四月二十五日(土)。
昨日の六人のランクA適格者の来訪に続き、この日もまだ世界から適格者が到着する。
スケジュール的にどうしても土曜日にしか到着できなかったのはギリシャの誇るランクA適格者の二人だ。双子の兄、ルーカス・ストラノス。妹、エレニ・ストラノス。二人は大切な友人に会うために、そしてその友人が初めて行う起動実験に立ち会うために、この日本へとやってきた。
さすがに明日に実験をひかえている友人、館風レミが空港まで出迎えに行くわけにはいかない。飛行機が到着した郊外の空港から、JRとバスで移動。二人がネルフ本部に到着したのは午前九時三十五分のことであった。
もちろん、事前に連絡を受け取っていた館風レミと、ガードの清田リオナの二人が出迎えの役目だった。公認カップルのルーカスとレミの二人が三週間ぶりの再会なのだ。回りも気をきかせるというものだ。
「レミ」
「ルーカス」
バスから降りてきたルーカスは駆け寄ってレミを抱きしめる。
「ルーカス、また大きくなった?」
「三週間でそんなに変わるか」
「でも、いつでもルーカスは大きいし、あったかいよ」
「お前はいつでも小さくて、でもあたたかいな」
「小さいは余計だよ。ボクが気にしてるの知ってるくせに」
「体の大きさなど関係ない。お前がお前であることが大事だ」
「ルーカス……」
「レミ……」
「はーいそこまでっ」
と、ちょうど雰囲気の出たところでエレニのスリッパが飛ぶ。これはもういつものお約束というやつだ。
「エレニちゃん、痛いよぅ」
「んー? まだ言うならこの前みたいにヘッドロックバスターかましたろか?」
「ごめんなさいかんべんしてください」
「だったらところかまわずラブラブするの禁止! 特にアニキ! いつでも発情してるんじゃない!」
「む……」
発情、と言われて少しショックだったのか、落ち込んだ様子のルーカスであった。
第佰参話
「お前に会えてよかった」
昼までには今回来訪するランクA適格者が全員集合する。それを待って、ミーティングは午後からとなる。土曜日なのでそれまでは自由行動となった。
イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは大好きなシンジのところに朝一番に起きて駆けつけた。一緒に食事をして、それからまたプールにでも行こうか、それとも第三新東京に出ても時間はありそうだ。どうしようかと考えながら突撃する。
が、そこには既に先客がいた。いつものように隣に控えているガードの古城エンと、それから昨日やってきたアイズ・ラザフォードである。
「あ、イリヤ、おはよう」
「なーんだ、せっかくシンジを独り占めできると思ってこの時間に来たのに」
朝七時。確かにこの時間ならまだ誰もいないと思って来たのだが、エンはともかくまさかアイズが来ているとは予想もしていなかった。
「俺も今来たところだ」
アイズがすまし顔で言う。
「こういう状況だし、僕は昨日、シンジくんの部屋に泊めてもらったんだよ。それよりイリヤさんは朝食はどうしますか?」
「みんなは?」
「食堂に行くか、それともここで何か作ろうかっていう話をしていたところ」
シンジが答えると、イリヤがうーんと考える。
「お兄ちゃんのご飯が食べたい!」
「分かった。アイズもそれでいい?」
「ああ、シンジに任せる」
気づけば、二人の呼び方がファーストネームになっている。いつの間にここまで進展したのか。
「エン。二人の仲は、どこまで進んでいるんですか」
「それがですね、イリヤさん。ついに二人はただのお友達から名前を呼び合う関係に」
「おおおっ。シンジには回りに可愛い女の子がたくさんいるのに、まさか選んだ相手が男の子とか!?」
「ラザフォードくんの回りにも可愛い女の子がいましたよね」
「聞こえてるよ、エンくん」
「ふざけたものの言い方はやめろ」
シンジとアイズが据わった目で二人を睨む。ごめんなさい、と素直に謝った。
「じゃあ、ちょっと待ってて。簡単なものでよければすぐに作るから」
そうしてシンジは四人分の朝食を作り出す。
「この様子だと、もしかしたらまだ増えるかもしれませんね」
エンが言うとイリヤが指を顎にあてて考えた。
「そうだね。一人、心当たりがあるし」
言われてエンもなんとなく心当たりがあった。まあ、エンの場合は正確には『二人』候補がいたのだが。
「おはようございまーす……あれ、随分と人が多いんですね」
