ・シュレマン。確かランクB適格者で、そして──

『彼女の分まで、幸せになってください』

 葬儀のとき、シンジにそう言った少女。
「おい、フランスにランクA適格者なんていたか?」
 尋ねたのはジン。確かにランクA適格者がフランスにいるとは聞いていない。
「先月まではランクBでしたよ」
 エンが答える。そう、ドイツで会ったのは覚えている。たった一度きりではあるが。
「じゃあ、ランクAになってたってことか?」
「エリーヌ・シュレマン。四月の昇格試験でランクA昇格」
 検索結果を表示していたのはコモモだった。
「数値はぎりぎりだな。シンクロ率二〇.五%、ハーモニクス三一.二。でも、きちんとクリアはしている」
 マリーの影響だろうか。どういう作用があったかは分からないが。
「全員、今日到着ですか」
「いや、明日の到着メンバーもいるな。今日来るのが六人」
「そのリストがないけれど」
「一気に教えたらありがたみがないだろ?」
 カスミがにやにや笑う。こういうところは意地が悪い。
 そのリストをじっと黙って見つめていたヨシノが小さく息をついた。
「どうしましたか、ヨシノさん」
 サナエが心配そうに尋ねてくる。
「いえ。これではどうあっても再会せざるをえないのかな、と思いまして」
「再会?」
「ええ。イギリスのサラさんとは顔なじみなんです」
 それは以前にも出てきていた話だ。イギリス諜報部の手先ではないかと疑われた『サクラ』という人物。それがヨシノのことだと。
 そしてドイツのアルト。他のメンバーは来ないようだが、これはドイツ代表ということでいいのだろうか。
「この間会ったばかりなのにね」
 エンが苦笑する。喜べばいいのか、微妙なところだ。
「で、最初の到着は?」
「そういやそろそろのはずだぜ。ネルフ本部の駐車場につくのが昼頃だって言ってたから──」
 これは何かの前振りだろうか。なんとなく嫌な予感がしたシンジだったが、それは予想通りの展開を迎えた。
「シンジ!」
 大きな声と共に、訓練場の扉が開かれる。
「シンジ! Glad to see you!」
 そして一直線にシンジに飛びつこうとして──
「きゃあああああああああっ!?」
 何かにつまずいて、途中で正面から漫画のように倒れてしまった。
「うわあ……リオナさんより派手な転び方」
「レミちゃーん? 雉も鳴かずば撃たれまい、って知ってるー?」
 笑顔でこめかみを引きつらせるリオナであったが、リオナにしてもレミにしても、その人物はもちろん見知った顔だった。
「ちょっと、誰よ足引っ掛けたの!」
「引っ掛けたわけではありませんわ。あなたが勝手に引っかかっただけのことです」
 そのサラを冷たく見下ろしていたのはヨシノ。
「……Why?」
「お久しぶりですわね、サラさん」
「Why!? Why are you here!?」
「私、本部のランクB適格者をしておりますの。よろしくお願いしますわね、サラさん」
 目は冷たいままで笑顔を見せる。大人しく猫皮を被っているものの、明らかに敵対意識がそこにうかがえる。こういうヨシノを見る機会はなかなかない。
「じょ、冗談じゃないわよ! あなたがいると知っていたら、こんなところまで!」
「あら、でも私がネルフ本部にいることは知ってたのではありませんか?『サクラ』があなたの情報を流したと勘違いされたと聞いてますわよ」
「だってだってだって! 適格者!? 何の間違いよ!」
「間違いでもなんでもないわ。私は適格者試験にパスした。だからここにいる」
「そんなはず」
 サラが完全に動揺している。そこまで動揺することもないはずだが。
「じゃあまさか、あなたもシンジのガードをしているの?」
「No。碇くんのガードは古城くんよ。ドイツに一緒に来ていませんでしたか?」
「なによ、それなら私がシンジに会うのを邪魔しないでよね!」
「いいえ、邪魔します」
 きっぱりとヨシノが言い切る。
「なんでよ!」
「そうですわね……」
 少しもったいぶってから答える。
「あなたが、世界で一番嫌いだからです」
 場が凍りつく。
 ヨシノは美人だ。誰が何といっても美人だ。先日はカナメの件でいろいろあったが、だからこそヨシノの『情』が深いということを誰もが知っている。そして絶対に嘘はつかない。ヨシノが嫌いだと言ったら、それはどこまでも本当のことなのだ。
「わ……」
「わ?」
「私だって、サクラのことなんかだいっきらいなんだからーっ!」
 と、シンジに挨拶することすら忘れてサラはそのまま訓練場を飛び出していった。
「な、なんやったんや」
 トウジが呆然と声を上げる。みんな同じ気持ちだ。
「申し訳ありませんでした、みなさん。ちょっとあの子とは因縁がありまして、ご不快にさせたとしたら謝罪申し上げます」
「そんなことはないけど」
 サラは美人だ。性格も悪いわけではない。ただちょっと強引で、回りのことを考えていないだけだ。できれば仲良くしたいとシンジは考えているのだが。
「それとも碇くんは、サラさんとくっつけなかったのが残念?」
「そうじゃないけど」
「あの子がイギリスの指示で碇くんに近づいているのは知ってますわよね」
「それも聞いたけど、でもそれだけじゃないって」
「それがあの子の作戦ですわ。イギリス情報局秘密情報部がそんな甘い組織だったら、今頃イギリスは国の形を保っていることはできませんわ」
 厳しい言い方に、シンジは答えることができない。
「あの子は誰よりも強く、したたかです。碇くん、気がついたらあなたはSISに捕らわれているかもしれない。そうなったら誰が初号機を起動させるんですか?」
 だが、ヨシノがそこまで言うサラも、ドイツで話したときはそんなふうな相手には見えなかった。もっと自分というものを大切にしている人物のように見えた。決して組織の飼い犬になっているような人物ではなかった。
 だが、それすらも演技だというのか。
「あの子には関わらない方がいいですわ。命が惜しければ」
「おいおい、そこまで言うことはないんとちゃうか」
 さすがにトウジが割って入ってきた。だが、ヨシノはさらに続ける。
「私の母親は、あの子に殺されたんですの」
 その言葉は、トウジを黙らせるのに充分だった。