どうやらその『もう一人』の方が先に着いたようだった。
「早いね、アルト」
「あなたもね、エン……って、もしかして昨日、泊まったの?」
「まあね。何があるか分からないし」
「ガードの鑑」
「そんなことはないよ。それより、朝食は?」
「もしよかったらと思って、サンドイッチ作ってきたんだけど……ちょっと人数多いね」
「シンジくんがもう朝食作ってるみたいだから、一緒に食べることにしよう」
「そうね。無駄にはならないでしょうし」
そうしてアルトを無条件で部屋に上げる。
確かにシンジは大人気だった。果たして、これからあと何人の来訪を受けることになるのか。
その、イリヤとエンが言った『心当たり』の人物だが、部屋を出ようと扉を開けようとしたのだが、鍵が開かないという事態に陥っていた。
「ちょ、何、これ、壊れてるんじゃないの!?」
サラ・セイクリッドハートは必死にドアを開けようとするが、カード認証も手動も全く反応なく、沈黙の扉が完全に行動を遮断していた。
「もー、せっかくシンジに会えるっていうのに!」
サラは憮然として室内フォンを上げて受付に連絡する。が、
『現在、この電話は使われておりません』
聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「……まさか、サクラっ!?」
『なお、この部屋の扉はミーティングまで開かないようになっておりますので、あしからず』
ぷつっ、と切れた。その後、電話はうんともすんとも反応せず。
「な、なら、携帯──」
見事に電波妨害。発信しようとしても基地につながらない。
「……だからサクラはだいっきらいなのよーっ!!!」
「そういえば、ラザフォードくんはピアノをやるんですよね」
エンが尋ねた。天才と名高いアイズ・ラザフォードだが、その天才ぶりは学問や適格者として資質のみならず、芸術の方向にも高い。というより、芸術での評価が一番だ。コンテストなどによく出場していて、必ず金賞を取るという完成ぶり。適格者にさえなっていなければ、ピアニストとして既にデビューできていただろう。
「ああ。シンジはチェロをするんだよな」
「うん。それからエンくんはバイオリン」
「そうか。それならトリオができるな」
「トリオ?」
何かの漫才だろうか、とアルトがその名にふさわしくなく音楽に造詣の浅さを見せる。
「トリオっていうのはね、この場合ピアノ、バイオリン、チェロで行う三重奏のことよ」
サンドイッチを食べながらイリヤがアルトに説明する。
「シンジは何か弾ける曲があるか?」
「覚えてるのは少ないけど、楽譜はいくつかあったと思う」
「そうか。時間もあるし、よければ合奏がしたいな。観客もいることだし」
イリヤとアルトを見る。わーい、と喜ぶイリヤに、突然のことに動揺するアルト。
「僕はそこまでチェロが上手なわけじゃないから、ちょっと練習させてほしいかな。エンくんは?」
「僕もトリオの曲を弾いたことがないから、できれば短いのだと嬉しいかな」
「短くはないが、モーツァルトの第七番ト長調。気軽に楽しんで弾くことができるが」
「あ、それなら楽譜あるかも。第一楽章だけかもしれないけど」
「充分だ。初見で弾けるか?」
「躓いても気にしないでくれれば」
「もともと仲間内で気軽に弾くための楽曲だ。気にする必要はない」
食事が終わって、シンジが楽譜集の中からお目当てのものを見つける。
「一部しかないから、コピーがいるけど」
「売店でコピーできるよね」
「はいはーい! 私、やってくるから、お兄ちゃんたちは先に音楽室に行って準備してて!」
イリヤが元気よく手を上げる。
「でも、場所が分かるかい?」
「うん。この間来たときにだいたい頭に入れてあるから」
「さすが」
「というわけで、楽譜借りるね。いってきまーす!」
イリヤが駆け足で行くと、四人は笑って行動を開始した。
音楽室はそれほど遠いところにあるわけではない。娯楽共有スペースとしてもともと置かれたものだが、使う者はまばらだ。有志で合唱などもやっているらしいが、活動しているところを見たことはない。
当然、音楽室は誰もいない──はずだった。
「って、なんでこんなところにっ!?」
音楽室の端で座布団を敷き、お茶をすすっていた神楽ヤヨイと、その隣に立って少し困ったようにしている谷山マイ。
「いや、イリヤちゃんが『シンジくんたちの曲が聞きたければ早いもの勝ちだよ』って、会う人みんなに」
「イリヤ……」
そのために楽譜のコピーをかって出たのか。迂闊だった。
「失敗できなくなってしまいましたね」
「俺は練習曲によく使っているから大丈夫だが、二人とも平気か?」
「この曲はバイオリンもチェロもあまり難しいわけじゃないから、大丈夫だと思うけど」
「うん。確かに一箇所か二箇所くらいかな、気をつけるのは」
それにしてもヤヨイは座布団持込とは、いったい普段から何を持ち歩いているのか。
「調弦はいいのか?」
「うん。手入れはそれなりにしているから」
エンも頷く。それを見てアイズはグランドピアノの椅子に腰掛けた。何音か出してみて「悪くない」と言う。
「おにいちゃーん! 楽譜、コピーしてきたよ!」
「イリヤ」
疲れたようなシンジの顔に、イリヤは疑問符を浮かべた。
「おー、やってるやってる」
「いつからだ? 始まるのは」
真道カスミと野坂コウキのコンビも現れた。
「少し練習してからだから、あと十分か二十分くらいかな」
「ああ。ランクAとガードのメンバー全員には声かけといたぜ」
「余計なことを」
「ははっ、シンジはチェロ得意なんだから観客がいたって関係ねえだろ」
コウキが気楽に言うが、観客のあるないは全然違う。
「ごめん、アルトさん。せっかく気楽に聞けると思ってたのに」
「ううん。みんなで一緒にいる方が楽しいから」
シンジが気遣うように言うと、アルトは「気にしてない」と答える。
「だって、せっかくこうしてみんなで集まってるんだもん。みんな一緒が一番でしょ?」
元凶のイリヤが平気で言う。
「そうだね。せっかくだし」
「ということで、練習しておこうか。失敗したら恥ずかしいからね」
そして三人が椅子に座って、めいめい練習を開始する。
この楽曲はピアノをメインに、バイオリンとチェロはそれを補完する形で作られている。だからシンジやエンがそれほど大きなミスをしない限り、初心者には分からない。
「出だしのあわせ練習だけしておこう」
アイズが言って、楽譜を最初に戻す。
モーツァルトK.564は、ピアノ、バイオリン、チェロが最初に合わせてスタートする。だから呼吸を合わせなければ音がずれてしまう。
三人は視線を合わせる。呼吸を整えて、一度首を下げて、上げる──スタート。
「できそうだな」
「うん。大丈夫だと思う」
そうこうしている間にだいたい観客が集まってきた。見れば、ギリシャの二人も到着していたらしく、レミ、リオナと一緒に四人で椅子に座ってこちらを見ていた。
「アイズは楽譜、誰かにめくってもらわなくて大丈夫?」
チェロとバイオリンは音を出さないところで自分でめくることができるが、ピアノは止まることがないため、そうもいかない。
「じゃ、私がやるわね」
立候補してきたのはマリィ・ビンセンスであった。
「来ていたのか」
「無視しなくてもいいでしょう。これだけ観客がいるんだから」
「そうだったな。では頼む」
「はいはい」
マリィは隣に椅子を持ってきて腰掛ける。必要なときに立ち上がり、楽譜をめくる。それだけが仕事だ。
「それじゃ、そろそろ始めます」
ランクAとそのガードは全員集まっていた。こういうイベントには絶対に顔を出すだろうと思われていたサラだけがいない。
そして三人は呼吸を合わせて、始める。たった五分の演奏の始まりだった。
合奏が終わると拍手喝采。相変わらず上手いなとか、アイズの生演奏が聞けたとか、みんな言いたい放題だ。
「感動しました。シンジくん、こんなにすごいことができるんですね」
アルトが蒸気した顔で讃える。シンジも照れて顔を赤らめた。
「いや、僕のはただ長くやっているだけだから」
「いや、そうではない」
ピアノの席に座っていたアイズが言う。
「音楽はその人間の心が表れる。ここにいる者が心地よくなったとすれば、それはシンジの精神が高潔だからだ。やはり、お前に会えてよかった」
「そんな」
アイズの大絶賛に、シンジは顔を赤くしたままうつむく。
「良い演奏でした」
と、そんなシンジたちに近づいてきたのは、見知らぬ女性であった。
黒くて長い髪、それに長身。だが年齢は同じくらいか。そして隣に立つ女性は──
「あ」
もちろん、知っている。知らないはずがない。
彼女は、そう。
「お久しぶりです、と言っています」
黒髪の女性が通訳する。
その金色の髪の女性は、前に、ドイツで会った人物。
フランスの適格者、エリーヌ・シュレマン。
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