 午後になって、シンジとエンの二人は次の適格者を迎えるために駐車場まで来ていた。
 全員で出迎えても良かったのだが、なにしろ全員となると十八人だ。相手もそこまでの人数で来てほしいなどとは思っていないだろう。特に、彼女にとって会いたいのは彼ら二人だけのはずだったから。
 バスが到着して、そこから別れたときのままの彼女が下りてくる。
「シンジくん」
 紀瀬木アルト。
「久しぶり、アルトさん。あんまり時間が経ってないように感じるけど」
「私もです。初号機の起動実験のときは絶対に来ようと思ってましたけど、本当に会えて嬉しいです」
 ドイツで一週間行動しただけだったが、シンジにとってアルトは性別を超えた友人のような感覚があった。アルトにしてみるとシンジは『憧れのチルドレン』という感じになるのだが、友人という感覚は同じだ。
「それに、あなたも久しぶり、エン」
「ああ。元気そうで良かった」
 エンとしては不安もある。アルトの中にいるもう一人の人格『ノア』。それがいったいいつ出てくるかと思うと気が気ではない。
 確かにノアのことを嫌っているわけではない。それどころか自分に名前をつけてくれて感謝すらしている。だが、自分にとって一番大切なのはノアではなくてアルトだ。
「シンジくん。遅れたけど──マリーに続いて、カナメさんのこと」
「あ、うん」
「本当に何て言ったらいいか分からないけど、でも」
「うん。言葉にしづらいと思うから、あまり気にしないで。吹っ切れたっていうわけじゃないけど、でも一応、前に向いてるとは思うから」
「うん」
 そして、アルトは軽く、シンジを抱きしめる。マリーが亡くなったときのように。
「辛かったね」
「……」
「シンジくんが辛いとき、そばにいてあげたかった。ごめんね」
「そんなこと、ないよ」
「私、シンジくんの力になりたいと本当に思ってる」
「ありがとう」
 思わず涙がこみ上げそうになる。亡くなったカナメ。だが、自分はこうして生きている。みんなに心配されている。
「僕は大丈夫だから」
 だから、できるだけ笑顔で答える。それを見たアルトもほっとしたような顔に戻る。
「よかった。実は、アスカさんも心配していたんです」
「惣流が?」
「はい。それから伝言です。『サードチルドレンへ。私をおびやかすような数値を出してみなさい』……だそうです。これは挑戦状というより、元気づけるための言葉だと、私は思ってます」
「僕もそう思う。惣流はああ見えて、物事をしっかりと考えてるし、それに優しいところがあると思う」
「私もそう思います。不器用ですけどね」
 そして三人で笑う。アスカもこんなところで話題にされているとは思うまい。
「それからヴィリーとメッツァから。『無事に実験が終了することを願う。そしてまた自分たちの試合を観戦に来てほしい』ですって」
「もちろん。喜んで行かせてもらうよ」
「二人とも日本に来たがってたんだけど、来期から一軍に合流することになりそうで、二人ともこの時期に一軍のキャンプに参加させてもらってるから」
「この時期?」
 サッカーのJリーグならちょうど開幕したばかりだが。
「あ、そうか。日本は四月にシーズンスタートでしたね。ヨーロッパやほとんどの国は、シーズン開幕が八月から九月にかけて。そして四月から五月に終了するの。ヴィリーたちはもうユースの優勝が決まってるから、一軍と一緒に行動させてもらってるの」
「それはすごいね」
 二人はまだ中学三年生という学年だ。それで一軍入りとは恐れ入る。
「でも、さすがにクラインからは何も言ってくれなかったけど」
 さすがにクラインが激励の言葉を言ったとしたら、それには絶対に裏があるに決まっている。
「というわけで、私がドイツ代表。言葉も分かるし、一番身軽に動けるからって」
「良かった。アルトに来てもらえて嬉しい」
 シンジがそう言うと、アルトは苦笑した。
「なに?」
「いいえ。シンジくんみたいに、世の中の人がみんな素直だったら、気持ちいい世界だなあって思ったの。そう思わない、エン?」
「まったく同感だね」
「なんだよ、それ」
 少しだけ膨れたが、悪い気はしなかった。もちろん褒められたということが分かっているから。






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